四話:アリサとの日常、そして────
アリサを私の専属依存オモシロメイドとして育て上げる計画について説明しよう。
まず、目標であるが、「私はもう、レイ様なしでは生きられない身体になってしまいました。どうかこのアリサをお傍に置いてくださいませ」と言わせるのがゴール。想像しただけで面白いでしょう?
上記の状態に持っていくためには、適度なアメとムチが必要となる。その匙加減を間違えないように気を付けることが私の役割である。
次に、アリサに学ばせることであるが、家事全般……はアリサのスペック的に絶対ムリなので、一か月以内に味噌汁を作れるレベルを目指す。小学校の家庭科で実習するようなことであるが、それすらも儘ならないのだから仕方がない。
最後に、アリサの勉強面についてだ。彼女は驚くべきことに、読み書きと乗除算が怪しいレベルにある。なんの冗談だと言いたくなったが、アリサは本というものを読んだことが無いらしく、加えて九九が言えなかった。「どれだけ酷烈な環境にいたんだ……」という憐憫の情と「この人は私が教えてあげないと何もできない人なんだ……」という篤志ともつかぬ愉悦が入り混じったドロドロの巨大感情が私の中で鎌首をもたげ始めていた。
◆
一日目。
「私はアリサを養うと言ったけど、最低限のことはしてもらわなければならないの。働かざる者食うべからず、よ」
「ひいっ、もうあのコンビニバイトは嫌よ! 私はここから再び世界征服を目指すという野望を胸に秘めているのに!」
「それは胸に秘めたままにしておきなさい。それで、アリサにやってもらいたいことなんだけど、一か月以内に一人で味噌汁を作れるようになってもらうから。達成出来たら月給に加えてボーナスで一万円を支給してあげる」
「い、一万円!? それって私の時給何時間分なのよ!? えっと、にいちがに、ににんがし────」
「その計算だと一生終わらないから後で四則演算も教えてあげるとして……とにかく、当面の目標は味噌汁を作り上げること。いいね?」
「頑張るわ!」
「私の好みの具材はニンジンと豆腐、それからワカメね。アリサも好きな具材を入れていいから」
「ニンジンってなに? どこの国の人?」
「そこからかー……よし、今からスーパーマーケットに行こう。食材の見た目と名前を憶えて貰うから」
「ちょ、私は大っぴらに動くと捕まる可能性が────」
「大丈夫、私が傍にいるって。ほら、私の服を着て。行くよ」
「私の意見は無視なの!? レイってばぁ!」
二日目。
「アリサ、童話の読み聞かせをしてあげる。文字を覚えるには最適だから」
「へー……」
「ほら、本が見えるところまで近づいて。それじゃあ読むよ。『むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがすんでいました』」
「ふむふむ」
「『おじいさんは、きをきりに、やまへいきました────』」
「…………」
「『────こうして、おじいさんとおばあさんは、しあわせにくらしましたとさ。おしまい』。どう、少しは字を覚えられ……アリサ?」
「すやすやぁ…………」
「寝るなーっ! 魔法少女式足つぼマッサージ・壱の型!」
「いっでででででっ、起きた、起きたからああああああぁぁぁぁ!」
三日目。
「ただいまー、料理の調子はどう?」
「全然できないわ。ピーラー使うの難しすぎじゃない? 包丁とやらを使いたいのだけど」
「包丁は危ないからまだダメ。でも、ちゃんと皮むきできてるじゃん。えらいえらい」
「別にアンタに褒められたからって嬉しくなんて……ふへへぇ」
「(よしよし、イイ感じに手懐けられてるな)」
「な、なんかレイが危ない顔をしている……」
五日目。
「九九はよく分からない…………でも、ソロバンの原理は理解したわ!」
「逆にすごくない?」
「それで、一万円の価値を計算してみたのだけれど、私の時給五十時間分だったのよ!」
「…………は?」
「な、なによその顔は。私が計算間違いをしているとでもいいたいわけ?」
「い、いや、ちょっと計算手順を見せてほしいというか……」
「これを、こうして、こうでしょ? ほら、五十が出てきた」
「アリサっ……よく頑張って生きてきたね!」
「なんで抱きしめるのよ!」
七日目
「通販でアリサの服を注文しておいたよ」
「なんで?」
「あなたが家の中で服を着てないからでしょ! Tシャツにパンツって目のやり場に困るからやめてよ。私の服を着ていいって言ってるのに全然着ないし」
「レイの服は胸元のあたりがキツくてイヤ。それに、この姿が一番楽なのよ。レイだって、アリサ様のセクシーな姿を見られて眼福ものでしょう?」
「いや、いい歳した女に半裸で家の中をうろつかれると気持ち悪いよ……」
「なんですって!? 『月の化身』とまで評された私を愚弄するの!?」
「それ十年前の話ね。お互いに歳は取りたくないもので……お酒飲む?」
「飲む」
◆
週末の金曜日。家で味噌汁作りに挑戦中のアリサへ、ケータイのアプリで『晩ご飯食べてくるから、アリサも好きなもの食べていいよ』とメッセージを飛ばしておく。ちなみに、アリサは財布以外に何も持っていなかったので、ケータイを始めとする生活必需品はすべて私が買い与えている。
隣に並んで歩くサナが、私の手元を覗き込んできた。
「誰ですか~?」
「んー、家族」
「……本当ですか?」
「誰だっていいじゃない。それより、美味しいお店を紹介してくれるんでしょ?」
「はい、サナの行き着けのお店です~!」
サナと約束を取り付けていた私は彼女の誘いに乗ってご飯を食べに行くことになった。訓練を終えてから時刻は夜。
飲食店が立ち並ぶ通りを二人で並んで歩き、ややしてクラシックな雰囲気がオシャレな料理店の暖簾をくぐった。
「よくこんなお店知ってたねー」
私は呆けたような声を出す。黒を基調とした落ち着いた空間は、そこはかとなくアダルトな雰囲気を醸し出している。目の前に座るサナはにこやかな笑みを浮かべているが、とても十五歳の少女のものには思えなかった。
メニュー表を開いた私は先輩風を吹かせることにした。
「好きなもの頼んでいいよ。今日は私が奢ってあげる」
「大丈夫ですよ、自分の食べた分くらい払えます」
「訓練生は給料出ないでしょ。いいじゃない、今くらい格好つけさせて?」
「……わかりました。ご馳走になります~」
サナはうっとりとした目──砂糖菓子を溶かしたようなドロリとした熱いまなざし──を向けてくる。どれだけ食べる気か知らないが、遠慮なくお腹を満たしてほしいものだ。
私は、貯蓄だけは腐るほどある。アリサはもちろん、サナだって養える程度には持っている。サナには自立してほしいから養わないけど。
華の十代を全て魔法少女に捧げ、命を賭して仕事をしてきたのだ、一生遊べるだけの金銭は貰ってしかるべきだろう。
私が誰にでもなく金持ち自慢をしていると、目の前に料理が並ぶ。舌鼓を打っていると、サナから話題が振られた。
「最近、零教官はサナに冷たいですよね~」
「そうかな? 今日だって一緒にご飯食べに来てるし」
「それはそうなんですけど~、そうじゃなくって~……訓練中も、上の空じゃないですか~?」
「上の空……私が?」
「そうですよぉ、ちゃぁんとサナのこと見てますか~?」
「見てるには見てるけど……」
言われてみれば、注意散漫だったかもしれない。最近はアリサのことを考えるあまり、仕事中にも彼女の顔が思い浮かんでしまうのだ。
若い子はよく見ている。きっと、生徒たちに集中して向き合っていない姿を「冷たい」と捉えられたのだろう。
「ごめん、確かに訓練中にボーっとしてたかも」
「なにか原因がぁ……あったりするんです?」
サナは上体を傾けてこちらの顔を覗き込む。胸元の緩い服を着ているため、サナの黒い肌着が見えてしまっていた。
私は視線を手元に落とす。
「うーん、原因というかなんというか。最近、一緒に住み始めた女の人がいてね」
「……………………はい?」
私は手元のパスタをフォークで巻きながら話を進める。
「昔の顔なじみなんだけど、面倒を見ることになったの。私より年上なのに何もできなくてさー」
「……………………アハ、ハ」
このパスタ美味しい。ソースは何を使っているのだろう。いつかアリサにも、こういうハイレベルなものを作ってもらいたいものだ。
「でも、そんなところが凄く可愛いのよね。愛着、っていうのかな。この人、私がいないとダメなんだーって思うとたまらなくなっちゃって」
「……ドウ、キョ…………カワイイ、アイチャク…………アイ、シテ、ル────?」
「だから、最近はその人のことを考えるあまり、仕事に集中できていなかったのかも。あなた達も大事な時期なのに、申し訳ないと思って────サナ?」
私が視線を前に上げると、サナは壊れた機械人形のように表情を固まらせていた。
顔は斜め四十五度に傾けられ、いつもは柔和な目元も見開かれている。瞳は充血し、何かを堪えるように唇はワナワナと小刻みに震えていた。
────なぜだろう、とんでもなくマズイことが起きている気がする。
「零様は、サナ、の、サナ、が、サナだけ、の、モノで、運命を、誓い合った、仲、で、あるは、ず、なの、に、ああ、これ、は、きっと、夢だ、そう、じゃないと、サナは、その人、を、コ、ロシ、テ、シ、マ────」
「サナ、サナってば、大丈夫? 体調が悪いの?」
「────────大丈夫です。サナは平気ですよ~」
「……よかった。急に譫言を口走るから何事かと思ったよ」
「すみません、最近は訓練が忙しくて疲れているみたいで」
「そうなの? それなら、今日はしっかりと休まないと」
私たちは食事を終えて、店の前にタクシーを付ける。サナを無理やり押し込んでお金を握らせ、早々の帰宅を促した。
彼女たちは私の大切な生徒だ。もしものことがあっては困る。
「よーし、私も帰ろう。今度はアリサと一緒に食べに来ようかな」
家で待っている人がいる。そのことが私の心の拠り所になりつつあることは、この時の私は気づきもしなかった。
「あはっ」




