二話:元ライバルがとんでもないことになっていた件
「らっしゃせー」
すっかり聞き慣れた腑抜けた店員の声と入店音をバックに、冷房の効いた店内へと足を踏み入れる。視線を巡らせると、目的としていた人物の姿はすぐに見つかった。
逆プリンヘアとでも言うべきか、毛先が黒色で根元が金色という目立つ髪。日に当たっていないのか血色が悪いのか、驚く程に白い肌。
コンビニの制服に身を包んだ彼女は死んだ魚の目をしながら品出しをしていた。その者が放つ負のオーラのせいか、周りに人は見受けられない。
これはまたとない好機と踏み出す。
「すみません、少しいいですか」
「はい……いっ!?」
振り向いた彼女は私と目を合わせた瞬間、その表情を固まらせた。美人が台無しな可笑しな顔だ。
「つかぬ事をお伺いしますが、どこかでお会いしたことがありましたか? 昨日からずっと気になっていて」
「あっ、いや、えっと、そのぉ……」
胸元のネームプレートに『シロモト』と提げた彼女は忙しなく視線を彷徨わせる。それは慌てていると言うよりはオドオドとしていると表現した方が相応しいかもしれない。
その焦った顔を見て────私の記憶が呼び覚まされた。
「もしかして、ブラッディレイン・アリサ?」
「げっ!」
「ああ、その顔、やっぱりそうだわ。私、レイだけど覚えてる? こんな所で会うなんて奇遇ね。今は何してるの?」
「あのっ、それは、ですねっ────」
私が脅している訳でもないのに、どんどん小さくなっていくアリサはややして絞り出すように声を出した。
「今は勤務中ですので、お話は後ほどお願い致しますぅっ……」
それは、彼女ができる精一杯の懇望だったのかもしれない。
時刻は二十一時。アリサのシフトが二十一時までということで、近くの公園で待ち合わせることにした。季節は秋、鈴を転がしたような虫の声が近くの草陰から響いてくる。
街灯が照らす公園には人っ子一人いないため、話し合うにはもってこいの場所だ。
しばらくブランコに揺られていると、弱々しい足取りでアリサがやってきた。バイト上がりであるため彼女は私服なのだが、Tシャツ一枚にデニムというなんともみすぼらしい姿であった。
立ち上がって出迎えると、アリサは怯えるように肩を跳ねさせた。
「久しぶりね、アリサ。昔はやんちゃしてたみたいだけど、今は丸くなったのかしら?」
「わ、わわわ、私は、おおお、お、お、お前なんかに」
「……?」
アリサは私を睨みつけるが、その体は濡れた子犬のように震えている。何事か喋っているが、戦慄く体に伴って声も震えているため何を言っているのか分からない。
不穏な空気を感じつつもアリサに一歩近づくと、彼女はとうとう爆発した。
「も、申し訳ありませんでしたーっ! もう悪いことはしていません! この通りです! どうか、どうかーっ!」
アリサは見事なまでの土下座を決め込み、私に深謝するのだった。
◆
「それでねっ、今に至るわけっ! 栄えあるブラックオーダーの幹部があんな場末のコンビニでこき使われるなんてあんまりだわっ、ううっ、うううっ」
「よしよし、大変だったね。ほら、鼻ちーんってしな?」
「するっ、ぶしゅっ、ぶしゅうっ!!」
「うわっ、豪快だね……」
数刻後、詳しく話を聞くためにアリサを家にあげた私は宅飲みと称して酒を飲ませ合い、これまでのことを洗いざらい白状させた。
すると、なかなかに面白い話を聞くことが出来た。
ブラックオーダーという悪の組織で世界征服を本気で目指していたアリサは、二十歳の時に人生の転機を迎えることになった。どういう訳か、組織のボスが有り金を全部持ち逃げしたらしいのだ。当然、資金がなければ活動など不可能なわけで、お金を集めるために奔走しているうちに組織は空中分解。悪名を轟かせた彼女たちの最期は呆気なかったという。
幹部だったアリサは突然、社会に放り出される形となった。他の組織で働き口を探したアリサだったが、裏社会では有名人である彼女のことを拾う組織などないわけで、「スパイ」だの「売女」だの散々な批難を浴びせられたのだという。
すっかり心が折れてしまったアリサは心機一転、足を洗って真っ当に生きていくことを決意する。しかし、それも過酷な道であった。うら若き十代を世界征服というアホなことに注ぎ込んだせいで学もスキルもなく、オマケに戸籍もないわけだから、雇ってくれる企業があるはずもない。短期のアルバイトを転々としながら行き着いた先が、例のコンビニであったという。身分を証明しなくてもいい代わりに最低賃金以下の時給で働かされるというブラックオーダーも真っ青なブラック条件で酷使されているのだとか。
加えて、彼女は腐っても元・悪の組織幹部。その正体は、いつバレてもおかしくはない。警察や政府に怯えながら職場のコンビニと寝床のネットカフェを往復しているのだ。
憐れ、なんという凋落ぶりか。
「ひぐっ、仕事もできない学もない、お金もない、恋愛なんてまともにしたことも無いアラウンドサーティーの未通女に未来なんてないんだぁっ」
「よしよし、辛かったねぇ」
「レイいぃ!!」
何故だろう、メチャクチャ面白い。嗜虐心やら憐憫の情やらが度を越してしまったせいか、とても人間に対して抱いてはイケないような感情がムクムクと湧き出しつつある。
表面上では慈母の笑みを心がけているが、心のうちでは悪魔のようにゲラゲラと笑い転げている。
「ううっ、ぐすっ、私これからどうやって生きていけばいいのかしら……」
「そうねぇ……」
どうしよう、真面目な場面である筈なのに頬が自然と緩んでしまう。笑ってはいけない場面であるからこそ、笑ってしまいたくなるのは人間の性か。
私は既に一つの結論に至っていた。
アリサを匿って、養おう。そして、行く行くは私の存在無しでは生きていけないようにしてやろう。
反社会勢力であった彼女を国家機関に属する私が庇うことがどれだけの重罪か。
しかし、そのリスク以上に彼女が魅力的なのだ。かつて敵対していたライバルが長い時間を経て落ちぶれてしまった。絶望に涙するアリサは私に拾われることで自分の居場所を見つけるのだ。私無しでは生きていけなくなったアリサ────なにそれ、すごく面白そう。
まさか私にこんな性癖があるとは……いや、その兆候はあったか。現役魔法少女時代は悪の組織を殲滅することが好きだったし、積み重なった雑兵を見て忍び笑いを漏らしていたし、アリサのような幹部連中を吹き飛ばしては気持ちよくなっていた。
私は酔っ払ったアリサの手を取ってそっと耳打ちする。
「私が養ってあげようか?」
「……へ?」
「衣食住完備、家事をやってくれたらお小遣いとして給金も払ってあげる。どう、悪い話じゃないでしょ?」
「い、いいの!?」
アリサは驚いたような顔から泣き顔へ、最後はふにゃりと力の抜けた笑顔で私に抱き着いてきた。
「うぅ、レイありがとうっ! アンタは私の天使様よ~っ!」
「ぷっ……ええ、ええ、これからは二人で頑張っていきましょうね」
天使、か。
悪魔の間違いじゃなければいいけど。
◇
翌朝、酔いが醒めたアリサから「その……今日からよろしくね」と初々しい恋人のようなセリフを吐かれた私は愛玩動物にするように頭を撫でてやった。ちなみに、アリサは私より二歳年上である。
アリサにはバイトを辞めるように言いつけ(辞められそうにないならバックレてもいい)、本日の課題として「晩ご飯を作ること」を伝えた。まずはこれくらいから始めて、ゆくゆくは私専属のメイドというべきか、私に忠誠を誓うアリサを作り上げてみたい。亭主関白ですって? ちゃんと月給を出すつもりだし、そういうのじゃないから安心して。
「零教官、今日はこの後おヒマですか~?」
本日の訓練終了後、私のもとを訪れたサナは長い黒髪を揺らしながら甘ったるい声で私を誘う。しかし、今日も今日とて私は断りを入れた。
「ごめん、今日はこれから書類整理があるから、また今度ね」
「サナは何時間でもお待ちしますよ~?」
「それは私の心が痛いというか、サナのことが気になって仕事に集中できなくなっちゃうからさ。そうだ、来週の金曜日なら早上がりできそうだから、その時に食べに行こうか」
「……はーい、了解しました~」
「それじゃあ、気を付けて帰りなよ」
サナに手を振ると、少女は会釈して去って行った。
こんな年上を熱心に食事に誘って何が良いのやら、最近の若い子の考えることはよくわからないものだ。
「アレはサノでもミソラでもない新しいオンナのニオイ…………」