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闇に蠢く  作者: 野村勇輔(ノムラユーリ)
第2部 第3章 闇の抱擁
116/261

第5回

   3


 響紀は再び途方に暮れていた。いったいどこから調べればよいものか、どんなに考えても思い浮かんでは来なかったのだ。これでは振り出しに戻ったような気がしてならなかったが、けれど結奈は結奈で喪服のあの女について調べまわってくれているのだから、こんな所で無為に時間を過ごすわけにはいかなかった。


 結奈だって言っていたではないか。とにかく動かないと、何かを始めないと、と。実にその通りだと響紀は頷き、一歩足を踏み出した。


 あのあと、結奈は二人で一緒に行動するよりも、それぞれが別々に調べた方が効率がいいだろうと言って、ひとりどこかへ行ってしまった。曰く、自分の知っている人づてを使って、より詳しくあの喪服の女の生前について調べるのだという。その間、響紀にはそれとは別の、死者から見た死後の喪服の女や、それに付き従っている者たちについて、もっと詳しく調べてみて欲しい、そんな無茶を言い残していったのだ。


 しかし、そんなこと言われたって、どうやって調べたらいいものか、響紀にだって解るはずがなかった。死して数日しか経過していない、いったい何をどうしたらいいのか解らない状態のこの俺を、ひとり放置していくとは何事か、と軽く憤りを覚えてしまうほどだった。


 いまだ雨は降り続き、響紀の身体を槍のごとく貫き地に落ちていく。死んでいるのだから衣服など着ているはずがない。着ているはずのないものが雨になど濡れるはずがない。それなのに響紀の衣服はまるで生きていたころのようにびしょ濡れで、だからこそ自分が死んでいるという事実を、改めて実は夢だったのではないかと思わせた。


 確かに自分の姿は結奈以外の生者には見えてはいない。見えていないだけでなく、すれ違う際に、本来ならば肩がぶつかるような距離でもすり抜けてしまう、それが確かに響紀が死者であることを認めざるを得ない、何とも悔しい気持ちにさせた。


 今頃母は病院で、淡々と流れる時を一人寂しく過ごしているのだろう。それが何とも悲しくて、口惜しくて、響紀は道を歩きながら鬱々とした気分に苛まれた。


 こんな気持ちになったのはいつ以来だろうか。いや、ない。おそらく、こんな気持ちになったことなんて、これまでの人生で一度だってなかった。祖父や祖母が亡くなった時だって、こんな喪失感に襲われたことはない。自分に最も近しい人間であるからこそ、これほどまでに虚しい心持にさせるのだ。


 響紀は深い深いため息を一つ吐いた。しかし、このため息ですら、本当に吐いているのかすら、自分には判らなかった。何しろ自分には肉体がない。肉体がないということは吐くべき息がない。何しろ呼吸をおこなう肺という臓器だって、当然のように有りはしないのだから。ならば今自分が吐いたこれはいったい何なのか。吐いたと思い込んでいるこの息と思しきものは何なのか。


 解らない、判らない。わからない。


 結奈と行動を別にしてからというもの、どういうわけか俺は気弱になってしまったらしい。何がそうさせたのか判らないけれど、或いは自分の存在を唯一認識してくれる生者である結奈に、どこか依存しつつあるのかも知れなかった。


 たぶん、これが結奈の言っていたアレだ。


『死者は死んだことで孤独を得る。孤独を募らせて、救いを求めて彷徨って。そうして自分の姿や声を認識できる生者が現れた時、そこに救いを見て取り憑き、害を成す。そこに悪意があろうがなかろうが関係ない。何故なら、彼らはただ、死と孤独から救われるのを望んでいるだけだから』


 今の俺は、そんな奴らとどこが違う? 何が異なる? この気持ちが、虚しさが、寂しさが、心細さが、俺という存在、いや、存在しているかどうかすらあやふやな、この『何か』を唯一認識してくれる結奈を――救いを求めて――俺は。


 その時だった。


 何かじんわりと暖かなものが響紀の右手首に感じられた。見れば、香澄から貰ったブレスレットが微かに輝いている。その光は淡く、優しく、まるで響紀の虚しい心を癒してくれるかのようで。


「……そうだな」


 響紀は一つ頷き、そのブレスレットを左手で軽く包み込んだ。瞼を閉じて、もう一度大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。そうしていると、今まで淀んでいた心のわだかまりが、徐々に徐々に薄まっていくような気がした。


 そうだ。俺までアイツらと同じようになってはいけない。俺は、アイツらとは違うんだ。何が、とは言わない。そんなの、俺にだって解らない。けれど、俺は誓ったのだ。母や父や、そしてあの喪服の女に狙われている奈央を、俺の大切な家族を、アイツらから守るのだと心に強く刻み込んだのだ。


 ――そう、心。


 俺が何者であるかなんて、本当にここに『存在』しているのかなんて、そんなものは関係ない。


 幽霊、というものが『存在』するのであるならば、恐らくそれは『心』だ。


 肉体を失い、『心』だけの『存在』となったもの、それが俺やアイツら。


 たぶん、そういうことだ。


『心』であるからこそ、悪意もあれば善意もある。そこは生きていたころと何一つ変わらない。変わったのは、そう。肉体があるかないか、ただそれだけだ。


 幽霊――魂――心。


 心は変わるものだ。改心する、ともいうじゃないか。


 ならば、あの喪服の女だって、どうにかすれば、きっと――


 響紀は大きく頷くと、じっと目の前に見える、峠への道を睨みつけた。


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