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第二章 クラウスの素顔



 こうして無事クラウスに拾われたミーアは、愛猫『ミーア』として新たな生活を送ることとなった。

 まずは女中から、お風呂場で泥だらけの体をお湯で丁寧に洗ってもらい、最高級のタオルで優しく拭いてもらう。

 涙の跡が酷かった目元も綺麗にしてもらい、ミーアはようやくほうと息をついた。


(……綺麗にはなったけれど……相変わらず、不細工だわ……)


 ミーアは鏡の前で、しげしげと自分の体を眺める。

 試しに前足を出してみるが、鏡の向こうの猫も同じように短い前足を伸ばすだけ。鏡面に肉球を押し当てたまま、ミーアはどうしましょうと眉を寄せる。

 するとそこに、嬉しそうなクラウスがやって来た。


「ミーア、これを」

(何でしょうか?)

『ぶな?』


 クラウスがかざしたのは、立派な宝石のついた首輪だった。

 真ん中には大粒のダイヤモンド。左右にはミーアの目によく似たエメラルドが、個々のわずかな濃度の違いでグラデーションを描くようにずらりと配置されている。

 こんな豪華なものをと驚くミーアをよそに、クラウスは素早く首元に手を伸ばしてきた。


「迷子になるといけないからな」

(く、くすぐったいですわ! それに、ク、クラウス様から直接着けていただけるなんて……)


 人間だった頃のミーアが一度も味わったことのない経験を、猫になって味わう衝撃に悶えつつ、ミーアはそのくすぐったさに身を捩った。

 やがてちゃりという小さな音の後、きらきらとした輝きがミーアの首に宿る。まるで測っていたかのようにぴったりだ。それを見たクラウスはうっとりと呟いた。


「ああ、可愛いな。よく似合っている」

(ま、また、可愛い、なんて……)


 首輪を着けたミーアは、改めて鏡の方を見る。

 人間だった頃は、これよりももっと立派なネックレスや指輪をいくつも身に着けていた。

 だが――そのどれよりも、今身に着けているこの首輪が一番美しく感じられて、ミーアは思わず『ぶな……』と感嘆の声を上げる。

 それを聞いたクラウスも満足したのか、鏡の向こう側でうんうんと頷いていた。


「よし、では行こうかミーア」

(……? いったいどこに行くのでしょうか?)

『なーあ?』


 そう言って首を傾げていたミーアが連れてこられたのは、なんとクラウスの執務室だった。

 結婚当初から入ってはいけないと、釘を刺されていたのに……と愕然とするミーアだったが、驚くのはそれだけではない。


「ほらミーア、おいで」

(……え⁉ ええっ⁉)


 豪奢な椅子に座ったクラウスが、ぽんぽんと自身の膝を叩いているではないか。

 あまりの急展開に理解が追い付かなくなったミーアは、絨毯の上でクラウスを見上げたまま硬直してしまう。

 するとミーアが来てくれないと察したのか、クラウスはあからさまに表情を陰らせた。


「……やっぱりダメか」

(い、いえその、ダ、ダメというわけでは……)


 その顔があまりにも沈痛で、ミーアの気持ちはおろおろと揺れ動く。


(せ、せっかく呼んでくださっているのですから……!)


 ようやく覚悟を決めたミーアは、高級な椅子の縁に前足をかけると、えいやっとクラウスの膝に飛び乗った。

 その瞬間クラウスの表情が、まるでこの世に春が訪れたかのように晴れやかになる。


「ミーア! やっぱりお前は可愛いな……」

(うう、は、恥ずかしいですわ……)


 だがここまで嬉しそうなクラウスを前に、このまますぐに降りるわけにもいかない、とミーアは諦めて短い手足を彼の膝の上で丸めた。しっかりと張った太ももは固く、ミーアは位置を決めかねる。

 なんとか体が落ちつく場所を見つけると、そろそろと体重をクラウスに預けた。

 そこでようやくミーアは『はっ、』と目を見開く。


(わ、わたくしは……何を馴染んでいますの⁉)


 二日間猫生活を続けてきて、だいぶ体が慣れてしまったのだろうか。本物の猫のような行動をとってしまったことに、ミーアはショックを受けていた。

 だがクラウスはそんなことを知るよしもなく、ミーアの背をよしよしと撫でており――それがたまらなく心地よくて、ミーアは次第にうとうとし始める。


(ね……眠たい……でもダメですわ……このまま寝てはクラウス様の、……おしごとの、じゃま、に……)


 必死に瞼を押し上げるミーアだったが、ここ数日の疲れが一気に出たのだろう。クラウスの大きな手のひらに包まれたまま、やがてすやすやと寝息を立て始めた。






 しぱしぱ、とミーアはようやく目を覚ました。

 ぼんやりとした意識のまま、部屋の中にあるはずの時計を探す。


(あれ……どこにあるのでしょう……)


 その時ここが自室ではなく、クラウスの執務室だったことを思い出した。途端にミーアの眠気は一気に吹き飛んでしまい、慌てて今の時刻を確認する。


(――ッ! わ、わたくし、あれから三時間も寝ていましたの⁉)


 さらに肉球に伝う感触に気づき、ミーアは『なああ……』とそろそろと足を上げた。そこには寝落ちた時と変わらない状態で、クラウスの膝がある。


(も、もしかして、わたくしが寝ている間、ずっとこのままの体勢で……⁉)


 動揺したミーアは、今すぐどかなければと立ち上がった。すると当のクラウスは怒るわけでもなく、穏やかな口調で微笑む。


「ん? 起きたのか、ミーア」

(も、申し訳ございません、クラウス様! わたくしとしたことが、こ、こんな重たい体で、長い時間……)

『ぶなーーう、なーーう……うう、……』


 ミーアは必死に謝罪したが、当然クラウスに通じるはずもなかった。だがクラウスはまるでミーアが心配しているのが分かるかのように、そっと額を撫でてくれる。


「良く寝ていたな。気持ちよかったか」

『……ぶなぅ』


 ――正直なところ、相当気持ちが良かった。

 と言うわけにもいかず、ミーアは逃げるように絨毯へと降り立った。するとタイミングよく執事が現れ、食事の準備が出来たとクラウスに告げる。


「――ああ、すぐに行く」


 その瞬間――クラウスの声は怜悧なものに一変し、ミーアはあまりの変貌にびくりと毛を逆立てた。だがその直後、椅子から立ち上がろうとしたクラウスが、突然「いたた……」とひとりごちる。

 どうしたのだろう、と不安げにミーアがうろうろと足元を歩き回っていると、それを見たクラウスが苦笑いを浮かべた。


「だ、大丈夫……少し痺れただけだ」

(い、いやーー!)

『ぶにゃーーあ!』


 やっぱり重かったんだわ、とミーアは半泣きになりながらクラウスの足元をうろついた。



 

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