表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
スガノ神霊譚  作者: 弱酸
2/30

壱章

 読者諸賢にはまず、なぜ僕が今日遅刻してしまったか、という題で愚かな弁解の場を設けさせていただきたい。

 入学後はじめての遅刻だったものだから、息せき切って廊下を走り、教室へ飛び込んだのだが授業はとうに始まっていて、僕はそのグシャグシャ頭の醜態をクラスの門前に晒すことになってしまうという、今後の僕が周囲から受ける印象にも関わるレベルの失態を犯してしまったことに対する何の約にも立たない言い訳とも言い換えられる。


 それは、今朝いつものように中々来る気配を見せないバスを待っていたときのことだった。

 隣に座っていた待ち人は、膝の上に自分の首を平気で置いてしまう*普通のデュラハン*であった。そして、今にも倒壊しそうな屋根の下にあるオンボロベンチでいつもどおり腰掛けている僕は、同じくベンチに腰掛けながら、アイドル育成型の音楽ゲームで着実にコンボ数を稼いでいる隣のデュラハンに気を取られていたのだった。

 僕がなぜそのような*異様な光景*をこうも淡々と語れるのかというと、実は、昔から他人には見えない者がよく見えていた。周囲よりも家族の数では圧倒的に劣っている僕だが、彼らの気付かない存在に築く能力に関しては、他の追随を許さない。小学校の少しの間くらいは、学校の同級生と見える見えないで言い張っていたが、少ししてから、彼らが本当に見えていないことに気が付くと、それ以降は、周囲に公言こそしないものの、やはり、妖怪や幽霊のようなものが日常的に見えていたし、普通に話もしていた。

 物心ついた頃には、すでに見えないものが見えるようになっていた。最初の頃は、白いや黒や赤のモヤモヤしたものがただ単に見えたり、通り過ぎる様をみるだけだったりしていたのだが、次第に、姿形が明瞭になり始め、ほどなくして会話ができるようになった。交友関係の浅かった僕にとって、彼らの存在は愉快なもので、よく一緒に遊んでいた。

 実際のところ、それらが妖怪なのか幽霊なのかくめつはつかないのだが、その種類の中に以外にもミイラ男やドラキュラや人魚のような、完全な洋物の妖怪もいたりしたのだが、それは稀な方で、大抵は日本の妖怪的な古めかしい何かであった。

 それが僕にとっての普通だったのだから、変と言われても納得がいかない。

 僕の母親は、このことは随分と前から放置しているのだが、いやはや、息子のそんな怪現象体験にもさほど訝るようなことはしなかった。さらっと、受け流されていた。

 只、隣のデュラハンのように、妖怪の類のような存在が、あたかも普通の人間のように振る舞っている光景は、この洲賀野に越してきてから見たものだった。しかし、今では驚くに値しない。彼と乗るバスが同じであるがゆえに、毎日のように彼を目にしている光景だからだ。

 しかし、気になるのはどうもこのデュラハンは、普通の人間のように振る舞おうと努力しているにも関わらず、頭を適切な箇所に接続しない、という失態をよく犯していることだ。

 朝だからだろうか? 朝だから、人間が寝癖を解かさないまま外出することがあるように、デュラハン達もいつの間にか頭が変な位置にあるのだろうか?

 そもそも、デュラハンは何で頭を固定しないのだろうか? そんなに頭がグラついては今やっているゲームも難しいと思うのだが……。

 だが、しかし。一糸乱れぬその手さばきから、このデュラハンのゲームプレイ歴は相当なものと見受けられ、押しのアイドルキャラクターに対する絶大なる愛が感じられた。僕もいつの間にか、彼の奏でる軽やかなタッチ操作に気を取られ、しかし、ゲームプレイ中の者を凝視するわけにもいかないため、視線だけをデュラハンに送っていた。

 サビの部分が過ぎ、後半に差し掛かった矢先、僕は上空から、何やらジェット音に似た轟音がこちら側に近づいていることに気がついた。それも、一直線に僕たちの方へ。ヘリコプターが上空を飛んでいるような音とも違い、またジェットエンジン搭載の飛行物体とも異なる、あまり聞き慣れない音だった。

 もし仮にそれが幻聴の類だったとしても、こちらに引っ越してきてからの疲れが溜まったことによる疲労性の症状なのだろうと勝手に解釈し、彼のゲームプレイに見入っていた。しかし、その轟音は止むこと無く、むしろ次第に大きくなっていき、何だ何だと耳を両耳で塞いでいた矢先、


 ドゥオオオオーンッ!


 トタン屋根が破れ、デュラハン目掛けて何かが落ちてきた。

 僕は脊髄反射的に吹き飛ばされ、地面へと転がる。

 驚きのあまり声が出ない。

 腰が砕けて立つことすらもできない。

 数枚のボロボロに錆びきったトタンが地面に転がっている。

 振り向いてデュラハンの方を見てみると、彼の胴体の上には、僕の通っている幸塚高校と同じ制服を着た翁面を被った顔の分からない妙な女が、自分の身長よりも高い重厚な矛でデュラハンに突き刺したまま立っていた。

 その立ち姿は、この世の一切の邪気をはねのける武神のような強さが秘められている。しかし、その一方で、華奢で色白な肌などのいくつかの特徴からして、彼女がやはり年相応の乙女であることは明確であるのだが、正直なところ、彼女が美しいか否かという問いかけに対して、僕に答える資格は全くなかった。女性の価値を表面的な美醜のみで決定するのは拙速どころか愚かであるというのは、僕の持論であるが、この場においては、その持論も今は特に意味を成してはいない。

 今そんな事を悠長に考えてる暇はないだけだ!

 ただ、彼女を印象づけているのは、その「不釣り合いさ」に他ならないからだ。

 この世の者であることを拒否しようとしていながらも、しかし、その一方で、現実的には、一般の女子高生としての肉体しか持ち合わせていない弱さを彼女は抱えている。

 それが彼女をより的確に表した表現かもしれない。

 人でないことを望みながら

 しかし、彼女は人であった

 ちょうど、デュラハンとは対象的な存在である。

 ただ、デュラハンと同じような物の怪の気配は感じ取ってはいた。


 そのまま僕が呆けた顔をして、腰が地面にくっついたままでいるのをよそに、彼女は矛を彼の首から抜き取ると、車道に転がったデュラハンの頭を掴み上げ、彼の首に取り付けた。

 ピクリピクリとしながら、記憶を取り戻したデュラハンは彼女の姿を見るやいなや。頭を抑えながら仰け反るのだった。無理もない。こんなる気満々のお面被って武器携えた人間を見て仰け反らないやつなんて、人間でも妖怪でも存在しないだろう。

 彼は、待ってくれ、お願いだ、話を聞こうじゃないか、何がほしいんだ、などと怯えながら問いかける。しかし、その女は、彼の話を一顧だにしない。

 矛を強く握りしめては、その意志をより一層強く表明している。

 本当に滅しようとしてるのだろうか?

 何を壊そうとしてるのだろうか?

 ただ、さっきの一撃でも彼は死ななかったのは事実だ。

 彼女がどれだけ殺気を放とうとも、彼女は彼を殺すことが出来ないだろう。

 彼女は、ただ単に自暴自棄なだけなのかも知れない。

 しかし、例えそうであっても、放たれる殺気はいつでも恐ろしいものなのだ。

 例え、無力な少女であっても。

 僕が思わず後ろにのけぞった時、地面に転がっていたトタンの破片に手があたった。

 お面の女は僕の存在に気が付くと、まるで我に返ったかのように軽快に木伝いに逃げていくのだった。

 そしていつの間にか、バスが到着していたのをデュラハンは認めると、一目散にそれに乗り込み、バスは去る。

 今はただ、バスの低いエンジン音の余韻だけが、通り過ぎていく。

 本当に何もかもがあっけないのだった。


 夢か現か幻か


 今の僕は目の前で起こった出来事を十分に理解できずにいた。無論、無理も無い。

 ただ、世の中で起こっている不可解な出来事を夢や幻で片付けてしまうのは、今この現実世界に残存している複数の証拠――大きな穴が空いてしまい痛み具合は目も当てられない境地まで達してしまったバス停のトタン屋根や腰が砕けて地面にひっついたままの自分そのもの――それらがこのような状態に至った理由を説明することができない。それらは具体的に現実的に起こったものだった。確実に存在したものだった。だから、僕がこれまで経験してきたように、今この状況のすべても夢や幻だなんて言うことはできない。そうかと言って、それらすべてが現実に起こったものだったとして、一体誰がそのような話を信じるというのだろうか。今まで誰一人として、僕の見たもの、感じたものを信じる人はいなかった。アイドルを育成するデュラハンも空から降ってきた少女も一体僕以外の誰が日常的に目にするというのだろうか。たとえそれを周囲に説明したとしても彼らは皆、それを「夢か幻」と解釈するだろう。


 夢か現か幻かではなく、夢と現と幻


 眼の前で起こった出来事全てに対して、その理屈を説明することはできないだろう。世の中には未解明の出来事や現象が今も存在していて、その不完全さ故に科学だって未だ万能な代物ではない。発展途上にある。

 まあ、そうでなくてもみんあ僕の話なんか信じてくれないのだろうけども……。

 とにかく、僕のこれまでの経験則を信頼するのであれば、すべての道理が理屈のみで語れるとは言えないのだからこそ、只の妖怪だと思っていたデュラハンが僕らと同じように生活していることも、翁面を被った女子高生が突如として天空より舞い降りることも、それが「存在した」のであれば存在するのだ。

 現だけでない。

 夢も幻も一緒くたに混ざり合って世界が成立している。

 この世は、夢も現も幻も存在するのだ。

 そのような捉え方が、今現在、僕の中で最大限に納得できる*理解*であある。

 現と夢幻を区別して生きてきた僕にとって、この状況は、その相反する要素が強制的に統合され、僕の中に隔てられていた間仕切りを放棄せざるを得ないものであった。

 つまり、ただ混乱していると言うだけである。

 

 ……いつの間にか落ち着きを取り戻していた僕は、ゆっくりと地面から立ち上がると、同じく地面に転がったままの通学用バックパックを拾い、スマートフォンで時間を確認しながら、学校行きのバスがいつになったら来るのかを確かめた。

 ……で、その時刻表曰く、僕は先程のアイドル育成デュラハンと行き先が同じだったらしい。つまり、そのデュラハンが乗ったバスに僕も乗らなくてはならなかった。バスが行ったであろう方向の道路を僕は眺めてみたのだが、もうその先にバスの姿を確認することはできなかった。

 遅刻確定である。

 とうとう諦めきってヘロヘロになってしまった僕は、くたびれたベンチに座り、それと同化した。

 人通りのない道路

 時折自動車が往来するだけの田舎

 自動車でここを横切った人たちは皆、そのベンチに遅刻確定の学生が座っているなんてことを気にもとめないだろう。記憶の片隅にも残らない一風景に僕は完全になりきっていた。

 相変わらず、自動車のタイヤの唸り声は鳴り止まず、しかし、やかまし過ぎることもない音色は、今このようにぼーっと田舎の風景を眺めているでくのぼうにとっては、心地よかった。

 ベンチに座りながら、僕は遅刻したときに先生に説明するとき用の言い訳を考えていた。

 寝坊しましたとか、バスを乗り過ごしましたといった理由では、あたかも自分の落ち度でそうなったと言わんばかりだ。別に自分の落ち度でそうなったわけじゃない。不可抗力だ!

 デュラハンが僕の隣でゲームしてたら女子高生が空から降ってきて遅れました……。

 うーん。それが現実なのだが、果たして今日の一限目は超常現象だったかな?

 僕は普通科の高校に入学したはずなのだが……。

 えーい、理由なんてどうでもいい!

 何をどうあがいたって、どうせ一限の授業の出席欄に遅刻が記録されるだけなのだ。

 だったら、僕がどんな理由でおくれようとも遅刻は遅刻だ。

 完全に諦めきってしまった僕は、次のバスが到着するまで、あまり代わり映えのしないようで、実は多彩な変化を見せる田舎の風景を眺めていた。

 さっきまで真っ黒な山の裏に隠れて、オレンジ色みたく輝いていた太陽は、すっかりその姿を顕にし、いつか必ず訪れる昼の到来を告げていた。

 陰のように暗かった山の木々たちも光に照らされ、一面の針葉樹林の集団の合間にポツリポツリとある照葉樹林には、まだらな葉の色使いがあることを教えてくれた。

 ちょうど世間にまんべんなく広がる凡人たちに混ざってデュラハンや空から降ってくる少女がいるように……。

 そして、考えた。僕は果たして、針葉樹林の没個性的集団か、それとも浮きに浮いた広葉樹林の一本なのかを……。

 彼らの存在を認めることの出来る僕は、一体、普通なのだろうか、それとも異常なのだろうか?


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ