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窓の外は昨日とは打って変わって抜けるような晴天。朝のホームルームが始まるよりも前に私を呼び出した吸血鬼・出雲泉水は、小窓に青空を望む屋上への階段の行き止まりで、差し込む朝の光に少しだけ不愉快そうに目を細め、私に向き直って切り出した。
「入部届を持ってきました」
そう言って差し出すプラスチックの書類入れには、どっさりと紙束が入っているのが見える。
吹奏楽部員50人分の入部届。
「……お前がそんなことをするやつだとは思わなかった」
私は心底、驚いて言った。出雲泉水が入部届を持ってくるだなんて、思ってはいなかったのだ。
*
雷鳴が轟き、そこら中の窓を雨が叩き始めた。まだ夕立が激しくなるには少々早いと思う6月の放課後。私はクラスメイトの笛吹さんと共に、掃除を終えて教室に戻りつつあった。吹奏楽部でオーボエを吹いているという笛吹さんはひどくマイペースで、異様なまでにゆっくりと丁寧に自在ぼうきをかけるものだから、自習室として使われている空き教室はさぞ清潔になったことだろう。床も数ミリすり減ったかもしれない。
普通のペースで掃除を終えた掃除当番はとうに解散したと見えて、雨を避けた渡り廊下で、早くも運動部が筋トレを始めていた。
「結構遅くなっちゃったね」
私は別に用事があったわけでもなく、急いでいたわけでもないのだけれど、笛吹さんに若干の嫌味を込めて言ってみた。
「本当だね。私、掃除って、つい時間かかっちゃって……」
「褒めてない」
「えへへ……」
「だから褒めてない」
嫌味が通じるどころか、褒められたと本気で勘違いした笛吹さんは頬を赤らめている。この天然女子は、なんだか話しているとリズムが狂ってしまう。
階段を登ると、クラスの男子が二人、渋い顔でモップを動かしていた。踊り場の床がひどく濡れている。これどうしたの、と問えば、
「窓開けといたら、めっちゃ雨入ってきて」
と一人が答え、
「ゲリラ豪雨」
ともう一人が言った。掃除が終わったあたりで雨が吹き込んできてやり直しになったのだろう。かなり派手に濡れているから、一旦片付けにこの場を離れたタイミングで降られたのだろうか。
「大変。手伝おうか?」
笛吹さんの申し出を、モップが2本しか無いからと男子たちは断った。そのほうがいい。笛吹さんにモップを渡したら、階段が擦り切れて滑り台になる。
「ゲリラ豪雨って名前負けしてるよね」
かすかに水を含んだ上履きの底をペタペタして歩きながら私は言った。
「どういうこと?」
「だってゲリラだよ」
「強そうだから?」
「いや強そうっていうか、まあ」
「びっくりするよね。急に降ってくるから」
「でも空暗くなるし、割とわかるじゃん?」
「えー、でも怖いよ」
私は黙る。なんだか会話のリズムが噛み合わない。別に笛吹さんは悪い子じゃないのだが、ちょっと不思議なくらいテンポが違う。周波数が違う。
たどり着いた教室は案の定無人で、掃除当番の姿はとうになく、雨がビシバシと叩くガラス窓はきちんと閉め切られていた。雨だし特にやることはないけれど、とりあえず地学準備室に行こうと、私は荷物を持って教室を出ようとした。
「あれぇ」
私は何もないのに蹴躓いた。そんな間の抜けた「あれぇ」があってたまるか。
「どしたの」
蹴躓いたのを踊るように誤魔化して振り返ると、笛吹さんの首がたっぷり60度は傾いていた。怪訝な顔で言うには、
「入部届が無くなっちゃった」
そこに、謎の気配が見えた。