番の影
学校帰り、田圃の畦道を歩いていた。
夏の終わり秋の始め、空には沢山のシオカラトンボが飛んでいる。田圃の稲は緑から黄金色に変わりつつあって子供の頃から毎年見る光景。
親の希望で町の高校へ進学してみれば、高校の友達は皆町の子達。分かってるけど帰りの電車の時間もあるから放課後は真っ直ぐ帰らなきゃいけなくて。
家は農家だから土日は家の手伝いだし。
今日も折角遊びに誘ってくれたのに。
カラオケ行きたかったなぁ。
畦道に転がってる小石を蹴る。
つまらない、つまらない、ツマンナイ!。
もう、こんな田舎さっさと出て行きたい。あと二年で大学か就職かの選択になるから、きっと都会に行けば、彼氏も出来て友達も沢山いて遊びに行って毎日楽しいんだろうな。
そんな事を考えて明日も同じ日常がくると思っていた。でも日常なんてものはあっけなく非日常に変わる。
普通に歩いていたら畦道は無くていきなりガクンと落ちた。
「は?ええええええ!!」
何処までも落ちて地面に叩き付けられるって覚悟を決めたら水に落ちた。
気がつけば目の前にデカイ黒豹が居た。
黒豹は私に気がつくと輪郭がブレ、次の瞬間には人間の姿になっていた。漆黒の髪に浅黒い肌切れ長の金色の瞳。大きくてしなやかな体躯。瞳孔は開ききっていて。
彼は私を抱き上げて走った。
「俺の番」
と呟いた。
え、まって、これ、異世界ジャンル?
しかも「番」なんて言ってる事は溺愛物?!
待って待って!!
めちゃくちゃこの人カッコイイんだけど。
え、もしかして私これから溺愛されちゃう?。
めちゃくちゃイケメン好きの私は深く考えずに、ただこれから幸せになれるって思ってた。
□□□□
澄んだ金属音が響いてありえない事が今起きている。
え?
指にはめていた結婚指輪が前触れもなく割れて床に落ちた。
2つに割れた指輪はクルクルと転がってコツンと私の靴にぶつかり止まった。
この世界の結婚指輪は細工が施されていて番が見つかるとお互いの指輪が割れる様になっている。
これは番が見つかったという警告、そして近寄ってはいけない合図。
婚姻関係の終わりの音。
店の主人のドンさんも奥さんのメリさんも顔見知りの常連さん達も2つに割れた指輪を真っ青になって見つめている。
「旦那さんに番が見つかったみたいですね」
乾いた笑いとその言葉に返事をしてくれる人はいない。痛いくらいの静けさの後にメリさんが口を開いた。
「カスミ、なんて言っていいか。取り敢えず神殿に行きましょう」
「やっぱり神殿に行かないといけませんか?」
「ええ、残念だけど神殿に行くべきだわ」
「でも。もしかしたら」
「カスミ…悪いこたぁ言わねぇ、神殿に行った方がいい」
ドンさんもメリさんも常連さん達も固い表情で頷いている。同情と憐れみと悲しみ。私も自分じゃなかったら同じ目をしていたと思う。
優しい彼らが心配しているのは、番が見つかった獣人は自分の巣で蜜月に入る。蜜月の間は誰も邪魔は出来ない。
獣人の雄は、番の意思を尊重してギリギリまで本能を抑える。
混乱している番を巣に入る前に求婚したり、番では無いパートナーと別れたりと様々だ。
本能に流され、直ぐに巣に入ってしまった場合、本能が強い獣人の巣へ近づけば容赦無く攻撃される。
それが三年間結婚生活を送っていた者であっても。
だから番が見つかった片割れは避難する意味も含めて神殿へ行くのだ。
「でも、なにかの間違いかもしれないです!」
なにかの間違い。
そうあって欲しい。
私の必死の様子にドンさんが悲しそうに言う。
「わかった。会いたいんだよな?そのかわり俺達も付いて行くからちょっとまってな。メリ少し店を閉めるぞ戸締まりしてこい」
「あいよ!」
「すみません」
「気にすんな。それより会えるといいんだが…」
ドンさんが呟いた言葉に首を傾げたが、家に着いたらその意味がわかった。
彼は魔法が苦手だったのに家を取り巻く結界の層を見て息を呑んだ。完璧な守り、拒絶、他が入り込む隙間すらない結界に乾いた笑いしか出なかった。
あぁ、私の時とは全然違う。
穏やかな始まりは彼の心情だったのだ。私の希望は完膚無きまでに叩きのめされる。
とうとう結婚していた人に番が見つかった。
ああ、やっぱりこうなるんだ。
彼と出会って幸せだったけと、いつも彼の番ではない事に不安があった。
「カスミ・ウィンドウ様ですね。婚姻消滅を確認しました。この時点でカスミ・マツバラ様に戻りました。それと本日より神殿が貴女の家となります」
住んでいた家に幾重にも張られた結界を見て呆然としていた私はメリさんに肩を抱かれ、夫妻に付き添われ神殿にきた。
ドンさんが神殿の受付けに事情を説明している時もメリさんが優しく背中を撫でてくれている。静かな神殿にドンさんの少し低い声が通る。ぼんやりしていると受付けの女性から結婚指輪を見せて欲しいと言われた。
いつのまにか手の中で強く握りしめていた指輪を、カウンターに置く時にカツンと音をたてた。
割れた指輪がこれが夢でもなく現実なんだと認識させられる。
結婚指輪を確認し、婚姻消滅を告げられ鍵と銀色のカードを渡された。
付き添ってくれたドンさんとメリさんは漸く安堵したようだ。夫妻が営んでいるパン屋の常連でしかない私に、心配だからと付き添ってくれた。
きっと二人が居なかったら、まだ途方に暮れていただろう。
「今日は本当にすみませんでした」
「気にすんな」
「そうよ、私達がしたくてした事なんだから」
「実はな、俺が昔同じ目にあってんだ」
「え?!」
「俺の時は、昔の恋人だったんだけどよ、恋人よりもその番相手と喧嘩になって大惨事になっちまったがな。まぁ、そのお陰でメリと出会えたしな」
「ええ、それにカスミには店のパンの新作レシピでかなりお世話になってるもの。
それでもまだ申し訳ないって思うなら、私達が困った時に助けてくれたらいいわ」
「カスミは落人だ。こっちの仕組みに振り回されて辛い目にあうのは間違ってる」
「…本当に、本当にありがとうございました」
深々と二人に頭を下げて感謝を伝える。
「それじゃ、落ち着いたらまた店にパン買いに来てくれよな」
そう言って二人は店に戻って行った。
「どうぞ、こちらに」
奥へ案内されて通された部屋は落ち着いた雰囲気で穏やかな香りに体の力が抜ける。
少し間があいて控えめなノック音から白いローブを着た男性が部屋に入ってきた。その人のゆったりした動作が私を不安にさせない配慮が伺えて少し安心する。
テーブルを挟んで対面に座る彼が自己紹介を始める。
「マツバラ様、改めまして当神殿のサポートとアフターケア担当のミュヘンと申します」
「宜しくお願いします」
白いローブを深く被り、糸のように細い目とすっと通った鼻筋に酷薄そうな薄い唇の男性は微笑むと人好きする青年のように見えた。テーブルには見慣れない冊子と結婚時に書いた誓約書が並べられる。
あぁ。
あれにサインする時、笑いながらこんなの気休めだからと彼が言ってたっけ。ツキンと胸に痛みがはしる。
「まず、こちらが誓約書になります。確認してください」
「はい」
結婚誓約の五項目の下に彼と私のサインがある。
「はい、間違いありません」
「確認ありがとうございます。ではこの項目の通りに致しますね」
「え?」
「?」
「あ、あの。すみません。私まだ読み書きが…所々はわかるのですが意味があまり」
「あぁ成程、落人でしたか。では私が内容を読みますので『はい』か『いいえ』で答えて下さい」
「お手数お掛けしてすみません」
私が謝ると男の眉が片方上がる。彼は何かを誤魔化すように咳払いすると誓約書を読み上げた。
一。夫婦のどちらかに番が見つかった時は速やかに婚姻消滅する。これは既に成されているのではいと答えた。
ニ。婚姻消滅した時は婚姻時に用意した互いの持参金を番が見つかっていない者へ全て渡す。これもはいと答えた。
三。子がいた場合は番がいない者が養育する。幸いというべきか子供はいなかったのではいと答えた。
四。婚姻消滅した場合、番が見つかった者が婚姻時に購入した家に住み続ける事が出来る。但しどちらかが購入した家財道具や個人の物は速やかに移動魔法で回収される。これもはいと答えた。元々あの家は彼の家だ。
五。番でない者またその子を害する事は禁止する。逆に番またはその子を害する事を禁止する、破った場合女神の罰が落ちる。何とも不穏な事だけど私も彼もそんな事をするはずがないと思い、はいと答えた。
「誓約書の内容を履行します」
瞬間、パッと淡く光った。
魔法は見慣れて無いから少し声が出たかもしれない。淡い光が収まると契約書の横に四角い箱が現れた。
「こちらマツバラ様の家財道具と所有物です」
「ええと、この箱が?」
「ええ、空間魔法なので全てその中に入っています」
「な、成程」
「ではこちらが御二人で用意した持参金となります。全部で55万エルです、ご自身で保管されますか?」
「あ、私、空間魔法を取得していないので」
「畏まりました、では神殿で保管致しますね、引き出す場合は先程のカードをカウンターに提示して下さい」
ぼんやりと彼が用意した持参金を見ていたら。もう彼と会う事すら出来ないのだと理解した。頭で理解しただけでまだ気持ちはグチャグチャだけど。
「マツバラ様」
呼ばれて目の前の人を見た。
「気を落とさないで下さい。こちらの世界で番ではない百組の夫婦の一組は番が原因の番壊れが起きてしまいます」
「はい。結婚する時、神官様も同じ事を仰ってましたから…理解はしています」
「そうですか」
誓約書が消える。きっと空間魔法で仕舞ったのだろう。次に冊子を目の前に出されたのだが、さっきも言った様に読み書きが覚束ない。
「これは番壊れになった方へのマニュアルです。マツバラ様は読み書きが得意ではないので口頭で説明させて頂きます」
「はい。わざわざすみません」
つい謝罪すると、また彼の片眉が上がる。
「では…」
□□□□□□
あのマニュアルには彼に関する記憶を消す方法の手順と今後の生活支援について書かれていたようだ。
読み書きが達者になった時にでも見て下さいと渡されたそれは部屋の引き出しの中に入れてある。
記憶は消さなかった。また同じ目にあうとも限らない。こんな事は一度で十分だ。
二度と恋はしない。
神殿の一室に案内され、ぼんやりと2つの赤い月が浮かぶ夜空を見上げる。
この世界に落ちたのは四年前。仕事帰りに自転車で大きな水溜りを通ったら次の瞬間この世界にいた。
見知らぬ場所に恐ろしい獣、あっという間に黒い魔物に囲まれた私は訳も分からないまま混乱して突然の死の恐怖に震えるだけ。そんな魔物に囲まれていたところを彼に助けてもらった。
「俺が一生守るから」
この世界に落ちて一年後に彼と結婚、三年後には突然の別れ。
「何が一生守るからだよ…こんな終わりなら結婚しなきゃ良かった」
独りきりのベッドで涙が溢れて仕方ない。
声も温もりも香りも彼の全てを突然に奪われた。苦しくて苦しくて身悶えするくらい苦しくて。
私じゃない誰かに触れていると考えるだけで怒りと焦燥、どうしようもない苛立ちに身が焼かれて、そこかしこに彼との記憶が溢れ出す。
苦しい、悲しい、辛くて寂しい。心が軋んで壊れてしまう。
チチチ。
鳥の声が聞こえて、カーテンの隙間から陽の光が差し込む。結局一睡も出来なかった。
どんなに泣いても喚いても絶望しても朝はくる。悲しみと苦しみが全身を突き抜ける。
異世界に落ちて愛した人に捨てられた。
それだけの事。
ポロリと涙が溢れて、カチリと心に鍵をかける。何か分厚くて硬い膜が傷だらけの心を覆う感覚。
「これからどうしようかなあ…」
異世界で独りきりの朝は今日も気持ちが良い程晴れ渡っている。
□□□□□
彼に保護され衣食住困ることなく過ごしてきたから、自分がここで何が出来るか分からない。今迄は家事や食材の買い出し、家と近所のお店の往復。
これからは独り、元の世界へ帰る方法も探そう。
何か目標でも立てないと上を向くことすらできない。暫くはこの神殿にお世話になるしかない。
ミュヘンさんが朝食だからと呼びに来た。
「わざわざ、すみません」
「落人はいつも謝るのですか?」
「え?あ…そうですね、何だか癖になっていたみたいで、すみま…あっまた」
「貴女が謝ることなんて、この世に何一つないんです」
少し怒ったミュヘンさんに少しビックリしつつ曖昧に微笑みを返す。彼しか知らなかったからこちらの常識も教えてもらう事にしよう。
神殿には私の他にも三人の女性がいた。一番長く住んでいるラナさんは四年、マリアさんが二年、クレアさんは半年、そして私。落人は私だけだった。
クレアさんは人族で、ラナさんとマリアさんは獣人。全員記憶は消してないそうだ。
あんなのもう懲り懲りよねって皆言ってる。そう、懲り懲りだ。
ラナさんもマリアさんもクレアさんも未だに立ち直れないで苦しんでいる。直ぐに切替えて神殿を去る人が殆どなんだけど私達は無理みたいってラナさんが教えてくれた。
番壊れで神殿に保護された一週間は何も考えず、兎に角体と気持ちを休めることに専念させられた。
部屋にひきこもっていてもいいし、書庫で朝から晩まで本を読んでもいいし、神殿の所有する広大な庭や森に散歩してもいい、街へ出て散財するのだって構わない、自分の気が休まる事をする。
とは言っても何をしていても、思考は自然と壊れた絆の事になる。
皆、ぼんやりと虚ろだ。
私もそうなんだろうな。
何を見ても、何を聞いても、何を嗅いでも、興味すらわかない。ぼんやりと思考は滑り落ちて彼との思い出で頭の中がグチャグチャになる。
明日から職業案内になりますとミュヘンさんが伝えてくれた。
「あ…もう一週間なんですね」
あっという間で、それでいて時間が進むのが遅い苦しい一週間だった。
神殿で紹介される仕事は多岐に渡る。自分の特性を調べて貰えて、それに合ったスキルを取得する事が出来る。
自立支援が神殿の在り方なんだって。日本より凄いかも。今日はカウンターの女性から話を聞いている。
「マツバラ様は『調査』『鑑定』の特性が非常に高いですね」
「調査と鑑定…」
「はい、調査は土属性で鑑定は闇属性です、どちらも非常に重宝される特性ですね、お勧めは『地図』『地脈』『鑑定』この三つがあると応用も出来ますね」
「成る程、ではその三つをお願いします」
「畏まりました」
三つのスキルを取得した。これを使って地面や土地の鑑定士を目指す予定にした。本当なら落人なら直ぐに神殿に来て確認するものらしい。
良い意味でも悪い意味でも依存していた状態だったからなと遠い目をする。
とりあえず覚えたてのスキルを使いまくってみた。早くスキルのレベルを上げて職業にしないと、いつまでもあのお金があるわけでもないし。
神殿の至る所でマッピングをしていたら隠し扉を見つけて封印されし棺や怪しい古文書なんかも発見して大事になって大変だった。
気がつけば突然の別れから半年経っていた。まだ私は神殿に居る。
別れた今でも彼が迎えに来てくれる事を妄想していた。そんな事絶対に有り得ないのに。
もう私の好きだった人は記憶の中だけの人。仮に会ったとしても、今の彼は私が好きだった人じゃない。それは分かっている。
それでも夢想する。
心の何処かで私が好きだった彼のまま、私の事を好きだった彼が私に心から謝罪してやり直そうって言ってくれるのを。
その日は、彼から神殿にいる私宛に手紙が届いた。
番壊れになったら神殿に行くのは当たり前の事だから手紙が届くのは不思議では無い。ないけど期待半分、不安半分、どうしても早く読みたくて、部屋に戻る途中の階段の踊り場で手紙を読みはじめてしまった。
『俺が用意した持参金を返せ』
それを見たら心に穴が空いた。
あぁもう私は彼の中でどうでもいい存在なんだ。
謝罪も私を気遣う言葉も何も添えられていない手紙。
約束を反故にしても構わない相手、無価値の存在になった私の心は真っ黒な穴に何処までも落ちてゆく。
「カスミ?」
ぼんやりとしていたらしい、誰かに名前を呼ばれた。振り向くとそこに別れた彼が居た。
そんなにお金が必要なんだ。
一瞬、ここまで取り立てに来たのかと思ったけど、私を見て吃驚しているからきっと偶然なんだろう。
彼の顔を見て湧き上がった懐かしさと嫌悪、彼の隣にいる女性を見て納得する。
あぁ…そうゆう事。
私と同じ落人だ、どう見ても日本人でまだ高校生くらいのあどけなさと愛される事を知った女の顔をしている。
きっと彼女の希望なのだろう、白いドレスに白薔薇のブーケ。この世界では無い文化、ウェディングドレスを纏って彼の横に立っている。
私と彼を見て何か空気を感じとったらしい。不安そうな顔をして彼の腕に縋る。
その瞬間、私の中で何かが消えた。
無言で背を向け神殿の自室へ行こうと階段を登ると今度はハッキリと名前を呼ばれる。
「カスミ!待ってくれ!」
一階から駆け上がり彼が私に触れる。彼の手を振り払おうと揉み合いになり。
「嫌!離して!触らないで」
「カスミ!!話がしたい!待てよ!止まれ!この!!」
パンッと頬を叩かれた、叩かれ思いの外勢いがあった為に階段の最上段でバランスを崩した私は。
□□□□
今日はご結婚ですか?
それはおめでとうございます。
私ですか?
この神殿の神官をしております、ミュヘンと申します。
あ、結婚担当では無いので、私は番壊れ担当で。
あぁそちらは落人ですか。ならこちらの常識も知りませんよね。
え?先程の人。あぁ。
その方の前の奥様ですよ。
それでですね、お話というのは、あなた誓約書覚えておいででしょう?
そう、あれの二条と五条です。
今日の行為はお分かりですよね。
はあ、危害を加えるつもりは無かった。
えぇ、よくそう言われますよ。番壊れで相手を捨てた方なんかは特にね。
え?言い方が悪いですか、ではなんと?捨てた訳ではない、ただ番が見つかっただけと。
まぁ獣人であるケモノのあなたに説明しても、きっと理解出来ないでしょうから?
新婦さんは落人ですから理解出来ると思うんですが、ある日突然結婚してる相手に「番」が出来たからという理由で、知らない相手を部屋に連れ込んで行為に及ばれたらどう思います?。
その知らない相手が、新婦さんあなたですね。
どうされました顔色が悪いですよ?
獣人でも理性的に話し合いをして別れる方もいますよ。最近は話し合いでお別れされる方の方が多いですけど。
あなた程酷いのは、久しぶりですよ。
落人の故郷では既婚者との行為は不倫と言うそうです。人の道、倫理から外れて行為だそうで。
え?本能だから仕方ない。えぇそうですね。
あなたは本能が強い。
ご自分で今認めましたよね。
ですから、お伝えしているんです。
先程もお伝えしましたが、理性的に話し合いでお別れされた方々は番壊れとは言わないんですよ。
あなたは違う。
番が見つかってケモノの本能のまま番のせいで婚姻を壊した。だから番壊れなんです。
番壊れの獣人は危険なんです。なんでも「番」という免罪符で赦されると思っている。
赦される訳無いですよね?
あなたの理論でいくと、「番」が人を殺せと言えば殺しても仕方ないって事なんですよ。
それは、ケダモノの理論であって女神はそれを絶対に赦しません。
ええ、絶対です。
あなたは既に人ひとりの心をズタズタに引き裂いてるんです。
おわかりですか?
心を殺すくらいの傷を負わせているんです。
見える傷なら牢屋にでもぶち込めますけど、心は見えない。
その上、誓約書に書かれている持参金の返還を要求し、番でない者に危害を加えないという誓約を破りました。
まぁ…いくらお伝えしてもわかりませんよね。
所詮ケダモノですから。
一応面談させて頂きましたが、近いうちに女神の神罰が下ると思います。
さぁ?神罰の内容までは人それぞれらしいので。なんでも一番辛い事が降りかかるそうですよ。
女神の罰ですからね。
それでは私からは以上です。
婚姻担当の神官を呼びますか?
そうですか。
では憲兵が到着するまで大人しくしていて下さい。
え?彼女ですか。
先程息を引き取りましたよ。
普通最初に聞く事だと思いますけどね。
これで満足ですか?
□□□□
こんな事になると思ってなかった。だって、色んな物語で番は愛されて、他に相手なんていないじゃない。
ただ、連れ込まれた部屋に違和感があったから聞いただけ。
ここに誰かいたの?
本当に好きになっていいの?
信じていいの?
なんでそんなに辛そうなの?
私だけなんだよね?
なら結婚式がしたい。
婚約指輪も欲しいし、結婚指輪も頂戴。
白いウェディングドレスってないの?
え?なにこの小さい石の指輪
お金が無い?
何で?私の事好きだって…あれ?
好きだって言われてないよ。
え、好き。
金は取り返す?
って誰かに貸してるの?
他に誰かいたなら何でこんな事したの?
誰もいない?
本当?誰か他にいたなら…。
彼は小さい声で、消すからって言った。消すって何を?
あの階段に居た人が殴られたのは私のせい?
ぐるぐると目が回る。頭が痛い。吐きそう。こんなの嫌だ。気持ち悪い。番?不倫?獣?。そんなの知らないよ。
光の渦が私を包んだ。
夏の終わり秋の始め、空には沢山のシオカラトンボが飛んでいる。田圃の稲は緑から黄金色に変わりつつあって子供の頃から毎年見る光景。
「あれ…ん?」
何か大切な事が抜け落ちた気がして立ち止まる。辺りを見ても何の変わりもない田舎の畦道。
早く帰らないと日が暮れる。
ふと…呼ばれた気がしたが、振り返らずに家路を急いだ。
「あぁ!番が消えた!」
黒豹の獣人が泣き喚いている。
女神の罰で番が元の世界へ還っていった。時間も戻され男とは出会ってすらないと告げられた。
泣き喚き真っ赤に染まった目が天を睨む。
「何故!番という呪縛を獣人に与えたのですか!
番と出会わなければ俺は穏やかな幸せを送れたのに!」
『何を言っているのです。番を望んだのはお前達ではないか』
頭に声が響き記憶が流れ込む、まだ番の決まりが無かった遥か昔神話の時代。
様々な種族が生きていたその時代、神は目に見えて存在していたし、種族は種の純血を保ち、人なら人、獣人なら獣人、竜なら竜、それぞれの種同士でしか子供が生まれなかった。
そんなある日、人と獣人が恋をした。最初はひっそりと、しかしどんどんとその異種間の交際は進み、人と獣人は子供が欲しいと神へ懇願した。
どうか異種間でも子供が持てますように。
子供を授かる事が出来たら何でもしますと。
『ならば子供を授けましょう、願いの代償としてお前達には番という枷が今より始まります』
それが始まり。
番の呪いかをあるから、この世界の異種間の子が生まれる。番を望まないのなら異種間の子は生まれなくなる。
『全てお前達、愛しい子らの願いではないか』
獣人は絶叫する。
『何故嘆くのです、お前は本能のままの獣』
嫌だと涙を流す。
『仕方のない』
哀れんだ女神はそっと手を振ると獣人は溶けて黒豹となり、ただの獣になり優雅に森へと消えて行く。
全てを忘れて森で生きていくのだ。
「女神様はお優しいな…」
その様子を離れた場所から見ていたミュヘン。
少しだけカスミに惹かれていた。だからこそ本能のままにパートナーだったカスミを階段から吹っ飛ばしたのが許せなかった。
だから女神様へかなり厳しく報告したのに、女神様はお優しい。あの程度の神罰とはな。
死んだカスミの魂は元の世界へ戻れただろうか。もうあの獣人で苦しめられることはないだろう。
黙祷しカスミに祈りを捧げるとミュヘンは静かにその場を立ち去る。カスミの眠る丘に穏やかな風が吹き抜けた。