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スガノ神霊譚  作者: 弱酸
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参章(5)

 しかし、その未来は思いの外早く訪れるのだった。

 閉じられていたドアは再び勢いよく開かれると同時に、妙にくたびれたような、憔悴し果てた追風さんの姿が見られた。すぐ隣には、追風さんの付属品であるかと言わんばかりの相変わらずな若宮が突っ立っている。

 ふたりとも両腕には大小様々なコケシや赤ベコを一杯に抱えていた。

「やぁ追風、遅かったじゃないか。あんまりにも帰ってこないものだから、てっきり君もこけし愛好会の一員になったんじゃないかと勘ぐってしまったよ」

 右に同じ。

「……いや、そんなことはないんだけどね……。部屋に入ったら、コケシみたいな子と一緒に赤べこみたいな子も一緒に居て……」

 もう彼女は手遅れだったのか。ところで、*赤べこみたいな人*という表現がどうも気になる。一歩間違えれば、それはホラーの気配さえ匂わしかねないのだが……。

「それは、君からすれば期待外れだっただろうね。君が思っている以上に『平凡荘の沼』は底なしで強烈だから、一度足を突っ込んでしまえば、そのまま引きずり込まれるだけなんだよ。平凡荘に関わるもの全員がそうだ」

「そんな事言われたってぇー! それに勧誘なんだか知らないけど、こんなに沢山のコケシたちどうしたらいいのよ! 」

「持って帰ればいいじゃないか。せっかくなんだから」

「いやよ! こんなに沢山のコケシたちと一緒に寝るなんて絶対にイヤ! 」

「それはコケシや赤ベコを作っている人に失礼だ。ほら、よく眺めてみればどことなく可愛げがあるじゃないか」

「じゃあハルちゃん受け取ってよ」

「断る。見たらわかるだろう。この部屋にはこれ以上物を置くスペースは無いんだ」

「ほら、この子達を友だちと思って……」

「交友関係については間に合っているから心配ない。それに一人で至って別に寂しくなんか無い」

「んもぉー! そうだ川霧くん、これ持って帰ってくれんかな⁈ うち、家に置く場所ないんよ」

 畜生、目をつけられた! 黙ってれば切り抜けられる局面だと思っていたのに。

「すみませんが……、あの僕のところもなんというか……、その……、置くところがなくて……」

「えぇー! 引っ越してきたばかりなんやから置く所あるでしょ! 」

 なぜそう断定する! 勿論、それは正解だ。大正解だ。模範解答どおりだ。しかし、そんな木彫人形を部屋に何個も置いていられるほど、僕の精神力も屈強ではない。深夜の僕の床は常に安心感を保っておきたいのだ。

「それなら、そこにいる若宮さんはどうなんですか? 」

 もうずっと置物のように、コケシと赤ベコよろしく黙ったままだ。

「ねえ、みおちゃん。このコケシさんと赤ベコさんたち、お家に持って帰れるかな? 」

 追風さんは彼女に問いかける。まるで、彼女の母親であるかのように、彼女が小さな幼児であるかのように。しかし、聞いていることは面倒ごとの転嫁でしか無い。

 若宮は首を横に振る。

「みお、持って帰ったらお母さんに怒られるからダメ」

「ほらぁー! 」

「何がですかっ! 」

 本当に彼女は高校生なのか⁈ 言葉遣いがとてもではないが中等教育を修了したものとは思えない。まあ、確かに世の中には何の役に立つかは知らないが、猫を被ったかのように別の何かを演じる者は少なくないことも事実といえば事実だ。

 追風さんはなおも僕に言う。

「もう! キリカワくんしかおらんの! 」

「あの、川霧なんですが……」

「……」

 今この状況でそんな微妙過ぎるミスを普通、しでかすか?

「ねぇ、お願い! 」

 追風さんが目をキラキラさせながら、おそらく、普段は絶対しないような素振りを見せながら椅子に座ったままの僕に迫ってくる。そんな卑怯な手は、これまで女の表と裏というものをまざまざと見せつけられてきた僕には通用しない。耐性があるんだ。

「イヤですよ。第一、追風さんたちが貰ってきたものなんだから、追風さんたちが持って変えるのが順当なんじゃないんですか」

「ググッ」

 それは、声に出して言うものではない。人物の内面描写で現れるべき表現だ。

 追風さんは、ふて腐れたように言う。

「じゃあ、このコケシと赤ベコの名前をみんな『カワキリ』くんにするっ! それから、この子達を学校中にバラ撒くっ! カワキリ一号、カワキリ二号、カワキリ三号……」

「いやいやいや、何を言ってるんですか! 」

「だって川霧くんが持って帰ってくれんのやもん! 」

「いやいや待って待って! 」

 追風さんが油性マジックを取り出してコケシの額に名前を書き始めた!

 そんなことをされたら僕のこれからの学校生活に想像を絶する影響が出かねない。先生たちにバレるでもすれば、新手のいじめか何か思われかねない。この学校に誰か、川霧姓は他に居ないのか!


  埒が明かない。


 結局、コケシと赤ベコたちは四人でそれぞれ持ち帰ることにした。奥田川さんについては、部室は等しく彼の個室であるため、いくつかのコケシと赤ベコは「研究会の備品」となるようだった。

 追風さんの出し抜けな行動に僕は何度も振り回されることになってしまったが、何はともあれ、コケシに僕の名前がつけられることだけは防いだ。しかし、僕はこの研究会に於いて「ホリョ」と呼ばれる不可解な役職を与えられてしまったことは心残りだ。

 僕と追風さんと若宮さんはもう帰ることにした。

 外はもうすっかりと闇に包まれている。先程まで存在していた校舎周りののどかな雰囲気はもうすっかりと町の外れ特有の不気味さに様変わりしていた。玄関前の証明と校舎から漏れる明かり以外に周囲を照らすものは特に無く、主に広葉樹林で覆われた周囲からは様々なあまり落ち着きを感じられない音色が鳴り響いている。まさに片田舎の夜といったところだ。

 奥田川さんは玄関先まで見送りに来てくれた。

「いやぁ、今日はすまないね。出だしがこんな大騒ぎになってしまって。もうすっかり暗くなってしまっては、一人で帰るのは危ないだろう。三人とも街灯の見えるところまでは一緒に帰りたまえ」

 僕は奥田川さんに尋ねる。

「あの……、僕帰り道がわからないのですが、どうやって帰ればいいですか」

「大丈夫よ、川霧くん。うちも一緒に帰るんやから心配せんでいいよ」

「そうだぞ、川霧。別に今日来たあの通りをまたたどって帰る必要はないんだ」

「えぇー⁈ もしかしてハルちゃんまた変な道を通ってきたんでしょう。もぅ」

「なあに、私は時間短縮のために最短経路を突き進んだだけさ。それに川霧くんも楽しかったろう」

「うーん……、楽しかったと言うか、大変だったと言うか……」

 それでも、あの複雑極まりない幸塚高校の校舎の一部を目にすることができたのは、どこか僕の中に未だ存在する幼児性好奇心をくすぐるものがあった。

 奥田川さんは続ける。

「今はどうであれ時期に君たちも平凡荘での生活になれると思うよ。良ければ暮らしたっていいんだぞう? 」

「いいえ結構です」僕は即答する。

 いくら登校時間が短縮されるとは言え、たとえ最近知った親戚の宅だろうともそちらのほうが落ち着くのだ。魑魅魍魎ちみもうりょうという言葉そのままとまでは言わないが、ここを根城にする者たちが何かしら一般人離れした妙な嗜好性しこうせいを示している以上、こんなところでおちおち安心して眠るわけにもいかない。僕の健全な精神の維持にも関わる重大な問題だ。その成れの果てであるこの建物の「管理人」は、今このようにして僕の目の前で妙にニヤついた表情を見せている。

「そういえば奥田川さん。この研究会の活動日程を聞いてなかったです」

 仮に部活動が無かろうともこの人は結局毎日居るのだろうけれど

「あぁ、活動日程ねぇ。特に無いかな」

「まさか、わざわざ入った部活が実は幽霊部活だったというわけじゃないですよね? 」

「いやいや、そういうことじゃないよ。語弊だ。語弊。すまないね、言葉足らずで。私が言いたいのは、不定期活動って言う意味だ。僕が活動すべきと思ったときに活動するし、したくないって思ったときはしない。そっちのほうが気楽でいいじゃないか。毎週何曜日家に集まって何時間か活動して……、みたいな義務的感情に駆られた部活動というのは、部長たる私が好むところではないし、神霊研究会が代々続けてきた活動スタイルだ。だから、さっき君たち一年生二人の連絡先を交換したんだよ。活動するときになったらそこに連絡を入れる」

「でもハルちゃんが連絡するタイミングっていっつも直前やから、二人ともきいつけときよ」

「人聞き悪いなあ。何も私は君たちを苦しめようって思って連絡してるんじゃないぞ。チャンスは一瞬なんだから、それを逃さないようにしているだけだ」

「はいはい、わかってますよ」追風さんが母親のようになだめる。

「そうだ」奥田川さんは小さな手拍子を打つ。

「今日は諸々の事情で何もできなかったから、明日は先にこの平凡荘の中身を案内することにしよう。それから本活動に入る。確かに今日は一悶着会って、確かに私は負傷したのだけれど、これは私にとっては、研究を成功に導く大きなチャンスだと思っているんだ。とてもワクワクしている。興奮が止まらない。今こうしている間にも私の脳では、研究に対する創造的手法の数々が湧き出てきている。入部してくれた川霧に対してもだけど、私はあの切りつけてきた宇佐原家の少女にも大変感謝しているんだ。憎悪の一欠片もない。もちろん、彼女を連れてきてくれた追風と若宮さんにも感謝している。私たちの研究は大いに進展を見せそうだよ。だって、ここ洲賀野地方のおいて確かな血統を上古から引き継いできた高名な川霧家と宇佐原家両家の子孫がこの幸塚高校に在籍していて、しかも二人とも同級生ときた。これほどまでに都合のいい巡り合わせが今後もヒョイッとまたやってくるとはとても思えない。千載一遇せんさいいちぐうのチャンスなんだ。私はこの機会を逃すことはない。神霊研究会が長年研究してきてもたどり着けていない秘密を二人は抱えているんだ」

 奥田川さんの口ぶりは情熱的と言うより、熱狂的・狂信的であった。

 今日見てきたどの奥田川さんよりも口周りのほうれい線は深く刻まれ、目は見開き、手振りと身振りは大きかった。宗教そのものを研究対象とした無神論者のように見せかけて、しかし一方で、彼には彼の意識し得ない潜在的局面において極めて宗教的・カルト的信仰心が感じられた。

 もしかするとその姿はポピュリズムの熱狂に染まる一ポピュリストのようなものなのかもしれないのだが、しかし、この情動はそれだけ、その研究と呼ばれるものに対して飽くなき情熱を注いでいるという事実の現れなのだろうか。僕にはさっぱりわからない。熱中したことがないから、わからない。

 森羅万象に特別の好奇心を示すこと無く、ただ傍観し尽くし、斜めに構えてきた僕にとって、奥田川さんのあの狂信的な気持ちの高ぶりというものは一切推し量ることができないのである。

 追風さんはいさめるように言う。

「でもハルちゃん。あんまり無理しないでよね。あの宇佐原とかいう子もまた何しでかすか分かったものじゃないじゃないし。またハルちゃんのことを傷つけようものなら、今度はうちが全力で守るんだから! 」

「ほほう、殊勝しゅしょうな心がけじゃないか。どうして、そんなに私のことを心配するんだい」

「……って、何だっていいじゃない! 同じ部員だし……、それに幼馴染だし……」

 追風さんはポッと頬を赤らめる。まぶしいなぁ、その光景。

「ミオも一緒……」若宮は追風さんの腰回りに深く潜った。

「大丈夫よ、ありがとう」追風さんは抱きつく若宮の頭をポンポンと優しく撫でる。

 何だこの温かい家族みたいな光景。僕だけが完全にのけものになってしまってるじゃないか! 羨ましい。僕も「ママ~」とか言えば、追風ママに頭を優しくナデナデしてくれるかなぁ。いや……、違う。そうだ、僕はホリョだったか、畜生! 今年で十六歳になろうとしているこの僕が、なんて気持ちの悪い妄想をしているんだ。あーもう、嫌になる。


 玄関先で長々と話していた四人であったが、最終的に、三人は奥田川さんに見送られる形で後にした。

 ところで、ここからの帰り道というのは思いの外わかりやすく、平凡荘のある丘を来た道とは別方向の細い坂道を降ったところに、ペンキがぼろぼろに剥げてサビがまとわりついた裏口の鉄門があった。追風さんいわく、校内の警備員という職業は予想以上に働いていないようで、学校にいくつかある裏門は大抵の場合開けっ放しであるらしい。それだけでなく、平凡荘に住み込んでいる奥田川さんのような風変わりな学生たちの他に、意外にも教員たちもよく校内で一晩過ごすことがあるのだとか。そのため、夜中に近くのコンビニに赴いた道中に教員に見つかったとしても、その教員も同じく寝泊まりしてる仲であるため何のお咎めも受けないらしく、それどころか「こんばんは」と挨拶を交わすのだとか。

 なんてゆるい学校に僕は入学したんだ。まったく。

 裏口の前にある坂になった公道は、その周囲を鬱蒼とした雑木林に囲まれていて、やはり虫の鳴き声と追風さんの喋り声しかしなかった。そして追風さんは、この公道を下った先にバス停があることも教えてくれた。僕は追風さんと先程から追風さんにべったりとくっついたままの若宮の三人で緩やかな坂道を降りていく。

 バス停に着いたとき、二人は電車で通っているからということで、僕らはここでお別れになった。僕は小さく手を降って見送る。

 僕はバスを待っている。ところが、この通りはバス一台どころか、一般乗用車の一台すらも通らなかった。あたりには自転車に乗っている人も歩行者すらも居ない。たしかにここは一端の住宅街なのだが、それにもかかわらず静かだった。

 蛾の群々が飛び交いジー……と古びた蛍光灯の音がする街灯に照らされる真下には、所々が歪んでいるバス停とペンキの禿げたベンチと今日一日散々な目にあった僕がいる。

 今一台、乗用車が横切った。

 僕はただひたすらに宵空を見ながらバスを待ち続ける。

 宵の明星が眩く光っていた。


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