第一章 10
「言い方酷すぎ。アンタたちだって、ミーアのことさんざん可愛いだの、美しいだの、ちやほやしてたくせに」
「いやー可愛いのは可愛いけど……まあ、それだけじゃん? 世間のこと何にも知らないし……第一結婚してるのに、本気で奪いたいとかないって」
「お前らだって、いつもミーア様ミーア様って、付きまとってたじゃん」
「だって、ミーアがいると見栄えが良いっていうか……パーティーでも『おおっ』って目で見られるじゃない?」
「そうそう。それに欲しいって言ったら、高い宝石簡単にくれたりするし、やっぱり公爵家は違うわ~って感じ」
「てかレヒト公爵様、初めてお会いしたけど噂で聞くよりずっと素敵じゃない⁉ あたし後妻に立候補しちゃおうかしら」
それは、今までミーアが聞いたこともない言葉遣いだった。だが間違いなく彼らの口から発されているのを見て、ミーアは頭を殴られたかのような衝撃に襲われる。
(どういうことですの……? わたくしは、……みなさまは、わたくしのお友達では……)
確かに「少し困っている」という令息の悩みを聞いて、それとなくクラウスに援助をお願いしたことはあった。
欲しいとねだられた貴金属を譲ったことも記憶にあるが、あくまでも友達に対するプレゼントと思ってしたことだ。
しかし今の言葉を聞く限り、彼らにとってミーアは――『公爵家へのコネ』であり、『都合のいい援助元』であり、『見た目は良いけど、何も考えていない綺麗なお人形さん』だったのだろう。
それでも、とミーアは恥を忍んで足を進めた。
彼らに助けを求めなければ生きていけない自分の惨めさに歯噛みしつつ、ようやく彼らの前に姿を現す。
ミーアを発見した友人たちは、あれ、と声を上げた。
「――やだ、猫じゃない?」
「お、ほんとだ」
(お願い……誰でもいいの、助けて……)
すがるような気持ちで、ミーアはそろそろと彼らの足元に近づく。だが彼らはミーアと気付くどころか、接近して来たミーアを見て「うわっ」と嫌そうな声を上げた。
「うわ、近づくなよ。靴が汚れるだろう」
「すっごい不細工。野良猫かなあ」
「公爵家ともあろう方が、こんな猫飼うわけないだろ」
「なんか泥だらけじゃない? 汚いから追い払って」
やがて令息の一人が、威圧的に靴裏を強く地面に叩きつけた。その音にミーアはびくりと肩を震わせたが、辛抱強く彼らの周りをうろうろする。
(お願い! だれか、一人でいいから!)
『なーー! ぶなあーー!』
「ちょっ、変な鳴き声」
「もう、どっか行ってったら」
だがミーアの懇願は届かず、友人たちは毒虫を見るような視線をミーアに向けると、そのまま正門前に留めていた馬車に乗って、各々の家へと戻って行く。
その光景を茫然と眺めていたミーアは、ついに両眼からぼろぼろと大粒の涙を零した。
『……なーーあ……んなーーーーあ……』
すべて嘘だったのだ。
彼らが求めていたのは、ミーアの家柄と見た目だけ。
だからこうして――醜い体と声になったミーアに、気づくこともない。
『なーーあ。ぶなーーーーあ……』
誰もいなくなった広い庭の片隅で、ミーアは一人鳴き続けていた。
やがて日が暮れ、行くあてを失ったミーアは、使用人たちに見つからないようとぼとぼと裏庭をさまよっていた。
『な、……んな……』
鳴き過ぎたせいか、もう声も上手く出すことが出来ない。悲しいことにどんな状況でもお腹は減るらしく、ミーアは再びきゅるきゅるという空腹と戦っていた。
だが昨日の少年に頼ることは難しいだろうと、食べ物を求めて歩き回る。
その途中、厨房の裏に置かれたゴミ箱が目に入った。
何か口にしなければ本当に死んでしまう、と命の危機を察していたミーアは、しばらくその場に立ち止まった。しかしどうしても決心出来ず、くるりと背を向ける。
ふらつく足取りとかすむ視界の中、ミーアはふらふらと足を進めた。
(ここは……礼拝堂……?)
気づけばミーアは、昼間に訪れた礼拝堂の近くに来ていた。
せめて夜露をしのげないか、と残された力を振り絞って窓枠に前足をかける。すると中には、一人で佇むクラウスの姿があった。
(クラウス、様……)
クラウスはミーアの体が眠る棺の前にしゃがみ込み、祈るように体を寄せていた。小さな声が聞こえた気がして、ミーアは平たい耳をぺたりと窓ガラスにくっつける。
『ミーア……ミーア……』
クラウスは、泣いているようだった。
誰もいない、明かりもない礼拝堂で、冷たくなったミーアの前で涙を流している。その光景に、ミーアは再び目じりに悲しみを滲ませた。
(クラウス様……あんなに、悲しんで……)
ミーアは以前レナに向かって、自分がどうなってもクラウス様は悲しまない、と零したことがあった。
だが現実は――見ているこちらがつらくなるほど絶望している。
『ミーア……お願いだ。いますぐ俺の前に戻って来てくれ……頼むから……』
(――!)
クラウスの言葉に、ミーアは思わず声を上げようとした。だがすぐに二の句を呑み込む。よぎったのは、先ほどの旧友たちの言葉だ。
(だ、だめだわ……今のわたくしはこんなに、みっともない、見た目で……きっとクラウス様にも、嫌われてしまいます……)
もしも姿を見せて、クラウスから拒絶されたら――そう考えるだけで、ミーアは生きる理由を失ってしまいそうだった。
絶対に無理、とミーアは一人窓枠を離れ、礼拝堂を後にしようとする。
だが前足を下ろす途中、爪が窓枠にひっかかり、がたんとガラスを揺らしてしまった。まずい、とミーアが思う間もなく、中にいたクラウスと目が合ってしまう。
(に、逃げませんと……!)
だがミーアが動きだすより早く、クラウスがこちら側にある非常扉にずかずかと向かって来た。
外に出て来たクラウスは、あっという間にミーアの前に立ったかと思うと、険しい表情でミーアを睨みつけている。
その迫力は人間時代の数倍は恐ろしく、ミーアは全身の毛をぶわっと逆立てた。
(どどど、どうしたらいいんですの⁉ と、とにかくここから逃げ出しませんと……)
しかし逃げる間もなく、クラウスは上から手を伸ばしてくる。ミーアはひいい、と目を瞑って身構えたが――そのままふわり、と暖かいものに包まれた。
(……?)
恐る恐る目を開くと、そこはクラウスの腕の中だった。高価そうな襟に、汚れたミーアの肉球が触れており、ミーアは慌てて手を離す。
「こら、暴れるな。意地悪しないから」
(ち、違いますわ! このままだと、お洋服が!)
じたばたと体を捩るミーアを、クラウスは服がめちゃくちゃになるのも構わず抱きしめた。
散々な状態になったシャツを目の当たりにして、ミーアはごめんなさい、と耳をぺたりと頭に付ける。
だがクラウスは怒るでもなく、よしよしとミーアの頭を撫でた。
「お前、捨て猫か?」
『……』
「随分やつれているな……ごはんをもらっていないのか」
想像とはまるで違うクラウスの優しい反応に、ミーアは言葉を失っていた。
(てっきり追い払われると思いましたのに……それに、服を汚されたことも気にしていないみたいですわ……)
でもこの姿では……と落ち込むミーアに向けて、クラウスはなおも穏やかに言葉を続ける。
「首輪もないな……こんなに可愛いのに」
(……⁉ い、今、可愛いって……)
「丸々として、手足も可愛い。顔も天使みたいだ」
(――⁉)
そう言うとクラウスは嬉しそうに目を細め、ミーアをそっと抱きなおした。
一方ミーアは、人間だった頃には一度もかけられたことのないような賛辞と笑顔を前に、思考が限界を迎えている。
(な、か、かわい、可愛いって、今の、わたくしが⁉)
「あれ、お前、良く見ると緑色の目なんだな」
(目、目……? そ、そういえばそうだったような……)
「ミーアと同じだ。……綺麗な目をしている」
やがてクラウスはミーアを宝物のように撫でると、よしと小さく呟いた。
「お前は今日から『ミーア』だ」
(は⁉ えっ⁉)
突然のことに、ミーアは「まさかわたくしだと気づいて⁉」と期待に胸を高鳴らせた。
だがクラウスは本物の猫だと思い込んでいるらしく、すりすりと自身の頬をミーアの頭に擦り付けると、柔らかい声で囁く。
「今日からうちに来い、ミーア」
(――ッ、クラウス、様……!)
その過剰すぎるスキンシップに、ミーアは思わず『ぶなあああ……』と降参の声を上げた。その瞬間、自分の口から漏れただみ声が恥ずかしくなり、ミーアは思わず口元を手で押さえる。
しかしクラウスは変な声だと笑うこともなく、驚いたように目を丸くすると、すぐに顔をほころばせた。
「そうか、嬉しいか」
『ぶなあ、んなあーー』
(ぜ、全然伝わっていませんわ……!)
だがしっかりと抱きしめてくれるクラウスの腕の中は、レナからもらった毛布よりもさらに暖かく――ミーアはようやく、クラウスの胸の中で『うなう、うなう』と唸るように延々と泣き続けたのだった。





