13-9.5 楓のお仕事
第13章9部と第14章1部の間の話です。
主人公の隼人のいないところで行われている、
楓目線のサイドストーリーです。
私は今、空中を移動していた。
飛行機やヘリコプターを使い、空を自由に飛んでいる訳でもなく、高高度からのスカイダイビングやパラグライダーを楽しんでいる訳でもなかった。
ただ単純であり簡単な話、高層ビルの屋上で何度も跳躍し、隣のビルへと飛び移っていただけだった。勿論、隣接するビル群の中ではパルクールの心得がある人ならば、移動は制限付きで可能だし、実際私と別行動をしている人物はそれを使い移動しているはず。
(恐らく他の強力な手段も使ってるけど……。)
しかし私が行っていたのは道路を挟んで対面にあるビルへの飛び移りだった。異能―身体強化を使用した人知を遥かに凌駕する、超人的な動きで空中を飛び回る。異能をフルに使用した動きは常人の目に止まる事はなく(そもそも上を見上げる人は少ない)、風を切って青空を羽ばたく。異能の使用倍率を普段よりも数段上げた無茶な動きに、体中の筋肉や骨、関節などなどが悲鳴を上げている。更に5月初めにしては暑い気温の中、日光に晒されて無尽蔵だと自負する体力も、少しずつだけども確実に消耗している。
そんな最中、左耳に装着していたヘッドセットから、聞き慣れた女の人の音声が雑音混じりに届いた。
「楓……ちゃんと追えてる?」
「うん。早くタイミングを……」
「分かってる、急かさないで。」
そんな私の多少の焦りを覚えて伝えようとした言葉は、抑揚の死滅した言葉によってピシャリとシャットアウトされてしまった。
焦りを覚えているのは向こうも同じらしく、珍しく声を荒げており、風を切るびゅうびゅうという音がヘッドセットから微かに聞こえてくる。時折ノイズキャンセルが作動して無音になるのは、恐らく飛んでいるのだろう。
そして私はそれ以上急かす事はしなかった。「不必要な時くらいはスイッチを切れ」とは思っていたりしたけど。
そこで私は眼下の標的を視界に捉えたまま、目先のビルの屋上に飛び移る為に再び走り始める。止めていた足を動かし、瞬間的な加速を果たして屋上のコンクリートが陥没する程、爆発的な勢いで地面を蹴り飛ばす。まるで高速で放たれた矢の様に屋上から私は飛び上がる。そして約10m程の上昇を伴いながらの2つ隣のビルに移動する。そのままの勢いで次のビルに飛び移り、圧倒的な速度を維持したまま1分もせずに約600m程の移動に成功する。
そして再び眼下の標的を見据えながら、ここに至る経緯を任務中にもかかわらず、思い出してしまった……。
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「過激派密入国者の始末……ですか?なんでまたそんな案件が私達に……。」
直立していた私は、任務の内容が比較的珍しいものだった事で思わず訊き返してしまった。任務伝達の途中の出来事であり、それは普通ならばあってはならない事だった。
しかし今回は訳も勝手も違った。それも加味されて私は気が緩んでいたのだと思う。それに私の隣の女の子は怪訝そうな表情はしていたけど、声には出さなかった。そこが元と現の違いなのだろうか?
幸い私の発言が咎められる事は無かったから、一度開いてしまった口をしっかりと閉じて、無言で続きを待った。
「あぁ、南米のある組織が先の事件を嗅ぎつけて来たみたいだ。既にオールタイタンとの連携を図っているはずだ。それに後続を断つ為にも今回はなるべく早く始末をしたい。」
そもそも密入国を許した海保(海上保安庁)と、その後の担当の警察は何をしているのだろう。そんな失態を後始末するのだから、過激派密入国者の始末依頼は珍しいものだった。(※密入国自体は珍しいものではない。)
それに後続とやらは汚名挽回として代わりに奮闘してもらいたい。
ついでにオールタイタンとは、日本の暗部の組織の1つ。勢力は日本の中でも5指に入る危険な連中で、主に関東圏を中心にして活動している。先の事件とは別口の組織だけど、私も幾度となく連中との戦闘は経験している。
「奴らは一般車に紛れ込んで移動をしているはずだ。道路上の監視カメラに引っかかり次第、早急に取り掛かってくれ。」
そう言って司令長官は目配せをする。ここを訪れた際には普段の様に私に対してだけ甘々の態度をとって出迎えてくれたけど、仕事になれば話は別だった。私ともう1人の女の子は慣れた様に敬礼をした後、部屋を退出する。必然的に地下から上昇するエレベーター内では2人っきりになる。
先程まで真剣な面持ちで一言も発しなかった女の子、コードネームNo.2、天草二葉は私に自然な肉運びで抱きついてくる。先程まで氷の様にカチコチに固められた表情をドロドロに溶けさせ、完全に緩み切った顔で私の胸に顔を押し当てながら、服の上から片手で胸を揉んできていた。
「楓のおっぱいいい匂い……。ふへっ。ふへへ……楓〜キス、しよ?」
そう言って相手を求めて喰らう表情をした二葉の唇と、私の唇が今にも接しそうな程の接近したところでなんとか私は二葉の抱擁から逃れた。
「やめて二葉。変なとこ揉まないで、気色悪いから。」
「えーいいじゃん、減るもんじゃ無いし。」
私達は女の子同士、更には隼人と同じく長年の付き合いを経た大親友の彼女とはいえ、キスを許すつもりは私にはなかった。同性愛に目覚めてしまう前になるべく二葉とは距離を取る事にするが、狭いエレベーター内ではそれは不可能だった。そもそもある程度のスキンシップとして抱きつくのは別にいいが、胸を揉むのも、匂いを嫌らしく不必要に嗅ぐ事も私は許した覚えはなかった。
だとしてもこの過酷な環境の中、彼女になんの変化をもたらしていない事に安堵しつつ、呆れていた。
「はぁ、二葉は相変わらず元気そうだね……。前回の任務は相当大変だったってかずさんから聞いたけど。」
「ん。災害指定級が何体か出たけど大丈夫だったよ?」
なんて事ない風に言った二葉はカニを彷彿とさせる様に、両手でピースをつくる。
「寧ろ精鋭部隊がいない間に襲撃を受けたこっちの方が大変だったって、かずさんには聞いたけど?」
二葉の抑揚の死滅した声でそこまで言って、私達の会話は一度中断される。エレベーターが目的の階に到着したからだ。そもそも2人の情報源が同じ人物な事にたいして2人で苦笑いを浮かべた。
私達は途中ですれ違う人物に時折敬礼を(主に二葉に向けて)されながらも、2人横に並んで歩みを進める。二葉は私の腕にがっしりとしがみ付いており、そんな人達は完全に眼中にはない様子だったけど。
結局私もそれを指摘する事なく更衣室に到着した事で話を再開する。
「別に私達が何かしたわけではないから大変ではなかったよ。ここの人達は大忙しだったみたいだけど。」
「そう?」
「てゆーか二葉もさっさと着替えなさいよ!」
私は着替えもせずに抱きついてくる二葉を呆れながら引き剥がそうとしながら、そんな事を言っていた。私は二葉を引き剥がすのを諦め、軍が使用する特殊パンツとパーカーに無理矢理にも身を包む。全身真っ黒なこの服は性能面では他に劣る事はないのだけど、見た目と通気性に難があって、私はあまり好きな服装ではなかった。
「楓成分補充〜。」
二葉はそんな事を言いつつ、手つきが嫌らしくなってきた。嫌われるより、好かれる方がいいのだけど、度が過ぎるのも問題だと思う。私は流石に今回の任務に支障をきたす前に、先程より力を込めて、私から二葉を引き剥がす。
「ほらっ、もういいでしょ!うー、離れ……なさい!」
「むぅ、楓のイジワル。」
二葉はそんな文句を垂れながらも、せっせと着替えていた。私も無理矢理着衣した服を綺麗に着直す。二葉は子供の様に駄々を捏ねる事はしなかったが、頬を膨らませて不満気オーラ全開だった。
「長い間あっちに行ってて頑張ってきたのに、楓も……それに隼人もここ辞めちゃうし。私の大好きな人に当分会えなかったんだから……いいじゃんそれくらい……。」
私は二葉のそんな儚げな言葉を聞いて、思わず胸の奥でチクリと痛みを感じた。
そんな二葉の言葉に私が一瞬怯んだ時、入り口にいつの間にか立っていた1人の青年が私に駆け寄ってくる。私に向かって目の色を変えて突撃し、「楓っ!」と、私の名前を叫んでくるのだから思わず顔面に右ストレートを繰り出し、殴り飛ばしてしまった。頭から倒れる様にして吹き飛び、盛大に音を立てながらロッカーに突っ込んでいくその青年。そもそもここは女子更衣室なので文句は言えない、はず。なんかめちゃくちゃ鼻血出してるけど、いいよね?
私がその青年―コードネームNo.5、白龍吾郎の事が少し心配になりつつも、別に助けの手を差し伸べる事はなかった。
吾郎は意外にも元気そうに鼻血を周辺の床に撒き散らしながら、私に詰め寄ってくる。
「か、楓!いきなり酷いじゃないか!僕は楓がいないと死んじゃうのに拒絶するなんて!それに今の威力は僕じゃないと致命傷だよ!」
「いや、別に死にはしないでしょ…?まぁ、殴ったのは謝る。ごめん。」
「でも私は楓がいないと死んじゃう〜。」
「ちょっと二葉!?何どさぐさに紛れて変なとこ触ってるのよ!」
そして吾郎に対して呆れている私に抱きついてくる二葉の参戦により、更衣室は混沌に支配される。そんな揉みくちゃな私達を、更衣室の入り口から見られてしまった。黒のスーツを完璧に着こなし、厳格な雰囲気を身に纏った女性に。
眼鏡のレンズがキラリと反射してからもその奥の瞳が窺えないが、明らかに動揺している事だけは直ぐに分かった。
そしてその女性は、今回の任務についての情報を通達しに来てくれたみたいだった。通達事項としては、「出動の準備が出来、密入国者を捕捉した。」との事。私は心の内では、その仕事の速さに素直に称賛していた。そして追加の情報として、民間人の人質がいるらしい。恐らく保険なのだろうが、やり口が非道な相手程こちらも非道になれるので、そこで新たな緊張は生まれる事はなく、取り乱したりはしていなかった。普段通りに相手を屠るだけ。当然民間人も救出して、私の…隼人のいる表面上は穏やかな、普段の日常に戻るだけ。ただそれだけだと……。
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そこで私は意識を現在に引き戻す。眼下ではスモークガラスで中の様子が伺えない黒のワンボックスカーが、軍の手によっていじられた交通制御にさりげなく誘導されている。
なるべく穏便に済ませたいこちら側としては、民間人の人質をこれ以上増やさない為に、突入するには人払いをする必要があった。私が逐一状況を肉眼で報告して、監視カメラの映像でも追いかける。車のGPS機能を使用している限りは見失う事はないのだけど、車を乗り換えたり、降りて移動方法を変えられると少し面倒だった。
それに時間をかけるのは相手に察知される可能性もあったし、援軍が到着しては街中での銃乱射事件などが起こってしまう。それを避ける為に動きたいのだけど、それが上手くいかず焦っていた。
屋上を絶え間なく飛び移る中、カフェのテラス席で2人っきり?の隼人を見つける。ここからでは距離があるので、ただ顔が似ており、見間違いの可能性もあったけど、私には直感的に隼人だと確信した。それに隼人もこちらに一瞬視線を向けてきた気がする。直ぐに視線を切り、屋上に身を隠したのでバレてはいないと思う。
面倒な事になると分かっていた私は、隼人に軍を辞めてからの任務の事は隠していた。私は隼人ととは軍への考え方が根本的に違う。それからくる後ろめたさを噛み殺し、任務を遂行する為に作戦を継続する。
そして数十分後、都外の廃墟ビル群まで誘導し終えた後、ヘッドセットから届く二葉の「GO」の合図を聞いて、私はビルから飛び降りる。ビルの出っ張りを使い、数回に分けて地上に着陸する。足をバネの様に使い、衝撃を完全に吸収しきった後、変わる事の無い赤信号によって足止めされている車のバックミラーに映らない様に接近して、私は攻撃を開始する。
既に部隊の異能使いによって人質の座席は判明していたから、私が車の後方から人質を救出し、前方から二葉の攻撃で、挟撃の形を選択した。どこに二葉が潜んでいたのかは知らないけど、既にその姿は車の前にいた。
瞬時に二葉は異能を使用して、車の両方の前方タイヤを破裂させる。車の内部では「唐突にバーストしたのか!?」と思わせる程、異能での早技だった。
そこで私はすかさず車内に突入する。タイヤの破裂とほぼ同時での車窓からの突入。一瞬でも意識をタイヤの破損に向けられた奴らを排除するのは、私達、コードネーム呼び達には造作もない事だった。
盛大に窓をぶち抜いてそのまま軌道上の敵を1人蹴飛ばす。確実に首の骨を折った感触が足から伝わる。まず1人。
そして既に手にしていた特注の投げナイフを、手元が霞むかの様に瞬く間に投擲する。相手からしてみれば実際に霞んで見えたと思う。それに、不安定な足場をもろともしない体幹筋と、投擲技術を持ってすれば、私は百発百中。
そして後部座席に座る人質の隣に座る2人は、頭部に頭蓋をかち割る様にめり込んでいくナイフがクリーンヒットして生き絶える。はず。
私は生死の確認をする前に次の標的に意識を切り替える。
恐らく絶命した2人を抜くと、残りは4人。運転席と助手席は二葉に任せ、私は残りの2人に向けて拳を振り抜く。最初に蹴り飛ばした1人目の巻き添えをくらって、呻いていた2人へと。
その内の1人は右アッパーをまともにくらい、首から上が胴体と切り離される。生首がじゃじゃ馬かの様に盛大に車内で暴れ回りながら血を撒き散らす。
確実に相手の命を刈り取る感触をひしひしと感じながら、悲鳴(英語だという事は辛うじて分かった)を上げてドアを背にしていたもう1人を左ストレートで心臓部を貫く。深々と私の左腕は体に刺さり、貫通していた。その為、背後にあったドアは轟音と共に吹き飛ぶ。既に辺りの人払いは済んでいるので、飛んで行ったドアの方向は見ようとすらしなかった。
私は左腕を力任せに敵の体から引き抜くと、その死体は力なく地面に這い蹲う。私は人質の女の子を血がつかなかった右手で抱き抱えて、車外へと連れ出す。
外見は6歳程の女の子は目隠しをされていて、車内の天井、壁、座席シートが血塗れの惨状を見る事はなかったようなので、少々安堵していた。首と胴体が離れ離れになる映像など見てしまうなど、完全にトラウマになってしまうから。
そして目を覆いたくなる程の血の池地獄の状況を作り出したのは私だけど、別にそれに至るまでに行った事に感じたものは特になかった。人の命を簡単に奪っても何も感じない私はもう人として、手遅れなのだろう。
そんな事に少し気を囚われつつも、周辺で待機していた二葉が率いる部隊に女の子を預ける。私は交戦中と思われる二葉のカバーに向かう。既に運転手と思われる人物は頭部だけが綺麗に抉り取られた状態で運転席で息絶えていた。フロントガラスは綺麗に溶け落ち、その胴体との接合部は焼けて、出血は完全に止まっていた。
そして結局、血塗れの私が3秒程で到着した頃には、弄ばれた様な焼死体が既にアスファルトの上に転がっていた。右腕と左足は完全に炭化していて、右足と左手は焼き焦げた切断面を窺わせながら、無造作に地面に転がっていた。
そしてその傍らに佇む二葉は、誰もが顔を痙攣らせそうな悪魔的な笑みを浮かべていた。私が二葉の双眸に映像として映し出されたのか、無邪気な笑顔を向けて近寄ってきた。
「あれ?楓なんでそんなに血まみれなの?……くちゃい。」
「うっさい。」
私は相変わらず抑揚の死滅した言葉を発した二葉に暴言?を吐く。二葉は私の言葉に怒った訳ではない。でも、鼻を摘んで眉を顰めていた。
「楓に抱きつきたいけど、汚れたくないし。うーん……。」
恐らく私に抱きつく事と、汚れてしまう事を天秤にかけている二葉は、腕を組んで唸っていた。数秒程で答えを出したのか、私の右手を掴んで走り始める。
「一緒にお風呂入ろう楓!それなら楓をペロペロし放題。フフッ、一石二鳥……。」
そんな風に嬉しそうに笑う二葉。先程の事を既に忘れたかの様な純粋無垢な笑顔。人殺しを息をするかの様に当然に行い、その命を嬲っても何も思わない。
しかし私も特に何も感じていない。隼人がこの世界が嫌になるのも分かる。私だってそこは嫌だった。最初から普通の人間でいたかった。
そしてそんな私達の心はもう既に人外の一歩手前なのだろう。それでも私は人間だから。そう私は自身に言い聞かせる。
そう、私は感情が死滅、もとより存在しない無機質で構成された殺戮マシーンには成り下がりたくはなかったから……。
楓の休日はまた今度。




