参章(3)
「それでは諸君、艱難辛苦ございましたが、ここでようやくゆったりと腰を下ろして自己紹介の場としましょう」
奥田川さんの言う通り、僕らは新しい部員が入ってきて自己紹介をするという、一般的な状況であればすぐにでもできそうな流れを予想打にしない形で乱してしまっていた。その表現事態は随分と盛っている気もしたが、一度気を失ってしまった奥田川さんからすればそれ程のことだったのだろう。
すでに陽は落ちかけ、朱色に染まる朧気な西日は地平線の空をその色で染め上げようと目論み、それと同時にこの「神霊研究会」の部屋の中をところどころ折れ曲がったブラインドを介して壁やテーブルなどをレモン色の光がノスタルジーを観せていた。もっとも、その空間は、そろそろ暗くなってきた頃ね、と追風さんが蛍光灯を付けたことにより去っていったのだが。
出血か心身疲弊によるしばらくの眠りから覚めた奥田川さんは、薄手の毛布に身を包みつつ、デスク前の椅子の上で小さく収まっていた。僕と追風さんとニセ幼女は、ラウンドテーブルを囲んだ椅子に座っている。
「じゃあ先に自己紹介したい者は挙手」
「はいっ! 」
奥田川さんの呼びかけに真っ先に応じたのは、追風さんだった。元気なお姉さんは、バタンッと立ち上がる。
「どうも初めまして、二年二組の追風千奈です! 千辛万苦の『千』に奈落の『奈』で千奈と読みます! 」
性格はポジティブなのに、漢字の例えは随分と後ろ向きだな。
「実はこの部活以外にも美術部や写真部・文芸部とかも掛け持ちしてます! 」
「そんなに生徒会に支配された部活に手を出してたら、いつか生徒会のいいように扱われるだけだぞ、まったく」奥田川さんが不満そうに呟く。
「大丈夫だよ、ハルちゃん。別にどの部活にだって不定期で顔だしてるだけなんだから。幽霊部員じゃない、ゾンビ部員ってことで……。あっ、それでね聞いて! 実はうちとハルちゃんって幼稚園の頃からの幼馴染なんよー」
「それは随分と長い付き合いですね」
「そう。幼稚園も小学校も中学校も高校もずーっと一緒。しかも、この学校はエスカレータ式に大学に進学できるから下手したら、うちとハルちゃんはこれからもずっと一緒ってことになるんやね! 」
「変な冗談はよせ。それにその幼稚園の頃の妙なあだ名で呼ぶのはいい加減に卒業しないか」
「えー、うちはこの呼び方で慣れとるんやからずっとこのままがいい」
「はぁ、もぅ」奥田川さんが、呆れたように両手で顔を隠す。
「それからね! こちらの小さい女の子は若宮みおって言うんよ。みおちゃん、自己紹介お願いね」
ニセ幼女、若宮は座ったまま話し出す。
「一年五組の若宮みおです。文芸部か美術部にも入る予定です。ユキお姉ちゃんとは、小学校のころからずっと一緒です。よろしくです」
「ということはここのお三方は、随分と長い付き合いの間柄ということですね」
「うーん、追風は私と若宮さんと随分と長い付き合いだけど、僕は若宮さんとはまだずっと離したことはないかな。近くには居たけど、それ程話の種も生まれなかった関係かな」
この人は本人の前で随分と直接的な表現をするな。オブラートに包み込むということを知らないのか。
「それでは、川霧くん。次の自己紹介をお願いね。締めは部長だと最初から決まっているから」
僕は椅子を脚で後ろにずらしラウンドテーブルに手を添えて立ち上がる。
「皆さんはじめまして、一年四組の川霧結といいます。清玉宮神社の実家で下宿しています。でも……、実家のことはつい最近知ったというか、いままでよく知らなかったというか……、とにかくその辺に纏わる話は僕に聞かれてもよく分かりませんが、できる限りのことは頑張ります。よろしくお願いします」
追風さんが食い気味に聞いてきた。
「実家のことをよく知らないって、実家の存在すらも知らなかったの? 」
「実家がどんな家なのか、どんな親戚がいるかも全く知らなかったです。いるだろうとは思ってましたが、その存在を母に告白されたのは去年の夏です」
「でも、実家っていってもお父さんの方の実家とお母さんの方の実家があるよね。お父さんの方は? 」
「それは、その……、何というか、父の方は僕が幼い頃に亡くなってて……」
「あら、うち、結くんのデリケートな部分に触れちゃった⁈ ごめんね、結くん。悪気はなかったんよ。許して」
「いや、大丈夫ですよ。こういうのは慣れてますから……」
少し場の空気が重くなってしまったか。でも、僕はどうってこと無い。いつも、こうだったから。父親と呼ばれる存在や親戚と呼ばれる存在がいなかった僕にとって、父という存在は消えたものではなく、存在しないものであった。強いていうのであれば、僕の父と呼べるものは写真一枚でしかない。その面において、世間は少々母子家庭と呼ばれるものを若干深刻な問題と受け止めているのかもしれないが、当の本人からしてみれば過剰反応でしかない。無いものは無いのだから仕方ないんだ。
「すまないね。とりあえず川霧家に関しては少々複雑な事情があるということがわかっただけで十分なことだし、それ以上君本人の複雑な家庭事情には踏み入れて傷つけることはしないよ。多分ね。ただ、知っておいて欲しいのは君のところの川霧家とあの少女の宇佐原家はこの土地じゃ『訳あり』だということだ」
「訳あり……、ですか……」
「そう、訳ありだよ。さっき君が彼女から襲われそうになったのもきっとその辺の理由なんだろうと私は踏んでいるんだがね」
訳ありの家系か。訳ありの家庭で育った僕であっても知り得ない。
「まあ、君に関する話をするとこうも空気が重くなるのは仕方ないことだよ。その話は追々するとして、次は私の自己紹介の番だな」
奥田川さんは小さくくるまったまま座っていた椅子から毛布を羽織ったままゆっくりと立ち上がった。その容姿は病院の憩いの場にいる入院患者と大差なく、病弱そうで、弱々しく、不気味さが漂っている。
「それでは皆さん、初めまして。出会って早々、見苦しいところを見せてしまったことを大変申し訳なく思っている。神霊研究会部長でありながら、この幸塚高校生徒の文化創造の場であるこの平凡荘の現管理人である二年二組の奥田川成明だ。どうぞよろしく」
「平凡荘の管理人ですか……? 」
「そう。管理人だよ。神霊研究会の部長は代々この平凡荘の管理人を任されるんだ」
「だからってハルちゃん、この部室で毎日暮らす理由にはならないでしょ」
毎日? この人はこんな古びた昭和の団地みたいなオンボロ建物に毎日暮らしてるというのか。通りで、この部屋は生活感が満載だ――学生の一人暮らしにも引けを取らない、いや生活感の度合いで言えばそれにも勝る生活器具とよくわからない書類や本の多さ。割と安く売ってそうな小ぶりの二ドア式の廉価版冷蔵庫の上にところどころに小さなシミのついた電子レンジと、どこからか拾って来たのかとしか思えない半世紀は経っていそうな錆だらけの赤外線オーブン。ラウンドテーブルの上には、水が捨てられずにため置きされずに残ったままの黒い電気ケトルとカセットコンロ。壁には、焦げのついたフライパンとフライ返しや菜箸がかけられている。隣の戸棚には不揃いな大きさの食器類やスプーンやフォーク、使いかけのソースや醤油などの調味料が分厚いフォルダと一緒に入っている。
一言で表すなら、仕事場と自宅を一室に混ぜ込んでしまった引きこもり男子学生のような部屋だ。
「いやいや何を言っているんだね、追風。管理人たる者、昼夜を問わず入居者の対応をしなきゃいけないのだよ。管理人は二十四時間営業が基本なんだから」
「あんまりハルちゃんが帰らないもんだから、ハルちゃんの家の人も心配してるのよ。それに、ハルちゃん以外にこの棟で寝泊まりしてる人なんていないでしょうよ? 」
「それが結構いるんだよ。施錠委員会のメンバーとか秘宝探検部のメンバーとか、あとかつて存在していた異世界転生部の内の異世界に行けなかった残りの残党とか」
なんだそのへんちくりんな名前の部活は、全然やってる活動内容が連想できないぞ。それに異世界転生部の異世界行ってしまったメンバーは大丈夫なのか!
「ハルちゃん、そんな変な名前の部活動の名前、初めて聞いたよ。どうせ、適当に作ったんでしょう」
「嘘なんかつくものか。追風が知っているのは平凡荘の数ある有象無象の部活動の中でもほんの一握りなんだから」
僕は問う。「あの……、ここってそんなにたくさん部活があるんですか? 」
「ああ、あるね。たくさん」奥田川さんはチェアで揺れながら話す。
「でも僕……、今日の生徒会の部活動説明会でそんな名前の部活動は出てこなかったのですが……」
「そりゃそうだよ、平凡荘に入居している部活動は生徒会の傘下じゃないからね」
生徒会の傘下じゃない?
「君や若宮さんが今日の部活動説明会で紹介された部活動というのは、すべて生徒会からの直接的な指導を受けていて、そこから部費が支給されている部活動なんだ。だから、その集会で紹介されたのは『生徒会の部活動』なのであって、幸塚高校にある部活動のすべてというわけではないんだ。対して、私たちのいる平凡荘の部活動というのは、そのような権力組織に下ることなく、自由にその活動を謳歌している」
「でも、生徒会の傘下に入って何か問題でもあるのですか? 所詮、部活動じゃないですか」
「何を言っているんだね。川霧くん」
奥田川さんは、かけてある黒縁メガネを整える仕草をする。レンズが夕日の逆光で反射した――というより、レンズって本当に反射するんだ……。
「この幸塚高校というのは創設以来、学生の自主性を重んじる校風を善しとされてきたのだよ。だからこそ創設当初の頃は、部活動の設立要件さえ満たしてしまえば簡単に部活動を立ち上げることができたし、それに沢山の部活動がそこから誕生してきた。我が神霊研究会もその自由な風土を基にして立ち上がったんだ。しかし時は流れ、今から遡ること一九九〇年代後半のこと、当時の重大事件による社会不安もあったのかもしれないけれど、自由で統率の取れない部活動の存在が我が校の風紀を乱しているとか、犯罪者の生まれる温床を事前に封じ込めてしまわねばならないという根も葉もない陰謀論を掲げる生徒会の意見が学校の運営側で次第に支持を集め始めた。当時の平凡荘の主要メンバーも結束して抗議したのだけれど、結局、それ以降創設される部活動は生徒会の直接的な指導を受けることが強制された上に、生徒会による内部工作と根回しによって、殆ど全ての運動系部活動と一部の文化系部活動が生徒会の元に吸収されてしまい、新設された課外活動棟一号館と二号館に移されてしまったんだ。それ以来、正式な部活動の登録もかなり難しくなってしまって、現在では表向き残りある部活動でどうにか運営しているというわけだ」
「ほんと、ハルちゃんはなんでも知ってるよねぇ。そんな大昔のこととか何処に書いてあるっていうの? 」
「ほら、そこの書架に並べてあるバインダーのところだよ」
奥田川さんの小さく指差す方向には、事務用書架の最上段に整理整頓、綺麗に並べられたバインダーが並んである。背表紙には、「平凡荘日誌」という文字が油性ペンで書かれてある。