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闇に蠢く  作者: 野村勇輔(ノムラユーリ)
第4部 第6章 決戦
259/261

第6回

   5


 イザナミの咆哮に呼応するかのように、地面から突き出していた黒い塊がうねり、蠢き、玲奈たちへと襲い掛かる。


 相原は悲鳴をあげて玲奈の背に身を隠したが、玲奈は動じることなくその場に佇み、じっとその動きを見つめていた。


 そんな玲奈と相原の前に少女は飛び出し、玲奈たちを守るようにその両腕を左右に大きく開いた。その瞬間、眩い光があたりを照らし、襲い来る黒の塊を一瞬にして打ち砕いてしまったのだった。


「――死してなお吾の邪魔をするのか、お前はっ!」


 イザナミが歯噛みし、両手を強く握りしめて大きく身体を震わせた。


 少女はじっとイザナミを見据え、そして答える。


「私は美咲じゃない。美咲の残した残滓に過ぎない。あなたを止めるのは、私の残したこの世界の子たち。それから、私の友人たちよ」


「止められるものか!」


 イザナミは再び咆哮する。再び地面から黒の塊がぼこぼこと沸き立ち、その触手を玲奈たちへと差し向けた。襲い来る触手は赤い血を撒き散らすようにのたうちながら、何度も何度も執拗に玲奈たちに攻撃を繰り返す。しかし、その度に少女の放つ光に阻まれ、黒の塊は何度も何度も砕け散り黒い霧と化していくのだった。


「無駄よ」少女がイザナミを睨みつけながら良い放つ。「ここは私の創り上げた領域。あなたの攻撃は絶対に通らないわ。あなたが玲奈をここまで追いかけてくるのは解っていた。だから、予め罠を張っておいたの。あなたはもう、ここから出られないし、私たちを傷つけることもできない」


「黙れ! 黙れ黙れ黙れ!」


 なおも執拗に攻撃を続けるイザナミだったが、けれど少女の言葉通り、何度攻撃を繰り返そうとも、その攻撃は玲奈たちまで届くことは決してなかった。


 やがてイザナミも疲弊してきたのだろう、まるで血のような涙を身体中の眼玉から垂れ流し、肩で息をしていたが、やがて絶望したように膝をつくと、その両手で、自身の顔を覆いながら、

「何故じゃ……、何故このような思いをせねばならぬのだ。吾が何をした。誰が吾に感情というものを与えたのじゃ……! ただのシステムでありたかった! ただ与えられた役目をこなすだけの存在でいたかった……! アイツさえいなければ、アイツが吾にこの感情というものを教えさえしなければ――!」


 その言葉に、少女はぴくりと反応する。

「――アイツ? アイツって誰のこと? イザナギ?」


 その問いに、イザナミは深いため息とともに、

「――モリアキ、キミヒロ」


 その瞬間、少女が息を呑むのを玲奈は感じた。


 相原もそれに気づいたのだろう、少女に視線を向けながら訊ねる。


「ね、ねぇ、誰なの、モリアキキミヒロって……」


 少女は両手を握り締めながら、赤黒く染まった天を見上げて、

「――この世界のシステムを作った奴らの一人。そして、私を生み出した美咲たちのゼミの担当。森秋教授のことよ」


 玲奈と相原は、思わず「誰?」と顔を見合わせる。


 少女は全てを理解しているようだったが、玲奈たちにはそれが何を意味するのか到底理解することなどできなかった。できるはずがない。自分たちが世界として認識しているのはあくまで自分たちの存在する“ここ”でしかない。その上位に存在する世界に住まうものによって造られた存在である少女には全てが解っているのかも知れないが、その返答で玲奈たちが全てを理解できるはずもなかった。


「森秋公煕は、美咲や省吾たちにこのシステムを与えた存在。この世界シミュレーターを用いて様々な世界を学生たちに作らせて、世界というものに対するあらゆるシミュレーション実験を行っていたグループの一員だった。それが、いつの間にかゼミに来なくなって――時を同じくして、彼女が、イザナミが暴走を始めた」


 それから少女は大きくため息を吐く。


「――そう、そういうことだったのね。裏で糸を引いていたのは、森秋教授だったんだ。だから、ずっとゼミにも顔を出さなかったのね。きっと今もどこかで高みの見物でもしてるんでしょう。美咲はイザナミの所為で命を落としたというのに、それにも構わず、こうして実験と称して森秋はイザナミの動向をどこかから窺っている……」


 少女は怒りに肩を震わせ、けれどすぐに大きな、本当に大きなため息をひとつ吐くと、

「――玲奈」


 声をかけられ、玲奈は思わず「あ、はい!」と背筋を伸ばした。


「終わらせましょう。あの教授のくだらない実験を」


「……う、うん、わかった」


 玲奈にも詳しいことはよく解らなかったけれど、解っていることが一つだけあった。


 それはもちろん、今目の前で涙を流しているイザナミを止めること。


 省吾から与えられた修復プログラムを、イザナミに直接与えること。


 自分がやるべきことは、もう決まっているのだ。


 玲奈はひとつ頷き、いま一度イザナミに視線を向けた。


 イザナミは今やただ泣き崩れているだけの哀れな女にしか玲奈には見えなかった。


 少女の言う森秋という教授が彼女に何をしたのかはわからない。


 けれど、彼女を救うためにも、私は、これをやらなければならないのだ。


 思い、玲奈が相原から手を離し、一歩足を踏み出したときだった。


「――待って、私も行く」


 相原が、改めて玲奈の手を握ってきたのである。


「相原さんも?」


 相原はこくりと頷き、胸に手をあてながら、

「――私も、たぶん、彼女の過去を見ていたと思う。彼女に身体を乗っ取られながら、彼女の過去を覗き見たような気がするの。森秋って教授が、どんなふうに彼女をこんなふうにしちゃったのか、今、思い出したの。森秋は悲しむ彼女の弱い心につけこんだ。彼女がどんなふうに心を、感情を生み出し爆発させるのか、それを観察するために。彼女がどんな気持ちだったのか、私にもわかる。だから、お願い。私も一緒に」


 玲奈はその言葉に一瞬逡巡し、いま一度少女に視線を向けた。


 無言で頷く少女に、玲奈は「わかった」と再び相原に顔を向けた。


「行こう、相原さん」


「うん。行こう、宮野首さん」


 そうしてふたりは手を固く繋ぎ合うと、ふたり並んで、イザナミへと歩み寄った。


 イザナミはただ泣き続けていた。嗚咽を漏らしながら、近づく玲奈や相原のことなど構うことなく、ただただ自身の感情――悲しみに涙を流し続けていたのだった。


 玲奈と相原はそんなイザナミに視線を合わせるようにしゃがみ、そして声をかけた。


「ねぇ、イザナミ」


 その声に、悲しみに歪んだままの顔を、イザナミは玲奈たちにすっと向けた。


「もう、やめよう、こんなことは。こんなことをしても、ただただ悲しみは増していくだけだよ」


「吾は――吾は、ただ、イザナギが憎くて――この想いを――ただ――」


「本当に、憎しみや怒り、悲しみだけだった?」そう訊ねたのは、相原だった。「最初からイザナギのことを、そんなふうに感じていたの?」


 その問いかけに、イザナミは歯噛みするように、

「当たり前じゃ! 吾は、吾は最初から彼奴への恨みだけで――」


「もう一度思い出してみて。貴女たちが子供を作る前のことを。私も、宮野首さんも、貴女の過去を覗き見てる。貴女の感情を、確かに感じてる。だから、私たちも知ってるよ。最初から、貴女はイザナギを憎んでいたわけじゃない。確かにそこには、愛があったんだよ」


「――あ、愛、じゃと? 何を、馬鹿な」


「でも、初めて子供を作るとき、最初に声をかけたのは、貴女からだった」


 玲奈が問いかけたその瞬間、イザナミの眼が大きく見開かれる。


「そ、それは――」


 言い淀むイザナミに、相原は頷き、

「貴女もイザナギのことを愛していた。愛して愛して、だからこそ彼との子供を作ろうと思った。彼への愛が、貴女にそうさせたんじゃなかったの? わかるよ、その気持ち」


「黙れ! お前に何が解ると――」


「私の身体を奪った貴女にも解るはずだよ。私の、大樹への気持ちが」


 その瞬間、イザナミは息を呑んだ。まるでその感情を思い出したかのように、口をパクパクさせ、けれど頭の中ではそれを必死で否定しようと言葉を探し、にもかかわらずその感情が、想いが、確かに自分にもあって、理解できることを察したかのように、次第に肩を静かに落とした。それから深い深い吐息を漏らす。


「吾は――そうだ。確かに最初は彼奴を愛していた。だが、だからと言って、この感情は――」


「だからこそ、だと思う」


 玲奈の言葉に、イザナミは眉を寄せる。


「……なんじゃと?」


「愛していたから、その分憎しみも増してしまった。悲しみも増してしまった。絶望に繋がってしまった。でも、そこには確かに愛があったんだよ」


「それは、それは、しかし――っ!」


「そんな悪い感情を、貴女はいいように操られただけ。森秋って人がどんな人物なのか私達には解らない。けど、たぶん、貴女も被害者のひとりなんだと私は思う。その感情をいいように弄ばれて、たくさんの世界を破滅させるように仕向けられて」


「そ、そんなことはない! 吾は、確かにイザナギを滅ぼすために!」


「……そのイザナギに、貴女は会えた?」


 玲奈が口にした瞬間、イザナミは再び眼を見張る。


「……なに?」


「貴女はこれまでにも、たくさんの世界を破壊してきた。けど、そのどこにもイザナギは存在していなかった。違う?」


 その言葉に、イザナミは全てを察したように、

「――っ! それは、それはどういう意味じゃ! 吾は、吾は、しかし、それでは――っ!」


「それ……どういうこと? 宮野首さん」


 相原は理解できなかったのだろう。不思議そうに訊ねてくる。


 玲奈は小さく頷いて、

「神様は、存在しないんだよ。正確には、このシステムで世界を創造するときに、神話として設定されたものに過ぎない。私たちみたいに、データ体として存在しているわけじゃない。だから、どんなに探してもイザナギはどこにも居なかったの」


「え、でも、じゃぁ、このイザナミは……?」


 驚愕する相原に、玲奈は、

「たぶん、どこか別の世界のデータ体。もう破壊されて存在しない世界の、被害者の身体を利用しているだけだと思う」


 玲奈の言葉に、イザナミは胸に手をあてる。身体を震わせながら、荒くなる呼吸を必死に整えようともがきながら、

「――そう、そうだ。吾は――そうか――この身体は――さとり――」


 さとり。たぶん、その名前がイザナミの身体の本来の名前だったのだろう。かつてイザナミによって滅ぼされた世界に住んでいたのであろう少女の名前。彼女がいったいどんな世界でどんな日々を送っていたのかまでは知る由もない。


「この身体で、吾は数多の世界を巡り、破壊し――けれど確かに、どこにもイザナギという存在と出会うことはなかった――しかし――まさか――そんな――では、吾は――本当に――あの森秋という奴に――ただ――!」


 その更なる絶望に、イザナミは大きく咆哮し、そして涙を流した。


「吾は、吾は、なんということを――! そんな、では、吾は――!」


「終わらせよう、全部。貴女はもう、悲しみに暮れることはない。憎むこともない。怒ることもない」


「あぁ、あぁああぁっ――――あぁああぁあっ!」


 嗚咽を漏らしながら泣き叫ぶイザナミの手を、玲奈は――相原と共に握り締めた。


 そして玲奈と相原は視線を交わし、優しくイザナミの身体を抱きしめた。


 瞬間、玲奈の中から大きな光の球が三人を包み込んだ。その光は辺りを浄化し、赤黒く染まっていた世界を今再び灰色一色へと染め直した。


 やがてその光はイザナミの身体の内側へと収束していき、そして――


 イザナミの身体から赤黒い紋が全て消え去り、ひとりの少女がそこにあるだけだった。


「……ここは、どこ? 私、いったい、何を……?」


 玲奈と相原は顔を見合わせ、そして確信した。


 彼女の身体から、イザナミは消え去った。


 いや、イザナミそのものが、今再び神話へと帰ったことを理解した。


 禍々しさなど何処にもない、ただの可愛らしい少女が、玲奈と相原の腕にあった。


 今はなき世界からやってきたのであろう、ただの少女にしか過ぎない、彼女が。


「あ、あなたたちは――誰?」


 動揺する少女に、玲奈と相原は微笑み合って、

「――私は、宮野首玲奈」

「私は相原奈央。よろしく。えっと――」


 少女は首を傾げながら、自分の名前を探るようにして、


「私……は、誰、なんでしょうか?」


 戸惑うように、口にしたのだった。

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