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スガノ神霊譚  作者: 弱酸
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参章(2)

「どうしたんだい、川霧くん。一目惚れでもしちゃったのか? いいや、恋愛は悪いことじゃないよ。青春に恋愛は付き物だ。無論、私の目の目でイチャイチャされると目障りだからその辺は注意ね」

「いっ、いやっ……」

 そういうことじゃない。僕は今、理由もなく、直感的に彼女から狂気とも呼べる破滅衝動的な恐怖を感じ取っている。でも、それは彼女そのものから放たれているとも言えるのだが、同時に、僕が潜在的に封じ込めていた秘密の真っ黒で心臓をズキズキと締め付けるような箱の蓋を解き放った瞬間でもあった。

 そして、言葉に表しようもない衝動的恐怖を感じていた。

 体中から脂汗が止まらず、ただ身体が震え、呼吸が浅くなる。

 浅く速い心臓の鼓動が体中を駆け巡る。

「川霧……」

 その女は*僕の名字*を呟くと、座ったままの僕を急に掴みかかり、椅子ごと床に倒してした。そして彼女は矛を手のひらから抜き出した。

「れなちゃん! 何してるの。早くその物騒なものはしまって! 」

 追風さんはその衝動的な恐怖に満ちた少女を説得するも、相手は聞き耳を持たない。小さな女の子は、追風さんの後ろに隠れている。

「貴様……、貴様のせいで私がこんなにも苦しんでいるのに……、よくものうのうと目の前に姿を表してくれたわっ! お前なんか、消えてしまえばいいんだ! 」

 そう言うと、女は手に持った矛を僕に突き刺そうとした。

 僕は反射的に目をつむった。しかし、僕は刺されなかった。傷つくことはなかった。

 僕が目を開けると、ギラギラと輝く刃は眉間めがけて、すんでのところであった。

 しかし、刃からは真っ赤な鮮血が滴っている。

 でも、その血は僕のじゃない。

 奥田川さんの血だった。

 奥田川さんは右手で矛の刃を握り、動きを封じたのだった。

 彼の手はガタガタと痙攣している。

「君……、人の部室で血なまぐさいことは止めてくれないかな」

 奥田川さんは、刃を握りしめたまま、声を震わせながらそう言った。そして、矛を持った少女を睨みつけている。

 矛を持った少女は、その奥田川さんの眼差しに喰われているかのように、恐怖に染まったような、ハッと我に返ったかのような表情であった。

 それまでの冷徹さや残酷さがまるで嘘であったかのように。それまで何者かに憑依されていたかのように。

 僕を突き刺そうとした少女は、いつしか怯えていた。

 奥田川さんは、ゆっくりと右手を離すと、その手首を左手で抑え、ひざまずき、悶えるように倒れてしまった。

 強張った表情の矛を持った少女は、一歩、二歩と覚束おぼつかない足取りで後ずさりすると、追風さんを押しのけ走って部屋から逃げ出してしまった。

「コラッ! ちょっとあんた待ちなさいよ! 」

 追風さんは激しく怒鳴ったものの、少女は立ち止まる素振りも見せなかった。

 追風さんは、すかさず奥田川さんの元に駆け寄る。

「大丈夫⁈ 手を見せて。うわっ、血がこんなにも……」

 刃物の線に沿って、傷口が手のひらや指に大きく広がっていて、そこから真っ赤な血が滴っている。見るからに痛々しい。

 奥田川さんの息遣いも心なしか荒い。痛みを必死にこらえた険しい表情をしている。

 追風さんは傷口をポケットから取り出したハンカチで押さえる。

「ちょっと、血が止まらないじゃない! みおちゃん、うちのカバンからティッシュとってきて! あるだけ全部出し! 」

「うん。わかった」

 幼女はカバンから手際よくティッシュを取り出し始めた。

 僕は、呆然と座り尽くしていた。

 僕もなにか気を利かせないと。

「あっ、あの。外にいる人に救急箱持ってる人が居ないか聞いてきます! 」

 僕はそう言って、部屋から飛び出そうとした。

「待ちなさい。川霧くん」

 奥田川さんが呼び止めた。

「どうやらその必要は無いようだ。見たまえ」

 奥田川さんはそう言うと、追風が抑えていたハンカチを剥がし、手のひらを上にした。僕はそっと近づいてそれを見る。

 すると、どういうことだろうか。奥田川さんの右手に深く刻まれていた傷がみるみるうちに薄くなり、暫くすると、その傷跡は血痕のみを残して消えて無くなってしまった。

 まるでそれまでの時間が存在しなかったように。

「傷口が塞がってるよ! 」追風さんは驚きを隠せないでいた。

「治ったのですか……? 」

「そのようだね。内側から傷口が治っていくのがわかるんだ。次第に痛みも消え失せ、この通りだ。今はなんともない」

 傷口はまるでそれが夢か幻であったかのように消えて無くなっている。あの矛を持った少女の周囲に関するあらゆるものが「不可解」や「謎」・「不思議」という言葉で覆われているような気がした。そして、彼女そのものが体現する不可思議さが、僕の頭の中を覆い尽くしている。

 奥田川さんは少し弱っているようだ。

「言ってはおくが、何も私のこの傷が治ったのは、私の治癒能力によるものではないからね。別に私は、トカゲでもカニでも何でも無いし、別に不死身の肉体を持った妖怪でもない」

 つまり、その原因もあの少女にあるのか。

「だが、どうも失った血は回復しないようだ。頭がくらくらする」

「ごめんね……。うちがあの子を連れてきたばっかりに……、でもあの子、うちに声をかけて着た時はそんな怖そうな子じゃなかったんよ」

「あぁ、なんでもいいさ……。ところで追風、あの女子の名字はもしかして『宇佐原うさはら』だったりしないかな? 」

「うん……、そうやけど。もしかして、ハルちゃんあの子のこと知ってんの」

 奥田川さんはゆっくりと首を振る。

「いーや。会ったこともないし、知りもしないよ。……ただ、そうじゃないかな、なんて思っただけ……」

 奥田川さんはそのままフラフラしながら、追風さんの胸元に倒れてしまった。

「奥田川さんっ! 」僕は奥田川さんに歩み寄る。

「しー。大丈夫。ほら見てん、寝ちゃっただけやから」

 胸元に倒れる奥田川さんを見ると、精魂使い果たして憔悴仕切ったかのようにぐっすりと寝息を立てて眠っていた。

「ハルちゃん、体力がもともと無い方やから、今さっきので全部使い果たしたんやろうねえ」

 そうだろうか。僕をあれだけの速さで引っ張ってきた人に当てはまる言葉ではない気もするのだが。それでも、大事に至らなかったのは不幸中の幸いである。

「ユキお姉ちゃん」

 後ろから、幼女が追風さんを呼んだ。

「どうしたの? みおちゃん」

「ティッシュ」

 見ると、幼女の手は沢山の白いティッシュペーパーを抱え込んでした。

「あらー、全部出してしもうたん? 」

「うん……」

 幼女はコクリとうなずく。


 それから、僕とお姉さんで一緒に寝袋の上に寝かせ、――寝袋は部屋の隅に適当に巻かれて収められていたため、ざっと血の付いてない床に敷いた――それから、僕とお姉さんと幼女の三人で乾いた血溜まりを、幼女が沢山出したティッシュで拭き取った。

 追風さんに言われて気づいたのだが、僕の制服は奥田川さんの血が滴った跡があった。ティッシュで水を付け洗はしたがあまり効果はなかった。ひとまず、上着だけは軽く洗って干してある。


 暫くすると、奥田川さんは目を覚ました。

「……ん、私は眠っていたのか……」

「ハルちゃん、随分と長いこと眠とった。もう、一時間以上は過ぎとるよ」

「そんなにか……。ところで、川霧くんは……」

「僕はここです。危ないところ助けていただいて感謝しているというか……、申し訳ないというか……」

 なんとも言い難いこの心情。相手が負傷しておいて有り難いとも言えず、そうかと言って他に何か当てはまる言葉も見つからない。

「いいや。気にしないでくれたまえ。別に私が君に怒りを覚える理由なんてまるっきり無いのだからね。そういえば、まだみんなの自己紹介をしてなかったような……」

 そうだ。僕たちはまだ自己紹介をしていなかった。奥田川さんは、「まあ追風がしたいって言うならだけど」とも添えた。

「そうやね。いろいろ騒ぎがあって自己紹介忘れとったけんね。うちなんか、その一年生の子を『ホリョくん』って心の中であだ名つけとったし」

 僕が、ホリョくん? 随分と酷いあだ名をつけるもんだなあ……。

「なんでそんなあだ名が僕に付いてるんですか」

「そうねえ。ハルちゃんに捕まった子は、だいたいワケありの子が多いし、逃げられんからねえ」

 そんな……、僕がワケありだって⁈ 

「ホリョねぇ」

 奥田川さんがニヤけている! 貧血で顔がやつれているから余計に不気味さに拍車がかかっている。これじゃ、妖怪のたぐいと大して変わらないじゃないか。

 貧血はんてん妖怪奥田川氏

「そうだねぇ……、確かに君は捕虜として連れてこられたのかもねえ」

 って、あなたが僕を連れてきたんだろ!

「そうだ。私はこれから君にホリョという名の役職を授けよう。もっともこれは、漢字の『捕虜』ではなく、カタカナの『ホリョ』であることに注意したまえ」

「いやいや、僕は別にまだ入るとか一言も……

「わーい。一人増えたー! 」

「パチパチ」

 コラッ! そこの二人調子に乗るなっ!

「別に僕は入るだなんて一言も言ってません。それに僕は奥田川さんに道に迷ったから頼んだだけであって、入る気なんて毛頭ないですよ。じゃあ、僕はここで失礼させていただきます」

 僕はそういうと通学用バックパックを担いで部屋のドアノブを握る。

「えー! 帰っちゃうの。寂しいよー」「そーだそーだー」

 振り返ると、そこの幼女が「シクシク、シクシク」と言いながら真顔で泣き真似をする小学校の学芸会でもやらないような演技をしている。

 その演技で僕を騙せると本当に思っているのか?

「ありゃー、川霧くんは女子を泣かせてしまうのかー。参ったなー」

 何だその奥田川さんのふんぞり返ったような笑みは。これで僕を引き止められるとでも思うな。

「すみませんが、僕は女性の泣き真似なんかに動じるほど軟じゃありませんよ。女の涙が往々にして嘘であることは僕の数少ない人生経験からでも導かれた重要な定理の一つですから。それじゃあ……」

「は? 」

 ん? 今の声は……、もしかしてそこの幼女が言ったのか? それに、先程から両手で顔を覆っている狭間から垣間見える目つきがとんでもなく殺気に満ち溢れている。

 うーん。もしかすると隣のお姉さんは僕が立ち去りそうになっている事態を本気で悲しんでいる気もしてきたのだが、どうもこの幼女だけは目の奥が漆黒の闇に覆われている気がしてならない。これじゃあ幼女じゃなくて、ニセ幼女だ!

「うわーん。お兄ちゃんがここから出て言っちゃったら、みお、お兄ちゃんのクラス探り当ててお兄ちゃんがみおのこと虐めたって言いふらすかもしれないー。うわーん」

「いつ僕がお前にそんなことをやった! 」

 このニセ幼女は、心がじ切れているのか!

「ありゃー、これは川霧くんの将来にも関わる大ピンチだねー。社会から抹殺されそうだねー。怖いねー」

 追風さんが僕の両腕を掴んだ。

「ねえねえ一度知り合ったんだから良いでしょー! 今まで、うちだけでこの平凡荘の訳わからんメンバー相手してきたんやから、逃げるとかズルいー! 」

 僕の肩が高速ワイパーのように止まることなく揺らされる。

「わかりましたよ。入部すればいいんですよね。わかりました。わかりましたとも。そのかわり面倒事は御免ですよ」

「おっ! やっとその気になってくれたか。よし、今日から君はめでたく我が部活の正式なメンバーだ。歓迎するよ」

「まったく。これじゃあ僕はこの部活の捕虜じゃないですか」

「だからさっき言ったじゃないか。君の役職はホリョだって」

 あっ、そうだったな。


 あー、もう。閑話休題っ!


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