Don't love the darkness.
「さて、簡単な自己紹介もすんだわけだし、──」
「え?魔女?」
「いや、男性が魔女術を使う場合は、ウィッカになるね」
「お酒?なにそれ、アニメキャラ?」
「ストリーマーではないとだけは言っておこう」
「犬?ポチ?」
「錯乱してるのか?」
「サクランボ?」
サクラが聞き返してくる行動をみて、なるほど一時的な狂気か、いやまぁそれだけで元気があれば大丈夫か、WDが呟く。
「まぁそれでいいさ、今は」
WDは獰猛に笑った。
暗闇の中、歪な校舎で奇妙な遠吠えが聞こえてきていた。
──The opening bell rings somewhere in the distance.
遠くだが、何かがこちらに動いている様な音がしていた。段々と大きくなっている。すぐそこではないが、確かに近づいてきているのだろう。
──But no one notices.
WDはおもむろに手に持ったライターをサクラの眼の前に突きつけた。
サクラはゆらゆらと動く火から視線が離せなくなる。
ライターを地面において、WDはサクラに質問を投げかけ始めた。
「名前は言える?」「……如月咲良」
「年齢は?」「……一七」
「今日は何日?」「……八月の二十二」
ぼんやりとした思考のなか、サクラは地面のライターに灯る火を見続けてしまう。ゆらゆらと揺れる火が生き物の様だ。
「何年?」「え、何?」「今、何年?」「……えっと、西暦?それとも年号?」
「西暦」そう言われてサクラは思考した。「二〇二×年」
あぁ、とWDがため息をつく。
「……高濃度のアルコール持ってたりしない?」
「持ってるわけないでしょう」
「ま、そうだよね」
WDはサクラが冷静さを取り戻したのを察すると、現状確認をしようじゃないか、と言った。
「現状?この訳解らないことをどう確認するの?」
「一つ一つ確かめたい」
WDはミリタリー柄のウエストポーチから、古びた革手帳を取り出した。
「如月咲良さん、君は八月二二日、放課後学校から帰ろうと教室に向かって、──この世界に放り込まれたで合ってる?」
「……教室の中で変な眩暈がして、気がついたらこの変な校舎にいたわ」
「教室にはたどり着けたの?」
WDがペンで手帳に書き込んだ。
「えぇ」
「ナベ……、田辺教諭の課題は持っている?」
「持ってるわよ。何?」
「あーそういうことか」
手帳を閉じてポーチに戻すと、床のライターを手に持って教室の扉をゆっくり開く。
まだ近づいてくる音はゆっくりと大きくなっているようだった。
「もうしわけないが、これから時間との勝負だ」
「は?ちょっと意味ワカンナいんですけど?」
「着いてきて」
移動しながら説明もするから、とWDは嗤う。
廊下は不気味な音が鳴り続け、微かにだが確実に大きくなっていた。WDがライターの火を吹き消す。
WDはサクラに人差し指を口元にあてて見せ、そして一番遠い扉に向かった。
扉の前で中の様子を窺って、WDは扉を開く。
入るとライターの明かりが部屋内を照らされた。
研究室。そんな言葉が似合う雰囲気の空間だった。本棚が部屋の大半を占めて、既製品の机が壁際にある。研究する以外の不必要な物は取り除いたそんな部屋。
部屋に入った瞬間に、サクラは埃臭さと物悲しさを感じてしまった。
「探してほしいのは、アルコール。度数が高いお酒があればいいんだけど」
WDはそう言いながら、サクラをその場に置いて本棚の方に歩み寄った。
予め決めていただろう行動なのだろう。
開けれそうな処は開けてみて、と本棚のタイトルを確認しながらWDが言う。
「世界は一つじゃない」
扉の前でサクラはWDの背中を睨んでいた。いつでも逃げ出せるようにだ。
「は?哲学の話?」
そんなサクラは、WDの発言に気が抜けた。
「結論から言えばここはまぁ、世界の断片みたいなもんだ。世界と世界の狭間、隙間、溝、言い方はそれぞれだけど。時間にも空間にも“隙間”が存在するんだよ」
次にWDはまっすぐ机に向か机の上にあるメモ書きだろうものや本を読み始めた。どうにもこの手の探索は手慣れているようだ。
「そこになんで、私やアナタがいるのよ。あとあの声みたいなのはなに?機械?それとも恐竜?」
「あー、あんたの場合は巻き込まれ事故みたいなものだね。俺は、落とし穴に飛び込んだから、無謀というべきだけど」
「意味わかんないんですけど」
「各それぞれに“そのもの”が持つ時間や空間があるんだよ。詳しくは知らん、まぁ知ってても、俺らには意味がない。あと、あの声の主はこの空間に閉じこめられた。正確には、あの声の主を閉じこめるためにこの空間を造ったんだよ、誰かが」
サクラはWDの言い方に少しムッとした。
「で、結局ここは何処なの?」
「わからん」
「は?」
「わからんが、ねじ曲がってることは確かだ」
WDが机の引き出しに手をかけたが、鍵がかかってる音がする。
鍵開けは大の得意と嘯くWDは、ウェストポーチから先端が鉤爪上になっている薄い板を取り出した。鍵穴を眼の前に、WDは作業前から諦めた様子だ。
「なにそれ?」
「ピッキングツール、……あんまり得意じゃないんだよ」
ため息一つ、しゃがみ込んで鍵穴をのぞき込んだ。
しばらくガチャガチャとしているが、なかなか開かない。
「それって犯罪じゃないの?」
「この世界に国があって法整備されてるなら、犯罪だな」
「減らず口って言われない?」
「あぁ、よく言われる」
部屋にはカチャカチャと鍵開けの音だけ。気まずい気持ちになってきたサクラは我慢できずに口を開く。
「鍵探した方が早くない?」
確かに、とWDは諦めて机の裏を見てから、本棚の死角を手探りし始める。埃まみれになった手を、音を立てずに払いながら繰り返し始めた。
ゆっくりとサクラは机の上に残ったピッキングツールを手に取った。
「やるならやってみていいぞ、鍵の構造が解ってるなら、だけどな」
背中を向けたままWDに声をかけられてサクラは驚いたが、警戒感を少しゆるめたサクラは手持ち無沙汰で、何気なくのつもりだった。
「商品評価は、そこそこだった」
少し言い訳がましいWDの言葉を聞き流して、サクラは鍵穴をのぞく。
手に持っていた薄い板を細い鍵穴に差し込むと罪悪感を感じた。微かな興奮も。
サクラはテレビかネットの画像かで鍵の断面図を見たのを思い出していた。
指に伝わるツール先の感触、使い方も知らないはずなのに使えてしまう奇妙さ、そして「これは開けれる」という根拠がない確信。
カチリ、と小気味良い音を机は鳴らした。
「開いちゃった」
WDも驚いた顔をサクラに向ける。
余韻に浸るようにそっと開けた引き出しの中には、古い鍵が一つあった。のぞき込んだWDは手にとって確かめる。
「鍵を開けたら、鍵がある。なかなか哲学的だな」
この引き出しの鍵?とサクラが訊ねると、WDは首を振る。サクラに手渡された鍵の形状と鍵穴を見ればすぐにわかった。
「おそらくだけど、別の場所の鍵だ」
まるで脱出ゲームね、サクラはため息をつく。
「この部屋には、もう何もなさそうだ」
とWDは言って、扉から注意深く出て行こうとする。サクラはその背広のポケットに机にあった革の手帳がはみ出していたことには見なかったことにした。
サクラは追いかけようと、手にしたピッキングツールを鞄の中に押し込んだ。
廊下では二人は暗黙の了解として、会話もせず音を立てずに歩く。
まるで泥棒にでもなった気分だ。
遠くで鳴っていた音はまた大きくなっていた。時より何かを強く叩くような音もする。
サクラは恐怖感は膨らむが、WDが何事もないように進むので我慢してしまう。
すぐ隣の部屋には窓も何もなくただ伽藍としていて、ライターをつけて確認すると静かに扉を閉じて次の扉に。
次の部屋は、ワイン棚が並ぶ部屋だった。
目的の場所だったのかWDはライターを灯すと、棚のワインの銘柄を確認し始める。
「?」
部屋にはいってすぐ何かの違和感を感じたが、サクラもそれに習うことにした。
携帯のライトをオンにすると、歴を重ねたワイン棚ということがサクラにも分かる。
試しに一本取り出すと、長らく誰にも触れられていなかったのだろう埃が溜まっていて、手が灰色になった。
「二〇二×年って書かれているラベルを探してくれ、中身の入っている物で」
WDは指示をすると、サクラもその作業に取りかかる。
「何の年なの?」
「あぁ、ラベルの話か?」
サクラが肯定した。
「ワインラベルに書かれているのは、ブドウが収穫された年、つまりそのワインが仕込まれた年だ」
「はぁ?じゃあ二〇二×年があるわけないじゃない」
「……どうだろうな」
WDが黙々と作業をしていく。
サクラも渋々従うが、数本目でラベルに二〇二×年:Bourgogneと書かれているワインを引き出した。
「……あった」
思ったよりも軽い。案の定、中身がはいっていなかった。
「中身は?」
「入っていない」
「なら駄目だ」
WDが手を止めた作業を再開する。
「ボ、ボウル、ゴネって何語なの?」
「フランス語だ」
ワイン棚のワインを順に探して分かったが、納められているそのほとんどは空のワインだった。奇妙なのは栓はされたまま、中身だけがないことだ、勿論瓶は割れていないし、こぼれた跡もない。
手を止めていたサクラは部屋の中をぐるりと見渡して、ワイン棚の数と二人で行うこの作業量に嫌気がさしてきた。
──The beast howling.
うねるような声が廊下に響いた。教室の窓が小さくだがびりびりと振動する。
近づいてきた何かが、もうすぐそこまでやってきているようだ。
声を聞きサクラは反射的に身を強ばらした。
(この脱出ゲームには時間制限があるんだ)
ワインを手にしているタイミングでなくて良かった、と思う。もしかしたら落として、ワイン瓶が割れて音を立てていたかも知れない。
「安心しろ、まだ距離がある。アレが眼の前で叫んだら、隠れようが壁がある部屋にいようが鼓膜が破ける」
WDが声を無視するように、黙々と作業を続ける。WDはあの声の主を知っているようだ。
「あんたアレが何かを知ってるの?」
「少しな」
WDはそう言うと押し黙った。「アレは何?」とでかかった言葉を飲み込む。なぜかWDの背中が辛そうに感じたからだ。サクラは少しでも速度を上げようとワインを引き出す作業に専念した。
サクラの不安は杞憂に終わった。
ワインラベルを調べる作業の時間はそれほどかからなかった。奥にすすむにつれて棚にはワインすら入っていなかったからだ。
作業を進めると、段々と少なくなるワインの数。
最後の奥の棚に至っては、一本もワインが入っていなかった。
サクラとWDは棚を端から端まで調べて、空の瓶ばかりとため息をつく。WDは「何もないのか?」と考え始めてしまった。ぶつぶつと何か独り言を言い始めた。
(あー結局、アレが何なのか聞けずじまい)
それと何のためにワインを探しているのかを聞こうとしたが、サクラは今は邪魔はしない方がいいと感じた。
次の部屋に行くべきかの判断を考えているのだろうか、サクラはスマホのライト機能をオンにして、空の棚を照らす。意図があったわけではない。電池の残量も気になったが、今は暗闇が怖かった。
(またアレの遠吠えが聞こえたら……)
と、身震いをしてしまう。帰りたいな、と脳裏に両親と親友二人の顔が過った。照らしたワイン棚の床に不自然な跡を見つけたのは、本当に偶然だった。
床に半円形の何かを引きずった疵をサクラは、はじめ何かの汚れだと思って足で擦ってみた。上履きのつま先ゴムの部分が物理的な引っかかりを感じる。
よく見ると、まるでワイン棚が扉のように開く時に傷ついた様な跡。
サクラはその跡に沿ってゆっくりワイン棚をひくと、ワイン棚が壁ごと扉のようにゆっくりと動いた。
「なるほど」
WDの声にサクラは扉を引くのを止めた。人が一人通れるような幅の間から、WDが中を覗く。
小部屋があった。ワイン棚と同じ幅の小さな長細い部屋。
小型のワインセラーが部屋奥にぽつねんとあり、電磁音がぶーんと鳴り響き続けていた。ワインセラーの内部の灯りが部屋の床を照らしている。
(あぁ、この音だ。……でも、あれ?)
サクラは部屋にはいったときに感じた違和感がこの音だと合点がいく。
そして妙なことに、この部屋のワインセラーだけは電気の供給を受けていることだ。
──The beast is approaching. Like a ticking time bomb.