第三章 6
一体どうやったらこんな壊れ方をするのか――
と言いたくなるような惨状の玄関を前に、魔女ははああとため息をついた。
「ちょっと、いきなりあんまりじゃない?」
「ミーアを返せ」
クラウスはそのままどかどかと部屋に踏み込むと、魔女に剣を向けた。黒髪の合間から覗く赤い目は、睨まれるだけで気絶しそうなほどの気迫を帯びている。
その姿を見たミーアは喜びのあまり、籠の中でぴょんこと飛び跳ねた。
(クラウス様! 助けに来てくださったのですね!)
でもどうやってこの場所が……と首を傾げるミーアの疑問を晴らすかのように、魔女が眉間に皺を寄せて尋ねる。
「……なるほど、あなたがこの子の主人ってわけね。どうやってこの場所を?」
「首輪に、魔術師による祝福をかけていた。ミーアがどこに行っても分かるように」
「へえ魔術師……そこまでするほど、この子が大切なのかしら」
(こ、これが……修羅場、というものでしょうか……)
一触即発の二人の空気に、ミーアの毛並みは過去最高に逆立っていた。全身を伝うびりびりとした緊張に、ミーアは息をすることすらはばかられる。
(ふ、二人とも、落ち着いてくださいませ……まずは話し合いを……)
『ぶ、……ぶにゃ、……うにゃうるにゃ……』
だがミーアの必死の説得は届くはずもなく、魔女は脇に置いてあった杖を掴むと、その先端を今にも斬りかかってきそうなクラウスに向けた。
『――光よ!』
途端に部屋の中が白く染まった。まるで目の前で太陽が生まれたかのように眩しく、ミーアとクラウスはたまらず目を瞑る。
するとミーアの入っていた籠が荒々しく揺れ動き、そのままふわりと宙に浮かび上がった。そのまま魔女の手元に移動させられる。
(な、なんですの⁉)
『ぶにゃあ⁉ ぶるにゃあ!』
「ミーア!」
「……あんたの相手は私。家を壊しておいて、ただで済むと思わないでよね!」
クラウスが駆け寄る間もなく、魔女は杖を床につくと『大地よ!』と叫んだ。すると床板を突き破って巨大な蔦が這い出し、クラウスの両足を拘束する。
「――くっ、……ミーアを攫ったのはお前の方だろう!」
「なんのことかしら?」
クラウスは引き縛る蔦を剣先で掻き切ると、魔女に向かって斬りかかった。だが刃が貫通した瞬間、魔女の体は煙のように霧散する。
『――霧よ』
「……ッ、ミーアを、返せッ……!」
クラウスが魔女の本体を求めて振り返る。
すると先ほどの蔦が巨大化し、今度はクラウスの剣と手首を締め上げ始めた。一つは首にまで巻き付いており、クラウスは苦し気にうめき声を上げる。
「――っ、くそ……」
(クラウス様!)
ミーアはたまらず魔女に向けてぶにゃあぶにゃあと非難の声をあげた。だが魔女は「うるさいわね」と言外に顔を顰めると、再度クラウスに杖を向ける。
「とりあえず、これで反省してもらうわね」
(な、何をなさるつもりなの⁉)
魔女はにっこりと微笑むと、自らの周りに氷塊をいくつも生み出した。それらは次第に円錐状に尖っていき、鋭い切っ先がすべてクラウスに向けられる。
それを見たミーアはさらにぶにゃぶにゃと騒ぎ立てた。
(だめですわ! そんなことしたら、クラウス様が死んでしまいますわ!)
『ぐるるるるにゃー! ぶにゃう! にゃう!』
「ご主人が危険で怒っているのかしら。でも仕方ないわ」
魔女は静かに微笑むと、優雅に手首を振った。
それを合図に氷柱たちは、クラウスめがけて一直線に飛翔する。
(クラウス様‼)
だがクラウスもすんでのところで蔦を断ち切ると、すぐに体の前で剣を構えた。
次々に襲いかかる氷の刃を前に、一つも欠くことなく綺麗に叩き切る。真っ二つになった氷の欠片が床に転がり、魔女はわずかに片眉を上げた。
「やるじゃない」
「ミーアを返せ」
「さっきからそれしか言えないの?」
クラウスは靴裏を強く蹴り、魔女との間合いを一気に詰める。
だが魔女も杖を横にして応戦しており、両者とも一向に武器を収める様子はない。ここまでの騒動で窓ガラスはほぼ損壊し、棚も花瓶も倒れ放題だ。
(あああ、このままでは、二人とも……)
なんとかしなければと、ミーアはがしがじと自らが閉じ込められている籠をかじる。するとこの騒動で緩んだのか、出入り口がわずかに緩んでいた。
ミーアはそれを見逃さず、はっしと鍵をこじ開ける。
だが突然、横っ面を張り飛ばされたような衝撃がミーアを襲った。
『ぶにゃっ!』
気づけばミーアは籠ごと壁に叩きつけられており、それを見たクラウスが絶叫する。
「ミーア!」
「あなたが無茶するから、手元が狂っちゃったじゃない」
不機嫌そうに眉を寄せる魔女に対し、クラウスはミーアを助け出そうと、壁に向かって走り出す。
だがそんなクラウスの足元が、突如として凍りついた。
比喩ではなく文字通り――床からクラウスの膝あたりまでを、氷の枷が覆いつくしている。
(クラウス様!)
『ぶにゃう!』
「――くっ!」
「そんな猫に気を取られるからよ。そこまでその子が大切なわけ?」
「当たり前だ!」
食いしばる歯の間から、抑えきれない怒りと苛立ちをクラウスが漏らす。魔女はそんなクラウスを静かに見つめていたが、やがてくすりと微笑んだ。
「そう――幸せな猫ちゃんだこと」
すると魔女はクラウスに向けて、再び氷の刃を作り始めた。
先ほどの攻撃が児戯に思えるような――一つの巨大な氷の槍。
その刃先は向こう側が透けて見えるほどの、恐ろしい透明度を誇っている。
(い、いけません! あんなものが刺さったら……!)
クラウスもさすがに驚いているのか、赤い瞳を大きく見開いていた。魔女はゆっくりと腕を掲げ、クラウスに向けて凛然と告げる。
「まったく――どこの誰だか知らないけれど、魔女の家に押し入って、無事に帰れるとは思わないことね!」
(――!)
その言葉に、ミーアはぴんと耳を立ち上げた。
だがその間に魔女はゆっくりと口角を上げ、指先を優雅にクラウスへ向ける。研ぎ澄まされた刃がクラウスを捉え、瞬きの合間に放たれた――
とてつもない轟音が壁を伝い、部屋中に響き渡った。
立ち込める木屑と砂ぼこりの中、クラウスはうっすらと瞼を押し上げる。
(……?)
クラウスはすぐに自らの体を確認した。
だが痛みはなく、胴体にも頭にも怪我は見られない。振り返ると、頭から数センチずれた位置に氷の槍が突き刺さっていた。
やがて不明瞭な視界の先から、魔女の奇妙な悲鳴が上がる。
「いやーー!」
「……?」
少しずつ室内の粉塵が晴れる。
クラウスの目に留まったのは、魔女と――その顔にべったりと貼りついた銀色の塊だった。
ふわっふわの毛並みで出来たそれは、魔女に向かって勇猛に『ぶにゃん、ぶにゃん』と騒ぎ立てている。
(クラウス様を、殺させは、しませんわよ!)
『ぶにゃう! うるにゃーう!』
「ちょっと何するのよ! やだっ、口に毛が入る!」
(絶対絶対、離しませんわー!)
『ぶるにゃうう! うなーお!』
「……ミーア……」
それを見たクラウスは、魔女にどう声をかけるべきか迷い――とりあえず剣を鞘に納めた。





