All humans have flaws.
──All humans have flaws.
昔から誤解されやすいことが、渡辺稔の悩みだった。原因は顔である。
よく言って渋みがある老け顔。
「裏の顔をしていそう」「過去に数人処理していそう」「盗賊のちに忍者にクラスチェンジ」「死体処理屋」「前世は異世界で盗賊」「実家は暗殺家業」と学生時代の友人たちからは散々な言われようだったが、社会に出て本当に弊害になるとはミノル自身まったく想像していなかった。
彼は簡単に言うと、強面だった。
ミノル本人に直接言っていた友人本人たちも、そうなるとは思っていなかっただろう。
今日も会社にて、早めに出社して自分の机の整理掃除を行えば、数日前にあった更衣室の盗難事件の犯人に祭り上げかけられた。
ミノルにとっては仕事の効率を上げるための一種の儀式みたいなモノだったが、よからぬ誤解を招いたようだった。後日、係長に呼び出された。
「ち、ち、ちがう。違う、ちがいますよ」
十代の頃はまだ幼げもあったが、年月を経てミノルの顔は精悍さを帯びてくる。ミノルは弁もたたず人相があまりよくないせいも相まって、大半の女性社員から嫌われていた。
「怪しまれる行動は控えてくれると助かるよ」
退勤間際、係長に「渡辺君ちょっといいかな」と言われ会議室に連れて行かれると、盗難事件の犯人じゃないかと一部の社員から疑われていると言われ、慌てて否定をしたのだ。
「すいません」
反射的に謝ってしまった。
整理整頓や早朝出勤が、どうすれば盗難事件の犯人へと結論に収束するのかミノルには想像もつかない。
係長は義務的な物言いだったので、おそらくミノルが何かしたとは思っていないのだろう。ミノルの謝る姿をみると、係長はため息をつく。
「その、その係長、部署移動の申請って……」
ここは係長と話す機会だと、ミノルは終わりかけた会話を続けることにした。
「いや、いま渡辺君に抜けられると困るんだよ……本当に、困るんだよ」
「そ、れは、ありがたいお言葉ですが、私がいるとチームの、……事務所内の士気が下がると、思いますし」
係長は困った顔をした。
「社史編纂室って、まだ最近はマシになったけど閑職だよ。窓際だよ。他の部署ならまだしも、君のような仕事できる人を閑職に置くほど、うちの会社は余裕ある訳じゃないしねぇ」
「そうですか……」
「……まぁ、一応上に掛け合ってみるけどね」
「ありがとうございます」
係長が出て行くとミノルはため息をつく。誤解されたり、嫌われるのは昔から慣れていると思っていたが、改めてこういう状況にまで陥るとさすがに傷ついていた。
作業に集中していて女性社員の一人を無視してしまったのが、きっかけだった。噂が噂をよんだ。誤解をとけぬまま、その噂の中心にいた女性社員は昨今では珍しい寿退社をしてしまったのだ。
そのうちにでも誤解は解けるだろうとミノルは腹を括っていたが、数ヶ月経った今でも大半の女子社員に避けられ続けている。
どうやら流れている噂は継続中らしいかった。
ミノル自身はどんな噂が流れているのかも知らない、知ろうとも思わない。
(怖すぎて聞くに聞けない……)
そんな状況に嫌気がさして、閑職と知りながらも部署移動願いを出したのだ。
(転職かぁ)
仕事の要領は悪くないとミノルは自分でも思っているので、社史編纂室の仕事を終わらして、転職活動に勤しもうと思案した結論だった。
(次は警備員でもいいなぁ。あんまり人と話さなくても良さそうだし。強面は少しでも採用有利にならないかな)
転職を考え始めてからは、この会社へも、この仕事への愛着もなくなりつつある。入社して六年、潮時を考え始めていた。
数日後、ミノルの社史編纂室への移動辞令が下った。張り出された辞令書を見て、ミノルは胸をなで下ろしたが残る引継業務を想像すると胃が痛む。
引継の業務はミノルの予想通り、上手くいかなかった。
──The scene has changed.
「いかにもって顔つきですね」
後輩の刑事は偏見丸出しの感想に、思わずため息がでる。
中村耕太は、手に持っていた顔写真の男──渡辺稔は確かに凶悪な顔をしているが、まだ犯人と決まったわけではなかった。
「橘、まだ何でもないんだ、そういうのはやめとけよ」
「はーい」
軽い返事をして後輩は別の仕事に戻っていった。
わかってんのかコイツ、と心の中で呟きつつコウタは手に持った写真に目線を戻す。
この渡辺という男もその容疑者の一人だ。
連続遺体遺棄事件──として形式上扱われているが、捜査している面々は、殺人事件として捜査していた。
まだ公表はされていないが、欠損や損傷が多い遺体だが、四体分の骨や遺体とは別の遺体だろうモノが含まれていることが捜査陣には情報共有されていた。いずれ報道にも何処からか洩れるだろう。
(活気はあるがどこか空虚な、空回りしている)と、コウタは途中から増員として配属された捜査本部に感じていた。
迷宮入りになるという雰囲気が流れている。大きな手がかりらしい物証があまりないのが、その大きな理由だろう。
畜生、とコウタが心の中で毒づいた。焦る理由は、被害者の中に小学校の頃の同級生がいたからだろうか、それとも青臭い正義感が胸の内にあるのだろうか。
コウタは自嘲気味に笑うと、割り当てられた捜査に向うことにした。
──Time passes.
ミノルが住む近所で遺体がいくつか出てきたという新聞記事を読んだとき、夜勤明けで頭が働かなかったのもあるが、まるでテレビや映画のようなフィクションだと思った。
(うわ、怖いな)
職が変わってから、仕事を覚えるのに必死で世情に興味を失っていったせいもある。
(久々に手にとった新聞に掲載されていた記事が、これかぁ)
始発で帰り終電で出社、もしくは始発近くの電車に乗り終電近くの電車で帰ってくる日々、それをミノルが日常と思えて余裕が出始めていた。
警備員の業務は、ミノルには性にあった。あまり喋らなくても許されるし、簡単な書類の記入業務をパソコンで行えるだけで高くはないが給料も悪くない。
大手ではない中規模な警備保証会社。ミノルはそこに中途採用だが管理職候補として再就職することができた。その際、社長自ら面接をする事になったときは焦りはしたが、いざ会って話してみると社長自身も強面で「お互い顔で苦労する人生だな」と意気投合した。
眼が覚めて、もう一度新聞を読み直しながら珈琲を飲んだ。早朝に起きる癖がついてしまったのか、普段と同じ様な時間、まだ外は仄暗い。
一人目の遺体が発見されてから、もう数週間も経っているようで日を追うごとにその数字は増えていた。
世間はこの事件に戦々恐々しているようで、スマホニュースは事件のことばかりだ。
ニュースサイトの被害家族の痛ましいインタビュー動画をつけたまま、ようやくの休みの朝食をコンビニですましてしまおうとスウェットのポケットに財布と鍵だけいれて出かけた。
(そろそろコンビニ飯も飽きてきたなぁ)
とはいえ、近くに知り合いもいなければ行きつけの店もない。
(まぁ、腹が一杯になれば、いいか)
と、腹が鳴った。
つけられている。
ミノルがそう感じたのは、コンビニを出て曲がり角を曲がったあたりだ。まだ陽は昇りきっていない。
いつものサンドイッチか新商品のサンドイッチかを悩んで、結局いつものサンドイッチが入ったビニール袋をぶら下げ、コンビニの両開きの自動ドアをミノルは通り抜けた。
曲がり角を曲がると、しばらく長い直線道。
つけられていると感じたが、はじめは自分の思い込みか何かだと思っていた。警備会社に入社し護身術のレクチャーや講習を受けるようになってから、「自分が強くなった」という感覚に酔った同僚をみていたので、自分もそれに近いのかもしれないと思ったのだ。
妙な視線を感じた。そして、後方から聞こえてくる足音。
(中二病をこの歳で再発してしまうとは……)
一度聞き始めた足音は、はっきりと聞こえ始める。その音色とリズムが耳に残ってしまう。
連続遺棄事件もこの辺りなんだよなぁとぞっとする考えも頭によぎったが、損壊が激しいって書いてあったから徒歩で犯行って無茶だよなぁ、そんな考えを振り払った。
こういうときは慌てず速度を上げて距離をとるか、もしくは速度を徐々に落として追い抜いてもらうかだ、と護身術の講師が余談で話していたことを思い出して、それを実行することにする。
(まぁモノは試しだ)
歩みの速度を徐々にあげることにしたミノルは、地面を蹴る足に力を込めた。
後ろの相手に悟られないよう、徐々にだ。
少しずつ少しずつ後方の足音と距離が離れていく。
(やっぱり思い込みだったかぁ)
自分の矮小さみたいなものを心の中で自虐して小さな空気を吐き出して笑った。
ある程度の距離は離れただろうと、速度をゆっくりと戻していく。急に速度を落とすと、勘違いしていたことが後ろにバレてしまうからだ。
(休日なのに体を休める行為をしていないなぁ、しかも朝からなにやってんだろ)
小恥を感じながら歩みを進める。
もうすぐ家が見えてくるというところで、違和感があった。段々と後ろの足音が大きくなっていた。足音のテンポもアスファルトを叩く音も同じ。
もしかして思い違いじゃなかったのか、とミノルが恐怖で走り出しそうになるが、理性が待ったをかけた。もしも自分の思い違いだったら、自分の莫迦さに恥ずかしくて帰ってから悶えそうだ。
何故か、緊張し始めている自分に気がついた。
自分の鼓動が大きく聞こえ、煩くさえ感じてくる。
恐怖心と羞恥心が渦巻く中、ミノルは思考を重ねた。
(そうだ)
思いついたのは、靴ひもが外れたことにして立ち止まることだった。ミノルがしゃがんでいる間に、通り過ぎてくれれば良いと思ったのだ。
と、後方の足音も距離を保ったまま立ち止まった。
(え?オイオイ、マジかよ)
靴ひもを結びなおすフリをして、立ち上がる際に少し後ろを確認する。勿論、おかしな気配を感じれば避けれる準備をしながら。
朝焼けと白い足と赤いパンプスが見えた。
(女?)
そう思って振り返ったが、そこには誰もいない。歩いてきた直線の道があるだけだ。
一瞬、何かに化かされたのか、それとも自分の中二な妄想が暴走したのか、悩みかけた時だ。
「あの」
と、ミノルは後ろから声をかけられ思わず叫びそうになった。
振り返ると、白いワンピースに赤いパンプスの女がいた。それも絵に描いたような美人だ。長い黒髪が揺れる。
「あ、大丈夫ですか?」
思考が停止してしまっていたミノルは、女に気遣われ正気に戻った。
「だだ大丈夫です」
「えっと、コレを落とされませんでしたか?」
女の差し出した手には、ミノルの家の鍵があった。「え、あ」と言いながらミノルは自分のスウェットのポッケを叩いて確かめた。
差し出されている鍵は、どうやら自分のモノで間違いなさそうだ。
「あ、ありがとうございます」
「コンビニの店内で落とされてましたよ」
受け取るミノルに女が笑いかける。
「そうなんですか」
「何度もお声掛けしたんですけど、全然立ち止まってくれなくて……」
美人の悲しげな顔は、ミノルに罪悪感を感じさせるに十分だった。
「ごめんなさい」
「いえいえ、あの……」
女が何か言い掛けた時だ。
「大丈夫ですか」と、大きな声が聞こえてきた。
──Incidents are always caused by someone.