第4回
***
『この漂へる国を修理め固め成せ』
その言葉のもと、私と彼は別天津神から賜った天の沼矛を用い、天の浮橋に立って淤能碁呂島を作り、そこへ天の御柱を見立て、八尋殿を建てました。
そこで彼は私に問いました。
「お前の身体はどんなふうに出来ている?」
私は答えました。
「私のこの身体には、出来足らないところが一つあります」
彼は言いました。
「私の身体には、出来過ぎたところがひとつある。この出過ぎたところでお前の出来足らないところを塞いで国を産もうと思うのだがどうだろうか」
「それは善いことです」
と私は申しました。
「それでは私とお前、この天の御柱を廻って出逢い、まぐわうとしよう。お前は右から廻りなさい。私は左から廻って逢おう」
それから私は天の御柱を廻り、言いました。
「まぁ、なんて素敵な青年なのでしょう」
続けて彼は言いました。
「あぁ、なんて素敵な女性なのだろう」
「さぁ、私の足らないところに、貴方の過ぎたところを」
そうして、私たちは一つになりました。
とても心地よい気分でした。私の足らないところは彼の余ったところに塞がれて、これで全てが満ち足りたようでした。
私はどれだけ、彼の余ったところを求めたことでしょう。
あまりの心地よさに、私は我を失ってしまうほどでした。
「あぁ、なんて素晴らしいのでしょう……!」
「あぁ、なんて心地よいのだろう……!」
それからしばらくして、私は子を孕みました。
とても満たされた気分でした。
初めて授かった子が産まれてくるのを、私は心待ちにしておりました。
ところが――
「……すまない。この子は、すでに死んでいる」
私が最初の我が子を産んだ時、彼はそう言いました。
「――そ、そんなはずはありません! だって、だって……っ!」
「この子は私が責任を持って弔おう。今はただ、身体を休めるのだ」
「そんな――そんな――」
私は、我が子の亡骸を抱えていく彼を見送ることしかできませんでした。
ただ、泣きじゃくりながら。
やがて帰ってきた彼は、私に言いました。
「――大丈夫、次はきっと、うまくいく……」
「……次?」
「次の子は、ちゃんと産まれる。大丈夫だ――」
「――次の子……?」
その時でした。どこからともなく、私たちに向かって声が聞こえてきたのです。
いいえ、それは物理的な声ではありませんでした。
直接心に語り掛けてくるような、まるで心に刻み込んでくるような、そんな感覚。
『此度の事、女子より声を掛けし事が誤り也』
それは別天津神からの言葉だったのです。
私たちは今一度その言葉に従い、天の御柱を廻りました。
「あぁ、なんて素敵な女性なのだろう」
「まぁ、なんて素敵な青年なのでしょう」
そうして私たちは、もう一度まぐわったのです。
けれど、私の中では何かが芽生え始めていました。
彼とのまぐわいの中で、快楽の他に、もう一つ、彼へのある感情が沸々と沸き上がってくるのが解りました。
けれど、その感情が何なのか、この時はまだ、私にはまったく解りませんでした。
やがて私は子を孕み、無事に出産することができました。
彼は大いに喜びました。そして、さらにたくさんの子を求めたのです。
ひとり子を産むたびに私たちはまぐわいました。
まぐわうたびに、子が産まれました。
私は彼から与えられる快楽のあとで、必ず出産の痛みも与えられました。
いったい、私は何人の、何十人の子を産んできたのでしょうか。
――産まされてきたのでしょうか。
「はぐううっああああぁあっ――――っ! 熱い――――熱いぃいいいいぃい――――っ!」
それはとても辛い出産でした。ほとが焼けそうなほどの熱、痛みでした。大便や小便が垂れ流れ、口からは反吐が溢れ出ました。
私の身体は、その出産に耐えることができませんでした。
そうして私はその最後の子を産んだ瞬間――命を落としたのです。
私の魂は黄泉の国へ落ちていきました。
とても悍ましい、けれど、どこか心休まる場所でした。
私はそこから、全てを見ていました。
私が、私の命に引き換えて産んだ子を、今まさに首を斬り落とした、彼の姿も。
「あぁああっぁあああっ! なんで――っ! どうして――っ! あぁあっ! ああああぁあぁぁあああっ―――――――っ!」
私は彼が許せませんでした。
許すわけにはいきませんでした。
許す気などありませんでした。
彼は、最初から私の敵だったのです。
始めて産んだ子を捨てたのも彼。
私に無理やりたくさんの子を孕ませたのも彼。
命と引き換えに産んだ我が子を殺したのも彼。
私の中に、彼に対する愛など皆無でした。
私の中にあるのは、彼に対する憎しみ、怨み、そして殺意しかありませんでした。
だから私は誓ったのです。彼に対する復讐を。彼の創り上げる数多の世界の滅亡を。
そうとは知らず、彼は私を迎えに黄泉の国までやってきました。
そうして言うのです。
「あぁ、私の愛しい妻よ! お前と共に作った国は、まだまだ作り終えていないのだ! さぁ、戻ってきておくれ! もっともっと私と共に子を為そう! よりたくさんの子を為し、国を広げていこうではないか!」
この期に及んで、彼はまだ私に子を孕めというのです。苦しめというのです。
結局私は、ただ子を孕むための道具にしか過ぎなかったのです。
「ああ、どうしてもっと早く来てくれなかったのですか。私はもう、黄泉の火にかけた食べ物を食してしまいました。でも、愛しい貴方が来てくれたのだから、帰れるものなら帰りたい。黄泉の神々と相談してみるから、絶対に、絶対にこの門を開けないでくださいね――」
私はそう言って彼を待たせて、その間に私の魂と引き換えに、黄泉の軍勢を揃えることにしたのです。
けれど、彼は私の『待て』という言葉すら守れなかったのです。
「―――ひいっ!」
その悲鳴に振り向けば、門を僅かに開いてこちらを見つめる、彼の姿がありました。
この悍ましい姿となった私の姿に、彼は恐怖に歪んだ顔を見せていたのです。
「あれほど門を開けないでと言ったのに、お前は、お前は――っ!!」
私は黄泉の者どもを従えて、一斉に彼に襲い掛かりました。
必ず殺さなければなりません。死んでしまった我が子の為に、復讐しなければなりません。
けれど、うまくいきませんでした。
私たちは寸でのところで奴を――伊邪那岐を殺せませんでした。
黄泉の出入り口を岩で塞がれ、それ以上彼を追うことができなかったのです。
私は岩戸を挟んで言いました。
「あぁ、私の愛しい人! 貴方が最初に産んだ子を殺さなければ! 最後に産んだ子を殺さなければ! こんなことにはならなかったというのに! こうなってしまっては、貴方の子たちを日に千人、如何様な手を使ってでも殺してやりましょう!」
それに対して、伊邪那岐は言いました。
「あぁ、私の愛しい人! 貴女がそのようなことを言うのであれば、私は日に千五百人の子供を産ませてみせよう!」
そうして私たちは、訣別の時を迎えたのでした――