4-8(六)
教室の引き戸を開けた先に、果たして求めていたものはあった。
二点とも、そこに存在した。
まず、教室の中央、教卓のすぐ前の机の上に、石は無造作に置かれていた。
台車でここまで運んできて載せたのだろうが、せめて新聞紙でも敷けばいいのに、そのまま机の上に置かれていて、地面に埋まっていた側にこびりついた湿った土が机についてしまっている。石自体は何の変哲もなく、割れたり、傷ついたりはしていない様子で、祠の中に置いてあったときからはすこし傾いて、人の頭ほどの大きさ、ざらりとした表面に今は目玉は浮かんでいない。
その隣の机に腰掛けていたのは金髪金眼の吸血鬼だった。
その黄金の髪が発散する粒子は、平凡な教室の空気を祝福する。それを見る者は、どうやっても超えることはできない断絶に喘ぐ。琥珀色の瞳に射竦められると、甘い違和が背中を駆け抜ける。
その感覚は、出雲泉水のそれと同じだった。
だがそれは、出雲泉水ではなかった。
髪は出雲泉水よりも僅かに短い程度の長髪だった。顔かたちもよく似ていたが、それでも見まがうことはあり得なかった。
制服を着ていた。流鶯の制服ではない。ブレザーだった。組んだ脚は紺色のスラックス。流鶯の男子の制服は学ランだ。
私は思い出す。思い出して、思い出して、出雲泉水のプロフィール帳を呼び起こす。そこに書かれていたことが、この状況に符合する。
だがそれを口に出す前に、背後から声が飛んだ。
「大和!」
私の横をすり抜けて教室に入ってきた出雲泉水が、石を一瞥したかとおもうと、男子の吸血鬼を睨みつける。見たこともない強い視線だった。
私がまたも口をきけないうちに、ドタバタとけたたましい足音を立ててもう一人、霧島が教室に入ってきて、大げさに声を上げる。
「ええっ!? ……その人が弟くん!?」
「はい」
そこではじめて『弟』が喋った。
はいってなんだよ。
お前は一体何者で、何をしに現れたんだよ。
言いたいことが無限にありすぎるのだが、私の代わりに、隣でさっきから小刻みに震えていたメイシちゃんが、ついに爆発して叫ぶ。
「それは、アンフェアだろうが!!!」
本当にその通り。
ノックスも助走つけて殴るレベルだろうが。
「ノックスも助走つけて殴るレベルだろうが」
思わず結局声に出して言ってしまった。
「この石に何したの!」
出雲泉水が言った。いつもの彼女とは明らかに口調が違った。それは多分……家族の口の利き方だ。学校の友達や先輩の前では、きっと気恥ずかしいやつだ。けれどそれを恥ずかしがっている余裕もないという、激した眼で問う。
「まだ何も。触ってもいないし」
と弟のほうは涼しい顔で手を伸ばそうとするのを、
「やめなさい!」
出雲泉水がさらに前に出て止める。弟の手を勢いよく掴む。永遠に白いままかと思われた頬が紅潮し、口元は怒りに歪んでいた。長い髪の美しい黄金の輝きが、瞬間、ふと褪せたように見える。
「まあ、まあまあ。よくわからないけれど、いやホント全然わからないけれど、石が見つかったなら大丈夫だし」
私は思わず止めに入ってしまう。
「おい六花。勝手に大丈夫にするな」
メイシちゃんもそうは言うが、それ以上は言わない。少なくとも肉がドロドロにはもうならないだろう。
「…………すみません」
出雲泉水は弟から手を離し、うつむいて呟いた。
「私が悪いんです」
そう小さく言って、ふらふらと教室を出て行く。その視線は自らのつま先。揺れ動く酔歩は、はじめて会ったときの溢れる自信と祝福からは程遠い。
「え、ちょっと、泉水ちゃん」
霧島が言う。
私と目が合うと、霧島は頷く。出雲泉水を追って教室を出て行く。さすが、頼れるやつだ。
そうして教室に残された三人のうち、私以外の二人が口火を切るとはとても思えない。
「ええと、出雲大和くん、でいいのかな」
すごい字面だと私は思う。
そんな失礼なことは絶対に口には出さないけれど、出雲大和だなんて日本すぎる名前は、この子の金髪金眼、透き通る白い肌とは似合わないように思えた。
「はい」
大和がこちらを見て返事をする。その無表情、琥珀色の瞳は姉によく似ていた。
「大和くんと呼べばいいかな」
「はい」
「さっきは悪いね、うちの後輩が」
出雲大和は微かに首をかしげた。その仕草も姉とよく似ている。
「いや、『弟くん』って、本人に向かってあまり良い呼び名じゃないから」
私もかつて、『ミウラの妹』扱いを何より嫌っていたものだ。
出雲大和は得心したように頷く。
「ありがとうございます。気にしていません」
それで、質問をして問題ないと私は判断する。
「石をここに持って来た理由は?」
「調べたかったからです」
大和が答えた。その声の周波数も姉によく似ていた。いや、姉よりももちろん低い声だ。変声期は過ぎている。けれど響きが似ていた。
「石の何を知っている?」
「あなたが地学部の部長さんですね」
「そうだけど」
「石とあなたが話していたと聞きました」
メイシちゃんがふんと鼻を鳴らした。まあそうだろうとは思っていたが、やはり出雲泉水はあのとき私が目玉の石と話をするのを聞いていて、それを弟に伝えたのだろう。そして弟は、石を調べようと思った。
「さっきの様子だと、お姉さんに頼まれて、ってことじゃなさそうだね」
「珍しいです」
「……何が?」
「姉があんな風に怒るのが、です。慣れてないんですよ。だから逃げていっちゃいましたけど」
出雲大和は悪びれる様子はなく言う。表情は変わらない。出会って初めの姉の方に似ている。
「年長のきょうだいはもうすこし敬いなさい」
私はそう言った。
出雲大和は表情を変えずに微かに首を傾げた。
「……つまり、こういうことでいいのかな」
姉の方の行方が気になった。だからここは、手短に終わらせてしまおうと思う。
*
大和くんは、お姉さんからその石について聞いていた。さらに、流鶯祭についても聞いていた。昨日。昨日の夜か、あるいは今日の朝、お姉さんから流鶯祭について聞かされたんだね。
野球部による、任意の指示を聞いてくれるメイド傭兵部隊。
写真部による、指定した人物の写真を撮ってきてくれるサービス。
実行委員会総務部が台車を貸しだしていること。
3棟は流鶯祭の開催エリアにはなっておらず、従ってほぼ無人であること。
全て私が昨日、出雲泉水に教えたことだ。
出雲泉水は早速この面白い情報を君に教えたんだね。
そしてこれを全部組み合わせれば、私に途中で発見されるリスクを抑えて、時間をかけて石を調べることができると大和くんは考えた。
*
「大体その通りです。付け加えるなら、姉からは流鶯まんじゅうのことも教えてもらいました」
まんじゅうは誘拐の犯行には関係ないのではないか。だがともかく、
「これで解けましたね」
とメイシちゃんを見ると、まだ不満げに
「いや、アンフェア過ぎるし、全然解けていないだろう、謎はまだまだ」
「残りは後日、お納めしますので」
私はそう遮った。
メイシちゃんが私の目を見る。
はんと溜息をついて、まあいいだろう、と言う。目玉はそれと交換だ、と言った。
「よし、じゃあ石を戻そう。大和くんも手伝ってくれるかな」
「もう用は済んだので、いいですけど……俺が手伝ってもいいんですか」
「台車を押すのだけだ」
琥珀色の目がぱちりと瞬きして、私の意図が通じる。吸血鬼は了解と頷いた。
私はあの目玉がなくたって、これくらいは解ける。