生きていた忠治
残雪が残る春の横手山、未だ春の陽気とは言えない山の気候だが真冬の厳しい寒さを思えば大分暖かくなってきた、忠治は処刑場で突かれた多数の槍傷を温泉で癒やしていた。
熊が傷を癒やしていた事から熊の湯と地元のマタギが呼ぶこの温泉はきつい硫黄の匂いと真冬の寒さにも負けない熱い湯だが傷にはめっぽう効くという、忠治もいつか聞いたこの温泉のことを忘れずに藁にもすがる思いで当地へ赴き回復するのを待っていたのだ。
「傷も大分癒えてきたなァ・・・こうしている間にもかわいい子分や村の衆がどうしているやら心配でいけねぇ・・・」
そうポツリと呟いた忠治は手ぬぐいで塞がった傷口を撫でた、無意識のうちに体をねじり槍の穂先を急所から外した忠治はなんとか死を免れたがドスで切った張ったの死線をくぐり抜けてきた国定忠治であっても流石にこの槍傷は体にこたえ半年ほどはまともに動くこともままならなかった。
「親分!ご入浴中失礼致します・・・」
「おぅ、浅か・・・どうしたぃ?」
忠治を親分と呼ぶこの男、名を「板割の浅太郎」といい国定一家の子分の一人で、忠治が焼き討ちにした代官屋敷の主「大貫兵衛」を切った張本人である。
忠治と別れた浅太郎は叔父の「三室勘助」の忘れ形見「勘太郎」と共に信州の金大寺という寺に一時世話になったが磔になった忠治が消えたという噂を聞いてすぐに万座峠を通って上州に向かったところ忠治と再会し今日まで甲斐甲斐しく子分らしく親分の世話を焼いていたというわけである。
「いやぁ・・・ちょいと大笹宿で小耳に挟んだんですがね・・・」
忠治が入浴してる岩風呂の横に片膝をついて口をモニョモニョさせてなんとも歯切れの悪い口ぶりで頭をかいた浅太郎をジロリと忠治は睨む
「なんでぇ男ならはっきり物を言いな、忠治はハッキリしねぇやつはでぇきれぇだ」
「はぁ・・・それなら言いますがね、なんでも浅間山に鬼がでるって言うんでさぁ」
「なにぃ?!鬼だぁ!?プッ・・・ガッハッハッハ!!!」
突拍子もない浅太郎の言葉に思わず吹き出し忠治は思わず風呂の中でズッコケそうになり頭に乗せた手ぬぐいがポチャンと風呂に落ちた
「それが笑い事じゃねぇんですよ親分」
「バカも休み休み言いやがれ、言うに事欠いて鬼たぁなんでぇ?」
鬼より怖い国定忠治といえど未だに鬼と対面したことはない、そもそもこの世に鬼なんてものがいるのだろうか?
子分が持ち込んだ突拍子もない話で気分が落ち込み気味だった忠治もいくらか心が和んだ。
「あっしも最初は冗談かと思ったんですがねぇ・・・」
そう切り出す浅太郎の顔は真剣そのものであったが、またぞろ講談師や瓦版屋に妙な話を吹き込まれたと思って忠治は肩まで湯にどっぷり浸かり余興を愉しむように浅太郎の話に耳を傾けた。