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吸血鬼はなぜ日常の謎を探し求めてしまうのか?  作者: 笹帽子
第0話 吸血鬼はなぜ鏡の中で上下反転しないのか?
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0-2

 三十分ほど後。地学準備室に帰ってきた霧島は事件のあらましを語った。

「私のクラスの後志(しりべし)さんが、吸血鬼が鏡に映らないところを見たそうなんです」

 霧島は切羽詰まった様子で言った。

「先輩、助けてもらえませんか」


 聞けば、こうだという。


 後志は、トイレで用を足した後、手を洗っていると、背後を出雲泉水が通り過ぎた。その時、出雲泉水の姿は、手洗い場の鏡に一切映らなかった。それに驚いた後志は、思わず悲鳴を上げて、意識を失ってしまった。気づくと保健室のベッドに寝かされており、保健室の先生からは、倒れてしまった彼女を他ならぬ出雲泉水が保健室まで運んでくれたのだと聞かされた、という。出雲泉水の姿はすでになかった。


「彼女はもう大丈夫なの?」

「大丈夫そうです。確かめさせてもらいましたけど、首筋に血を吸われた痕とかは無かったです」

「いやそういう大丈夫でなくて」

「保健室の先生は、ただの貧血じゃないかって。あと、尻餅ついて倒れたからちょっとぶつけたみたいって」

「まあ、普通に貧血だよね。診断としては」

「でも! 後志さんすごく怖がってました。クラスのみんなも変に騒いじゃって」

「しかし、助けてって、私は何をすれば良いのさ」

「吸血鬼退治です」

「退治は良くない」

「ニンニクを炊きましょう」

「ニンニクって炊くものなのか」

「二人でヴァンパイアハンターの資格取りましょう」

「資格あるの」

「初級なら通信でとれます」

「んな通信空手みたいな……」

「後志さんが怖がってるんです。すごく悩んでて。倒れた理由も、最初は全然話してくれなくて。でも保健室の先生が出ていった間に、こっそり教えてくれたんです。吸血鬼のこと」

 霧島は真剣だった。本当にそのクラスメイトの後志のことを考えているのだろう。

「後志さんっていうのは、どんな子なのかな」

「んー、真面目な子ですよ。がんばりやさんです。バスケ部で。最近調子が悪いって言ってましたけど、それでもバスケ得意だから、来週の球技大会ではバスケチームのリーダーです」

「今日は部活の練習だったのかな?」

「いえ、今日は部活が急に休みになったらしくって。それで図書室で勉強してたみたいです。後志さん成績も良いんです」

「じゃあ事件現場のトイレは図書室の近くか」

「1棟2階の東側ですね」

「まずは現場検証と行こうか」

 そう言って立ち上がると、霧島の顔がパアアと効果音でもつけたくなるくらいに明るくなる。

「助けてくれるんですね! 先輩!」

「吸血鬼のことが気になるだけだよ」

「そんなこと言って、でも私のことを考えてくれてるんですよね! 大好きです! 先輩! パアア!」

「効果音を口で言うな」


 *


 地学準備室から現場に行くためには、まず3棟から1棟まで渡り廊下をぐるっと回ることになる。外に出る前の廊下の角に、大きな鏡が置いてあることに私達は気づいた。

「こんなところに鏡ありましたっけ?」

「あったよ。気にしたことなかったけど」

 姿見と言っていいサイズの鏡の下のところを見ると、第三十四期卒業生寄贈、と書かれている。

「なんかやらかしたんですかね? 第三十四期」

「いや、やらかすと鏡を寄贈しなきゃいけないのか?」

 鏡の中に私達二人の姿が映っている。私より霧島のほうが背が高く、私より霧島のほうがおっぱいが大きいのが癪である。

 左右は反転している。

 上下は反転していない。

「先輩、何を見てるんですか?」

 鏡越しに霧島と目が合う。

「いや、さっきの話。なんで鏡って上下は反転しないの?」

「あ、まだわかってなかったんですか先輩」

「わかんないよ」

「先輩もたまにはわからないことがあったほうが良いですよ」

「うざいなお前」

 と、その時。

 鏡の中に映っている霧島と、鏡の中に映っている私の間を、何かが通り過ぎた。

 それは薄暗い廊下に場違いで、というかこの古ぼけた校舎に場違いで、いやいやこの汚れた地上に場違いな、なにかとてつもない圧力を放っている金色で。

「え……」

 間抜けな声を出して振り返れば、渡り廊下の方に歩いていく金髪の女子生徒の後ろ姿が見えた。

「あれです、先輩」

 霧島が私に囁いた。

「あれが吸血鬼の出雲泉水です」

 後ろ姿だけであれば、少々金髪が目立ちすぎるが、ただの女生徒にも見える。けれど、鏡越しに一瞬見えたその瞳は。

「いま……映ったよな?」

「はい?」

「だから、この鏡に、映っただろう、あの子」

「あ、すみません。見てませんでした」

「お前」

「左右反転した先輩もかわいいなぁと思って見とれていたので」

「お前」

「でも鏡に映っていたからといって、出雲泉水が吸血鬼でないとは言い切れないですよ」

「どうして」

「さっきミスを犯した彼女は、ことさら注意しているのかも知れません」

「注意したら鏡に映ることもできるのか、吸血鬼は」

「さっき言ったでしょう。吸血鬼はもともと実体がないから鏡に映らないのは当たり前で、むしろ私達がその存在を視認していることのほうが、彼らの術みたいなものに騙されている」

「うん」

「ですので、鏡越しの私達も騙しておけば、鏡に映るのです」

「ずいぶんな理屈だな」

「鏡越しまで騙すというのは余計な処理が必要なはずで、それを忘れてしまうと、吸血鬼が鏡に映らないという現象が発生するのではないでしょうか」

「それを今日やらかした出雲泉水は、特別な注意を払っているから、今は鏡に映ったと」

「そうです」

 私は、重りを縛り付けられて水槽に入れられ、浮けば魔術を使ったとして殺され、沈めばそのまま溺れ死ぬという魔女狩りの処刑方法を思い出した。


 *


 何の変哲もない女子トイレだった。

 廊下から右に一度屈曲させた入り口を入ると、左手に洗面台があり、その奥に個室が設けられている。洗面台は三口、個室は四室あり、今はいずれも空室で無人だ。3棟なんかと比べるとまだマシな方だが、それでもかなり古いトイレで、薄暗い。洗面台についている鏡もどこか薄汚れているし、なんとなく下水臭い。うちの高校は、このトイレで三年間鍛えられるから女子が強い、とか言われるらしい。とんでもない話だ。今日は掃除の日だったようだが、水はけが悪くなっている床はまだ湿っている。

「どの鏡だったのか、聞いた?」

「いえ、そこまでは」

「まあ、この位置取りならどの鏡でもあまり差はないかな」

「試しにやってみましょうか」

「そうしよう」

 そう言って私は、三つある洗面台の真ん中にとりあえず立ってみる。後ろを霧島が通り過ぎる。当然ながら、霧島の姿は鏡の中を左から右に向かって移動する。目を向けてさえいれば、まず左側の鏡を彼女が横切り、一瞬ブランクがあって真ん中の鏡を横切り、もう一度一瞬のブランクがあって右側の鏡を横切ることになる。しかし実際試してみると、左や右の鏡の中を彼女が映っているところを見るのは、そっちの鏡にわざわざ視線を向けていなければ難しいかもしれない。

「普通に手を洗って正面の鏡を見ていたら、後ろを横切るのは一瞬だね」

 まして、正面の鏡には自分自身の顔が映っている。

「そもそも、映らなかったことを見るっていうのは、結構難しいんじゃないかな」

 大体、手洗い場の怪談というのは、むしろ見えてしまう、映ってしまうというのが多い。髪の長い女が映っているとか。それに比べて、吸血鬼疑惑のあるクラスメイトが鏡に映らなかったのを見た、というのは、つまり見えなかったわけで。見えなかったことを見たというのは不思議な話だ。

 それは私も聞いてみたんですけれど、と霧島が説明する。

「手を洗ったあとで、髪を直していたら、トイレの入口の方から足音がしたんだそうです。それでふとそちらの方を見たら、そこに出雲泉水がいた。つまり後志さんは、まず肉眼で、出雲泉水を見たんです。その時点で、吸血鬼だっていう噂の彼女と二人きりの空間にいるのが、怖かったみたいで。その後、おもむろに出雲泉水は後ろを通り過ぎたそうなんですが、その時に鏡に一切映らなかった」

「ううむ」

 私は考える。

「つまり後ろを通り過ぎる気配とか、足音とか、そういうものが確かにあったのに、鏡には映らなかった、ということか」

「はい」

「うーん……」

 私は考え込んでしまう。

「先輩、どう思いますか」

「まあ、正直信じられないよね」

「ですか……」

 霧島は困ったような顔をする。友達を信じてはいるものの、客観的にこの状況を見てそうとも言えなくなってきたのだろう。

「トイレの鏡に映らなかった、という言葉だけならまだそれらしさもあったけれど、こうして現場で確認してみれば、どのみち鏡に映るのなんてごく一瞬だ。例えばその一瞬を見逃したりすることは普通にあるだろうし、見間違い、ってことなんじゃないかな」

 現に、ついさっき霧島は、後ろを通り過ぎて鏡に映った出雲泉水を見逃している。人間、集中して見られる範囲というのはそれくらい狭いもので、視界の端で何が起こっているか、案外見えていないのだ。

「やっぱりそうなりますかねぇ……」

 霧島は落ち込んでいる。

「お前は友達思いだな」

「ああ、いえ、だって」

 霧島はなおも深刻そうに言う。

「後志さん、結構ショック受けてたみたいで。だから鏡に映らなかった理由とか、そういうのがあればむしろいいかなって思ったんです。なんか、光の加減でそう見えただけ、とか。そういう説明が付けば安心させてあげられるなって。でも見間違いとしか言えないと……」

 霧島はそういうやつだ。何も本当に出雲泉水が鏡に映らない吸血鬼だと思っているわけではない。後志の不安を払拭してあげられれば、どんな説明だって良いと思っているだろう。

「見間違いだなんて言われても、安心はできないよね」

「はい。だからどうしようかなって……」

 しかし、改めて鏡を見てみても、それは何の変哲もない鏡だ。一部が汚れているとか欠けているとかして、映るべきものが映らない状態になっているということはない。その証拠に、たった今私の背後で、霧島四方子の姿を見事に映し出してみせた。これを特殊な物理現象で説明することはできないだろう。なんとかのカミソリじゃあないが、見間違いで説明できてしまうことに、高度な物理トリックを考える必要はない。

 けれども私は別のことを考える。鏡に映らない吸血鬼について。

 なんだか今日は、ずいぶんこの話をしているような気がするのだ。


 *


 もう帰っているかも知れないけれど一応、と霧島が言うので、私も連れ立って保健室に行った。地学準備室がある3棟に戻るため、どのみち一度一階に降りなければならないから、保健室はほとんど道中ではあるのだが。

 けれど、ちょうど階段を降りたところで、私達は後志とクラスメイトの一行と鉢合わせた。

「あ、後志さん!」

 霧島が駆け寄る。私は部外者であるし、なんとなく手持ち無沙汰に階段を降りたところで突っ立っている。

 後志の顔色は悪かった。バスケ部と聞いて勝手に長身をイメージしていたけれど思ったより小柄だ。霧島を見て一瞬苦しそうな顔をする。けれどすぐ、力ない笑顔を作る。

「もう大丈夫なの? 制服に着替えたんだ?」

「うん、とりあえず大丈夫だから、今日はもう帰るよ」

「大丈夫? 一人で帰れる?」

「うん、もう普通に歩けるから」

 本人はそう言うけれど、それではと別れてしまうのも難しい集団の同調圧力が働いて、霧島たちは下駄箱まで彼女に付き添った。私も少し後ろから、集団を観察しながらついていく。

「私さっき、出雲さんを中庭のあたりで見たよ。だから今なら会わずに帰れる」

 クラスメイトの一人がそんなことを言う。後志はつらそうな顔をして、

「お願い、出雲さんの話は、絶対誰にも言わないでね。私の勘違いかもしれないんだし」

 一同が神妙に頷いた。すでにそのうちの一人は私という部外者に情報を漏らしているが……。

 後志は具合が悪そうに、けれども確かな足取りで、下校していった。クラスメイトの一団はなんとなく解散のタイミングをはかっているようだった。

「雨、やまないねぇ」

「あー、私教室に傘おいてきちゃった」

「後志さん、来週の球技大会は大丈夫かな?」

「後志さんいないと厳しいよねー」

「っていうか出雲泉水って、ホント何者?」

「え、あんた吸血鬼説信じてるわけ?」

「そういうわけじゃないけどさぁ」

 しばらく宙に浮いた時間を過ごした彼らは、やがて散会する。


「すみません、先輩。おまたせしました」

 霧島は相変わらず顔を曇らせて、こっちに戻ってくる。その顔は本気で友達を心配していることがわかる顔で。

 本当に愛すべきバカだと、私は思う。

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