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残念な戯言的散文

“働きたくない”は、お金持ちの第一歩。つまりは、極論。

作者: 残念な戯言遣い

 朝日まぶしいです。

 只今、午前7時ちょっと前。労働するために移動中です。

 お日様って、直接光線を浴びるとこんなにも暖かい。のに、外気と懐は寒いばかりです。∵冬も間近だからですな(この部分を書いたのは、2018年の9月頃)、あとは先月にお金を使いすぎました。過去の(先月の)自分を責めたい、責めたてたいです。


 思えばタイトルが、サイドビジネスの勧誘みたいですね。

 違いますよ。

 断じて、そんなことはないのですが、続けてロバート・トオル・キヨサキ氏の本とか紹介すればそんな感じになるんでしょうな。

 そんな勧誘はしませし商品売買の推奨もしません。安心して下さい、ハイテマスヨ。


 暴言妄言虚言の“残念な戯言遣い”ことアルファタウです。おはようございます、こんにちわ、こんばんわ。

 ネットの世界に挨拶の時間軸をどうすればいいのかは、命題的に無理があると思います。


 さて、設問です。

 何故、人は働くのでしょうか。おっと中二病ですか、いいえケフィアです違います。

 答えは“生きていけない”からです。

 この世の中、(ゼゼ)がないと生きていけません。

 働くコトで対価として、金銭を貰います。

 そういう社会システムです。そこは大前提、諦めてください。

 まず、お金がないと家賃が払えません。電気、ガス、水道、あと飯です。そして税金。実家暮らしをしているとあまり実感がわかないかもしれませんが、全てお金が必要です。

 現代社会において仕事という意味は、金を稼ぐことであり、労働の意味とは経済的活動を行うことになっているのです。

 で、再びタイトルの件なのですが、何故、働きたくないが金持ちへの第一歩なのかですが、注意点として働く=労働=仕事という事をまず忘れてください。あと、働くのをやめたらお金持ちになれるわけでもありません。


 でも、もし労働しなくてもお金が稼げるなら、あなたはそれを実践しますか?


 はぁ?なに言ってんだお前。と思った方、働くも仕事も労働も全部一緒だろうが!とも思った方、これ読めば金持ちになれるんだろ?と思い込んだ方、すいません。

 働く=労働=仕事ということを一度、忘れてみてください。

 もしかしたら三つの言葉を一緒くたにとらえていませんか?この三つの言葉は、決して同じ意味ではありません。

 まず、表記(コトバ)が違いますね。…あぁ、石投げないで。


 働く=目的にかなう結果を生ずる行為・作用をする。

 労働=体を使って働くこと。特に、賃金(ちんぎん)・報酬を得るために、体力や知力を使って働くこと。

 仕事=職業や業務として、すること。


 ほら、意味(シニフィエ)もちゃんと違います。ドャァ…、石ナゲナイデ。

 働く=労働じゃねぇか、と感じる方もいらっしゃるでしょうが違うのです。

 働くとは、結果が生じる行為なのです。

 つまり、対価ありなしは関係ない言葉なのです。対価があろうがなかろうが、“働く”ということは“働く”ということです。

 無償のボランティアだって、りっぱりに“働く”ことなのです。


 働くという言葉の中に、労働と仕事が含まれていると考えてみてください。


 『働く』┳『労働』

     ┗『仕事』


 こんな感じでしょうか。


 じゃあ仕事ってなんやねん、と思たワロタと示唆される方もおられると思います。


 ()()()()は重々承知ですが、あえて断言させていただきます。

 生きるためにご飯を作ったり、

 学び舎で授業をうけたり、

 ご飯食べたり、

 恋したり、

 掃除したり、

 小説を書いたり、

 親に文句言ったり、

 失恋したり、

 親に反抗してみたり、

 絵を描いたり、

 友達とバカな話で盛り上がったり、

 愛し合ったり、

 誰かと喧嘩したり、

 演劇をしたり、

 眠ったり、

 子供と仲直りしたり、

 ビデオゲームしたり、

 YouTubeに投稿したり、

 アニメを見たり、

 宿題をしたり、

 マンガ読んだり、

 スマホでゲームしたり、

 自分が、己自身が生きていく上で必要と思ってしているのならば、これらは仕事だと思うのです。


 逆に労働とは、単にお金稼ぎです。

 言い方の印象を無視すれば、お金儲けです。己の技能や、時間を切り売りして所属している会社や団体に買ってもらっているだけです。中二的な解釈でいうと等価交換って奴です。いや、等価でもナイナイとお思いかもしれませんが。時間・技術を金銭と交換しているのです。

 初めに述べましたがお金がないと生きていけません。そういう社会システムです、そこだけは仕様です諦めてください。大事なことなので二度言いました。…マァ、抜ケ道ガナイワケデハナイデスケド…ガガガ。

 今現在のこの社会というシステムは、金銭的価値をつけることで、経済的優劣を決め、曖昧模糊で不透明な部分の輪郭線浮きだたせ、様々な境界線をつけてきたのです。つけることで業務や作業を細分化させ、個人がその業務や作業を出来るか否かで付加価値というものを見出してきたのです。

 まぁ、それも「そろそろ限界じゃね?」という個人的な意見もあるのですが。この辺は、マルクスさんとかケインズさんとかに並び立つであろう未来の大学者さまが、思考してるでしょうしお寿司、まぁ、誰かがいつか何とかしてくれると他力本願という名の『信じてます』と思っておきましょう。

 それは、さておいて。


 で?結局なに?と、思ったそこのアナタ。


 仕事は金稼ぎじゃねぇんだぜぇ、ということをお伝えしたく筆をとり、仕事≠労働だと主張したいのです。

 論理の中抜きで超理論で何が言いたいのかというと、金を稼ぐ=労働を、“生きがい”にするのはやめといた方がいいですって話なのです。

 

 繰り返して恐縮ですが、お金がないと生きていけませんガチで。マジでガチ。切実に。


 しかしそもそも金を稼ぐ期間は人生において、限られています。22歳から定年が65歳としても43年間です。あとは年金貰いながら、小銭稼ぎで働きにいく程度でしょう。

 43年間、その労働をして、死の床につくとき、「いやー、働いたー労働したわー。稼いだ稼いだ」と満足できるなら、それでいいと思いますし、個人的にはそれ()いいと思います。

 それはとても運がよく幸せなことで希だなと思います。そんな会社、集団があるとしたら、それは経営者が優秀で組織としてしっかりしているか、国家体制としての社会的な勝利です。……えぇ、もちろん眼をそらしたい陰は在りますがねゲフンげふん。


 上記の設問を繰り返します。もし労働しなくてもお金が稼げるなら、あなたはそれを実践しますか?

 言い換えましょう。

 何もしなくてもお金儲けが出来るなら、他にお金を稼ぐ方法を知っていたら、あなたはそれを行動にうつしますか?

 これは新たに商売を立ち上げろ、という意味ではありません。起業をしろだなんて、流石に酷というものです。一から商いを手探りで始めるのは、正直シンドいし。

 それにフリーランスになれと言いたいわけではありません。では、最終的に何を言いたいのか?

 基本的にお金が勝手に入って、増えればオールオッケヰ!ということです。正確に言えば、支出より収入の方が多けりゃいいわけですね。論理の中抜きと、言葉と意味を湾曲させすぎて、ミームが変死体になっているかもしれませんが、知ったことではありません。

 なるへそー。で? どうやんの?

 簡単です。


 投資をしませんか?

 いや、投資を始めてみませんか?


 おっと、急転直下な一言と思われるかもしれません。結局、それかい、と思われる方もおられると思います。

 どこそこの銘柄を買えだの、あれをあのタイミングで買え、チャートの読み方を知れ、などと言及するするつもりは毛頭ありません。啓蒙的なことを言いたいわけでもありません。

 なので、考え方を変える必要もありせん。ただ、こんな考え方が在るんだなホゲーと知って欲しいと思います。

 「は?働きたくないだけど?」と、思ったアナタは外に出て働いてください。アナタのような人のお陰でこの社会この経済この国は廻っています。本当にありがとうございます。

 投資に回すお金がないんです、という方、大丈夫です。別にお金がなくても投資は始めれます。十万円どうにか用意できれば、始めれます。ちなみに僕は五千円から始めました。

 ちなみに投資とは、将来的に資本(生産能力)を増加させるために、現在の資本を投じる活動を指します。

 気楽気長に考えてみてください。

 100円が二年後、200円になってたら嬉しいよねって話でした。資本があれば、用意する100円を1000円に出来るくね?という話です。

 10代の方、朗報です。小遣いを少しずつ積み立てて、今すぐ投資を始めれば、二十年後にはお金持ちになっている可能性があります。ただし可能性です。ただし自己責任で、という奴ですね。

 さて、タイトル回収もしたところで……。




 こういう考え方は、お金に限ったことではないのではありませんか。作品を作るという点でも同じだと思うのです。

 完成させた作品が一つある状態で、新たな作品を発表するのと、何もない真っ新な状態で作品を発表するというのは違います。

 「ナニイッテンダ此奴」と思われた方、安心してください、通常運転です。前提の話が長々となりましたが、ようやく述べたいことが書けます。


 作品を創るという行為は、未来、もしくは時間への投資だと思うのです。


 自分が生きていく中、作品を創らないと死ぬ、もしくは死んでしまうかもしれない位に息苦しくなる人はいらっしゃると思います。かく言う僕も其の一人です。

 ならば発表しませんか?

 書きかけでも、未完でも、発表しませんか?

 人の眼にとまる場所に作品を示さなければ、創る行為は時間の消費に成りかねません。そこでネット投稿です。

 デジタルタトゥーが……と恐れ、まだまだ未熟でと尻込みし、延ばし延ばしになっているモノを投稿、発表してみましょう。ネット投稿の凄いところは、書き直しがいつでも出来るというところです。投稿して数年経って気に入らなければ、書き直せるのです。一から創るのでなく、手直しする、これってとんでもなく素晴らしいことだな、と思うのです。

 創作でいつもエネルギーを消耗するのは、ゼロからイチにする時だと痛感しています。しかし、すでに在るモノに手を加えることは、それよりも安易でエネルギーの消耗が少ないと思えるのです。其の余ったエネルギーでまた別の新たな作品を創りませんか?

 いわゆる自転車操業ですが、時短に繋がる創作への思考方法なのではないかな、と思います。

 それにその作品が未完でも、低評価でも、低pvでも、次回作につながると思うんです。次出すときに、楽になると思うのです。


 どうですか?

 時間への投資、始めてみませんか?


 実際の投資もそうですが、自己責任ですけど。

I'm quietly cheering.

アナタを。そして、自分を。

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