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第一話 ネクロマンサーと魔王

世間からの評判が良くないネクロマンサーに渋々なった青年が図らずも魔王と呼ばれた超越者を蘇らせてしまい、はるか格上の魔王に振り回されるお話です。

 ネクロマンサーあるいは死霊術士。

 汚い、臭い、気味が悪いと世間の評判が悪い事で有名な魔術士の一種。

 人間や動物の死体、あるいはこの世に残る霊を操る死霊魔術を用いる。

 魔術の特性上、死と身近に接する為か世間からは忌避され、敬遠される傾向にある。

 また邪悪なる存在や死霊に操られて、使役するはずが逆に洗脳されて支配される危険性があり、世界に仇を成した例も存在する。それも複数。


 俺ことリンネスもそんな嫌われがちな魔術職ネクロマンサーだ。

 俺の最も高かった適性が死霊魔術で、その他の魔術の適性が基礎魔術を除いてほぼ壊滅的だった為、仕方なくこの不人気の代名詞みたいな魔術士になるしか道がなかった。

 ヒヨッコの魔術士が戦力として頼りないのはネクロマンサーに限った話じゃないが、いかんせん死体と接するのが日常的なネクロマンサーは、生死の境の上で踊るような冒険者稼業では縁起が悪いとなおさら忌避される。


 つまり俺は冒険者同士でパーティーを組む事も出来ずに、一人でアンデッドを使役しながら、どうにかこうにか今日までやって行くしかなかった。

 冒険者といえば字面はいいかもしれない。大成した冒険者の逸話に夢を見て憧れる子供が後を絶たないのは、いい証拠だろう。だが同時に兵隊崩れやゴロツキの落ちぶれ先でもある。

 やっている事は軍隊の手の届かないところか、出るほどでもないモンスター退治なんかが主な仕事だからな。冒険者と書いて便利屋、傭兵モドキと読んでもそれほど間違いじゃない。


 そして今日の俺は、渓谷の奥深い場所で咲く貴重な薬草の採取に出かけていた。街から離れていて、道中にモンスターの出現する可能性もあるから冒険者の出番になる。

 ただ報酬がパーティーで分けるには微妙な金額だったのと、拘束時間が長い事から誰も依頼を受けずにいたのを、今も一人で冒険者をやっている俺が引き受けた。

 引き受けて目的の薬草を採取したまでは良かったのだが……


「あああ、俺の馬鹿! 好奇心に負けた俺の馬鹿!」


 そして俺は今、全力で薄暗い洞窟の中を走っていた。そのすぐ後ろを巨大なサソリとムカデを融合させたような化け物が追いかけてきている。

 怪物、魔物、化け物つまりはモンスター!

 無事に目的の薬草を採取して帰ろうとした矢先、五日前に振った大雨で地崩れを起こした渓谷の斜面にぽっかりと開いた穴を見つけたのが始まりだった。

 俺が余裕で通れる大きさの穴の奥からは風が吹き、どこかに繋がっているのが分かった。


 本来、未知の場所に十分な準備や情報もなしに踏み込むのは危険な行為だが、渓谷の周囲に危険なモンスターは居ないし、いざとなればアンデッドに足止めさせて逃げればいいと俺は考えてしまったのだ。

 後になって思えばとんでもない油断で、慢心だ。自分で自分を殴りつけてやりたくなる。

 明らかに新しくできたばかりの穴を前に、俺は腰のポーチから犬と蛇の牙を取り出して、それを地面に放り投げる。


「『目覚めよ 死せる者達 仮初の命を与えん 死転生(してんせい)』」


 俺の呪文と同時に体内の魔力が地面の上に転がっている牙へと流れ込み、同時に牙から灰色の光が噴き出して、見る間に骨の体を作り出す。死霊魔術の基礎、アンデッド作成だ。

 まだまだ成長途中の俺では、例え死骸だとしても元々強力なモンスターをアンデッド化する芸当は出来ないので、犬も蛇も普通の野生のものを使用している。


「そんなに深くないといいんだが」


 何もないならないで、そう報告できるが、やはりここはなにか地面の中で眠っていたお宝でもないかとつい期待してしまうものだ。

 一応、遠出に備えて保存食の焼き固めたパンと干し肉、干した果物と水を二日分用意してある。それに腰には死霊魔術用の触媒の他、チョークや松明、楔にピッケル、ロープ、包帯などのあると便利な一式を入れたポーチを複数括りつけてある。

 装備はフード付きのローブは飾り気のない灰色、それに上半身は鎖帷子、下半身は厚手の布のズボンとブーツ。右手には魔術の補助をしてくれる俺の背丈ほどもある杖、ベルトにはナイフが一本。


 ネクロマンサーに限らず魔術士は部屋に引き籠って魔術の研究に没頭し、痩せっぽちの貧弱ばかりというが世間の思い描く姿だが、俺はただでさえ忌避されているネクロマンサーがそれではますます敬遠されると考えて、日ごろから走り込みや筋肉をつける為の運動を重ねている。

 流石に戦士職のような専門家達には及ばないにしても、同じような魔術士連中に比べれば体力は随分と付いている。


「一応、万が一に備えて、と」


 穴の傍に転がっている岩にチョークで今日の日付と探索を行う旨、二日経っていてもこの文面が残っていたら救助を求める文言を書いておく。

 これでなにか危機に陥って死のうものなら、馬鹿をやった冒険者の笑い話が一つ増えてしまう。そうはならない為にも、この文言を自分で消せるように気を付けてゆくか。

 着火した松明を骨犬の首の根元に括りつけて、囮と灯りと前衛をまとめて担当してもらう。骨蛇は俺のやや後ろを進ませて、後方からの不意打ちに備える。


「よし、行くぞ」


 最後に自分に発破をかける為にも声に出して宣言し、俺とアンデッド二体は未知の穴の中へと足を進めていった。

 幸いにしてしばらく進んでも穴の広さは変わらず、俺が身を屈める必要はなかった。穴の入り口からしばらくは足元が濡れていたが、それも徐々に乾いていって、穴の中の空気が徐々に乾いたものに変ってゆく。

 俺の足音と杖で地面を突く音、それに骨と地面の擦れる音ばかりが広い穴の中に反響する。


 分かれ道はほとんどなくあっても先に骨の蛇に進ませて様子を探らせて、すぐに行き止まりだと判明する場合がほとんどだった。

 俺達は迷うことなく穴の奥へ、更に深くへ、更に下へと進んでゆく。空気が薄くなっている感じはしなかったが、松明の残り本数を考えればあまり無理も出来ない。


 幸い死霊魔術を習得する過程で暗闇と孤独には慣れているから、他の人間よりはこういった閉ざされた暗がりの中でも、精神的な疲労は少ない。

 また新しい松明を交換しがてら、手頃な岩に腰かけて小休止を取り、松明の消費数から穴に入ってどれだけの時間が経過したかを考える。


「出来るだけ余裕を確保しておきたいから、後、松明を二本使ったら戻るか。まあ、ここまでの道筋だけでも少しは情報料を出してくれるだろう」


 これまで誰にも知られていなかった穴、いや大穴内部の情報だ。今のところ目立った収穫はないが、これから調査をする際に俺が踏破した分の情報はお金になる。冒険者組合に情報提供すれば、消費した松明よりはいくらかマシな情報料が貰えるだろう。

 俺の次の指示をじっとまつ骨の犬と蛇に、俺は孤独を紛らわせるようにそう話しかけていた。仮初の命を吹き込まれただけで、彼らに生前の意識が戻ったわけではない。当然返事はなかったが、気を紛らわせるくらいにはなる。

 異変が生じたのは俺が立ち上がり、更に奥へと進もうとした時だった。後方の警戒を任せていた骨蛇が鎌首を持ち上げて、俺達のやってきた方向へ顔を向ける。


「なにか来たか? 横穴でも見落として……」


 だが、ゾッとするような足音が聞こえてきた事で俺は口を噤んで杖を構え直す。何本もの足が勢い激しく地面を駆ける音。これはかなりでかい奴か、あるいは大群か。


「こういう場所なら、虫が定番か」


 虫除けの香り袋は常備しているが足りるかどうか。そうしている間にも足音がどんどんと近づいてきており、骨蛇が威嚇するその先からソイツが姿を見せた。

 赤黒いムカデのように無数の足を生やした胴体を持ち、一対のハサミを備えたサソリめいた頭が生えている。


「バギリ!? こんなところで、いや、こんなところだからか!」


 大ムカデや大サソリは想定していたが、バギリが出てくるとは。こいつは昆虫系のモンスターの中でもひと際頑丈な口角に有毒の牙と強靭な顎、大木もへし折る怪力のハサミ、ぶつ切りにしても簡単には死なない生命力と厄介な要素の塊だ。

 外への道はバギリに塞がれた。俺の手持ちの戦力ではバギリに勝つのは極めて難しい。となると逃げの一手しかない。更に大穴の奥へ逃げるしかない。

 俺はバギリに背を向けて、最初に呼び出した骨犬に先導させながら、一気に駆け出す。長い杖は小脇に抱え、左手をポーチの一つに突っ込んで骨を纏めて掴んで、背後へと向けて放り投げる。


「『目覚めよ 死せる者達 仮初の命を与えん 死転生』!」


 骨蛇が牽制してくれてはいるが、バギリが相手では引き潰されておしまいだ。せめてもの時間稼ぎに新たな骨の犬や猫を作り出して、俺は恥も外聞もない大逃げに徹する。

 アンデッドゆえに死への恐怖もなく、知性がないから躊躇もない骨の小動物達が次々にバギリに挑みかかり、バギリの巨体やハサミで砕かれる骨の音が聞こえてくる。

 それが止んだら肉と血がたっぷりと詰まっている俺という餌を目掛けて、バギリが追いかけてくる合図だ。俺はこの穴の調査を決定した自分の好奇心を呪いながら、ひたすら走り続ける。


「くそ、これで行き止まりの道を引き当てようもんなら、ほとんど死亡確定だぞ!」


 生憎と俺は自身をゴーストやスケルトン、あるいはリッチーのようなアンデッドに変える死霊魔術を修めてはいない。死んだらそれっきりなのだ。いやまあ、未練が転じて悪霊めいたゴーストになる可能性はあるがそんなのは嬉しくもない。

 腰のポーチやバタバタとはためくローブの裾に鬱陶しさを感じながら、悲鳴を上げ始めた肺と足を酷使して、先導する骨の犬の松明を頼りに未知の大穴の中をひた走る。


「っあ!? しまっっ」


 おまけに今日の俺は馬鹿なだけじゃなくて間抜けだった。骨犬が速度を緩めて俺に注意を促していたのに気付かずに、斜面に変った地面に足を取られてそのまま転がり落ちる。

 咄嗟に体を丸めて頭部を両手で抱えて守れたのは、日ごろ、受け身の鍛錬を重ねていた成果だろう。そうして何回も転がり、数えきれないくらい痛みを感じてから、俺は壁にぶつかってようやく止まる。


「かはっ、は、はあ、間抜けすぎるぞ、今日の俺は」


 ひいひいと情けない声を上げて俺は俯せの体勢からどうにか体を起こす。すぐに骨犬が傍によってきてくれた。松明の灯りを頼りに周囲を見渡すと、俺は半円形の穴の底に転がり落ちたようだった。

 俺がぶつかった岩壁は随分と高い天井まで続いており、どこかに隙間があるようでわずかな風を感じる。


「ここが、げほ、穴の最深部、か? なにもないハズレときたか。一発逆転、の、げほ、伝説の武具でもあればな」


 まあ、そんな都合のいい展開があるわけもない。先程まで走り回っていた狭い道に比べれば開けているから、バギリ相手に隙を見て外に繋がる出入口に逃げ込める可能性は高い。

 再びポーチに手を突っ込んで、作り出せるアンデッドを改めて思い浮かべる。手持ち最強は猪だ。元は猟師の仕留めたかなり大物の猪の牙で、全力で突進させればバギリを怯ませるくらいは出来る。

 こんなことなら狼の群れとか熊とか、もっと強力なモンスターの骨なりを仕入れておけばよかった! お金も伝手もないから無理だが!


「来たか!」


 俺がそうこう考えている間に通路からバギリが勢いよく飛び出してきた。骨犬や骨猫たちはよくやってくれた方だと思う。バギリは飛び出した勢いをそのままに跳躍し、俺を目掛けて飛んでくる。

 よっぽど腹を空かせているんだろうな! しかし空中で猪をアンデッド化させても蹴るべき地面がないんじゃ突進できるわけもない。俺はまだ痛む足に鞭を打って、横に飛んだ。

 ほとんど間を置かずにバギリが落下して、一瞬前まで俺がいた場所にハサミを叩き込んで岩壁に穴を穿つ。あんなの喰らったら、俺なんざ即死だぞ!

 骨犬が俺とバギリの間に割って入り、バギリの首に括りつけた松明の灯りに、バギリがわずかに怯む様子を見せた。太陽の光が届かない地下に生息するモンスターは、えてして強い光に弱いものだが、バギリも同じらしい。


「『光よ 闇を照らせ 光煌(こうこう)』!」


 俺でも扱える基礎魔術の一つ、魔力と引き換えに光を生み出す、ただそれだけの魔術。俺の突きだした杖の先に灯った光にバギリが更に怯み、じりじりと後ずさる。


(とはいえ光そのものに殺傷力はない。バギリだっていつまでも光に怯んではいないだろう。その内に慣れるか食欲に負けて俺に襲い掛かってくるのは間違いない)


 ほんの少し時間を稼げただけに過ぎない。どうにか逆転ないしは逃亡を成功させる一手をつかみ取るしかない!

 とにかくまずは手持ちの戦力を増やす! ポーチに手を突っ込んで三回目の死転生をと動く俺に目掛けて、バギリがハサミで岩を持ち上げて投げつけてきた。一抱えもある岩がバギリの怪力で投げつけられれば、例え鉄の防具を身に着けていても重傷は免れない。


「そんなのありか!」


 咄嗟に体を傾けて投げつけられた岩を避けるが、体勢を崩して倒れ込む俺を目掛けてバギリが突っ込んでくる。くそ、もう光に慣れやがったか!

 更にバギリの長大な体が俺に触れて、吹き飛ばされる。骨犬が果敢にもバギリの頭部に飛び掛かり、邪魔をしてくれたお陰でこの程度で済んだが、下手をしたらハサミで潰されていたぞ!


「がぁ、はっ!?」


 何度も地面の上を転がってまた体中のあちこちが痛めつけられる。さっきから体の悲鳴がひっきりなしだ。痛みと衝撃で集中が途切れたせいで、魔術の灯りも消えてしまった。

 どうする? 骨犬を叩き潰したら、バギリは今度こそ俺に止めを刺す。一か八か、骨猪を正面からぶつけてその隙に逃げるか?


「っ、足を捻ったか!?」


 転がり落ちた時にか、それとも今、吹き飛ばされた時にか、俺は左足を捻ってしまい、立ち上がるのも難しい状態になっていた。他の痛みに紛れて気付くのが遅れたが、問題は走って逃げるのも難しくなったっていう事実。

 こうなると魔力が尽きるまでアンデッドを作成して数で押すか、アンデッドで牽制をしつつ死霊魔術の攻撃魔術で仕留めるかの二つしかないか。

 なんとか体を起こそうと地面につけた左手がなにかに触れた。岩とは違う触感に、俺はついそちらを見る。


「頭蓋骨? いや、骨じゃない。黒曜石か?」


 俺の左手が触れたのは額から刃を思わせる小さな角を生やした、黒曜石を思わせる材質の頭蓋骨だった。でかい。人間のそれよりは一回りは大きい。それになんだ、この材質? 人間以外の種族の骨がこんな地下に?


「そんなことを考えている場合じゃないか」


 バギリを牽制していた骨犬がそろそろ限界だ。ああだこうだと悩んでいられる暇はない。


「一か八か。死ぬか生きるかの瀬戸際で博打をやる羽目んなるとは!」


 腹をくくり俺は黒く輝く頭蓋骨の角に左手を伸ばして、一気に手のひらを切り裂く。傷口から滴る血で頭蓋骨を濡らして、集中を深めて死霊魔術を行使する。


(この頭蓋骨にはまだ魂が残っている! 魂の無い骨や牙をアンデッド化させるのとはわけが違うが、俺の血とありったけの魔力を使って契約する! 頼むからバギリより強い奴であってくれよ。あと、俺の言う事を聞いてくれ!)


 魂の無い死骸に仮初の命を吹き込む『死転生』とまだ魂の残っている死骸を触媒に契約するのとでは、後者の方が難易度は高い。おまけに事前の準備もなにもないぶっつけ本番だ。

 だが、これを成功させなければ俺がこのままバギリの餌。だったら死ぬ気で成功させるしかない。


「『死せる者よ 我が血と魂をもって盟約を結ばん 偽りの血と仮初の肉によって穢れた命を得よ 堕天浄土(だてんじょうど)』!」


 黒く煌めく頭蓋骨に俺の血が染み込み、詠唱の完了と同時に俺の体から、魂からごっそりと魔力が持ってゆかれて、意識が一気に遠ざかり始める。

 体の奥の方から熱が失われていって、魔力ばかりか命まで吸い取られている気がする。いや、錯覚じゃなくて本当に吸い取られているか?


 人間に似た形で角の生えている頭蓋骨となると鬼かなにかだろう。事前準備を整えていても俺が契約できるか怪しい相手だが、そうもいっていられない状況なんだ。そら、骨犬をハサミで叩き潰したバギリが俺に目を向けている。

 バギリの横開きの口に何重にも生え並んだ牙がガチガチと音を立てている。俺の体なんて骨ごと簡単に噛み砕くだろう。


「さっさと起きろおおおおお!」


 ほとんどやけくそになって叫ぶのと同時に、黒い頭蓋骨がふわりと浮き上がると灰色の光が噴き出し始めて、見る間に人型を取り始める。朦朧とし出した意識の中で、彼女の姿は不思議なくらい鮮やかに俺の脳に焼き付けられる。

 大きい。俺をはるかに上回る背丈は三メルタ(=三メートル)はあるだろう。

 腰まで届く癖のない白い長髪、くるぶしと踵を保護するフーデッド・サンダル、裾に向けて広がるズボンと襟元と袖口にレースをあしらった丈の長い上衣はどちらも黒。上衣にあしらわれたレースの白色と女の褐色の肌や髪がよく映えている。


 額からは黒曜石の刃を思わせる小さな角が伸び、両耳の上からは湾曲した太く大きな角が前へ向かって伸びている。頭蓋骨にはなかった角だ。両手足の指先は黒く染まり、鋭く尖っている。人間の首など簡単に掻っ切れそうな鋭さだ。

 やけにデカい女は魔力と生命力をごっそり吸い取られて、地面に這いつくばっている俺を一瞥する。


 天地も定かではない俺だったが、それでも女の底なしの闇を思わせる黒い瞳とこれまでに見たことがない程の美貌は鮮烈だった。

 俺は美しい女性だと思わず、なんて美しい生き物なのだと心から感じていた。まあ、アンデッドだが。自然の生み出した天然の芸術、人の手に依らぬ美の化身がまさに目の前の女性なのだと思えてならない。


「■■■■■■■■■■■■?」


 女性の唇が動いて言葉を発したようだったが、なんと言っているのかよく分からない。確か魔術の勉強をしている時に学んだ、とんでもなく古い言葉に似たようなものがあったような?

 ああ、だめだ。ただでさえバギリに一撃を食らって痛めつけられているのに、『堕天浄土』で目の前の三本角の大女に魔力と生命力を根こそぎ持っていかれたせいで、もうこれ以上意識を保てない。

 いよいよ限界が近いと俺が悟ると、大女はなにか納得した様子で肩を竦めた。やれやれ、仕方ないと言わんばかり。そしてバギリを振り返る。


 バギリは新たに姿を見せた獲物を観察していたらしい。新鮮な獲物である俺と違って、こっちはアンデッドだから、食欲は湧かないだろう。それでも俺を食う為には邪魔だと判断するに違いない。

 本当に百本くらいありそうなバギリの足が一斉に動き出し、ゾッとするような速さで俺達に向かってくる。ああもう、本当に指一本も動かせないぞ、俺は!


「■■■■■■」


 女は迫りくるバギリに向けて恐れげもなく歩み寄って行き、その起伏に富んだ体をバギリのハサミが捉えようと動く。どうなる!? と息を呑む俺の目の前で、女の指先が軽くハサミに触れた途端、頑丈な甲殻に包まれたハサミが付け根から消し飛んでいた。

 きっとバギリは生まれてから最大の驚きを抱いたに違いない。そしてその驚きが消えぬまま、バギリの頭に女の右手が無造作に置かれる。


「■■■■」


 何を言っているのかは分からないが、たぶん、別れの言葉だろうか。そう解釈できる感情が言葉に込められていた。そしてハサミと同じくバギリの巨体は塵も残さず、俺の目の前で消し飛ぶのだった。

 あれだけ大きなバギリならそれなりの腕前の連中を用意しても、相当な被害を覚悟しなければならないが、俺が呼び起こした女はわけの分からない内に倒してしまった。

 バギリを相手に生き残る賭けには勝った。勝ったが、どうやら俺は想像を越える奴に仮初の命を与えてしまったらしい。ただ、それはそれとして……


「もう無理……」


 ぐわんと頭の中がかき回されるような感覚がした直後、俺は意識を手放してどっと倒れた。最後に見たのは倒れる俺を見えて、目を丸くする女の顔だった。なんだ、可愛い顔も出来るんだな。

 バギリ相手に命を拾ったのと引き換えに正体不明の頭蓋骨からアンデッドを呼び出した俺は、その場で意識を失うという大失態を犯してしまった。

 こうなると俺の命はあの角の生えた女の手の内。次に無事に目を覚ます事が出来るのか、目を覚ましたとしても五体無事でいられるかどうか分かったものではない。気を失った俺ではその心配すら出来ないが。


「……い。おー……」


 そして俺が次に意識を覚ましたのは、誰かの呼びかけが聞こえてきたからだった。


「おーい、おーい。そろそろ目を覚まさんかや。このままでは夜になってしまうぞよ」


 なんとも心地の良い声だった。耳からそのまま体の隅々にまで染みわたる極上の楽器の音色のよう。俺は声に導かれてうっすらと瞼を開け始める。


「搾り取ったとはいえ目覚めが遅いのう。仕方ない。このまま運ぶか」


 瞼と同時に覚醒し始めた意識はようやく声の主があの角女だと察し、急速に覚醒を始める。どうやら俺は地面の上に寝かされているらしい。


「いや、起きた、ところだ」


「お? 僥倖僥倖。こなたはそなたを害してしまったかと慌てたぞよ」


 上半身を起こして周囲を見回せば、そこはあの穴の入り口だった。チョークで文言を書き記した岩がすぐ傍にある。俺の杖や装備はそのまま。首元が緩められているのは、女の気遣いだろうか。

 女は俺の傍にしゃがみこんで様子を伺っていたようだが、俺が目を覚ますとニンマリと笑う。俺と同じか少し上、二十歳前後の見た目だが子供のようにあどけない笑みだった。


「急激に魔力と生命力を喪失した反動だ。少し眠ったから回復できた」


 周囲は夕闇に染まりつつある。天空の太陽は輝きを失い、やがて一回り小さな月と無数の星々に分かれるだろう。数時間は気を失っていたか。


「ありがとう。バギリから助けてくれた事とここまで運んでくれた事に感謝する」


 とりあえず礼を言っておこう。眠っている間に俺に危害を加えなかったし、どうやらそこまで悪意のあるアンデッドではないようだ。どこまでの知性と力を持ち、どこまで邪悪なアンデッドになるかは賭けだったが、今のところは当たりの方と思っていい。

 言葉を交わせる知性もあるし、まずは礼の言葉を言って対話から入ろう。なにしろ戦闘になったら俺に勝ち目はない。例え俺が契約を結んだ相手でも、主従を逆転される可能性だってあるわけだし。


「むふ、礼の言葉とはくすぐったい。そなたは律義者だの。なあに、こなたは永の眠りから目覚める時を待ち望んでいた。そこにそなたが不死者の契約を持ちかけてきて、それに乗ったのだから、そなたの守護は契約の範疇よ。

 ところで契約者殿よ。随分と切羽詰まった状況であったし、そなたはすぐに気を失ってしまったから、改めて契約内容の確認が必要と思うがいかに?」


 女は文言を書いた岩に優雅に腰かけて、俺に笑みを向けたまま提案してくる。真っ当な申し出だな。


「ああ。正直、君を呼び出すのに精一杯で内容を詰めずに契約を結んだと思っているんだが、そちらの認識は?」


「目覚めたら気を失う寸前の契約者殿とこちらを様子見しておるバギリ。ただそなたの血を通じてそなたの焦燥や恐怖は伝わっておったから、まずこなたがするべき事は理解しておったとも。

 あのバギリを退け、契約者殿の生命を救い、こうしてひとまずは安全な場所まで連れて来たわけだが、こなたもただ目覚めさせてくれた礼だけでこれ以上、そなたに協力するつもりはない。そこは間違えぬのがお互いの為よ」


 すっと女の瞳が細まる。それだけで俺は魂まで吸い取られるような錯覚に襲われた。そうして瞳に吸い取られた魂がどうなるか、考えるだけでも恐ろしい。どうやら存在の格がはるかに違うらしい。

 こういう現象は竜や高位のアンデッド、精霊を相手にした際に、まま発生するという。


「分かった。気を付けよう」


「むふ、そなたが愚者ではなくてこなたは安心したぞよ」


「ん? そういえばどうして言葉が通じている。たしか、君の言葉がまるで分らなかったはずなんだが」


「おお、それか。こなたもそなたと言葉が通じないのでは不便と思うてな。悪いとは思うたが契約を介してそなたの知識を参考にして自力で覚えたのじゃ」


 魔術を用いた契約では双方の精神が干渉して、記憶を垣間見たり、知識を共有したりする例はそう珍しいものではない。

 俺が意識を失っていた分、俺の知識を見るのは簡単だったろう。あまり気分のいいものじゃないけどな。


「凄い学習速度だな。地頭がいいらしい。いや、待て。ひょっとして君は上位種(ハイライフ)か」


 ここまで話をしていて、俺はようやく目の前の女が目覚めさせる前に予想していた鬼といった種族ではない可能性に気付いた。

 上位種、この世界にごくわずかに存在する人間に似た姿の人間ではない存在達。人間を含めた他の種族を圧倒する身体能力に魔力、特殊な能力と永遠とも言われる寿命を持つ超越者達。

 女は俺が正解に辿り着いたことを喜ぶように笑みを深める。


「いかにも。こなたは上位種と呼ばれる者の内の一体。かつては【魔王】と畏怖され、畏敬の念を集めたユイツとはこなたのことよ!」


 女──ユイツは自慢げに胸を張って自らの存在を主張する。上位種はひとたび力を振るえば都市の一つ二つ、あっという間に壊滅させることから可能な限り特徴や名前、所在などの情報が公開されている。

 だが俺の知る上位種の中に、【魔王】という二つ名とユイツという名前はなかった。首だけになっていたって事は、誰かに殺されたというわけだから、逸話や情報が歴史の中に消えたっていう事か?


「ふうーむ、そなたのその反応、知識を見た時から分かってはおったが、やはりこなたは今の世には知られておらぬのだな。ま、それはよいか。大いなる歴史という名の大河の中にあっては、全ては仮初よ。

 で、そろそろこなたは契約者殿の名を聞きたいと思うぞよ。こなたばかりが名乗っていては、契約上、不平等であろ?」


「それはそうだが、俺の名前くらい知識を見た時に知っているだろうに」


「それはそうじゃが、契約を結んだ相手なのじゃ。直接、名を教えてもらってこそ平等というものよ。で、どうかえ? ん?」


 この時ほど、美人の笑みが怖いと思ったことはない。上位種というのもあるが、圧が凄いんだよな。デカいし。


「ああ、分かったって。ちゃんと教えるさ。俺はリンネス。近くの街でネクロマンサーをやっている。しかし、まさか上位種の頭蓋骨だったとは」


 とはいえどうしてあそこに転がっていたのかは、聞かない方がいいか。アンデッドとして蘇ったとはいえ、自分の死因なんて話したくはないだろうし、下手に機嫌を損ねないように配慮する必要がるだろう。

 そうでなくても初対面の相手に根掘り葉掘り聞くのは、礼儀知らずってもんだ。


「ほほ、人に歴史あり、上位種にも歴史あり。それでも魂は残っておったよ。そのお陰でこうしてそなたに仮初の命を貰えたわけじゃね。

 さて契約者リンネスよ。こなたは契約によってそなたの命を救った。そなたの願いは既に叶えられた、というわけだの」


 それが俺にとって最大の懸念事項だった。すでに俺は命を救われている。こうなるとユイツの願いを叶える為に協力しなければならなくなる。

 上位種の思考は寿命が長い事もあって、人間とはいささか異なる。生き残るにはそれしか道がなかったとはいえ、ユイツをアンデッド化させたことが、どんな運命を俺に齎すものか。


「そう案ずるな、リンネスよ。こなたの願いは事情を聴けば誰もが納得するものであるぞよ。別に世界を支配しようとかそういうものではない」


 うーむ、まあ、信じてもよさそうだ。まだ大して言葉も交わしていないが、そういう人間的な欲望と上位種は無縁だと聞くし、ユイツには似合わない。ユイツは右手で自分の頬に触れると、笑みを消して自分の願いを語り始める。


「はるかな昔、こなたの首に飽き足らずバラバラにされた五体を探し出し、取り戻すことよ」


 なるほど、確かにそれはまあ、共感できるというか。そこまでされたら人間は死ぬが、こうして取り戻せる機会が巡ってきたなら、取り戻しくなるだろう。


「それで、その、当ては?」


「ふっふっふっふ、それは……ない!」


 ユイツはなぜか自信満々にそう宣言するのだった。ははあ~ん? さてはこの上位種、あんまり賢くないな?

いかがでしたでしょうか。楽しんでいただけならなによりです。

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