13-7 戦々恐々の日々③
結局他クラスとのペアで成されるグループ分けが通達される事はなく、あっさりと土曜日を迎える。俺の計画としては林さんとのペア行動の方が楽だったので、あまり気にしない事にした。いつまでも惑わされる方が不利益だ。
そして今日は先輩達の大会の日なのだが、1年生選手は誰もいない事と、異能実習試験間近という事も加味され、1年生は自主トレーニングとの通達を受けていた。大会に同行し、客として観戦する事も当然認められているので、勝也と三神はトレーニングを嫌い、この場の集まりには参加していなかった。
俺は勝也と三神を呼び止める事はしたのだが、俺の静止を振り払い、旅立った時は少しセンチメンタルになってしまった。
女の子の方は全員トレーニングに参加しており、男女比率1:7という驚異的な数値の元、狭苦しい思いをしていた。俺としては女の子の囲まれるのは嬉しい事なのだが、ここまで比率が狂うと、正直俺のキャパを超える。それに女の子が全員可愛い事もあり、周りから向けられる嫉妬の目線はグサグサと俺に刺さり続けた。俺は男共に敵意を向け続けられる中で過ごしたいとは思わない。
俺が確実に精神的ダメージを負う中、思わずため息を吐こうとして、先を越された訳ではないが、左隣から大きなため息が聞こえてくる。今隣に座る人物とはかれこれ1ヶ月の付き合いだが、ため息を吐いているのを見聞きしたのは初めてだった。
「中条さん何か悩み事?俺で良ければ話を聞くけど。」
「え、ううん大丈夫。気にしないで。」
そう言って朗らかに笑い身振り手振りで誤魔化しているが、あまり顔色が優れていない。元々色白い顔だが、血の気が引いた様に更に白く見えた。そんな中条さんを見て、流石に心配したのか、西川さんが声を掛けた。
「桃ちゃん本当に大丈夫?今日はもう帰って寝た方がいいんじゃない?」
「奈緒ちゃん……やっぱり分かっちゃう?」
「うん、桃ちゃんのため息なんて初めて聞いたし、なんかいつもより元気がない気がして。」
そこで中条さんは目を細め、何処か遠くを見つめる。確かにここまで元気がない中条さんは俺も初めて見た。元気が取り柄の1つである彼女にとっては、その事は余計に深刻な状態なのではないかと、思わせてしまう。中条さんは絞り出した様な笑顔を浮かべながら、ポツリと言葉を漏らした。
「ちょっとペアの事で気を使う事が多いから。体の疲労はあまりないんだけど、精神的に疲れてて。」
そこまで言って目を伏せる。俺が心配そうに中条さんを見つめている横で一瞬だが、西川さんが悪魔的な笑みを浮かべた気がした。俺はそれを視界の端捉えた瞬間に嫌な予感がした。
そしてそれは虚しい事に的中してしまう。
「じゃあ、新海君、桃ちゃんを寮まで送り届けてあげれば?それかギュッと抱きしめてあげるとか?」
そこで中条さんは飛び退く事は流石にしなかったが、目を白黒させてポカンと口を開けていた。なんとなく予想をついていた俺でさえ、その予想を超えてくるいやらしい提案に、俺は驚きを超えてもはや呆れてさえいた。俺は軽い頭痛を覚え、思わずひたいを右手で抑える。
西川さんにとって俺達のそんな反応は面白いものではなかったのか、「じょ、冗談だって。はは…。」と、顔を痙攣らせながら誤魔化し始めていた。
そんな中、中条さんは西川さんの悪ノリの言葉に当てられた結果なのか、「ぽすん」と寄りかかり、体重を俺に預けてくる。
西川さんが「これはこれは」と嬉しそうに口角をあげかけ、瞬時に口を隠す様に両手を口に当てていた。
そしてふわりと鼻腔へと流れ込んでくる、甘い砂糖菓子の様な中条さんの匂いに、俺は嫌でも彼女を意識してしまう。寄りかかられる事で、中条さんの全身の柔らかい感触が、腕から直に伝わり血液が全身をくまなく全力疾走して行く。そして血液がふつふつと煮え滾るように沸騰していく。
やはりこういったものは簡単に慣れ、耐性がつく事はなく、大小関係なく俺は必ず惑わされてしまう。そして西川さんの目の前でなんという大胆な行動をとるのだろうか。
中条さんが身を寄せてくる行為を既に数えるのやめた俺は全身を硬らせ、西川さんは口に手を当てたままこの場にいずらそうにじりじりと音を立てて後退りする。
ここ最近で最も甘い雰囲気を漂わせ、辺りにいる人を糖尿病にしかける寸前。「バチバチッ」と、放電したかの様に不快な警告音が俺の脳内で響き渡る。
それは俺に故意的に異能を使用し、俺の人体干渉への抵抗力によって異能の効果を弾いた音だった。それは俺だからこそ聞こえる音で、普通の人間には一生聞こえる事がない音。聞こえるはずがない音。異能使用には無警戒だったからこそ、それは普段より7割増に聞こえた。
そしてそれが響き渡り終える頃には、俺は既にこの異能の使用主である中条さんの右手首を左手で掴み、立ち上がって冷酷な目を向けていた。
それは無条件反射に限りなく近い条件反射から繰り出される行動だった。俺の冷酷無比な、完全に敵とみなした人物に向ける目を中条さんに向けてしまう。普通の女の子なら、怯え、震え、思わず目を逸らしてしまうのだが、中条さんは違った。
俺の目をじっと見つめ返す。普段のくり目をつり目に変え、見つめ返すと言うより、睨み返すと言った方が正しいものだった。
甘いドロドロのお菓子の様な雰囲気から、ガチガチの険悪な雰囲気にガラリと変わり、西川さんは驚き慌てふためく。次第に声を出さない様にと手を口に当てたまま、必死に自分の存在を隠すように、静かに気配を溶かしていく。そうせざるを得ない程、俺達の間から放たれる圧は凄まじいものだったのだろう。
そして俺は確認を取る為にゆっくりと口を開く。
「今まで何度も自然に体を寄せてきたのは俺の面倒な警戒心を消す為だね?完全に騙されてたよ。」
「……なんで分かったの?」
西川さんの前だからか、笑顔は既に修復されており、声も普段の様に甘い猫撫で声だった。俺はそれが妙に神経を逆撫でた。それでも表情にそれを表す事はなかったが。
「した事、否定しないんだね。別に俺、中条さんの事、嫌いじゃなかったのに。」
「……タイミング、ばっちり掴まれてたからね。惚けて意味が無いと思って。だってそうでしょ?」
中条さんは俺の後半部分の言葉をあえてスルーしていた気がしたが、然程重要な事ではなかったので、別に気に留めて置くことはなかった。
そしてそんな西川さんには全く話の流れが掴めない会話を俺達は続けていると、俺は身の毛もよだつ程の怒気をある方向から感じとる。なんとなく俺はその方向に視線を飛ばす。そんな何気ない動きをした事が幸運だった。
それはなぜかと言うと、俺に向けて風を切って恐ろしい速度で何かが飛来してきていたからだ。目を凝らすとそれが何かを理解する。それはソフトボールだった。
そして既に俺の手は条件反射で動いており、起動予測地点上でピタリと動きを止める。
その約0.3秒後。
俺は高速で飛来するソフトボールを難なく片手でキャッチする。「パアァン」と、甲高い音を響かせながら素手での捕球だ。その際に風圧が発生し、俺の髪を撫でた後、ふわりと浮かせる程度のそよ風が巻き起こる。俺はそんな中、そっと中条さんの手を離す。中条さんは目を何度もパチパチとさせ、仰天していた。
そして、投擲地点からおそらく80m以上も離れている中、俺の顔面を正確に狙い、この恐るべき速度を保持して命中させる事が出来る技量と膂力を持っている人物は、俺の知る中では1人しかいない。
俺はヒリヒリと痛む右掌と、衝撃を完璧に吸収し、軋む手首と肘と肩に一度だけ視線を向け、直ぐ様こちらに駆け寄ってくる人物に視線を引き戻した。
「……楓……もし、俺以外に飛んでいっていたらどうするつもりだったんだ?」
「っ、その時は隼人が全力で……ううん。ごめん。今のは私が悪かった。」
俺の怒気を込めた咎める様な言葉に、一度言い訳に走ろうとするが、珍しく自分の非を認めて謝る楓。俺はそこでそれ以上追求する事は出来なくなった。完全に放心状態の西川さんには目もくれず、中条さんに頭を下げる楓。
「ごめん桃ちゃん。隼人が桃ちゃんの腕を乱暴に掴んでるのか見えて、思わず怒りのまま投げちゃって。大丈夫だった?」
「う、うん、大丈夫……だけど。え?楓ちゃん、あそこから投げたの?」
そう言って中条さんが恐る恐る指を震わせながら指したのは、ソフトボール部が使用しているグラウンドのある方向だった。皆が釣られるようにその指の先に視線を向けると、ちょうど南部さんがこちらに向かって走ってきていた。
「ちょっとバ楓!何やってんのよ!キャッチボール中に全力暴投する奴がいるわけないでしょ!?」
「ごめんヒカリ。ちょっと制裁を加えようかと。」
「はぁ?」
そう言って南部さんが「あんた何言ってんの?」みたいな顔をして、呆れた様にため息を吐く。
(いいぞ、もっと言ってくれ。楓に強く出れるのは南部さんだけだ。)
しかしそんな俺の願いは届かず、キョロキョロと辺りを見渡し始める南部さん。
「楓、ボールは?」
それを聞いて俺はボールをわかりやすい様に見せてから、南部さんに手渡しする。
「なんで隼人が持ってるの?」
「いや、俺に向かって飛んできたから……。」
「……うん?」
そこで南部さんは首を傾げた後、俺と楓を見比べる様に交互に視線を向ける。それで納得がいったのか、踵を返す。何を見て納得したのかはとても興味が湧き、楓に対して強く釘を刺して欲しい気持ちもあったが、これ以上ドタバタする前に立ち去ってくれるのは、正直言って助かっていた。
結局楓の乱入によって中条さんの事について、今更追求する事が出来なくなってしまっていた。無理に聞き出す事も考えたが、出来ればそんな事はしたくなかった。それは最終手段として頭の片隅に残しつつ、中条さんから話してくれる事を信じ、その場では何も言い出そうとはしなかった……。




