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第一章 宝石姫、猫になる。





 最愛の夫、クラウス・ディアメトロはとろけるような眼差しで告げた。


「ミーア……お前は本当に可愛いな……」


 そう言いながら、ベッドの中にいたミーアを抱きしめる。

 ミーアは最初少し苦しそうにしていたが、やがてぷはと毛布から顔を出すと、


『ぶにゃー……』


 とざらざらした声で鳴いた。

 その少々不細工な鳴き声に、クラウスは目を眇めると、愛おしむようにさらに力を込める。その様子にミーアは照れと緊張を覚えながらも、必死になって涙をこらえていた。


(――うう……どうして……どうしてわたくしが、こんな姿に……)


 短い足。

 丸々としたお腹。

 ふわっふわの体毛。


 ――ミーアの体は、猫そのものだった。






 ミーア・キャリエルは、それはそれは美しい少女だった。

 ラヴィニア男爵の令嬢として生まれ、淡いピンクの輝きを帯びた白銀の髪に、エメラルドのように輝く碧眼。

 真珠のように輝く白い肌と、細く均整の取れた手足を持ち、その喉から発せられる声もまた、鈴を転がしたかのような実に可憐なものだった。


 十六で社交界デビューを果たしたその日、付けられた呼び名は『宝石姫』。


 ミーアはどこにいても、キラキラとした光を幻視させるほど華やかで、あらゆる同性異性からの注目の的であった。

 もちろんミーア自身も、そんな自分に誇りを持っていたし、これから先も宝石で着飾り、きらびやかなドレスを纏う――そんな生活が続いていくのだと信じきっていた。


 それが確固たる未来となる保証もあった。

 ミーアの家は男爵という、貴族の中ではもっとも下の格式である。だが輝くばかりの美姫だと聞きつけたレヒト公爵家が『是非自分の息子と婚約を』という話を、早くから持ち掛けてきたのだ。 


 レヒト公爵家と言えば、古くは王族との血縁関係もあるとされる名門中の名門。

 保有する領土も権力もミーアの家とは天と地ほども違い、本来であれば男爵令嬢であるミーアには、提案されるはずがないほど破格の縁談である。



 当然ミーアの両親は快諾し、ミーアも悪い気はしないと喜んだ。

 話はとんとん拍子に進み、ミーアが二十歳の成人を迎えた年に結婚しよう、という取り決めが両家の間で取り交わされた。

 それを聞いたミーアは二十歳までの四年間、花嫁修業や友人らとのお茶会をいっぱい満喫しよう、と胸を膨らませる。



 ――だが事態は一変した。

 レヒト公爵とその妻が、突然事故で亡くなったのだ。

 婚約を決めてから、わずか一年の出来事だった。



 両親は、追悼の意を示すと同時にひどく困惑した。

 ミーアもまた、自分との婚約は白紙に戻されるかもしれないと覚悟した。

 しかし意外なことに契約は継続――しかも約束の二十歳を待たずに、今すぐに結婚してほしいという話だった。


 聞いたところによると、レヒト公爵家には実子がひとりしかおらず、彼が承継しなければレヒト公爵の持つ領地や権利などはすべて国に返還されてしまうらしい。

 だが公爵家の地位を継ぐためには伴侶を有する――つまり、結婚していることが条件なのだという。


 こうしてミーアは十七歳という若さで結婚することとなった。




「ミーア・キャリエルと申します」

「……」


 輿入れを終えたその夜。

 ミーアは自身の伴侶である男の前に初めて立った。

 今まで一度も会ったことが無かったのか、と驚かれるかもしれないが、親によって婚約者が決められることが大半であるこの国ではさほど珍しいことではない。


 特に婚約から入籍までの間がない場合など、男女ともに初夜のベッドで初めて対面することもままあるのだ。

 幸いミーアがいたのは寝台の上ではなく、執務室の中だった。



 レヒト公爵――クラウス・ディアメトロ。


 青みがかった黒髪に、熟した果実のように真っ赤な虹彩。

 歳は二十三と聞いていたが、その険しい視線や固く結ばれた唇を見る限り、とても相応の齢とは思えない厳めしさだ。

 とはいえ、目鼻立ちはすばらしく整っており、美青年と称しても異論は出ないだろう。思いがけない美貌の登場に、ミーアはつい顔をほころばせる。

 だが次にかけられたのは、低く冷たい言葉だった。


「両親の遺志である以上、契約は果たす。だが俺に期待はするな」

「は、はい……」


 ミーアはすぐに唇を引き結んだ。

 美しい相貌であるがゆえに、そこから発せられるクラウスの声は、常人の何倍もの怜悧さを孕んでいる。

 クラウスはそのままミーアの姿貌を観察していたが、すぐに睫毛を伏せ、扉の傍にいた執事に声をかけた。


「彼女を部屋へ。邸の中は自由に歩いていい。ただしこの部屋には立ち入るな」

「わ、わかりましたわ……」


 執事に促されたミーアは、退室する前に一応頭を下げた。

 だがクラウスは執務机に向かったまま顔を上げる素振りも見せず、その態度にミーアは心を陰らせる。


(初めての挨拶、でしたのに……)


 今までミーアと出会った人たちは、ひとしきり彼女の美しさを賞賛した後、お茶を交えながらあれそれと話題を振って楽しませてくれたものだ。

 ミーアもまたそれが当然と思っており、あまりのあっけなさに逆に不安になってしまう。


(でも夫婦となったからには、これからたくさん話す機会もあるでしょうし……)


 心に浮かんだ憂慮を吹き飛ばすように、ミーアはふるふると首を振る。改めてよしと気合を入れなおすと、用意された自分の部屋へと向かった。



 こうして最悪の出会いで始まった二人の結婚。

 それでもミーアはいつか必ず、愛し愛される素敵な夫婦になれるのだと信じていた。

 

 だが翌日も、その翌日も――一年経っても、ついぞ状況は変わらなかった。


 


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