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吸血鬼はなぜ日常の謎を探し求めてしまうのか?  作者: 笹帽子
第2話 吸血鬼はなぜ目玉の謎を白日の下にさらすのか?
19/33

2-9

「……部長さんは、それが、推理の末にわかったということですか?」

「わかったよ。いま言ったとおりの理屈だよ」

 吸血鬼は納得いかなそうに日傘を弄んだ。もうさすがに、その日傘を差してはおらず、閉じたのを膝に立てかけている。


 もう一度ファミレスなりカフェなりに入るというのはなんとなく気が引けて、私たちは川沿いのベンチに座っている。出雲泉水の側の懐事情は知らないが、私の方はそんなに余裕があるわけではない。夕明かりが煙り、小さな河川敷には私たち二人だけだ。


「先生に確認したりしたのですか?」

「いや、してない」

「……では、本当に正解かどうかは、わからないのでは」

 琥珀色は戸惑って揺れていた。

「まあ、そうかもね。でも謎は解けてるでしょ? 感覚の問題だよ。目玉を引っぺがして、その裏の天井板を見たら答え合わせにはなるんだろうけど、勝手に剥がせないでしょ。……あ、剥がすなよ、ダメだからね出雲さん絶対剥がしたらダメこれは振りではない」

「剥がしません」

 お前は何を言っているんだ、というような目をされた。意外と表情が動く。初めて話したとき、この子はこんなに表情があっただろうか。

 けど、先週は入部届を犯人から奪い返してきたくらいだから、そういうことしかねないだろう。

 この子は私の想像を易々と超えてしまうのだ。

「いや、謎解きはさ、解けたら楽しい、っていうのが重要だから。客観的な事実の確認は、簡単に出来るならするけど、無理矢理する必要はない。目玉を強引に剥がすとか、あるいは今はもう社会人になってるだろう制作者を突き止めて連れてくるとか、そこまでは私はしない」

 出雲泉水はなんとなくまだ腑に落ちない顔をして、空中を見つめる。


 解けたという感覚が最重要だと私は思っている。あの人だってそう言っている。解いてやったという勝利の感覚を愉しむだけだ。それが結果的に誰かの役に立てば嬉しいが、無理に役に立ちたいと思っているわけではない。だからあえて解けた謎を吹聴する必要はない。役に立ちそうになければ、解けてもそっと胸にしまっておけば良い。独りで宝にすれば良い。祠に納めておけば良い。

 それで自分が少しでも、何者かではあるのだと、そう思えればそれでいい。


「みんな、知っているんでしょうか。あの目の意味を」

「いや、知らないんじゃないかな。美術部員だって知らなかったわけだし」

「教えてあげないのですか?」

「別に、わざわざ教えにいくことはないかな。そんなに気にしていなかったし、証拠もないし」

「あの、部長さんはさっき、謎は解けてると言いました。でもやっぱり、証拠がないと本当に正解かどうかわからないのではないですか」

「まあ、確かにそうかもしれないけど」


 それでもこの『美術室前の天井に張り付く目玉』は、私の中では解けた謎だった。解けた謎には興味は失せてしまう。熱は次の謎に向かう。この目は次の獲物を探す。

 三大『まだ解けていない謎』。

 たとえばあのたどり着けない宝の地図であったり。

 たとえばあの出自の知れない石であったり。

 たとえば目の前の吸血鬼であったり。


 けれどそれらに取り組む前に、済ませておくべきことがあると思った。

「そんなことより、私の方も話があって」

 出雲泉水は今日の部活動を楽しんでいるようにはあまり見えなかったけれど、実は謎班の活動に対してノリノリで、自分の謎まで持ってきてくれたなんてと思うと、私の心は随分軽い。だからじゃないが、そうしてこれはラブではないが、思ったより自然に、思っていたよりはるかに自然に、言うことが出来る。目の前の川を照らす夕日は残照に変わりつつあり、その流れは緩やか。平時潺湲(せんかん)の流れ、わずかに踵を没すべく、というやつだ。

「金曜日、あー、出雲さんがその腕、怪我したとき。どこまで聞いてたかわからないけど……なんか悪い言い方になっててごめんね」

 川の方を向いたまま喋るから、出雲泉水の表情はうかがえない。

「出雲さんが入部してくれるって言うから、嬉しかったんだよね。どんな人なのか気になるなって。それがちょっと、部のために都合良く入部させたみたいな言い方になってて、嫌な言い方だったなって思って反省してて……嫌だったら、ごめん」

 出雲泉水は怪訝そうに首をかしげた。

「あの、話というのはそれですか」

「え、うん」

 見れば琥珀色がぱちりと瞬きをする。

「実は、何をお話しされていたのかはよく聞こえていませんでしたが、私は別に、嫌ということはありませんよ」

 あっけなく、私の悩みを吸血鬼は否定する。

「……それなら良かった」

 それなら、良かった。

 私の体の緊張が、今度こそ抜けていく。

「あの、それを言うならば、私が地学部に入部したのも、都合の良い理由ですが。今日、わかったと思いますが、私は全然地学のことはわかりません。問題ないでしょうか」

「え、いや、全然問題ないよそんなの。言ってるでしょ、地学はすべてだから」

「すべてですか」

 そこはまだ納得がいかないのか、出雲泉水は沈黙した。

 あっけないもので、土曜日あれだけ七転八倒して苦しんだ悩みが、もう消えてしまった。姉の見立て通り、何でもない話だった。そうして、わがままな私は、喉元過ぎれば熱さを忘れる。もう私の目は、次の謎を求めて、彷徨いだしてしまう。好奇心が腹の底から這い出してきて、私を突き動かし、尋ねられずにいたそれを、尋ねてしまう。

「あの……出雲さん、そもそもなんで木に登ってたの?」

 出雲泉水はたっぷり十秒くらい、黙った。

 ギプスを吊る布の白さももう眩しくない。

 湿っていて、わくわくする、夏の夜が近づいてくる。胸が落ち着かずに打っている。

「特別なものを探していました」

 その声音は変わらず、人間の心を一番超えやすい周波数に調整されている。

「事情があって、特別な……なんというか、普通の人間ではないものを探していて」

 特別なもの。普通の人間ではないもの。

「あの、ですから、謎班というのが気になりました。地学には、特に興味はなくて、初めに部長さんについていったのも、ゲリラ豪雨の予知をするのは何か、特別な力があるのかと思って」

「ゲリラ豪雨の予知は別に特殊能力じゃないでしょ」

「特殊だと思いますが」

「気象庁は異能力者の集団か?」

 出雲泉水はまた黙ったが、今度はその目が、そのギャグは3点ですみたいな視線を送ってきた気がした。

「……だから、謎班というのが、私に取っては都合が良いかと思って、つまり、普通の人間ではないものを、特別なものを、探せるのではないかと思ったのです。それが目的で入部しました。それなのに、今日は地学の活動をしていたので驚きました」

「言うほど地学じゃないでしょ」

「私はてっきり、街にモンスターを探しにいったりするのかと思ったのです」

「それは謎班ですらないだろ」

 せいぜいコミュニケーションモンスターしか見つかっていないし。

 そういえば、これは木に登っていた理由の説明になっていない。木の上にモンスターがいたとでも言うのか。

 けど、ともかく、私は嬉しかった。行動原理の一切が謎だった出雲泉水が、初めて自分の『理由』を教えてくれた。これで十分、上出来だと思った。

「よくわからないけど、謎班も大切な活動だし、地学部はすべてだから、何なら私も協力するよ。特別な、普通じゃないものを探すのもまた、地学部の活動の一つ」

 だからそう申し出てみたが。吸血鬼は予想外のことを言い出した。

「いえ、あの、部長さん。そういう貴方は、普通の人間なのですか?」

「私? ……私は別に、普通の人間だけど」

 私は特別ではない。

 本物ではない。

 天性の才能はなくて、目は借り物。

 ゲリラ豪雨の予知くらいは出来るかもしれないが、それだって半分くらいしか当たらない。出会ったあのときが当たった半分で良かったな。

 それでは吸血鬼は、私を頭上から狙うために木に登っていたとでもいうのか?

「私は全然、特別じゃない。本物じゃない。ちょっと背伸びをしているだけの、普通の人間だよ」

 出雲泉水は視線をさまよわせ、右手を使って自分と私の背を比べるような仕草をした。

 身長の話じゃないぞ。

「むしろ、私も本物を探している側だと思うよ。だから、特別じゃない側だから、出雲さんといっしょに特別を探すのを手伝えると思うけど」

 出雲泉水は、たっぷり三十秒、中空を見つめた。そこに浮かんでいる、モヤモヤした何かを見定められぬと言うように、時折目を細めて。姿形の見えない何かを捉えきれなかった琥珀色の瞳が、こちらにゆっくりと向かって、揺れて……最後には微笑んだ。

「よろしくお願いします」

 あたりがどんどん暗くなっていくのに、そのド目立つド金髪は色褪せなくて、私はその輝きから、目が離せなくなる。

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