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第一章 9


(……うう、……)


 すっかり夜も更けた頃、ミーアは倉庫の隅で小さくうずくまっていた。

 運の悪いことに少し前から雨が降り始めてしまい、ふっかふかだったミーアの毛並みは、今はぺったりと体に貼りついている。

 髭も心なしか下向きになり、ミーアはいよいよ惨めな気持ちで『ぶな……』と零した。かろうじて屋根のある場所を見つけたものの、体は冷えきりガタガタと震えている。


(さ、寒いですわ……そうか、夜ですものね……)


 いつもであればこの時間は、侍女のレナから着替えを手伝ってもらい、最高級のナイトドレスと毛布にくるまれて、ぬくぬくとした寝台で夢を見ているはずだった。

 だが猫になったミーアにそんなものはあるはずがなく、硬い石の上で雨と風による寒さを耐え忍ぶのに精一杯だ。


(誰か……誰か助けてくださいませ……)


 するとそこに、誰かの人影が見えた。

 今までの経験から、ミーアは慌てて立ち上がると、ぎゅっと身を押し固める。ふうう、と知らず口から威圧の声が漏れたが、その人物はミーアを捕まえるでもなく、ただ穏やかに声をかけてきた。


「あなたもしかして、邸に忍び込んだっていう野良猫?」


 その顔を見て、ミーアは目を見開く。


(レ、レナ! レナじゃありませんの!)


 少しだけ警戒を解いたミーアに対し、レナはなおも優しく話しかける。


「大丈夫? 怪我はしていないみたいだけど……ここにいると危ないから、早めに逃げた方がいいわ。奥様が大変なことになって、みんな気が立っているみたいだから……」


(わ、わたくしがその奥様ですのに!)

『ぶ、ぶなーーぶにゃにゃーー』

「分かってくれるのね。今夜は雨が降っているし、休んでいていいから……朝になったらお願いね」

(ち、違うんですったら! どうして伝わりませんのー!)

『なー! ぶにゃー!』


 どんどん食い違う会話に、ミーアは頭を抱えたくなった。だがレナはふふと穏やかに微笑むと、倉庫の中から一枚の毛布を取り出してくれる。


「これ、捨てる予定だったからあげるわ。あったかくして風邪ひかないようにね」


 丸めて置かれた毛布の上に、ミーアは恐る恐る足を進めた。手足を縮めて丸くなると、意外なほど収まりがよく、ミーアはほっこりと髭を上向かせる。

 それを見たレナは、ミーアの頭をひと撫でして、使用人棟へと戻って行った。


(レナ……)


 人間だった頃は、お説教ばかりで口うるさい侍女だと思っていた。

 だがこんな薄汚れたミーアに対しても、追い出すでもなく優しく接してくれる。かつて厳しく当たってしまった日のことを思い出して、ミーアはそっと毛布に頬を擦り付けた。


(早く、人間に戻りたいですわ……)


 レナがくれた毛布は本当に暖かく、ミーアは手足を体の下に押し込めるようにして丸くなる。やがて疲れが限界に達したのか、ふつりと糸が切れるかのようにミーアの意識は離れていった。






 一夜明け、毛布の中で目を覚ましたミーアはしょんぼりと髭を落とした。体は相変わらず、不格好な猫のままだ。


(全部夢だった、……なんて、あるわけないですわ……)


 これからどうすればいいのか。

 レナに言われた通り、この家にとどまり続けるのは危険だ。かといってここからミーアの実家までは相当の距離があり、この短い足でとてもたどり着けない。

 それにミーアとしても、この姿のまま一生を終えるつもりはなかった。


(……わたくしの体が無事な以上、戻れる可能性はあるはずですわ!)


 あの魔術師は無理だと言っていたが、魔女を捕まえれば人間として甦れるに違いない――と、ミーアは己を奮い立たせるように立ち上がった。

 すると正門が開き、たくさんの男女が本邸へと入って来る。

 それを目撃したミーアは思わず目に涙を浮かべた。


(み、みなさん! 来てくださったのですね!)


 それは昨日お茶会を共にした、ミーアの旧友たちだった。ミーアの一大事を聞きつけて駆けつけてくれたのだろう。

 玄関ホールで執事に挨拶をする彼らの背後を通り抜け、ミーアは一足先に礼拝堂の建物へと向かった。さすがに中から入ることは出来ないため、外から覗く作戦だ。礼拝堂の窓でミーアが待機していると、やがてクラウスと執事、旧友たちが室内に現れる。

 棺で眠るミーアを前に、旧友たちは口々に嘆き悲しみ始めた。


「ミーア! ああ、なんていうことだ……!」

「魔女の呪いですって……なんて恐ろしい……」

「こんなに美しいのに……亡くなられているんですね……」

(まだ死んでいません! 死んでいませんわよ!)


 女性陣は棺に手を添えて涙を流し、男性陣もまた沈痛な言葉をミーアに捧げている。やがてクラウスが、掠れた声で彼らに問いかけた。


「急に呼び出して申し訳ない。この中で、ミーアを襲った魔女に心当たりがある者はいないだろうか」

「と、言われましても……僕たちはお茶会に呼ばれただけでしたから……」

「ミーア様は最後まで、私たちを見送ってくださいましたわ。その時には魔女の姿なんてありませんでした……」


 皆がうんうんと同意するのを見て、クラウスは俯き、短い感謝の言葉だけを残した。

 その後、ひとしきりミーアとの別れを惜しんだ旧友たちは、執事に連れられ礼拝堂を後にする。それを見たミーアは再び、猛ダッシュで玄関へと駆け戻った。


「――それでは、レヒト公爵様によろしくお伝えください。僕たちで協力できることがありましたら、何でもお力添えいたしますと」

「旦那様もお喜びになられると存じます。本日はありがとうございました」


 執事に見送られた旧友たちは、馬車へ戻るべく正門までの道を歩き始めた。その途中、なんとかして彼らに接触できないかとミーアはタイミングを計る。


(皆さまでしたら、わたくしのことに気づいてくださるかも!)


 万一ミーアだと分からなくても、優しい友人たちのことだ。家に連れ帰って食事と寝場所を与えてくれるかもしれない、とミーアは必死になって彼らの後をつける。

 だがその直後、衝撃的な言葉が一人の令息の口から零れた。



「……あーあ、せっかくのいいコネだったのになー」

「ほんと、ちょっと褒めておけばすぐ援助してくれるし、助かってたんだけどなあ」

(……え?)


 ミーアは思わず足を止めた。

 すると男性陣の前を歩いていた女性陣が、ちょっとーと笑いながら諫める。



 

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