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3

 グラッカンは大きく息をつきながら、スコップを片手で地面に突き立てた。ゴルムの猛攻を受け続けた体はすでに限界に近い。

 それでも彼はその場から一歩も退くことなく、獣のような鋭い目でゴルムを睨みつけていた。


「まだだ……まだ終わらせるわけにはいかねぇ」


 彼は低く呟き、再び構えを取った。


 一方、ゴルムも深い傷を負いながら、その赤い瞳はますます凶暴さを増している。口元からは黒い血液が滴り落ち、それが石畳を腐らせていく。

 ゴルムは喉の奥から再び低いうなり声を発し、その巨体を揺らしながらグラッカンに向かって歩み寄る。


「これ以上、好き勝手させるかよ……!」


 グラッカンは自らに言い聞かせるように叫ぶと、スコップを振りかぶり、ゴルムの突進を迎え撃つ準備を整えた。


 しかし、その瞬間だった。

 ゴルムの巨体が突然勢いを増し、広場全体を震わせるようなスピードで突進してきた。その圧力は風となって周囲を吹き飛ばし、歩は思わずその場に倒れ込んだ。


「グラッカンさん!」


 歩の叫び声が響くが、グラッカンは振り返ることなくスコップを振り抜いた。その一撃はゴルムの横腹に直撃し、再び黒い血が噴き出す。


 だが、それでもゴルムの突進は止まらない。

 その鋭い爪がグラッカンの肩を深く抉った。


「ぐっ……!」


 グラッカンは苦痛の声を上げながらも、足を踏みしめ、全力でスコップを押し返す。

 だが、その傷は致命的であり、彼の体は徐々に力を失っていく。


「まずい……このままでは……」


 エメラルドが低く唸るように言った。


 ゴルムはさらに追撃を加えるように、鋭い牙をむき出しにしてグラッカンに噛みつこうとする。


「——離れろ、化け物!」


 別の方向から飛び込んできた冒険者がゴルムの側面に剣を突き立てた。その一撃にゴルムの体が一瞬だけ揺らぎ、グラッカンはその隙を突いて後退することができた。


「来い……!」


 グラッカンは全身の力を込めてスコップを振り上げ、ゴルムの攻撃を迎え撃とうとする。しかし、その動きは以前のような鋭さを失い、疲労と傷の影響でわずかに遅れていた。


 ゴルムの爪がグラッカンの腹部を狙い、その巨大な腕が振り下ろされた。その時――鋭い金属音が広場に響き渡った。


「ここまでだ!」


 突然の声と共に、ゴルムの攻撃は寸前のところで止められていた。歩が振り返ると、そこには豪華な鎧を纏った騎士が立っていた。その人物の威風堂々とした姿は、一目でただの騎士ではないことを示している。


「デルフィン騎士の団長様か……!」


 グラッカンが驚いた声を漏らす。その名を耳にした瞬間、歩の胸にも一筋の希望が差し込んだ。


 王城からの救援に駆けつけたその騎士団長は、銀色の甲冑に身を包み、片手に握った大剣を軽々と構えていた。その剣からは微かに光が放たれており、ただの武器ではないことを物語っている。


「すまない、遅くなった。だが、ここからは私たちに任せてもらう」


 団長の声は低くも力強く、周囲の混乱を一瞬で鎮める威厳に満ちていた。


 ゴルムは新たな敵を前にし、その巨体をさらに膨らませて威嚇するように低い咆哮を上げた。だが、騎士団長は一切怯むことなく、静かにその巨体を見据える。


「グラッカン、君は下がれ。これ以上の無理は命を縮める」


 団長は冷静に言い放ち、グラッカンの前へと進み出た。


「助けられるとは思っていなかったが……ありがてぇ」


 グラッカンは血を拭いながらスコップを肩に担ぎ、一歩後退する。


「よし、騎士団、準備を!」


 団長が高らかに命じると、彼の背後から続々と現れる騎士たちが一斉に武器を構えた。

 盾を掲げる者、槍を構える者、そして魔法の詠唱を始める者――彼らの動きは整然としており、王城直属の精鋭部隊であることが一目で分かる。


「行くぞ!」


 団長の合図と共に、一斉に騎士たちがゴルムへと攻撃を仕掛けた。


 最前線の槍兵がゴルムの動きを封じるためにその巨体に突撃し、その鋭い槍がゴルムの脚部に次々と突き刺さる。ゴルムはその痛みに激しくのたうち回り、地面を大きくえぐるが、後続の騎士たちがその隙を突いてさらに追撃を仕掛ける。


「今だ、ナオシャ!」


 団長が叫ぶと同時に、後方に控えていた魔法使いが呪文を唱え終えた。


「自在、招来。示人(しめしびと)の槌———火よ、在れ!」


 明朗とした女性の声と共に巨大な火球がゴルムの頭上に現れ、一気にその巨体を飲み込むように炸裂した。

 轟音と共に炎の奔流が広場を照らし、ゴルムの咆哮がその中でかき消される。歩はその光景を目の当たりにしながら、全身の力が抜けるのを感じた。


 炎が収まると、広場には黒煙と焦げた匂いが立ち込めていた。だが、その中でゴルムはまだ立っていた。その巨体はぼろぼろになりながらも、赤い瞳は未だに燃えるような輝きを失っていない。


「しぶといな」


 団長は眉をひそめながらも、その顔には冷静さが漂っていた。


「最後の一撃だ。全員、総攻撃を仕掛ける!」


 騎士たちはその声に応じ、再びゴルムに向かって突撃を開始した。団長自身もその大剣を高く掲げ、ゴルムの喉元を狙って駆け込む。その動きはまさに洗練された戦士のそれであり、一切の無駄がない。

 さきほどの女性の声が響く。


「自在、転回。示人(しめしびと)の後光———光よ、在れ!」


 団長の大剣が光を帯びながら、ゴルムの喉を深く切り裂いた。その瞬間、ゴルムの咆哮が途切れ、巨体が大きく揺れる。そして、そのまま地面に崩れ落ちた。

 静寂が広場を包み、騎士たちはゆっくりと武器を下ろした。団長は大剣を地面に突き刺し、深く息を吐いた。


「ようやく終わったか……」


 歩はその場に崩れ落ちるように座り込み、エメラルドを抱きしめながら震える声で呟いた。


「終わった……本当に、終わったんだ……」


 グラッカンも傷ついた体を引きずりながら団長に近づき、苦笑を浮かべた。


「流石は団長様だな……助かったぜ」


 団長は軽く頷きながらも、その目はまだ鋭いままだった。


「これで安心するのは早い。このゴルムが現れた理由を探る必要がある。王城に戻り、詳しい報告を待とう」


 こうして、リヒタンシュタールの危機は一旦の終息を迎えた。


 しかし、この事件がもたらす波紋はまだ始まったばかりだった。





————————





 リヒタンシュタールの広場は、ゴルムとの激戦の余韻を色濃く残していた。倒れたゴルムの巨体は、黒い血をゆっくりと流しながら静かに燃え尽きていく。その周囲には、騎士たちが整然と立ち、広場の被害状況を確認しつつ、警戒を続けていた。


「この場はもう安全だ。手分けして周囲の被害を確認し、必要な手当を行え」


 団長が冷静に指示を出すと、騎士たちはそれぞれの役割に従い動き始めた。


 歩は地面に座り込んだまま、未だに震える手をじっと見つめていた。激しい戦いの光景が何度も頭の中で繰り返される。血の匂い、肉が裂ける音、爆発の轟音――すべてが現実のものとは思えず、頭の中でぐるぐると回っていた。


「歩、しっかりしろ」


 エメラルドの低い声が耳元で響く。その声に少しだけ意識を取り戻した歩は、震える手をギュッと握りしめ、必死に深呼吸を繰り返した。


「大丈夫だ。俺たちは生きている」

「……ああ、本当に……終わったんだね」


 歩はかすれた声で答えた。だがその言葉には、完全に安心しきれない微妙な不安が滲んでいた。

 団長が歩の前に静かに歩み寄り、その堂々とした姿勢で彼を見下ろした。


「君がグラッカンと共にこの場にいた少年か」

「……はい」


歩は立ち上がることもできず、ただ座ったまま団長の顔を見上げた。


「すまない、君の名は」と団長が静かに尋ねる。

「天川歩……僕は……学生です」


歩の声は小さく、か細かった。その返答に、団長は少しだけ眉をひそめた。


「もしや、異世界から来た者か……?――異界の者が、ここにいるのは極めて異例だ。通常、召喚の儀を経た勇者でなければこの世界には来られないはずだが……」


 団長は意味深な目つきで歩を見つめた後、続けた。


「君の存在は、王国にとって重要な鍵を握るかもしれない」


 歩はその言葉に戸惑いを隠せなかった。


「鍵……僕が……?」

「詳しいことは王城で話そう。この街に君が現れたこと、それに今回のゴルムの出現は偶然ではないと考えられる」


 団長は重々しくそう言いながら、騎士たちに視線を送った。


「街の状況が安定次第、君とグラッカンを王城に招くことになるだろう。その間に体を休めておくといい」


 歩は言葉を失ったまま頷くしかなかった。団長の威厳と冷静な語り口が、彼の胸に強い印象を残した。


「団長!」


 その時、一人の若い騎士が駆け寄り、深刻な表情で報告を始めた。


「街の東側でも異変が報告されました。魔物の群れが森から押し寄せてきたとのことです!」


 団長はその報告に険しい表情を浮かべ、すぐに指示を出した。


「分かった。即座に救援隊を派遣しろ。私も後から向かう」


 若い騎士が敬礼し、再び走り去るのを見届けた後、団長は歩に視線を戻した。


「君も見ただろう。この世界は、君のいた世界とは違い、常に危険が身近にある。自分の身を守る術を身につけなければならない」


 歩は震える声で答えた。


「僕に……そんなことができるのか、わかりません。でも……」

「君がどうするかはこれから決めることだ。焦らず、まずは生き延びることを考えろ」


 団長はそれだけ言い残し、騎士たちの方へ歩いて行った。


 広場に残された歩は、エメラルドと共に立ち尽くしていた。

 重い空気が漂う中、彼の心の中にはこれまで感じたことのない疑問と不安が渦巻いていた――自分がこの世界にいる意味とは一体何なのか、と。


 その夜、リヒタンシュタールの街は騒乱の中にありながらも、何とか再び静寂を取り戻そうとしていた。だが、歩の胸に残る不安と恐怖は、簡単に消えるものではなかった。

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