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吸血鬼はなぜ日常の謎を探し求めてしまうのか?  作者: 笹帽子
第1話 吸血鬼はなぜ入部届を私に渡しにやってきたのか?
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1-3

 学校中を酔歩する吸血鬼を見つけるのにそう時間はかからない。またもや雨上がりの中庭に、その黄金色は軽やかに回転していた。手入れの行き届かない中庭に似つかわしくない瀟洒な日傘は濡れておらず、けれどもその下の彼女の金髪は生命力に濡れて輝いている。

 私はもう、入部届を盗んだ犯人が誰なのかには全く興味がなくなっていた。あの謎のポイントは、なぜ盗んだかという動機の方であり、犯人が誰かというのは重要ではない。けれど、『犯人が誰なのか』に興味はなくとも、『出雲泉水が犯人なのか』には興味があった。私はもう、この吸血鬼に捕らわれてしまっているのかもしれない。

 日傘の回転が止まる。

 琥珀色の視線が私を捉えた。

「地学部の部長さん」

 渡り廊下の私と、中庭の彼女との間の距離が何メートルか、私には目算できないけれど、普通に会話をする距離感ではまだないことだけはわかる。それなのに出雲泉水のつぶやきは、私の耳元に響いた。その声が背筋を駆け上がり、私は恐る恐る足を踏み出して、転ばないようにそろそろと、中庭を歩んでいく。

「そうだよ、地学部の部長です。覚えていてくれてありがとう」

 異様に滑る石畳の上で踏ん張って、私はやっとのことで言った。

 吸血鬼の瞳が私を覗き込む。

「なにかご用ですか?」

「いや、ちょっと話を聞かせてほしいんだけど」

 出雲泉水は、突然空中に何かを見つけたような目つきをした。

 返答はない。私は続ける。

「さっき、私のクラス……2年1組の教室に来てた?」

 出雲泉水は微動だにせず、しかし黒いレースの日傘だけがくるりと回転する。

「はい、行きました」

「何をしに?」

 琥珀色の視線がこちらを向いて、私を捉えて離さない。

「散歩をしていただけです」

 その視線はとても深くて、背筋が凍るようで、間違えるとそのまま溺れてしまいそうで、けれども私は、私の目には、その言葉が嘘だとわかった。そこに隠し事があり、真実ではない響きがあり、謎のにおいがすることが感じられた。

「実は教室で、入部届がなくなるっていう事件があったんだけど、なにか怪しい人とか見なかった?」

 私はそう言って、事のあらましを簡潔に説明した。

「部長さん」

 彼女の瞳が、やけにこちらを向いている。

「うん?」

「その、入部届というのは何でしょう」

「ああ、うちの学校、入部届っていうのは正式な書類としてはないんだけど、吹奏楽部が勝手に作ってるやつで――」

「正式な書類としてある場合もあるのでしょうか」

「ん? まああるんじゃない? 私の中学ではあったけど」

「む…………」

 吸血鬼は何事か考え込んでいる。

「入部届、というからには、入部するための書類なのでしょうね」

「え、うん」

 入部届を知らないのか。一般名詞として? 今、彼女の瞳に嘘はなく、隠し事はなく、謎も不思議もない。入部届を知らない? それじゃあ彼女はどう見ても、入部届を盗んだ犯人ではない。

「出雲さん、今月転校というか編入してきたんでしょう? 前の高校なり、その前の中学なりでは、無かったってこと?」

「ありませんでした」

「じゃあ入部するときはどうしていたの? 顧問の先生に言うだけとか?」

「いえ……そもそも入部するとかしないとか、そういう感じでは無かったように思います」

「ん、全然わからん」

「私は中学の頃から、部活には入っていなかったので、知らないだけなのかもしれません」

 出雲泉水は部活に入っていなかったという。それはチャンスだと私は思う。彼女が入部届を盗んだ犯人ではないのは明らかすぎるほどに明らかで、けれども私の彼女への興味は却って増した。私は素早く、頭を勧誘の方に切り替える。ヴァンパイアハンターの方に切り替える。ちなみに霧島に渡された通信教材はまだ開封していない。

「それはもったいないよ、出雲さん」

「……どうしてですか?」

 琥珀色の瞳がまたこちらを向いた。

「高校生をしているのに部活動をしないなんて、穴のないドーナツのようなものだよ」

「あの、そういうドーナツもありますよね」

「せっかくの青春だよ? 何かに打ち込むべきだよ。漫然と三年間通りすぎるなんて、揚げないドーナツのようなものだよ」

「そういうドーナツもありますよね」

「ともかく、出雲さんはどこでもいいから何か一つくらいは部活を見学してみるべきだし、たまたまここにいる私が地学部の部長だから、地学部を見に来るというのが良いんじゃないかな」

「そういうドーナツも」

「ないよ」

 日傘がくるりと反転する。

「ところで私はゲリラ豪雨が予知できるんだけど、このあと一気に降ってくると思うよ。その日傘だと耐えきれないかもしれない。雨宿りだと思って地学準備室に来てみてよ」

「ゲリラ豪雨を予知するのも地学部の活動ですか?」

「そうだよ、それも地学だからね」

 吸血鬼はなにも言わなかったが、私の方に足音も立てずに近づいてきた。ついてきてくれるらしかった。私は内心、心臓をうねらせながら、地学準備室に向けて歩き出す。最初は犯人かもしれないと思って話しかけたのに、こうして勧誘に切り替えていることに若干の罪悪感はある。心臓のうねりがそれなのかどうかはわからない。

「というか、前の学校どこなの? 県外?」

「いえ、市内ですよ。■■学園というのですが」

 突然私の脳に奇妙な幾何学模様のイメージが広がって、出雲泉水の学校名を聞き取るのに失敗した。

「え、なんて?」

「■■です」

 それはどうやら、私には聞き取れない名前らしかった。


 *


 地学準備室に到着した頃に雷鳴が轟いた。

「せ、先輩!! わ、私というものがありながら!!」

 霧島の叫びは雷の音にかき消された。

「見学者の前だぞ、落ち着け」

「先輩、その女は」

「出雲さん。知ってるだろう」

「知りません。私、先輩以外の女の人は知りません。見えないし声も聞こえません」

「見えてるだろ」

 出雲泉水が静かに部屋に入ってきて霧島の前で見えないガラスをコツコツ叩いて中を覗き込むようなしぐさをした。

「マジックミラーじゃないぞ」

 だいたいそれだと中から外見えてるから逆だろうが。私は出雲泉水に目配せして(通じたかは怪しい。というか通じていない。出雲泉水は今や地学準備室をぼんやり見渡していた。なかでも天体望遠鏡が気になるらしい)、霧島と二人でこそこそと話した。気を利かせた霧島が私の背丈に合わせて若干しゃがんでくるのがちょっとうざかった。

「いやいや霧島。事前に説明してなかったのは悪かった。でも地学部を存続させるには部員がもう一人は必要なんだ、勧誘はしないと」

「私は今日も先輩と二人でここでお話しできるのを楽しみにしてきたのに先輩がなかなか来ないなと思って寂しく待ってたのにやっと来たと思ったら先輩が他の女を連れて」

「部員を増やすのは簡単なことじゃない。でも私はきっと大丈夫だと思っているよ。なんといっても霧島、私の初めての後輩であり頼れるパートナーであるお前と二人ならね」

「勧誘やってやりましょう!!!」

 がばりと立ち上がった霧島の叫びに雷鳴が重なり、窓を雨が叩き始めた。

「出雲さん、ぜひ地学部に!!!」

 出雲泉水は曖昧に頷いた。先日、霧島の名前を出したときの反応から言って、そして今日この反応から言って、同じクラスであるはずの霧島を、出雲泉水は全然認識できていないらしい。完全に真顔だが、内心これ誰だっけと思っているに違いない。このまま誤魔化すんだろうか。

「出雲泉水です。よろしくお願いします」

 名乗りやがった。

「あ、霧島四方子(よもこ)です」

 霧島は普通に名乗り返した。なんだこれ。

 ひときわ激しい風が窓に叩きつけ、水しぶきがバサバサ音をたてた。

 気付けば出雲泉水がこちらを見ている。

「部長さんはこの雨を予知されたのですか」

「ああ、うん」

「すごいですね、地学部」

「あ、それで思い出したけど、霧島」

「はい先輩」

「ゲリラ豪雨って名前負けしてるよね」

「奴らはゲリラの怖さを知らないんですね」

「やっぱり舐めたネーミングだと思うよね」

「べろべろですね」

「舐め方がキモい」

「れろれろれふね」

「唾飛ばすな」

「ねるねるねるね」

「テーレッテレー」

「ゲリラ戦とはまず敵を精神的に追いつめることからはじまる」

「リアルだな」

「インドシナに送り込まれてくるフランスの兵士は、やがて本国の家族へ宛てる手紙にこう書くようになるだろう。ベトナムではありとあらゆる洞窟、ありとあらゆる茂み、ありとあらゆる沼地、どこにいても死が待ち受けていると」

「怖い、死が待ち受けているのはよくない」

「まあゲリラ豪雨は大きく出過ぎですね。チェ豪雨くらいのほうが」

「ゲバラ」

 私はやっぱり霧島のほうが会話が噛み合うと思って苦笑した。まだ知り合って二ヶ月しか経たないという気がしない。出雲泉水は私達の噛み合わない会話についてこられずにぼんやりしている様子で、それを見た霧島はニヤニヤしていた。嫌なやつか。

「それじゃあ出雲さんに地学部の説明をしようかな」

「……はい、お願いします」

 私は部長席(一番綺麗なボロ椅子)に腰掛けて、話し始める。霧島と出雲泉水も適当な椅子に座らせる。地学準備室は理科準備室の例にもれず通常の教室の三分の一くらいの横幅しかないウナギの寝床で、物も多いので三人座るとそれなりに距離が近い。出雲泉水の金髪金眼は座らせても存在感がある。

「地学というのは私達が立っているこの地球という星についての学問であり、私達が立っているこの地球以外の星についての学問でもあり、したがって宇宙のすべての学問だ、という話はこの前したよね」

「はい」

「したがって、地学部というのは宇宙のすべての部活ということになる」

「……はい」

「流鶯高校の地学部の歴史は長くて、一説によると文字文明に比肩する歴史を誇るのだけれど、実際のところ『すべて』を扱う部活というのは活動がわかりにくい。そこで紀元前13世紀頃より、部活の活動を『班』により編成する方式が生まれた」

「……あの、部長さん」

「どうした? 質問があればいつでも止めてくれて大丈夫だからね」

「紀元前というのは」

「時代が下るにつれて『班』の数は増減したが、各班の活動の重層によって地学部が作られていることは現代に至るまで変わらない」

「質問があるので止めているのですが」

「班はそれぞれの活動領域を持ち、部員たちは時には班を掛け持ちすることで、それらが有機的に結合し、地学部という世界を構成している」

「あの、部長さん」

「たとえば、地質班、地理班、地誌班、地勢班、地図班、地獄班、天文班、水文班、火山班、海洋班、風水班、ゲリラ豪雨予知班などの班に分かれて活動が行われている」

「ああ、だから部長さんはゲリラ豪雨を予知できたのですね、っておい」

 吸血鬼にノリツッコミさせることができたので、私は心の中でガッツポーズをして、そのあと物理でガッツポーズをした。霧島に睨まれた。

「ほんの十数年前までは全校生徒をゆうに超える部員数を誇った地学部だが、近年は部員数が低迷し、今の一、二年は私と霧島しかいない。だから絶賛新入部員募集中なんだ」

「はい、部長さん、質問があります」

「どうぞ」

「部長さんと霧島さんのお二人は何班ですか」

「まあ色々やってるんだけど、主には謎班」

「謎班?」

「私達の日常生活に潜む謎を見つけ出し、検討し、解明する活動」

「それは全然地学ではないのでは」

「地学は『すべて』だ」

「そんな地学ないでしょう」

「そういうドーナツもあるんだよ」

 さっきから霧島が静かに私を睨んでいる気がして怖い。どこにいても死が待ち受けているのだけは勘弁してほしい。

「ともかく体験入部だから、一緒に謎を考えようか」

 私はそう言って、盗まれた入部届の謎を話し始めた。


 *


「というわけで、盗む価値がなさそうな入部届が盗まれたらしい、という謎だ」

「わりと物騒な謎ですねぇ」

 霧島が眉をひそめた。確かに私からすれば、自分のクラスで盗難らしき事件が発生したのは気分がいい話ではない。さらにその犯人が自分の知る人物かもしれないとなれば落ち着きはしない。

 けれども出雲泉水は落ち着き払って、その整った表情を微塵も変化させずに言った。

「容疑者が三人ということでしたが」

「ああ、謎は犯人探しじゃないよ」

 私は言う。

「私たちは警察じゃないし、正義の味方ですらない。今回私が面白いと思ったのは、謎だと思ったのは、『どうして入部届を盗んだのか』っていう動機のところだから」

 容疑者のうちの一人であるというのをきっかけに出雲泉水に話しかけたのだから、多少の後ろめたさもあった。けれど実際のところ、私は少なくともこの吸血鬼が入部届を盗むようなことはしないとわかっていたし、そうなると残りの二人のどちらが犯人であるかには全く興味をそそられなかった。出雲泉水は一応頷いた。

「先輩、盗まれた以外の可能性は本当にないんでしょうか」

 霧島が言った。

「教室中探しても無かったし、担任のところにも届いていないし、他の吹奏楽部員が持っているということもなかったそうだ」

「うーん、じゃあどこかに置き忘れていてそもそも教室にはなかったとか……」

「笛吹さんがものすごくボケているというのは絶対あり得ないとは言わないけど、まあ考えなくて良いと思うよ。状況から言って、少なくとも誰かが意図的に持ち出したと考えるのが自然だ」

「ただ、その動機がわからない、ということですね」

「そうだ。入部届なんて盗んでなんか良いことあるか?」

 入部の意思表示と部費の支払いをもって入部が成立するこの学校において、正式な効力を持たない書類。書かれているのは氏名、(吹奏楽の)パート、誕生日、出身地、血液型、好きな食べ物、好きなタイプ、無人島にひとつだけ持っていくなら、実はやってみたい楽器、などなど。要はプロフィールだ。

「先輩、個人情報狙いだったというのはどうでしょう」

「言うほど重要な個人情報は書いてないと思うが」

「いえ、好きな人のことを知りたかったのかもしれません」

「それで50人分盗んだの?」

「1人分だけ探して取り出すより、50人分持っていくほうが楽だったのかもしれません」

 確かに書類入れごと盗られたという状況とは符合する。良い着眼点だった。

「例えば先輩の好きなタイプはどんな人ですか」

「私は吹奏楽部員ではない」

「年下? 年下ですか?」

「そもそも記入した内容は冊子にして部員に配られるんだから、書かれてることは秘密でもなんでもない。情報目当てというのは合わない気がするな」

「後輩とかどうですか? 胸は大きい方がいいですか?」

「ねえ、出雲さんはどう思う?」

 口数の多すぎる霧島に喋らせておくと出雲泉水はこのまま一言も喋らないんじゃないかと思ったので話を振ってみる。彼女は壁に貼られた地図を見ているようで、こちらの話を聞いていたか定かではない。ちなみにその地図は地図班が制作した架空の瀬戸内の港町のものだ。謎班の話をするよりそういう活動を紹介したほうが勧誘としては良かったかもしれない。ややあって、吸血鬼は地図の方を向いたまま口を開いた。

「部員の方には配られるとしても、部員以外の人ならば、盗んででもそれを欲しがる可能性はないのでしょうか」

 出雲泉水は言外に、犯人は吹奏楽部員ではないだろうと言っているのだ。確かにその通り、そう言えば『容疑者』三人は吹奏楽部員ではない。

「盗んででも欲しがるような情報、書いてないと思うけど」

「いえ先輩、あるかもしれません」

 霧島が飛び込んでくる。

「誕生日なんていうのは立派な個人情報ですよ」

「個人情報かもしれないけど、盗んでどうするの」

「サプライズパーティーを開く」

「だからそれ、冊子になってから確認すればいいでしょ。盗む意味ないじゃん」

「サプライズです」

「そんなサプライズがあるか」

「あ、じゃあスマホのロックとか銀行の暗証番号を生年月日から当てるとか」

「パーティーよりは事件性がでてくるけど、それもやっぱり冊子になってからでいい。吹奏楽部員じゃないとしても、入部届を盗むよりは冊子のほうが手に入りやすい。入部届の段階で盗む意味がない」

「先輩のスマホの暗証番号何番ですか?」

「それ聞いてどうするんだよ」

「サプライズです」

「そんなサプライズがあるか」

「誕生日じゃないとすると……血液型とか」

「なんに使うんだよ」

「献血の呼びかけ」

「普通に呼びかけろ」

「サプライズです」

「そんなサプライズがあるか」

「O型の人を探していたとか」

「なんのために」

「O型の人の血は美味しいらしいです。蚊に刺されやすいって」

「犯人は蚊だっていうのか?」

「あ、じゃあ吸血鬼とか」

 私は、あーと思って、「あー」と言った。出雲泉水はさっきから、地図の興味深さが数段増したような顔で鉄道駅の南側に最近開発されたエリアを眺めている。

 その吸血鬼がくるりとこちらを振り返る。

「ちなみに私は血は吸いません」

 吸血鬼が血を吸わないんじゃただの鬼じゃない、と、私は言えない。


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