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闇に蠢く  作者: 野村勇輔(ノムラユーリ)
第4部 第4章・激情
242/261

第2回

   2


 桜が目を覚ますと、桜の右腕にしがみつくようにして眠るハジメの顔がそこにあった。


 ハジメはかたく瞼を閉じ、身体を縮こませ、膝を抱えるように丸くなっている。


 桜はそんなハジメの姿に小さくため息を漏らし、ハジメの額に軽くキスをした。ゆっくりとハジメの手から腕を引き抜こうとしたが、ハジメは眠ったまま、改めて桜の腕を強く掴んで決して放してくれそうにはなかった。眉を寄せ、呻くような声を漏らし、口をひん曲げるハジメのその姿に、桜はもう一度ため息を漏らして、その胸にハジメの頭を抱きしめた。まるで赤ん坊をあやすように、ハジメの頭を空いた方の手で撫でてやれば、ハジメもまた桜の胸の間に顔を埋める。


「……ほんっと、どうしちゃったの、ハジメ」

 桜は小さく独り言ち、肩を竦めた。


 昨夜のハジメはおかしかった。唐突に電話がかかってきたかと思えば、今にも泣きだしそうな声で「今すぐ会いたい」と求められた。


 すぐにふたりの部屋へ向かうと、そこには小さく縮こまるハジメの姿があった。


 部屋にやってきた桜を、ハジメは抱きつくかのようにベッドに押し倒すと、激しく身体を求めてきた。


 桜はそんなハジメを、ただ黙って受け入れた。


 何度も口づけを交わし、何度も何度も互いに果てながら、なお桜の身体を離そうとせずそのまま行為を続けるハジメに対して、桜はとにかくハジメの身体を抱きしめることしかできなかった。


 お陰で桜の体のあちこちから悲鳴があがり、股座もひりひりして痛かった。


 いったい、ハジメの身に何が起こったのだろう。私の父親と何かもめごとでもあったのだろうか。そんなことを心配したが、昨夕に父親から届いたメッセージにはそんな様子は微塵もなく、いたっていつも通り。ただ『俺は接待を受けてから明日帰宅するから、ハジメは先に帰らせるよ』と送られてきただけだった。


 そのあとは何度かハジメ自身ともメッセージのやり取りをしているが、その時もハジメからのメッセージに変わった様子など全くなかった。


 考えられるとすれば、新幹線で戻ってきたあと、あの「今すぐ会いたい」と電話がかかってくるまでの一時間から二時間程度の間。


 その間に、ハジメの身に、何かが起こったのだ。


 やがて桜はさらにもう一度ため息を吐き、ゆっくりとハジメの頭から身体を離した。


 時計に眼をやり、すでに昼十二時を過ぎようとしているのに気が付く。


 さすがにそろそろ起こした方が良いかもしれない。


 桜はにやりと笑んで、ハジメに腕を掴まれたまま、彼の体に跨るようにして上に乗ると、大声で起こしてやろうとしたところで、

「――う、うわあああぁっ!」

 唐突にハジメが眼を大きく見開くようにして起き上がり、桜の身体を突き飛ばしたのである。


 桜は驚きのあまり、そのまま弾かれるようにして後ろに倒れる。そのままバランスを崩して、ベッドから転げ落ちそうになるのを必死で耐える。桜自身も大きく目を見開いて、視線だけをハジメに向けながら、

「な、なにすんの! びっくりするじゃない!」

 大きく叫び、よろりと上半身を起こした。


 ハジメは肩を揺らしながら何度も荒い息を吐いて桜を見つめ、ようやく目が覚めたかのように、

「……さ、桜? ごめん。つい――本当に、ごめん……」

 桜の腕を優しく掴んで起こしてくれながら、深く頭を下げた。


「別に良いけど……」と桜はこれ見よがしに深いため息を吐いてやり、「それで、いったい何があったの? 昨日の夜」


 ハジメはしばらく口を何度もパクパクと開いては閉じ、閉じては開いてを繰り返した。


 まるで何をどう話せばいいのか、何が自分の身に起こったのか、自分でも解っていないような素振りを見せてから、

「……相原に会ったんだ、昨日の帰り道に」


「相原さんに?」


「うん」と頷き、けれどハジメは首を横に振る。「……違う。でも、違うんだ、アレは」


「何が違うの? っていうか、相原さんがどうしたの?」


「相原のヤツ、俺を襲おうとしてきたんだ。無理やりキスしてきてさ、何か変なもんを俺の口の中に流し込んできたんだ。俺、必死で逃げようとしたんだ。けど、誰だか解らない男ふたりに身体を押さえつけられて、逃げられなくて、怖かった」


「……誰だか解らない男って、木村じゃなくて?」


 ハジメは首を横に振り、

「大樹じゃない。あれは、絶対に違う。俺の知らないおっさんがふたりだった。それからようやく解放されて――けど、その流し込まれた変なモノを全部吐き出したら、相原のヤツ、すごい驚いたような顔をして、動揺して――その隙に俺、逃げ出したんだ」


「変なモノって――」


「わからない。なんか、めちゃくちゃ生臭い、どろどろで、つるつるしてて」


 何度も何度も激しくかぶりを振るハジメを、桜は慌ててぎゅっと抱きしめた。


 大丈夫、大丈夫、と何度もその頭を撫でてやり、その唇に優しくキスをする。


 しばらくして落ち着いたハジメは、軽く鼻から息を漏らし、「ごめん」と小さく口にした。


 桜はそんなハジメを、眉間に皴を寄せながら見つめる。


 いったい、ハジメは相原さんの口から何を飲み込まされそうになったのだろう。


 いや、そもそも、いったい相原さんはどうしてそんなことを――ハジメに――


「……本当に相原さんだったの? 相原さんに似た、別の人ってことはない?」


 にわかには信じられなくて、桜はもう一度確かめるように、ハジメに問うた。


 ハジメは「わからない」と呟きながらも、

「でも、アレは、絶対に相原だった。あの長くて黒い髪、高い背、細い身体――違う、違うんだ。アレは、アイツは」


 ハジメはじっと桜に視線を向けて、怯えたような表情で、改めて口にする。


「……アイツは、相原奈央じゃない」


「それ、どういうこと? 今ハジメが言ったばっかりじゃん。アレは、絶対に相原さんだったって」


 するとハジメは再び激しくかぶりを振ってから、

「――身体は相原奈央に間違いない。けど、中身が全然違ったんだ」


「中身が違うって……」


「あれは、たぶん――」


 ハジメはごくりと唾を飲んで、怯えたような瞳を桜に向ける。


「――喪服の女」


 ハジメの口にしたその言葉に、桜は小さく息を飲み、ぞくりと背筋が凍るのを感じたのだった。

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