第一章 2
「――もう結構です。下げてください」
「お、奥様、ですが……」
「部屋で休みます」
大量に残された晩餐を見て、使用人たちは気まずそうに目配せをした。だがミーアは一切構わず椅子から立ち上がると、そのまま足早に自室へと向かう。
その背中をミーアの侍女であるレナが慌てて追いかけた。
「奥様、もう少しお食事をとられませんと、さすがにお身体に障ります。旦那様も悲しまれるかと……」
「わたくしがどうなっても、クラウス様は何も感じませんわ」
「で、ですが……」
口ごもるレナを見て、ミーアは煩わしそうに眉を寄せた。
レナはクラウスによって勝手にあてがわれた侍女だったが、どうにも口うるさく、ミーアの行動をいちいち諫めてくる。
(わたくしのお友達でしたら、こんなこと絶対に言いませんのに……)
ミーアの友人たちは年も近く、男爵や子爵のご令嬢ばかりなので、言動も立ち振る舞いも洗練されている華やかな女性ばかり。
しかしレナは家柄こそしっかりしているものの、ミーアより随分と年上で化粧もドレスも地味。一年付き合った今でも、どこかあか抜けない印象をぬぐえないままだ。
「だってそうでしょう? もう三日も仕事だと言って出かけたまま……クラウス様は、きっとわたくしよりも仕事の方が大切なのですわ」
「そんなことはございません! 旦那様はいつも奥様のことを大切に思って、そのためにいつもお仕事を……」
「本当にわたくしのことが大切なのでしたら、仕事よりも、わたくしにもっと向き合ってくれるはずではなくて⁉」
強く言い返すミーアに対し、レナは口をつぐんだままだった。
その態度にさらに苛立ちを覚えたミーアは、心の中だけで不満を漏らす。
(そうですわ……そうでなければ、おかしいですもの……)
この一年、クラウスは仕事だと言って毎日執務室に籠っていた。ひどい時は食事を部屋で済ましてしまうこともしばしばだ。
視察に行く時も決してミーアを同行させないし、いつ帰るといった予定を知らせることもない。
もちろんミーアも最初のうちは、クラウスのことを知ろうと努力した。だが何を話しかけても彼は冷たく応じるばかりで、ミーアの目も見ようともしない。
一か月を過ぎたあたりでミーアも腹を立て、こうなればクラウスが自分のことを意識するようになるまで、絶対に話しかけませんと意地になった。
しかしそう簡単にクラウスの態度が改まるわけはなく――結果としてミーアはいつも一人で食事をし、クラウスがどこで何をしているかも知らないまま、邸で寂しく過ごす日々を送ることとなったのだ。
「……ごめんなさい。あなたに言っても仕方のないことでしたわ」
「奥様、あの」
「今日はもういいわ――おやすみなさい」
懸命に慰みの言葉を探すレナに向けて、ミーアはあっさりと拒絶を示した。レナはわずかに唇を噛んだが、すぐに頭を下げて退室する。
その姿を見て、ミーアははあとため息を零した。
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「ミーア、どうだい? 結婚生活は」
「……こんなに、つらいものだとは思いませんでした……」
はああと零れ落ちるため息を前に、ミーアの友人たちは一様に苦笑いを浮かべる。今日はレヒト公爵家の中庭で開催されている、ミーア主宰のお茶会だ。
招待客は以前社交界で知り合った、男爵や子爵の後継者や未婚の令嬢たち。高級な茶器や渡来品のお菓子を前に、優雅な午後のひと時を過ごしている。
「もちろん生活には不自由しておりませんわ。こうして好きな時にお茶会を開いたり、欲しいと言えばすぐにドレスも仕立てていただけます。宝石だって商家に好きなだけ頼んでいいと言われていますし……」
「あら、優しいじゃありませんか」
「でも! ……でも、全然笑ってくださいませんの。いつ見てもこう、厳しいお顔をされていて……わたくし、嫌われているのではないかと……」
「ミーアを⁉ それはあり得ないよ。こんなに可愛らしい女性、この国のどこを探してもいないのに!」
一人の男爵令息が、大げさに肩をすくめる。
するとそれに対抗するように、他の男性たちも我先にとミーアを褒め称えた。次いで女性たちも賛同する。
「そうだよミーア。君は本当に美しい!」
「ああ。僕の家が公爵家であれば、今すぐにでも君を連れ去りたいよ!」
「レヒト公爵様はこんなに素敵な妻を持てて、本当に幸せ者ですね」
「本当に、羨ましいですわ」
「ふふ、皆さん。冗談でも嬉しいですわ」
ありがとうございます、とミーアが微笑むと、男性陣は一斉にぽうっと頬を染めていた。
女性陣もまた、はかなげに涙を滲ませるミーアを前に「大丈夫ですわ」「心配ありませんわよ」と口々に慰める。
こうしていつもの仲間に励まされることが、最近のミーアにとっては一番の癒しであった。