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第二章 3



(ぜっっったいに嫌ですわーー!)


 主寝室に入ってから三十分。

 ミーアはガウンに着替えたクラウスと睨み合っていた。


「ミーア、おいで」

(どうして! 猫のわたくしならよくて、人間のわたくしではダメですの⁉)

『ぶなうぁう! ぶにゃーー!』


 かつてないほどの警戒心を露わにするミーアを見て、クラウスは困ったように眉を寄せていた。

 だがミーアにも人としてのプライドがある。


(初めての夜がこんな、ね、猫の姿だなんて、わたくし絶対に嫌ですわ!)

『ぶにゃぅ、にゃーーう!』

「だめか……」


 やがてクラウスは頭をかくと、寝室の隅にミーア用の籠を出してくれた。


「おやすみ、ミーア」

『……』


 最後の抵抗とばかりに返事をしないミーアに、クラウスはしょんぼりと肩を落としていた。

 それを見たミーアの心はわずかに痛んだが、わたくしのプライドだって傷ついているのですわと憤り、ふんすと前足を伸ばす。


(誘ってくださるのなら、ちゃんと人間のわたくしにしてくださいませ!)


 ぷんぷんと頭から湯気が出そうな気迫のまま、ミーアは用意された籠に乗り込んだ。凍える心配のない暖かさに守られながら、ミーアはすぐにまどろみ始める。

 だが眠りに落ちる寸前、聞き慣れない音を耳にし、思わずぴくんと揺らした。


(――泣き声?)


 気のせいかしら、とぼんやり意識を呼び起こす。だがどうやら幻聴ではないらしく、ミーアはそうっと体を起こした。

 灯りのない真っ暗な室内は、普段のミーアであれば何も見えなかっただろう。だが猫になっている今のミーアには、部屋の中の様子がはっきりと視認出来た。


(……部屋の中からですわ)


 まさか、と思いつつもミーアは籠から出て、音を立てないようそろそろと足を進める。クラウスの寝台は脚が高く、ミーアは登れるだろうかとごくりと息を吞んだ。

 ここまで来て引き下がれませんわ、と覚悟を決めたミーアは、縁に狙いを定めると渾身の力で飛び上がる。


 無事着地――と思ったが、体が重たいせいか、ミーアは後ろ脚の片方だけをずるりと滑らせてしまった。

 声を上げないよう必死に悲鳴を呑み込みつつ、なんとかベッドの上へとよじ登る。天蓋の奥に隠れているクラウスを確認するべく、彼の体を踏まないよう、器用に四つ足を交差させて歩いた。


「……う、……」

(……クラウス様?)


 ようやく枕元にたどり着いたミーアは、呆然としたままクラウスを眺めた。

 初めて見るクラウスの寝顔は――まるでうなされているかのようで、必死に歯を食いしばっていた。眉をしかめ、額には汗が吹き出し……首や鎖骨にまで流れ出ている。

 やがて息も絶え絶えという様子で、クラウスは口を開いた。


「……ミーア……」

(な、なんですの⁉)

「ミーア、行かないでくれ、ミーア……。頼む、俺からミーアを、奪わないでくれ……」


 クラウスの目じりには涙が溜まっていた。

 頬を伝い、枕を濡らす。

 その光景を前に、ミーアは自らの無力さを思い知るかのように愁嘆した。


(クラウス様……こんな時まで、泣いて……)


 ぽたり、ぱたりと次々溢れてくるクラウスの悲しみに耐え切れず、ミーアは思わず体をすり寄せると、彼の頬に自身の額をぐりぐりと押し付けた。

 突然の感触に、クラウスはすぐに目を覚ます。


「……ミーア?」

『……ぅなぅ……』


 自身が泣いていたことに気づいていなかったのか、クラウスは慌てて目元を手の甲で拭っていた。ようやく呼吸が落ち着いたのか、はあと疲れたように息をつく。


「……心配して、来てくれたのか」

『なう。ぶなぁーう』

「……ありがとう」


 クラウスの手が、ミーアの両脇に伸びてきた。

 ミーアはびくりと緊張を走らせるが、ここで逃げ出したらまたクラウスがショックを受けるかもしれないと思い、じっと耐える。

 クラウスはそのままミーアを抱きしめると、一緒に毛布の中で横になった。しっかりとしたクラウスの胸板に、髭と頬とをうずめながら、ミーアは真っ赤になる自身へと必死に言い聞かせる。


(こ、これは、違うのです……今は猫ですから、数には入らないのでして……)


 緊張してすっかり目が冴えてしまったミーアに対し、クラウスはしばらくミーアの背を撫でていたかと思うと、やがて穏やかな寝息を立て始めた。

 その様子にミーアはほっと安堵し、なんとか自分も眠りにつこうと目を瞑る――が。


(……眠れるはずが……ありませんわ……)


 クラウスの暖かい腕の中で、ミーアは小さく『ぅなぅ……』とだけぼやいた。






 その後もクラウスによるミーア(猫)の溺愛は続いた。

 仕事中も食事中も、ミーアは大半をクラウスの膝の上で過ごした。もちろん邪魔にならないよう、仕事中は籠で寝ることもあったが、二日も続けるとクラウスが『今日は乗ってくれないのか……?』とこの世の終わりのような顔をするので、ミーアは一日ごとに膝と籠とで居場所を使い分けた。


 視察も極端に回数を減らしているらしく、基本的には日帰りか、長くても一日程度になった。

 おまけに視察から帰ったら帰ったで、会えなかった時間を埋めるかのように、クラウスが過度なスキンシップを図ってくる。

 そのたびミーアはドキドキしてはち切れそうになる心臓を、苦労して宥めなければならなかった。


 ミーアもしばらくは遠慮がちに距離をとっていたが、どうやらミーアが傍にいないことの方がクラウスのストレスになるらしい――そう悟ってからは、彼が望むようにふるまうことにした。

 特に夜は、たびたびうなされるクラウスのために、一緒に眠ることが増えた。

 どうやらミーアを抱いて寝ると、クラウスの気持ちが落ち着くらしく、ミーアは自らの睡眠不足と引き換えにして、彼の眠りを守ることに終始したのだ。




 そしてもう一つ――クラウスが毎日行っていることがあった。


「ミーア、大丈夫か? 遅くなってすまなかった」


 もはや日課となった語り掛けに、クラウスの隣にいた猫のミーアは目を伏せた。

 ここは礼拝堂。

 クラウスは眠り続けるミーアのために、毎日時間を作ってはこうして見舞いに来ていた。優しい表情で、さも生きているかのように声をかけるクラウスに対し、氷漬けのミーアは何も答えない。

 その不自然な時間が、ミーアはたまらなく嫌だった。


「今、君をこんな目に遭わせた魔女を調べさせている。すぐに戻してやるからな」


 そう言うとクラウスは、眠るミーアの頬に手を伸ばした。


「だからもう少しだけ……待っていてほしい」

(クラウス様……)

「本当に……本当に……悪かった……」


 やがてクラウスは、真っ赤な瞳を潤ませると、そのまま静かに涙を零した。ミーアとクラウスしかいない、無音の礼拝堂の中。クラウスのすすり泣く声だけが聞こえる。

 先ほどの痛々しいやり取りも嫌だったが――こうして、毎日のように泣いているクラウスを見るのも、ミーアはとてつもなくつらかった。


 やがて体が冷えてくる頃合いを見計らって、ミーアは『ぶなぁう』と鳴く。すると艶々とした虹彩のまま、クラウスはゆっくりと顔を上げた。不安げに足元にすり寄るミーアを抱き上げると、そのまま寂しそうに礼拝堂を後にする。

 ミーアは自らが眠る棺を振り返りながら、クラウスのことを心配した。


(……このままでは、いつかクラウス様の方が倒れてしまいそうですわ……)


 もう十分だと伝えたくて、ミーアはクラウスの腕の中で再び『うなぅ』と声を上げてみた。

 だが当然真意が伝わるはずもなく、小さな「ありがとう」だけを残して、クラウスは微笑むばかりだ。

 それを見てミーアは、いよいよ不安になるのであった。



 

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