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スガノ神霊譚  作者: 弱酸
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六章(2)

  *


<洲賀野地方のおこりに関する伝承>

 かつて、この土地には加賀根命かがねのみことと呼ばれる白い大蛇が住み着いており、人間がこの土地に住み着いては余すこと無く飲み込んでいった。そのため、この土地は永らく人が住むことは出来なたった。

 ある時、豊原姫とよはらひめ(美津穂比売命・ミツホヒメノミコトとも)と笠戸姫かさどひめ(沖磐津比売命・オキイワツヒメノミコトとも)と呼ばれる二柱の女神が、ヤエツミミと呼ばれる男人を従え、海の果てからはるばる船に乗ってやってきた。

 自然豊かなこの土地を気に入った二柱の女神は、話し合いの末、この土地に住むことにした。

 しかし、二柱の女神は、大蛇の加賀根命かがねのみことと対峙することになる。

 怒った大蛇加賀根命は、豊原姫を飲み込もうとしたが、笠戸姫はヤエツミミに高鷺剣たかさぎのつるぎを渡すと、ヤエツミミはその剣で大蛇の左目を潰した。驚いた大蛇は、急いで山へと逃げていった。

 次の日、また大蛇加賀根命が山から降りてきては、今度は、笠戸姫を食いちぎろうとしたが、豊原姫はヤエツミミに和産霊矛やわむすひのほこを渡すと、ヤエツミミはその矛で大蛇の右目を潰した。

 両目を失い、恐れ慄いた加賀根命は、二柱の女神に、二度と女神も人も襲わないことを誓い、また、この土地を譲り渡し、自らは山奥に隠れて静かに暮らすことも約束した。

 満足した二柱の女神は、加賀根命を許した。

 その後、この大蛇の社をヤエツミミに造らせ、豊原姫と笠戸姫は、それぞれの髪毛から人形を作り、息を吹きかけ女人を生むと、カモレと名付け、加賀根命に仕えるように命じた。

 それから、豊原姫は樟原神社(里宮)に、笠戸姫は清玉宮神社(山宮)にそれぞれ鎮座し、ヤエツミミに護らせたのだった。


<解説>

 この伝承に置いて登場する大蛇加賀根命に対する見方は二通りある。一つは、氾濫する河川を「暴れる大蛇」に見立てたのではないかという視点である。河川の氾濫を大蛇に例える伝承は、決して珍しいものではなく、全国各所に点在し、この伝承も域内を流れる二級河川「登美川とみがわ」を古代の豪族ヤエツミミが治水事業を実施したことで、その効果による洲賀野地方の発展の様を描いたのではないかというもの。

 二つ目は、豪族ヤエツミミに隷従しなかった先住民族との争いと和解の歴史という見方である。その場合、諏訪大社の伝承と類似する部分があり、大国主命おおくにぬしのみことの国譲りにおいて、建御雷命たけみかづちのみことに力比べで破れた建御名方命たけみなかたのみことが諏訪に逃れたとき、土着の神、洩矢神もれやしんとの争いの末に、洩矢神は建御名方命に服従した。

 これを洲賀野の伝承によく類似する。登場する蛇は、恐らく極めて古い時代から蛇を信仰する集団(この場合、彼らを縄文時代からの先住民族と考えてよいのかも知れない)を剣や矛などの文明道具を持った新興の集団が制圧した歴史なのだろう。少なくとも先住民族が存在したにもかかわらず、伝承中にそれらの事実が存在しないのは、彼らが新興勢力から「人外」と思われ、蛇として一括りのイメージを与えられたのだろう。武器と神様がそれぞれ二つ存在するのは、戦いが二段階に渡ったことを示しており、その後、大蛇加賀根命が降伏し、土地を譲って、姉妹の神が満足した話の流れは、新興勢力と先住民族の和解と相互の尊重の歴史なのである。

 しかし、この伝承の中で、右記の何れの説にせよ、征服した姉妹の神は、この洲賀野地方に君臨する正当性そのものが、敗北し制御下に置かれた大蛇加賀根命に委ねられていることは大変興味深い。勝者は敗者がいることで、存在するのである。

 奥田川さんの話によると、川霧家は、実は、平安時代初期に宇佐原家から分家してできた家であり、その宇佐原家の始祖は神代の時代にこの洲賀野地方を治めていた豪族ヤエツミミ(八江津耳・矢恵津彌彌とも)と呼ばれる伝説上の人物である。

 ヤエツミミの一族がいつから宇佐原の姓を名乗りだしたのかは定かではないが、奈良時代頃の文献では既にその存在を確認できる。この頃からすでに、豪族としてではなく、神官としての立場にあったようである。

 確認できるうえで、最古の宇佐原一族の人物は、宇佐原成平うさはらのなりひらである。

 ヤエツミミが二柱の女神から、高鷺剣と和産霊矛を授けられ大蛇を倒す一連の話は、ヤエツミミの一族――つまり、宇佐原家と川霧家――が神から神通力を授かることができ、この洲賀野地方を護るという「霊憑たまつき」と呼ばれる神秘主義的特質を説明したものとされている。

 異変が起きたのは、桓武帝の治世、延暦二十年頃と言われている。

 宇佐原清貴うさはらのきよたかの息子、兄、宇佐原重道うさはらのしげみち(樟原神社)と、弟、宇佐原春永うさはらのはるなが(清玉宮神社)のときで、春永が川霧姓を名乗り始めた。それ以降両家は対立関係にあるのだが、しかし、春永が分家した理由は未だにわからないままである。

 川霧家が分家して以降、宇佐原家の豊原姫と川霧家の笠戸姫で、それぞれ霊憑が行われているようである。

 しかし、霊憑は一族の者全員が出来るものではないこともまた事実であり、三歳の頃にその適性があるかを判断され、霊憑の能力がある者のみが、両家それぞれの後継者になるのである。


  *


 本来であれば、早い話、秋継さんとか秋辰さんとかに聞いてしまえば、万事解決なのかも知れないが、しかし、恐らくきっといい話ではないだろうし、当事者にそれらを聞き出すよりかは、周囲から当事者たちを興味本位で調べ回っているような軽薄な好奇心を持ち合わせた奥田川さんから聞いた方が、「情報」として知りたい場合には精神衛生上は健全なのである。

 何だか、最も寄り添うべきものに爪弾きにされている思いだ。


 只今、長押に取り付けられた電波時計は、午後九時半を刻んでいる。

 ああ、明日のことを思うと何だか気怠い。僕は、横向きになって、畳の地平線の先にある窓から望む月が満月を少し過ぎたぐらいの中途半端な形状で、しかも、いつもよりやけに発色が良いことを認める。果たしてそれは、月そのものに理由があるのか、或いは、月を通り過ぎる掠れた雲が主役の存在をよりいっそう際だたせるために努めた結果によるものなのだろうか。

 ただ、宵闇の月は世界にまた別の見方があることを僕らに提示していることは確かである。これには二つの考え方がある。一つは、その月が有する特性により、極限まで色彩を削ぎ落とされた世界は、実のところ、天も地も、地も海も、森も田園すらも何もかもが一体であることを僕らに知らせているという見方だ。

 すっと立ち上がり、部屋の蛍光灯を消す。

 そして、もう一度僕は外を眺める。

 日中、僕らが意識的に区別し、選別し、見分けている一切の事物は、この月夜においては、選別に務めることが全くもって無駄であることを教えてくれる。黒々と佇む山や月光に仄かに照らされ緩やかにきらめく川などの自然、白線の見分けもつかない道路や既に静かな眠りについた家々、何もかもが一体的に見えるのだ。しかし、その月夜の闇の中に人類は、家々から微かな白光を漏らし、道路をレモン色の街灯で照らすことで、今、我々が立っている世界の自然摂理に反抗の意思を表明しているわけであるが、所詮は、子供が駄々をこねているようなもの。いちいち細かい区別を要することが、時として、少なくとも今この状況においては無駄であることを、月下の宵闇は僕らに教えているのだ。

 次に、これは宵闇に対するもう一つの見方であるのだが、つまり、僅かな光しか与えない月が、そもそも、常日頃から視覚的認知に頼っている僕らを戒め、聴覚や触覚、嗅覚などのいつもとは違う捉え方を僕らに促しているという見方だ。

 只々、こうして宵闇の世界を漠然と眺めているだけでは、その闇に、その謎に、一体何が隠されているのか見当もつかない。しかし、スッと目を閉じて、視覚以外の感覚に集中した時、その闇の先には、多種多様な虫たちによる色とりどりの音色が聞かれ、神社前の道路を通り過ぎてゆく自動車の奏でる儚さがあり、山から降り注ぐ涼しい夜の春風僕の体を優しく撫で、木々を奏でるのだ。

 色彩の失われた世界に悲嘆することはない。世界はそれでも美しいのだ。何かを失ったとしても、それによって気がついた、既知の中にある未知の美は、僕らに感動を与え、体中に幸福を巡らせるのである。

 視覚に頼った捉え方では性格な事象の把握には全くもって不適切であることは、様々なトリックアートが教えてくれる。例えば、計画的な色彩の使い方によって描かれた絵が、いとも簡単にそこに本物の物体があるかのように人間を騙すことができるのだが、もし、視覚的情報のみに頼らず、実際に紙に手で触れて、触覚的情報を得られたならば、それが偽物であることは、あっさりと判明していしまうものなのだ。

 この考え方は、現実世界でも案外簡単に応用できるのだろうけれど、一体何に応用できるのかは、僕でもいまいち分かっていないのである。

 僕は只の思想家でしか無いということだ。


 緩いため息を付きながら、外を眺めていた時、僕は神社の拝殿に何か異変があることに気がついた。ただそれは、ボォッと青白く微かに光っている気がするのだが、しかし、あんなところに一体誰がいるというのか。まあ、夜中の神社に侵入し、馬鹿騒ぎするという罰当たりな集団が時々訪れるらしいのだが――四月に入ってから、僕もそれに遭遇し、安眠を妨げられた――聖域である神社に彼らが期待するような霊的現象が起こるというのだろうか。恐らく、彼らに降りかかるのは神罰一択である。

 しかし、その怪しい光は一向に動く気配を見せない。秋継さんというわけでもないことは、一階から本人と良子さんの声がすることから確かである。だとすれば、秋辰さんも藍夏ちゃんも寝入っているはずの只今午後十時頃、あれは明らかな不審者であろう。

 ここは、僕から一喝入れなければならない。なぜなら、今この状況で、その悪事を察知したのは僕だけだからだ。全ては、僕の今後における恒久的な安眠のためである。

 しかし、のこのこと玄関から出ていくと、良子さんに気付かれて、ことが重大になりかねない。そんなことを僕は望んでいないのだ。不届き者には、さっさと帰ってほしいだけである。

 ……仕方ない。ここは、窓から、屋根を伝ってこっそりと出ることにしよう。

 僕は懐中電灯を持って、窓から身を乗り出して、軽々と屋根を降り、縁側の踏石に置いてある草履を履いて、光の元へ向かって行った。

 本殿までの石階段を登りながら、光源を見ているが、やはり、動く気配を見せない。何かが眩く光っているのだ。不審者にしては、随分と変わったやつである。しかし、階段を八分ほど登って拝殿を見た時、その光が実は拝殿奥の本殿から光っていることに気がついた。拝殿が、その青白い光でシルエットを形成したのである。ここまで来ると、社会の一般規範に背くような何かをしているのではないかという恐ろしい仮説が脳裏をよぎる。

 自衛のために僕は、石階段の中腹にある境内社の横に並べられた手頃な竹材を一本手に取り、本殿へと赴く。全ては、今後の安眠のためだ。

 本殿に向かうためには、拝殿横の野良道のような未整備の道を通らねばならない。山のダニに噛まれないかも心配だが、何よりも蛇に遭遇したくない。山中に出てくる赤楝蛇にでも遭遇すれば、助けを求めることも出来ず、一巻の終わりだろう。そして、本殿の不審者にも遭遇したくない。何はともあれ、ここから先は、死へのリスクと隣り合っている。

 慎重に草むらをかき分け、懐中電灯で蛇がいないかを確認しながら、本殿へと向かう。

 僕は、本殿の光源の正体を確認した。ライトを地面に置いて、御神体の鎮座している本殿に向かって何かをブツブツと呟いている人である。しかし、その光の逆光によって、しかもそれなりに距離があるせいで一体何者なのかも見当がつかない。

「誰だっ! 」

 僕は、精一杯の勇気を振り絞って叫ぶ。

 相手は僕の声に気が付き、一瞬の同様のシルエットを見せるも、すぐさま体勢を立て直しては、青白く光るライトを置いたまま、山の中へ走って逃げてしまった。僕は、必死になって逃げた人物を追おうとしたが、しかし、林の中を走り抜けることに関しては、相手のほうが達者だったようである。僕は、その犯人を逃してしまった。

 ううん……、その姿からして女性だったのだろう。

 今度は、僕が本殿の前に立っている。

 青白く光るライトは、石畳の上で寝っ転がっていて、僕の細長い影絵を描き出すことによって、本殿の目に佇む、孤独な少年一人を見事に描き出していた。

 僕は、ライトを手にとってスイッチを落とし、手に持った懐中電灯で照らして見たが、何も面白くもない、只のライトである。

 はぁ……。僕もあの不審者もこんなところで何やってるんだか……。仕方ない、不審者を追い払うだけでも十分な成果だ。ここは、おとなしく帰ってゆっくり寝るとするか、なんてことを考えて、再度、本殿を見てみると、普段は固く閉じられている扉が空いていることに気がついた。本来、本殿は開けるものなのか、閉めておくべきものなのか、僕は知らないのだが、ただ、普段は本殿の扉が閉じられて見えないはずの形代と思われる大きな鏡が、眩い月の光を、息を呑むほどに美しく照らしていたのだった。月を横切る掠れた雲すらもその鏡からは確認でき、この世の真実を詳らかに描き出しているように思われた。

 しばらく、僕はその情景に見とれていた。僕は、生きてきたこの一五年もの歳月の間において、これ程までに鏡を美しいと感じるこのはなかった。

 それは、偶然にも背徳的状況に居合わせたことで強調される、魂から沸き起こる本物の感動に他ならなかったのである。


「なんや、居留守ね? 」

「そんな手をあの人が使うかなあ。僕が電話をかけたら、この件以外に考えられないだろうし」

「まあでも、今ここに放ったらかしても何かこいつらが騒ぎ出すわけやないけ心配せんでよかろう。まあ、もしものことがあれば、うちが力ずくで止めちゃる。あっでも、そのかわり、チョコレートパフェはもう一個奢るんやけなあ! 結よ」

「あぁ、わかったよ。そうする。……しかし、もうそろそろ寝ないといけない頃だな。明日は、かなり体力をすり減らすだろうし、今のうちにゆっくり休んでおかないと、行き倒れになってしまうかも知れない」

「その時は、うちが弔っちゃる」

「世知辛い世の中! 」

「冗談ちゃ」

 閑話休題しない。

「しかしだ、笠戸姫。お前、何処で寝るつもりなんだ? 」

「お? ここで寝るに決まっとるやろ」

「えっ、僕と一緒に寝るというのか! それは公序良俗に違反する気がする! 」

「何言いよんね。お前と一緒に寝るわけなかろう」

 は?

「うちはここで寝る。結は他で寝りい」

「おいおい、それはないだろ! 言ってはおくが、ここは僕の部屋だ。この部屋の使い方は僕が決める! 」

「は、なん訳わからんこと言いよんね。うちは神様やぞ。しかも、女神様。そんな高貴でお年頃の美しい女神様がこんな俗人と一緒に寝るわけなかろう」

「はー、納得いかない。こうなったら実力行使に打って出るまでだ。もう、変態オジサンとでも何とでも呼べばいい! 」

「おいおい、それくらいの自重はしろ! 」

 こうして、僕と神様の無謀な陣取り合戦が始まった。


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