第一章、第九節
「さて、勇者よ。交渉の時間だ」
食べた皿も片づけ、食後の紅茶を出した俺は、それを一口すすると、彼らに向かってこう切り出した。
その言葉に引き締まったのか、5人全員の顔つきが変わる。
いまだにのほほんとしているのは、何が起こっているのかわかっていないうちの少女と、ずっと笑顔でいるメイドだけだ。
まあ、片方は子供だし、もう一人もメイドである。期待はしていない。
「ただ、交渉を行う前に一つ話しておくことがある」
「なんだ?」
その言葉に、勇者が答えた。
他の5人も真剣な目で俺を見ている。
まあ、真剣にもなるわな。なんせ魔王が言うことだし。
俺はティーカップをもってもう一口紅茶を飲むと、ティーカップが置く音と同時にこう話した。
「俺は、ここにきてまもない。この城がどこにあるのかも把握していないし、この城だって構造をよくわかっていない。どこからか突然連れてこられて、魔王に仕立てられた被害者だ。
それまでは、お前らと同じ人間として生きていた。魔法がない、割と平和な世界で、ごくごく普通の……凡人の生活を送っていたんだ」
「なぜそれを?」
と勇者が不思議そうに言った。
構えていたところを見ると、もう少し不利なことを言われると思って拍子抜けした感じであろう。だが、この前提条件は俺にとって大切なことだ。
「これからの行う交渉において、この情報は必要であると判断したからだ」
そう。この交渉を通すために必要な第一条件。
『俺が無害である』ということを証明すること。
そして、そのためにもたとえ嘘とみられる可能性があるとしても、俺が無関係の人間であるということは相手の頭には入れておかねばならない。
「それを信用しろって? 魔王のくせに」
そういったのは格闘家の少女であった。
出会ったときから不機嫌そうな顔をしているところをみると、魔族に恨みでもあるのかもしれない。とそう感じた。
「信用するかしないかの判断はお前達がすることだ。俺があだこだ言えることではない。それはそちらで判断をしてくれ。
ただ、俺から言えることは、俺は前の知識は持っているが、この世界の知識は一切持っていない。だから、俺が言うことがあべこべであったり常識から外れていたとしても多めに見てほしいということだ」
そういって紅茶を飲む。ちょうどいい温度に冷めた紅茶は割とおいしかった。
それに対して勇者は首に手をやって考えていたが、意を決したように俺を見つめ、こう返してきた。
「……こちらからも一ついいか?」
「ああ」
「なぜ、ご飯をふるまった」
ん? ご飯? そんなことが気になるのか?
「こちらの世界では客人にご飯を出す習慣はないのか?」
「そうじゃない。僕たちだって、客人とご飯を共にすることはよくある。それが普通じゃないと言っているわけじゃないんだ。
しかし、俺とお前は殺しあう敵対者だ。そんな相手に対してまで行うことではないとそう思うだけだ」
ふむ。こちらとしてはただの善意であったが、余計な疑惑を生んだか。
「お前は俺の行為に何か裏があると、そう思っているのか?」
「そう思ってもらっても構わない」
なるほどな。
ご飯を食べた分何かを要求されるのではないかと思っているのだろう。
食べた後に言うことではない気はするが、食べた後だからこそ余計に気になるのかもしれない。
「飯を用意したのは、時間的なこともあったが、お前には俺を殺すというのを抑えてもらって、この場に立ってもらっている。
最低でもこの間、俺はお前に殺されずに済んでいるわけだ。それに対する礼と思ってくれればいい」
なんか釈然としないようすだ。
こちらとしては裏はないのだが、まあ疑惑はどうしたって出るだろう。なんせ魔王だからな。簡単には信用はしてくれないか。
「それに……」
「それに?」
「お互い腹が減った状態では建設的な答えも出ないだろう。こちらの都合もあってのことだ。だからこちらで用意したんだ」
俺の言葉に豆鉄砲を食らったような顔をしていた。
そんなに驚くことか? これ。
しばらく様子を見ていたが、勇者は突然吹き出し、笑いながらこう言った。
「そうだな。お腹が空いてちゃ、話はできないよな」
ひとしきり笑った後、満面な笑顔を浮かべてこういった。
「わかった。お前の言い分を信じるよ」
「そうか。助かる」
これでようやく。事前準備が整ったわけだ。
まあ、相手がこちらのことを全面的に信用するとは思っていないが、頭の片隅にでも入っていれば十分だ。
「それで交渉ということだが、そちらは何を要求する?」
と引き締まった顔で勇者がこういった。
俺はそれに対して全員を見つつ、語り掛けるように言った。
「まず俺たちが要求することは『俺たちが生きる権利』だ。より正確にいうなれば『この俺、魔王と、ここにいる少女、メルキューレ・リヴァルディア。メイドのリズ。後、この城に唯一残ったレッサーデーモンのヴァルグに関し、戦闘及び殺害をしないで欲しい』」
そう。これが、今の俺がしなければいけない最低条件。
前世界では必要なかったもの。既に社会が保証していた最低限の権利。それが『生きる権利』
今は勇者たちに命を狙われる身だ。実力の差はともかくとして、俺たちは、今、明日を生きる権利すら持ちわせてはいない。だから俺は、まずこれを保障してもらわなければいけない。
「魔王が命乞いをするというのか?」
「そうだ」
俺は勇者の目を見つめる。向こうも真剣な顔をしてこちらを見てくる。
「そこに関して私から質問してもいい?」
と魔法使いの少女が言った。
「どうぞ」
「……そういえば、名を名乗っていなかったわね。私は魔法使いのマギサ・エクステンド。元々フリーの魔法使いで、見ての通り今は勇者一行のパーティの一人よ」
マギサか。魔法使いによくありそうな名前だ。覚えやすくてこちらとしても助かる。
「私が聞きたいことは、なぜ、あなたはそれを自身の力で行わないのかということ。
先の戦闘であなたには私たちを圧倒できるだけの力がありました。勇者様の攻撃を魔法を使って受け返し、それを振り切って私たちまで迫ってこれるのは並大抵の者ではありません。あなたに自覚はないのかもしれませんが、あなたにはそれだけの力が間違いなく持っています。
しかし、あなたは自分達の生きる権利を主張しました。それは、裏を返すと『私たちに許可を取らなければ自身の生存すら危うい状況にある』と言ってることにほかなりません。
あなたの力は私たち個の力より明らかに上です。それでも自らの生存を私たちに委ねるのは一体なぜですか?」
なるほど。あれだけでも向こうからすれば脅威なのか。
実感はさっぱりないが、本人たちがそう思うのであればそうなのかもしれない。
魔王というのはやはり伊達ではないらしい。
「先ほど言った通り、俺はここに呼び出されて時間がたっていない。実際何ができるのかもわからないし、どれだけのことができるのか全く把握できていない状況にある。
あなたがそう思ったのであれば、俺にはあなた達を倒しうるだけの力が備わっているのかもしれない。それは俺も否定はしない。
しかしだ。あの時は3人だったが、今は5人だ。ここで戦いを始めたとしてお前たち5人に勝てる保証はどこにある。お互いに実力は未知数なのだ。どっちが勝つとは、はっきりとは言い難い。
それに、もし仮にお前たちを倒せたとしてだ。そのあと、新しい勇者が現れないという可能性は考えられないか? この世に何人の人間がいるのかは俺は知らない。勇者はお前しかいないかもしれないが、強者であればこの世だろうがたくさんいるだろう。勇者を倒した……いや、帰ってこないというだけで、俺は人族に脅威と認識され、討伐の対象になるはずだ。そうなるとたくさんの強者……いや、下手をしたら何十万という数の軍隊と戦わなければならなくなる。
そこに俺の安寧はあるのか? 俺達が、無事生きられるという可能性があるのか?
過去に何度か魔王は討伐されていると聞いた。つまり、人族にはそれだけの力があるということだ。それはお前たちではないかもしれないが、人族と敵対したのであれば、どちらにしろ敵となる脅威だろう。
だから、俺は戦わない。この戦いには利がない。俺が戦って勝ったとしても徳をしない。
それであれば、お前たちにお願いして、少し時間をもらったほうがまだいいだろう。そちらの方が確実に、安全に、自らの立場を保証できる。だから俺は、お前たちにこうお願いするのだ」
「なるほど」
とマギサと名乗る少女は言った。この少女。かなり頭が回るようだ。
「え~っと、どういう……」
それに対し、勇者は明らかに困惑していた。それは、こちらの提案がどうこうでなく、明らかに理解できていない感じだ。
わかってはいたが、こいつだめな奴か。
ため息一つつくと、俺はまとめて話す。
「簡単に言うと、お前たちと戦うと今後も戦いが続く可能性があるから、その戦いを避けるために、お前たちとは戦わない方法を選びたいんだ」
「なるほど」
マギサも頭を抱えてため息をつく。
ああ、この子は苦労人なんだなとなんとなく思った。
「それで、交渉というからには、こちらにも何かしら見返りがあるということでいいかしら?」
「ああ。こちらから出す条件は『俺たちの生存する権利』であるが、それに対してそちらがただ折れてもらえるとは思っていない。交渉というのは両者に徳があって初めて成り立つものだからな。こちらだけ優位な条件で納得してもらえるとは思っていないよ。
この条件に対して釣り合うような内容で、こちら側で提示できるものがあるとしたら、そうだな……それは『俺たち魔王軍は人族側への侵攻を一切行わない』と宣言する事だろう」
それに勇者一行にどよめきが走った。
「な、なにを言っている魔王。魔族が人族に侵略をしない……だと?」
「ああ。これより魔王軍は人族に対して侵攻を一切行わない。略奪行為はもとより、陣地の侵略、制圧等は一切行わない。もし規則を破るものがいれば、こちら側でしかるべき罰を受けさせ、それに対処する。こちらからの侵略行為は一切行わない。
当然、そちら側で処理をしてもこちらからなにか言うことはない。報復等は一切行わないと魔王の名において誓おう」
唖然としている勇者。理解できているのか? 大丈夫か?
まあ、こんなこと言う魔王はいないだろうから仕方がないのかもしれない。
とはいえ、こちらも真剣だ。なんせ自分の命がかかっているのだ。真剣にならざるを得ない。
「交渉条件は俺たちの命だ。それに見合った対価となると、同じ命にかかわるものしかない。魔王軍の状況がどうなっているかはわからないが、今の俺たちが出せるもので見合ったものは、これ以外にほかはない」
俺の言葉をいち早く理解したマギサがこう返してくる。
「それは、約束を違えた場合、あなたは自分が殺されることも容認すると、そういうことでいい?」
「ああ。それで相違ない」
こちらとしてはこの世界に来てまもない。出せるカード自体が少ないのだ。切れるカードがあるなら切ってしまわねばならない。
これで、どれだけのことに影響が出るかが不明だが、自分の命が長らえられるならそれでも充分なおつりが返ってくるはずだ。損はしないはずである。
それに、勇者側から見てもこれは悪い交渉ではない。
一部とはいえ、魔族がらみでの被害が減る可能性がある。世界平和が一歩近づくのだ。
彼らが俺の想像通りの勇者であるなら、この条件は無視できないはずだ。
「いや。だが……しかし……」
勇者は明らかに迷っていた。
その中身はこちらに対する信頼度の低さと、こちらの提示した条件のうまみ故だろう。
彼が優柔不断なことは最初の戦闘からわかっている。そんな彼に決断させるにはもう一押し必要か。
「そちらがこの話を無しとして、今ここで戦いを始めたとしよう。俺は殺され、一時的な世界平和は訪れるかもしれない。
しかし、魔族との確執はそれ以降も必ず続く。下手をしたら魔王が殺されたということで各地の魔物が動くかもしれない。
そうなったら世界的な混乱が始まる。最終的に人族が勝つかもしれないが、その過程で多くの人が犠牲になるだろう。もし、それで魔族が勝ったとなれば、人族は虐げられ、家畜のように扱われるはずだ。
それでなくても、長くにわたる戦で土地は痩せ、人々は困窮するだろう。戦いはそれそのものが戦いなわけじゃない、終わった後も続くんだ。ずっとな。
俺はそれを防ごうとしている。魔族と手を取り合えとはさすがに言えないが、戦わない方法を探ることぐらいはできるだろう。俺はそれを約束しようと言っている」
勇者の顔に苦渋の顔が見える。
もう少しか?
さらに追加で付け加えようかとしたとき、別のところから声が飛んできた。
「交渉内容はこれだけ?」
ほう。
向こうの魔女は頭が切れるらしい。
こちらが無理やり押し込みに来ているのがわかっているようだ。
まあ、この勇者だけを無理やり言いくるめても意味がないだろう。ここにいる全員を納得させないといけないのだ。
勇者への問いかけはこの辺でやめにして、彼女の質問に答えたほうがよさそうだ。
「いや。もう一つある」
と魔女に笑って返してやった。
魔女は笑わない。冷ややかな目でこちらを見てくる。
まあ、信頼がないんだから当たり前か。
「もう一つ。こちらが要求するのは『情報』だ。先ほど言った通り、俺はこの世界に来てまもない。世界の状況、地理、規則。そういうものが全くわからない。別に国の素性を明かせとか、人族の弱点を教えろというわけではない。ただ、普通に知っているようなことを俺は知らないのだ。だからそういうものを教えてほしい。
この城は人族から押収したものらしいのだが、そんな状況だから当然こちらには本一冊すらありゃしない。まあ、こいつらもいるし、多少のことはどうとでもなるだろうが、それでも情報が多いことには越したことはない。
とわいえ……だ。この条件は主にこちらを優位に働かせるものだ。若干ダメもとでのお願いになる。これに関しては別に拒否してもらっても構わない。その場合は、多少面倒にはなるが自分の足で何とかするさ」
そういった後、紅茶をすすった。
うむ。おいしい。あった茶葉を適当に使ったのだが、割と上質な紅茶なようだ。
どうやって入手したかはさておいて、これが飲めるだけありがたいと思おう。
しばらくした後、マギサが問いをかけてきた。
「それに対するこちらへの見返りは?」
「もし、ここに数日泊まるのであればという過程にはなるが、その際の部屋の貸し出し。さっきの客間になるが、あの部屋でよければ無期限、無料で貸し出そう。後は……飯だな。ここで飯が作れるのは俺だけだし、それでもよければだが、飯ぐらいはこちらで出させてくれ」
「…………」
マギサと呼ばれる少女は一度目をつぶって何かを考えると、目の前にあった紅茶を少し飲み、そして落ち着いたのか一息ついた後、ゆっくりとこういった。
「……いいんじゃないかしら」
その言葉に反論したのは、俺でも勇者でもなく、隣に座っていた格闘家の少女であった。
「はぁ? なんで! 魔王のいうことだよ!?」
「そうね。魔王の言うことね。そういう意味では全面的に信用できないのは確か。こちらとしては提案を破棄をしても特に問題はないと思う。
ただ、逆に言えば、提案を破棄しなくても特に問題がないというのも確かなのよ」
と、紅茶を混ぜるための小スプーンを指の上で回しながら魔女が言った。
「最初の提案だけど、こちら側に対する制約はほとんどない。単純に一時的に見逃せって言っているだけのこと。
こちら側がこの条件を破棄するときは相手を殺す時。つまり、今の状況とほとんど変わらない。この状況が、先延ばしになるだけのこと。
また、その状態になっているのであれば、向こうの条件が先に破られているはずだし、契約破棄の際のデメリットもかなり低い。なんせ、契約が破棄されたということは、『魔王が人族に敵対をした』という大義名分が発生する。そのため、こちら側が非難の的になる可能性は低い。当然魔族側があだこだ言うでしょうけれど、それは今殺したところで一緒。そう考えるとデメリットとしては高くはない。
しかも、この条件は魔王自ら逃げるという選択肢を省いている。逃げた場合、その時点で魔王軍の管理を破棄しているのと同等。つまり、その時点でこの契約が破棄されたということであり、あなたが殺されても仕方がない人間であると自分で印を押すことになる。だから、あなたは逃げられない。
そして、この条件は暗にこちら側にあなた達を監視するように示唆するもの。あなたが善であるか悪であるかを見極め、その上で戦うかを判断しろというあなたの意思が働いているようにも見える。それをあくまで勇者様にやらせて、その上で、どうなのかを判断してほしいという、意思の表れね。
2つ目の条件もそう。あなたを監視するのであれば私たちはここに残らざるを得ない。第一の条件を遂行するにあたって、どうしたって監視は必要になるのだから、めんどくさい形にするよりも、住居と食事を提供するという形でそちら側に取り込んでしまったほうがいい」
驚いた。そこまで考えていなかった。
この交渉はほとんど、速攻で考えたものだ。相手が自分たちが生かしてくれる条件は一体何か。それを考えた上での交渉であった。
まあ、そんなことを考えていたのかと言われたら、全く考えてはいなかったとはいえないが、言われて驚いたというのが正直な感想だ。
「当然、逃げられる可能性や、契約を無視して進行する可能性もあるんだけど、こちらの監視を考えるとそれは現実策じゃない。もし逃げたとしても直ぐにわかるし、その場合は問答無用で切り伏せるだけよ。こちらで追う手間が発生するけれど、とはいえ今戦ってもその時に戦っても大差はない。むしろ、戦わなくても済む可能性を考えれば、こちら側にかかる負担はそこまで大きいものじゃない。
それに、メリットもある。魔王が本当に魔族を統率して人族を襲わせなくできるのであれば、人の脅威が一つ減る。人の脅威が魔族だけではないにしろ、人族の村が魔族に襲われている現状を鑑みれば、これだけでも大きなメリットになりうる。完全にはできないにしても、その脅威が減ることは決して悪いことではない。ただ……」
「ただ?」
「そちらの言い分だけで飲むことはできないわね。あなたが何かしら裏を考えているという可能性もある。この条件を鵜呑みにして話をするのはさすがに危険な気がするわ」
確かにその通りだ。相手の言い分だけで事を進めるのは交渉としてよろしくない。
両方の理があり、初めて成立するのが交渉だ。そうでなければ一方的な押しつけになってしまう。
やはり、この娘。頭がよく回るようだ。
「とするとどうする。そちら側から何か要求することはあるか?」
「そうね。それならばそちら側の情報もこちら側に提示することを要求するわ。あなたが持つ戦力、力、その他の情報。すべてね」
すべて……か。
「俺は何も知らないぞ」
「今は知らなくても、今後知っていくでしょ。魔王として動くのであれば、あなたはこれから知る義務が発生する。絶対にね。
だから、その知識を私たちも共有しなさい。魔王としての知識も、人としての知識もすべてね。
それに……」
そういって、魔女は持っていたスプーンを上げた。そのスプーンはこちらを指している。
「あなたはこの世界に召喚されて間もないかもしれないけれど、何も知らない赤ん坊というわけではない。私たちの知らない何かを間違いなく知っている。そう。間違いなくね」
彼女のスプーンは俺ではなく、その後ろ。厨房を指していた。彼女が言っているのは俺が作った料理のことをだろう。
確かに、勇者も食べたことがないものだといっていたからそう推測するのは正しい。俺からすれば日常的に作っていた家庭料理の一つなのだが、ここが異世界なのであれば彼らがこれらの料理を知らなくても不思議ではない。
情報か。
自分にどれだけの情報が残っているのかわからない。
飯は作れたが、自分の名前等は記憶がない。他のことがどれだけ記憶として残っているのか。それは正直自分にもわからない。
しかし、それが自分を生かすための交換条件であれば悪くはないはずだ。彼女たちに教えることで自分の思い出せないことも思い出せるかもしれない。もしかしたら変えるための手がかりも彼女たちは知っているかもしれない。
「……わかった。俺が答えられる範囲であれば応えよう」
「できれば、食後にはデザートもお願いしたいわね」
そういって、にこやかに笑う少女。
「了解した。極力努力しよう」
俺と魔女は向かい合って笑った。
いや、なに。こいつとは息が合いそうだ。
また、お茶が飲める時が楽しみだ。
「魔王の言うことを信用するの?」
と武道家の少女が言った。
「別に全面的に信用するつもりはないわ。当然疑いはかけてかかる。
ただ、こちらとしても宿や食事を出してくれるという以上、特に損害を被ることはないし、制約が守られた際のメリットも大きい。
あんたの心配もわかるけれど、大局を見るならこれが最善よ」
「でも……」
「まあ、私たちがどやこやいっても仕方がないわ。話は私がしたけど決めるのは私じゃない。勇者様よ」
そういって二人は勇者を見た。
どこぞの指令みたいに腕を机の上にやり、手を組んで顎を乗せて悩んでいた勇者は、意を決したのか、その手をほどき、こちらを向いてこういった。
「わかった。その条件。飲もう」
「助かる」
俺は席を立ち、彼の前に右手を差し出す。
「交渉成立の握手だ。俺たちの世界ではこれが一般的でな」
「そうか」
勇者も席を立ち、右手で俺の手をつかんで握手をした。
「裏切るなよ」
「そちらもな」
お互い手に力を籠める。
いや、全力で握られるとかなり痛いんだが、まあ、離すわけにもいかないので、我慢する。
が、ま、ん……。
「さて、そうなると誓約書が必要よね」
そういってマギサは魔法陣を宙に浮かべ、その魔法陣から丸められた茶色い紙と羽ペンを取り出した。
そして、それを机の上に広げる。
「契約のスクロールよ。ここに契約内容を記載するの。記載した内容が破かれた場合、中に書かれた魔法陣が割れるわ。」
確かに青白いもので、六芒星が書かれている。
「拘束力はそこまで強くないけれど、交渉だし、これぐらいがちょうどいいでしょう」
そういって、マギサは紙に文字を書いていく。
「魔王。再度確認するわ。あなたが出す条件は、まず一つ目に『勇者一行が、魔王、メルキューレ・リヴァルディア、リズ、ヴァルグに対する戦闘行為を行わないこと』これで間違いはない?」
「ああ」
「それを遂行することに対しての見返りは、『あなたは持ちうる知識の共有。及び魔王軍の人族に対する侵略行為を行わないこと』で間違いはないわね?」
「問題ない」
「そして、第二の条件として『私たちへ可能な限りの情報の共有』。それに対して、私たちは『住居の確保、および食事の提供』を要求するものとする」
「ああ」
そういいながらマギサは文字を書き込んでいく。すべてを書き終えた後、紙に書かれている文字と魔法陣が青白く光る。
「内容に相違がなければサインを」
そういって、俺に羽ペンを渡してくる。
受け取ったはいいが、インクはどこだ? マギサはインクとかつけてなかったけど、どうやって書いたんだ? このままかけるものなのか?
それに気が付いたのか、マギサがこういった。
「それ。魔法のペンで、特に何もしなくてもかけるから、そのまま書いちゃって」
「そうか……」
俺は少し動揺しつつ、筆を紙へと近づける。
あれ? そういえば、俺の名前わかってないんだけど魔王でいいのか?
まあ魔法世界だし、魔王でいっか。俺のことを指すだろうし。
俺は右下に大きく日本語で魔王と書くと、ペンを渡す。勇者はペンを受け取ると、楔のような形を使った文字で左下に名前を書いた。
『オリバー・D・スヴォボダ』
そういえば名前を聞いていなかったな。そういう名前だったのか。
書き終えた後、勇者が離れると、紙が宙に浮いて、青白く光る。
マギサが呪文を唱える。
「契約はここに完了せり。これより契約は神の見定めとなる。契約を破棄することはならず、虚偽をすること叶わず。これ、すなわち天の声と知るべし」
そして、呪文が唱え終わった後、紙はくるくると丸まり、マギサの手の中に納まった。
「これで契約は完了。破られないことを祈るわ」
そういって、マギサは勇者へ巻物を渡す。
勇者はその巻物を受け取ると、再度こちらを向いて手を差し出してきた。
「これからよろしくな、魔王」
「こちらこそよろしく。勇者よ」
そして、俺たちは握手した。
☆
魔法歴・1300年。この瞬間、この世界初めての人族と魔族の協調が始まった。