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スガノ神霊譚  作者: 弱酸
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四章(6)

「あ、遠山先生じゃないですか。今日は少し遅かったですね」

 いつの間にか、玄関先には、つまり私たちの目の前には、見覚えのある男の人が立っていました。ボサボサ頭で黒縁メガネの生徒さんで、シャツの上からはんてんを羽織っています。

 そうです。昨晩にスーパーで出会った、惣菜コーナーの揚げ物が好きな風変わりな生徒さんです。でも、名前はわかりません。多分、授業で彼のクラスを担当したことがないからでしょう、きっと。まだまだ半人前の教師ですけど、教えたことのある生徒さんなら一応覚えていますよ。多分……。

「遠山先生でしたか、こんばんは、お仕事ご苦労さまです。隣にいるのは……、あぁ、昨晩スーパーでお目にかかった萌田先生じゃありませんか。須崎先生の後任というのは萌田先生のことだったんですねぇ。意外ですよ。確かに、歴史の授業繋がりではありますけど、まさか、萌田先生が生徒指導を引き受けるだなんて。」

「よう、奥田川。今日は、今年度の新生徒指導として、この平凡荘にお目にかかったわけだ。どうだ、元気してるか」

「えぇ、ご覧の通り」

 うーん……。その判断を相手に委ね、自らは責任を取ることのない表現は、一体どちらの意味を指しているのでしょうか? 率直に言って、教え子に向かって可愛そうな気もしますが、正直、不健康そうに見えます。少なくとも、病み上がりのようにも見え、それに加えて、彼の背後にある平凡荘が放っている、本心をひた隠しにして近づく邪悪さのようなものが、奥田川くんが身の回りで起こる不可思議的事件の首謀者であり、その他、全ての事象の元凶でもあるかのように思わせるのです。

 平凡荘の蓄えるエントロピーは全て、彼、奥田川君のものであり、そして、彼の行動の全てには裏があるのです。

 彼には、それが可能であるともいえます。

 いや、もしかすると、奥田川君という存在は、実のところ、彼の人を寄せ付けない肉体とと周囲の状況判断によって、判断されるべき存在ではないのかもしれません。彼は平凡荘の肉体的存在なのです。彼が生まれながらにして抱えていた個性は、彼が平凡荘に取り込まれた時点ですでに跡形もなく、完全に消失し、代わりに平凡荘としての意識そのものが、彼に乗り移っている……、ということなのかもしれません。

 私の勘ぐりすぎでしょうか? えぇ、そうなのでしょう、きっと。そうであってほしいものです。

 奥田川君は、さっきからポリポリと頭を掻いたままです。

「とりあえず、奥田川。今日はいくつか、お前に伝えておくことがある。まず、今日の昼休みに生徒会の重原と水野を交えて、生徒指導との意見交換会議を開催したのだが、あいつらは、お前ら旧文化系活動棟の連中が未だに生徒会に向かって刃向かっていることに関して、重大な不満を俺らに表明していた。旧文化系活動棟にいるお前らは、あいつらの考えを十分に汲み取りつつ、今後は行動するように。勿論、学内で自由に徒党を決定することは校則違反にはならないが、学校の運営としては、そんな集団は、さっさと解散してしまうか、生徒会の下で新しく部活を作ることを推奨している。それから、去年までお前らの相手をしてくれていた須崎先生は退官されてしまったから、代わりに、この萌田先生が新しく生徒指導の先生が決まった。俺からは以上だ」

 遠山先生の話に、奥田川君は表情人使えること無く、それどころか頷く仕草すら見せていた。

「たったそれだけのことを言いに来るだけでしたら、私から、先生のもとに向かいましたのに」

「いいや、今日は特別な日だ。萌田先生がこの建物を見てみたいって言うからなあ」

「えっ……、私、別にそんなこと一言も……」

 私が新任あるということが、遠山先生の或いは、生徒指導としての体裁を保つために利用されたような気がしました。奥田川君はこちらを見て、ニヤッと不敵な笑みを浮かべます。彼の何を考えているのかわからないオーラは、只々人を不安に陥れるようです。

「萌田先生も、殊勝な心がけですね。でも、このやり取りはある種の対等な取引なのかもしれませんね。昨晩、私は先生とスーパーでお会いして、一市民としての先生を見さして頂きました。えぇ、大変興味深かったです。勉強になりますよ。そして今日、先生は私達のもとまで足を運んでは、この学校の抱えている不可思議の元凶を目の当たりにしたのです。これは、学校の抱える二面性のうちの一つであり、等しく、我々生徒のもう一つの正体でもあります。でも、今のこの状況ではまだ対等とは言えないでしょう。なぜなら、私は、先生に秘密といえる秘密をまだ、一切、何も開示していないからです。なので、私たちは先生に追々、『お返し』することになるでしょう。勿論、先生が満足できるように私たちも最善を尽くすまでです」

 秘密をお返しする⁈ そんな……、秘密ってなんのことですか。この建物に未だ隠れて眠っている奥義を私にお見舞いするとでもいうのですか。そんなぁ……。昨日の私の買い物風景がそんなに面白かったというのですか。そりゃあ勿論、私は全然自炊してませんけど!

「おいおい、奥田川。あんまり、萌田先生を脅かすんじゃねえぞ。ここの管理人としての立場にお前がいる以上、教員の匙加減一つで、停学にでも退学にでも、或いは、この平凡荘を取り潰すことすらも、どうにでもなることを頭に入れておくんだな」

「いえいえ、遠山先生。別に私は、脅迫めいたことは一切してないですし、それはこれまでも今後もしません。我々、平凡荘の生徒たちに、消してそのようなあくどいことを考える者はいませんから。むしろ、自らの欲するところに、只々、忠実なまでです。しかし、その前提が成り立つのは、私たちが私たちであることを保証されている限りではありますけれどね。遠山先生」

 すでに温もりの感じられる春が到来しているとは言え、樹木の間からすり抜けて平凡荘に吹く夕暮れ時の風は、いつもの春風に増して、自らの存在を私たちに存分に誇示しようとし、また、人肌からじわじわと温もりを奪っていく微かな冷徹ささえも感じられます。

 自らが存在した事実を未来に記憶として残すことを望んでいるかのように、通り抜ける春風は私たちの肌に印象深く、はっきりと触れるのです。

 遠山先生は、諦めているようで、それでいて、この状況下をさも慣れきったかのような安心感を漂わせていました。

「まったく、平凡荘の管理人の連中ときたら、どいつもこいつも気味の悪いやつばっかりだ。言ってはおくがな、奥田川よ。須崎先生が退官したとは言え、何も俺たちのほうの分が悪くなったわけじゃないだからな。なんせ、生徒指導には新しく萌田先生が任されたんだからなあ! 」

「えぇ、勿論ですとも。萌田先生がいる以上、私達も勝手な真似を許されないのは紛れもない事実です」

 えっ、えぇっ……! そんな……、私って、なにかすごい威厳放つようなことしてましたっけ? どちらかと言えば、私がこの学校で占めている私のポジションと言えば、教師歴二年目になったばかりなのに、全然教師らしい教師になりきれていない、どうしようもない新米のペーペーですよ⁈ 相手を警戒させたり、安心させたりできるほどの、ドンッと構えた雰囲気なんて今まで出せたことないですし、これからも出せません!

「遠山先生っ……、あの……、そのぅ……、私ってそんなに重要な役目を抱えているのですか? 」

「うん? なんだ、萌田先生はまだ気付いていないのか。これからわかりますよ。先生はこの学校の生徒指導としては、最適な存在なんですからねえ」

「えぇ、そうですよ、萌田先生。先生が生徒指導である以上、私たちは何もできません。須崎先生がいらした頃と同様にね」

 この二人が感じ取っている直感のようなものは一体どこから湧き出てきたものなのでしょうか。少しくらい、私にも分けてほしいものです。だって、こんな私に生徒指導なんかが務まると、普通は思えないじゃないですか。

「そういえば、話は変わりますが萌田先生……」

 それまで、まるで相手を弄んでいたかのような奥田川君の余裕の笑みは、いつしか、自らの欲するものを手に入れる為ならば手段を厭わないかのような、興奮を奥底に押し殺したような冷徹さに変わっていた。

「萌田先生は、叶えたい夢というものを持っていたりしますか? 」

 遠山先生が口を挟みます。

「おいおい、奥田川。まるで、自分が夢を叶えてあげるかのような口ぶりじゃねえか。いつから、お前は管理人から魔法使いに商売替えしたんだ」

「いえいえ、そんなことはないですよ。あくまで、萌田先生に聞いてみただけです。ごくごく単純に知りたいだけです」

 確か、以前にも似た様な質問を誰かにされた記憶があるのですが……。

 どこでしたっけ……、えぇっと……、あぁ! 昨日のスーパーで出会った自炊のできる爽やかなお兄さんでしたね! それにしても、どうして彼も奥田川君も同じ質問をしてくるのでしょうか? でも、叶えたい夢なんて特に思いつかないんですよねえ。

「……そうですねぇ。特に叶えたいと願う夢は特に無いですね。強いていうなら、この学校に早く慣れたいとかですかねえ」

 本当は、生徒指導を無かったことにしたいなんて思ったりしたのですが、遠山先生の横でそんなことは、口が裂けても言えません!

「あらぁ、そうでしたか。私はてっきり、生徒指導の仕事を一刻も早く辞めたいのかなあ、なんて思っていたりしているのかと思ったのですが」

 えぇーっ! なんで、私の心が見透かされているのっ! 何を考えているかわからない生徒さんだけど、まさか、相手の考えていることを手に取るようにして分かるなんていう超能力でも持ってるのでしょうか。

「えぇっ。萌田先生、そんなこと考えてたんですか? 」

「ぃ……、いえいえ! 私がそんなことを考えるわけないじゃ無いですか。生徒指導をやめたいとか、やりたく無いとか、これぽっちも思ったことがないですよ! む……、むしろ、これからもずっと頑張っていきたいなあ、なんて……、思ってますよ、私! 全く、奥田川君も先生を揶揄うのはやめてくださいよぉ。あはっ……、あはははは……」

「そうだよなあ、萌田先生! 先生は、須崎先生なき我が校の唯一の生徒指導適任者なんですからねえ! おい、奥田川! あんまり先生を軽々しく揶揄うんじゃねえぞ! 」

「それは、すみません。でも、私はそのような軽口のつもりで言ったわけでは無いんですけどねえ。こう見えて、私は相手が何を考えているかを察するのには自信がある方なんですが……。今回は私の勘違いだったようです」

 いえ、勘違いじゃないです。全部本当です。

「でも、これは私の知りたいことの前提条件をあくまで確認しただけで、本題はこれからです。先生に本当に叶えたい夢があるとして、もし仮に、その願いを叶えてくれるという物或いは者があるとならば、先生はそれに頼りますか? それとも、それに頼らずに自分で掴み取ることを選びますか? これが先生に一番聞きたい問いです」

「え、えぇ……、そうですねぇ……」

 これは難しい質問です。えぇ、だって「本当に叶えたい願い事」なんてものを私は、これまで一度だって持ったことがないですもん。この教師の仕事だって、なんとなく、こんな弱気な自分を変えられたらなあ、なんていう、つまらない望みを持って選んだわけですし、例えば、自炊ができるようになりたいとか、生徒指導をやめたいとかいう思いも、今の私からすれば、「本当」と言わしめるほどの重大さを持ち合わせてはいません。経験したことがない質問を私は奥田川君に問いかけられたわけです。いわば、仮定の質問です。

「すみませんけど、私にはよくわからないです」

「おやおや、私が提示した二つの選択肢に対して、全く別の答えが返ってくるとは……。それでも、大丈夫です。全く問題ありませんから。答えてくれて有り難うございます」


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