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さて、問題は連絡先だった。
『明日は元々部活の予定だったので、急だけれども、もしスケジュールが空いていたら来て』、という内容を出雲泉水に伝える方法が必要だ。
連絡先を知らないわけではなかった。というか完全に知っていた。知り尽くしていた。通暁知悉していた。なにしろ、入部届に住所から電話番号から何から全部書いてあったからだ。好きな食べ物や、得意科目や、利き手や、無人島に一つ持って行くものまで知っている。でもそれで知った連絡先にいきなり連絡するのはちょっと、きついんじゃないか。いや、部長として部活の業務連絡を行うのは当然であり、むしろ入部届に書かれたその情報は、そのためにこそ使われるべきなのではないか。しかし業務連絡にかこつけてそこには個人的な心情が籠もっているのではないか。それを悟られることは無いか。無人島にはもっと実用的なものを持って行った方が良いのではないか。
などとたっぷり一時間逡巡していたところで、また携帯が鳴った。
霧島からのメッセージで、明日の待ち合わせを出雲泉水に伝えておいた旨が、ハートの絵文字に囲まれていた。
いや、なんでお前はもう出雲泉水と連絡先を交換しているのだ。
コミュニケーションモンスターか?
*
待ち合わせ場所は車の前だったのだが、私が到着するとド赤い車の前にド金髪のド美少女が制服姿でド瀟洒な日傘を差しているド異様な光景が遠目からわかった。目立ちすぎる。
「……おはよう」
心なしか、待ち合わせしている他の人たちから距離を取られている。声をかけると、やっとその両目がこちらを向く。ド。
「おはようございます」
「別に制服じゃなくても良いんだよ」
言った瞬間に間違っていると思った。私の第一声はそれであるべきではなかった。
駅構内に場違いなロードスターの前、場違いな美少女吸血鬼は、場違いに右手で日傘を差して、場違いに左手をギプスで固定し、肩口から吊っている。それは金曜日に木から落ちた時した怪我に違いがなくて、私は真っ先にそれを気にかけ、言葉をかけ、そのまま金曜日の出来事について、謝って、昨日までのモヤモヤを、今この瞬間も私を苛むモヤモヤを、なんとかしてしまうべきだった。それなのに口から出てきたのは、「別に制服じゃなくても良いんだよ」である。場違いは私だ。ド吐きそうになった。
出雲泉水は琥珀色の瞳でぱちりと瞬きをした。ド。
「部活というのは制服でないといけないのかと思っていました」
「まあ、学校行くときは制服じゃないとダメっていわれるけど、今日みたいに学校には行かないときは、私服で良いよ」
「わかりました」
そういう話がしたかったわけではない。そういう話がしたかったわけじゃないのだ。待ち合わせ時間までまだ少し時間があるし、霧島が来ないのなら、ここで手短に
「おはようございます!!」
コミュニケーションモンスターが現れた。
「おはようコミュニケーションモンスター」
「なんですかコミュニケーションモンスターって」
コミュニケーションモンスターはもちろん、普通に私服で、何やら気合いの入ったロングスカートでやたらスタイルがよく見えた。麦わら帽子なんてかぶっていやがる。
「え、どうしたのそれ、大丈夫!?」
そう、それが正解。コミュニケーションモンスターはいとも容易く正解を導き出した。
「少し転びました」
出雲泉水はそれだけしか言わなかった。
ホントに大丈夫か、骨折れてるのか(そりゃ折れてるだろう)、病院は行ったのか(行ってないのにギプスもないだろう)、治るのにどれくらいかかるのか(それはすごく重要で、かなりの謎だと私の目が告げている)、とコミュニケーションモンスターは心底心配そうな顔をして吸血鬼に質問を浴びせかけたが、本人は涼しい顔で、多くは語らなかった。私は不正解の敗者らしく、心配そうな顔をしながら黙って成り行きを見守った。出雲泉水は木から落ちたとは言わなかった。それはすごく不思議なようにも思えたし、かなり当たり前にも思えた。
やがて、狙っていたJRの時間がもう来てしまうことに気づいた私は、それを口実に一方通行の会話を打ち切り、コミュニケーションモンスターと出雲泉水を引き連れて改札へ向かった。
「ちょっと待ってください先輩、私このままコミュニケーションモンスターなんですか!?」
コミュニケーションモンスターが抗議した。
「お前は一番遅く来た罰としてしばらくコミュニケーションモンスターだ」
「だから何なんですかコミュニケーションモンスターって!」
「コミュニケーションがモンスターなんだ」
「なんかそれ唸り声で意思疎通するみたいになってますけど」
「やってみろ」
「ゲレゲレゲレゲレ」
「キラーパンサーじゃねえか」
JRの改札を抜けて、ちょうど発車するところだった普通電車に乗り込む。今日の行き先は電車で十五分ほど。外は燦々と晴れ。このまま海まで行きたくなるような、まるで夏が来たみたいなギラつきだ。ロングシートに出雲泉水、私、コミュニケーションモンスターの三人並んで腰掛ける。
「まだコミュニケーションモンスターなんですか」
「まだコミュニケーションモンスターだ」
「グルルルルル」
「ああ、確かに今日は良い天気だな。いっそ梅雨明けしてほしい」
「コミュニケーション出来てません!」
「あの」
出雲泉水が口を開いた。
「本日の部活動は、どちらへ」
「ああ、ごめん。電車に乗ってる間にその説明だった。ほらコミュニケーションモンスターが邪魔するから」
「先輩なんか今日私へのあたりがキツすぎませんか?」
「月末に流鶯祭があるでしょ。あそこで地学部は展示企画を出すんだけど、その取材」
「りゅうおうさい」
「え、知らない?」
琥珀色はぱちくりと瞬きした。
流鶯祭というのは要するにうちの高校の文化祭だ。いくら転入生でも、この時期に普通に教室に存在していれば嫌でも流鶯祭の話題は聞こえてきそうだが、出雲泉水のことだから上の空で何も聞いていないのかもしれない。
「泉水ちゃんうちのクラスの模擬店、店員やってくれるって言ったじゃん!」
いつの間にか泉水ちゃん呼びになっている。さすがコミュニケーションモンスターだ。
「え……」
吸血鬼の方はコミュニケーション雑魚だった。
そのまま黙って、なんとなく会話が終わった。いたたまれない。
「地学部としても流鶯祭でまともな活動の実績を作っておけば、部員が最悪二人でも存続させてもらえるかと思って、今年はそれっぽい展示を作っておくかと思ったんだよね」
それも出雲さんが入部してくれたのだからもはや要らないかもね、なんて軽口が、喉の奥で詰まって言い出せない。
「でも泉水ちゃんが入部してくれたから! それは解決ですね先輩」
「おいコミュニケーションモンスター、唸り声で喋れ」
「何なんですか先輩やっぱりひどいですよ」
無視して地学部の展示について私は説明を始めた。それを喋るのは楽だったから、そこに逃げた。
教室半分のスペースをもらって実施する地学部の展示のテーマは、『水害碑』である。
東日本大震災のあと、「かつて津波がここまで来た」「これより下に家を建てるな」といった石碑の存在が取り沙汰された。これまで自然科学からはあまり顧みられてこなかった伝承碑が、災害対策における教訓という観点から地学に接続しはじめた。
翻って私たちの街は、津波は来ないけれど、洪水や土砂崩れなどの水害ならば歴史上度々起きている。あまりみんな気にしていない(と、私は思っている)けれど、水害を伝える石碑は結構色々なところにあるし、まさにうちの高校のすぐ近くにも一つある。
そこで今回、地学部の展示では、近隣の水害碑を取材し、その情報を地図上にまとめるとともに、この土地の水害の起きやすさを地質学と気象学的に解説。さらに実際に水害が迫ったときの行動のポイントを啓発するという、大変に有意義な企画になっているのである。私が考えた。えらい。部長なので。
出雲泉水は私の説明をいつになく真剣に聞いていた。少なくともその琥珀色の瞳は、最後までこちらを向いていた。
「で、今日は最後の一ヶ所の水害碑の取材」
「あの」
吸血鬼は真剣な顔のままで言った。
「うん?」
「結構、地学なんですね」




