第二話 走る喜び
「のう、契約者殿よ、なんぞかよくない事を考えてはおらんかや?」
不意にユイツが俺の胸の内を覗き込むように尋ねてきた。賢くなさそうって思ったのがバレたか?
「正直な感想を抱いただけさ」
俺はユイツの質問に対して、とぼけるのと誤魔化すのを半分ずつ混ぜたような態度で答えた。出来る限り正直かつ誠実に応じるのが、上位種に限らず圧倒的格上と上手に接するコツだと信じているが、一応、嘘を吐いてはいない。
賢くなさそうってのは、俺の媚びもなにもない正直な感想だからな。俺は話の矛先を変えるべく、俺が果たさなきゃならないユイツとの契約内容を口にする。誤魔化されてくれると、俺の心臓が助かるんだが……。
「しかし、あまり気にしていないように見えるが、当てがないとなると君の首から下を見つけるのは、難しいんじゃないか?」
ユイツが腰かけているとそこらに転がっている岩が金銀財宝で飾られた豪奢な椅子のように見えてくる。生物としての絶対的な格の違いと本人の持つ人ならざる美貌と圧とが、そう錯覚させるのだろう。
「なに、近くまで寄ればこなたの失われた体と分かるものよ。ぼんやりと東西南北天地の方角くらいはわかる。なによりも自分の意思で動ける体を取り戻せたのだ。
なによりそれこそが最難関であったとこなたは思うぞよ。最難関を攻略した以上、困難さは減じてゆくばかりではないかな?」
「まあ、ついさっきまでは地面の奥底で暗闇の中、頭蓋骨のままで転がっているだけだったもんな。それと比べれば今の状態は一歩前進か」
言われてみればその通りで、俺と契約上の主従関係にあり、かつ仮初のものとはいえ自由に動かせる手足を取り戻したのなら上機嫌にもなるだろうし、これから先の未来にも希望を抱けるだろう。
問題は俺がそれに付き合わされるってことだ。
切羽詰まった状態での乱暴かつ稚拙な契約だが、それでもユイツと結ばれた契約の縁を通じて、彼女の底の見えない奈落の穴みたいな力を感じる。俺の一生分の魔力も、その気になれば一舐めでからっぽにするんじゃないか?
う~ん、分不相応の契約を結んだのは否定できないぞ。対応を間違えたら死ぬんじゃないか、俺? そんな俺の葛藤を知らずにユイツは子供みたいに屈託なく笑う。
「そなたもそう思うであろう? まあ、こなたの体がいったいどれだけ分割されたかはわからんが、まずは行動しなければ話は始まらん。諦めるにしてもその後よ。諦める気はさらさらないがな! くわっかっかっかっかっか」
ユイツは機嫌よく奇妙な笑い声を出すが、俺はどうしても聞き捨てならない言葉があったので、嫌な予感を抱きながら尋ねた。それにしても変な笑い声だな。
「ちょっと待ってくれ。体がどれだけ分割されたか分からないって、どういうことだ? 頭を除けば、精々、両手足と胴体で五つくらいじゃないのか?」
「おう、それな。それはだの、契約者殿よ」
俺の疑問は痛いところを突いたのか、ユイツは笑うのをやめると腕を組んで考えるそぶりを見せる。隠し事を打ち明けるのを躊躇っている?
いや、そこまで重い感じじゃない。もっと軽い、深刻じゃない理由か? 理由は重くないが、素直に口にするのは躊躇われるって感じか?
「ただでバラバラにされるのは業腹であったし、こなたの血肉を利用されては堪らんと、こなたは首だけになっても思ったわけだな」
まあ、人間も首を落とされても即死しないで少しの間は意識があるというし、上位種なら首だけの状態で生存できる個体が居てもおかしくはない。
「……うん、それで? 続けて」
「今際の際にの、爆発してやったのじゃ」
「爆発」
「うん。爆発」
「死ぬ前にユイツの血と肉を爆発させて? 君を襲った奴を吹っ飛ばしてやったってことか? 体がいくつあるのか分からないって、そういうことか!」
いや、納得はしたけど、したけども! そこまでやるか、この自称魔王!
「そうそう、そんな感じ。そなたは理解が早くて助かるの。血肉は残らず爆発させたから、実際のところ、こなたとそなたが探すのはこなたの骨じゃね」
「それって体のままよりも数が増えていそうだな。君の体のことで悪く言いたくはないが、骨が木端微塵になっていたら探しようがないぞ」
こういっちゃなんだが手足とかの部位のままだったなら、探す数は多くても二桁になるかどうかくらいだったと思う。しかし、これが骨となるとなあ。
ユイツが人間と違って、骨が五、六本しかないのなら、また話は違ってくるが、あの時に見た頭蓋骨は角こそ生えているが、それ以外でおかしな形はしていなかった。おそらくユイツの骨格や骨の数は人間とそう変わらないんじゃないか。
「なになに、こなたの腐ってもこなたの骨よ。……ん? 腐ってもで良いのかの? 血肉が弾けてもと言うべきか?」
言い回しが気になり眉を寄せて考え込むユイツに俺は呆れ、それを隠す努力をする気力が湧いてこなかったので、おざなりに話の続きを促した。言動が子供っぽいというか無邪気だから、上位種相手の態度に徹しきれないんだよなぁ。
「どっちでもいいんじゃないか? 少なくとも俺は君の骨がすごく頑丈だって言いたいんだって解釈しているが、どうだい?」
「ほほう、伝わっておるのなら良き良き。つまりはの、こなたの血も肉も爆ぜて無くなったが、骨の方は無事というわけよ。百や千と砕けてはおらぬ。そなたが見つけてくれたこなたの頭の骨のように、今も黒く輝いておると断言してもよいぞよ」
「地面の下だとか海の底に埋まってなきゃいいがな」
「その時はその時よ。分かれてもこなたの骨。宿る力を求めて収集している連中なら居てもおかしくはないがのう」
「それって下手すりゃ荒事になるじゃないか。……はあ、まあ、命を救われた以上、出来る範囲で手伝ってやるさ」
「ふふん、こなたも嫌々という態度を表に出されるよりは、それを飲んでくれる方がやりやすい。さて、我が契約者リンネスよ。今のところはなせるのはここら辺かの。
そなたの記憶は一番外側をさらっと撫でた程度じゃけれども、ここを住処にしとるわけではないのであろ? 夜が更ける前に住処に戻ってはどうかの。それともここで夜を明かす予定でもあるのかや?」
ユイツの言葉に俺はこの湖に来た目的を思い出し、鞄の中にしまっておいた薬草を確認する。丁寧に布に包み、小さな木箱にしまい込んでいた薬草は、あれだけ動き回り、転げ回っても木箱が割れなかったお陰もあり、無事だ。これなら依頼達成の基準を満たすだろう。
「いや、後はもう帰るだけだ。予定よりだいぶ遅くなったが、ユイツが居るならそこらの野生の獣や怪物に襲われる心配はないだろう」
なにしろアンデッドとはいえ上位種だ。文字通り存在の格が違う。位階が違う。野生動物や怪物ならその差異を鈍感な人間よりもよっぽど敏感に察知して、襲うのを躊躇する。
中途半端に知性のある奴の方がかえってユイツの力を見誤って、襲ってくる可能性の方が高い。例えば街道をゆく人から身包みを剥ぐ野盗とかな。
ここらなら野盗の方の心配もない。今から街に戻っても門扉が閉められて、中には入れない。郊外にある俺の家に戻るしかないか。
「いつまでも寝転がっていても仕方ないか。ん? 足が……」
俺は立ち上がろうとして捻ったはずの左足の違和感に気付く。ごく自然と立ち上がれたのだ。捻った左足に走るはずの痛みがまるでない。
「ユイツ、俺の左足になにかしたのか?」
「ンー? 特別、なにかをしたというわけではないが。いかがした?」
「いや、捻ったはずなんだが、全然痛くないんだ」
俺は軽く左足のつま先で地面を叩いたり、軽く地面を踏んで見せる。そうしても痛みはなく、捻ったと感じたのは俺の勘違いだったかのようだ。
「ああ、それなら一つ思い当たるものがあるぞよ。こなたが意識してそなたになにかをしたというわけではないよ。
あれじゃ、そなたとこなたとの契約によって出来た繋がりを通じて、こなたの溢れんばかりの生命力が流れ込み、そなたの傷の癒える速度が上がったのじゃ。たぶん」
「魔術的な契約によって繋がれた縁を媒介として、両者に齎される副次効果か。契約外の思わぬ効果が発生するってのは、前例がいくつかあるが、それを体験する側になるとはな。というかアンデッドなのに生命力なのか?」
「なに肉体は滅び、消え去ってもこの丈夫な黒光りする骨と熱く燃える魂が残っておる。ならば光り輝かんばかりの生命力に満ち溢れるのが道理よ。たとえこなたがアンデッドであってもの!」
「アンデッドの定義がおかしくなるな。俺にとっては思わぬ幸運か。それじゃあユイツ、ここを去る前にそこの穴を塞いでおこう。
バギリが他にもいるかもしれないし、あれ以外にも厄介な奴がいないとも限らない。俺達の所為で危険な怪物が地上に出て来たなんて事になったら、寝覚めが悪いってもんさ」
「ほや、リンネスは生真面目じゃて。しかれどこなた的には好みの生真面目さと責任感よな。良き良き。そなたはそこで待っておれ。魔力を使い果たして精神が疲弊していよう」
意外に話が分かると言ったら、ユイツは怒るかな? ユイツは腰かけていた岩から立ち上がり、そこらに転がっている岩を適当に見繕い、ぽっかりと開いた穴に次々と積み重ねて塞いでゆく。
一つ一つの岩が俺の胴体くらいある。こりゃユイツに軽く小突かれただけでも、俺は骨が折れてしまいそうだ。それにあのバギリを消滅させたよく分からない力もあるし、頭蓋骨一つしか残っていなかったとはいえ、上位種は並みじゃないな。
ユイツに使った『堕天浄土』は遺体の状態が万全であればあるほど、生前の力を再現できる死霊魔術だ。頭蓋骨しかなかったユイツは生前と比べれば、見る影もない程弱くなっている筈だ。
それでいて本職の戦士顔負けの膂力をこうも簡単に見せつけてくる。万全だったらどれだけの力を持った怪物だったのやら。俺の恐怖混じりの感想を知らず、ユイツは迅速に穴を塞いで、一仕事を終えた顔で俺を振り返る。実に満足げだ。案外、可愛い顔をするもんだな。
「ふむ、こんなところかの。それとそうそう、そなたのこの伝言も消して、と。どれ、これでもうこの場でするべき事は終わりかや、リンネス」
俺が非常用に書き残しておいた伝言をつま先でガリガリと削り落としたユイツに、俺は頷き返した。それにしても、岩をつま先で削るなよ……。
「うん、これでもうここを離れてもいいだろう。とりあえず俺の家に戻ろう。正直、魔力はからっきしだし、くたくただ」
ユイツとの縁のお陰で左足が治っていてよかったよ。俺は杖を頼りに悲鳴を上げる体に鞭を入れて、一歩を踏み出そうとした。そこで不意の浮遊感が俺を襲う。
一瞬、何が起きたのか分からなかったが、俺はどうやらユイツに持ち上げられたらしい。
三メルタもあるユイツからすれば、俺を子供扱いするのは簡単だ。気付けば俺は折り曲げたユイツの左腕の上に乗せられるように持ち上げられていた。抵抗する間もない早業だ。
あれだ小さな子供を父親が片手で抱えるような体勢だ。
「って、おい、ユイツ? どういうつもりだ」
ユイツが俺に危害を加えるつもりがないのは分かる。俺を害したところでユイツに得するところはないし、もし気分を害しての咄嗟の事だったとしたら、もっと直接的な行動に出る筈だ。
ぐっと近くなったユイツの顔が更に俺へと近づいてくる。悪戯の成功した子供みたいな顔で、にやにやと嬉しそうったらない。
「なあに、痛みが引いたとはいえ足を捻った契約者を慮ったまでよ。そなたはこなたの腕の上でゆったりと構えておれば良いよ」
俺の抗議を聞くつもりはないらしく、俺が口を開くよりも早くユイツは歩き出す。最初はゆったりと身長に見合ったやたらと長くすらりとした足で大股に。一歩の幅が長いなあ、と俺が半ば呆れている間に、どんどんとユイツの足が速くなる。
周囲の風景が高速で後方へと流れて行き、俺の顔を打つ風の強さが増してくる。
「はや、速いな!? どこ行く気だ!?」
「そうかや、これでも昔に比べればカタツムリを思わせる速さよ。目的地はもちろんそなたの家じゃて。安心せよ、きちんと家の場所は把握しておるよって」
「ああ、俺の知識に触れた時に」
「そうそう、そんな感じ。なので安心してこなたに身を委ねるが良いぞ、我が契約者リンネス」
「だからっていきなり抱き上げるなって。何が起きたのか、一瞬分からなくて驚いたぞ」
「それは失敬。おっと、ちょいと黙っておられよ。舌を噛むでな。そりゃ!」
なんだ? と思ったらユイツは目の前にあった岩を飛び越えようと、俺を抱えたまま勢いよく跳躍した。
思わず背筋がヒヤッとするくらいの高さと距離の跳躍に、俺はきっと引き攣った表情を浮かべていただろう。そりゃ口を閉じていろと警告もするわ。そのくせ、地面に着地した時にはほとんど衝撃らしいものはなく、まるで羽が地面に落ちたような軽やかさだ。
そういや今のユイツに体重はあるのか? 『堕天浄土』でアンデット化させたとはいえ、今の彼女の肉体は魔力で構成された仮初のものだ。本物の血肉で構成されているわけではない。今も彼女の本体は角の生えた頭蓋骨であり、それ以外は全て幻のようなものなのだから。
まあ、素直に聞く気にはなれなかったし、ふと見たユイツの横顔は本当に楽しそうな笑みが浮かんでいた。
「むふふふ、やはり自由に動かせる体があるというのは、よいなあ! 素晴らしいぞよ! う~ん、実に爽快愉快痛快! こうして走る喜びを再び味わえただけでも、こなたはそなたに感謝の気持ちを大盤振る舞いしたいほどぞよ!」
こうまで無邪気に喜ばれて、笑顔を向けられるとなあ、なにも言えないや。俺はユイツが道を間違えずに俺の家に辿り着くまで、そのまま荷物に徹するのだった。