第一章、第五節
頭を抱えたいことが多すぎるが、ひとまず落ち着いて現状の整理から始めよう。
右手で炎を出す。小さな火が右手のすぐ上で淡く燃えた。
炎から熱も感じる。これが非現実ということはなさそうだ。
別の魔法も使ってみる。
部屋の中にある魔力をかき回してみる。すると、空気が循環し、風が肌をこするのを感じた。ゴォーという音もするし、ちゃんと意識通りに魔法が働いているのがわかる。
なにがどこまでできのかはおいおい調べるとして、これが魔法であることは間違いはなさそうだ。
そして、そこから導き出される答え。
つまり、ここは『異世界』である。
そう……。ここは異世界なのだ……。ISEKAI……。
眉間に手をやって考える。
異世界とか厨二病の極みかな。アニメの見過ぎで頭やったかな。
いや、まあ。最近、異世界転生物が多いからわからんでもないが、なんで俺が異世界転生。しかも勇者とかではなくて魔王。
てか、異世界転生って最初にチュートリアルで女神みたいな人が出てきて「すみません。間違って殺してしまいました」とか言って、好きな技能を一つ引き継げるとか、便利アイテム持たせてくれるとか、そういうことをしてくれるんじゃないのか? 特にそんなことがあった覚えはないぞ。
「どうかしましたか? 魔王様」
「いや、何でもない」
現実を見ろ、俺。
これが夢という可能性も否定はしないが、それを言ったところで始まらない。取り越し苦労ならであるならいい方だ。死んだ後で後悔しても遅い。
そういうと、椅子に腰を掛ける。
少女が背もたれを破壊したせいで背中がチクチク痛いが、そこは仕方ない。あとで修理してもらおう。
「ひとまず、現状を教えてくれ。お前たちの目的と、俺が何をしなければならないのかを」
☆
リズの長ったらしい話を訳すとこうだ。
この世界は人族と魔族がおり、この2つは長い間対立をしていた。
100年ほど前、魔王が魔族をまとめて人族側に進軍。魔族は人族を実質支配化に置くほどまで規模を広げていた。
しかし、突如現れた勇者により魔王は死に、人族はその勢いを吹き返す。
それに対して、魔王側は新たな魔王を立て反撃。一度は優勢へと導くものの、またも現れた勇者によって魔王は討伐され、魔族は世界の隅へと追いやられた。
「そしてその時の魔王の娘がこの膝にいる少女であり、引き継がれた魔王の力を使って、俺が召喚されたと。そういうことだな」
「はい、そのとおりであります」
少女の名前はメルキューレ・リヴァルディアと言うらしい。前魔王の一人娘で、幼いころに親の魔王が殺されて以来、リズと一緒に山奥で生活をしていたらしい。
魔族にはリーダー的な存在が必要であった。しかし、魔王の娘であるメルキューレは幼く、リーダーには不向き。他に頼れる存在も人族に討伐されて残されてはいない。
だから、俺を召喚して立て直しを図ったというわけか。
まあ、典型的な異世界ファンタジーの設定だな。勇者や魔王といったところからもそうだが、人間と魔のものが敵対するところや、人に倒されているところがいかにもだ。
「はぁ……」
俺は深くため息をついた。
正直、今すぐにでも帰りたい。家に帰って風呂に入って、ビールかっ食らって、そのままふとんに飛び込んで、すべてを忘れて朝までぐっする寝ていたい。
しかし、そういうわけにはいかないだろう。ここがどこだかさっぱりわからないし、自分のいた場所は異世界とは全く縁のない場所である。こんな場所からどうやって戻ればいいか想像もつかない。
おまけに記憶に混濁も見られる。主に自分に関する事柄がうまく思い出せない。どこまで覚えているのかは後で確認しないといけないが、自分の名前すら思い出せないのは問題だ。
(ひとまずは、こいつらに付き合うしかないか)
最低でも現状が正確に理解できるまでは一緒に行動するのが得策だろう。闇雲に事を起こすよりはまだましなはずだ。
ひとまず、この子供のような世界につきやってやるほかない。
「それで、俺の目的は『魔族の名誉回復と繁栄』。これで間違いはないか?」
「はい」
そうリズは返してきた。
まあ、簡潔に言えば、人族から領土を奪い、魔族が生活する基盤を作れとそういうことらしい。
「それで、味方はどれぐらいいるんだ?」
「…………」
そこでリズが口ごもった。
「?」
なぜ口ごもる。戦えというんだから、戦力ぐらいあるだろう。
「……まさか」
「はい。これまでの戦いで勇者に敗れ、戦えるものはほとんど残っておりません。残っていたものも、先ほど過半数が破れ、残ったのは片手で数えるほどです」
あの勇者に敗れたのか。情けないというかなんというか。
いないものは仕方ない。こういう時は切り替えが大事だ。そう、切り替えが……
いや、ちょっと待て。もしかして。
「ということは魔族の領土も」
「この城を残すのみとなっております」
もう、それ軍と言わねえよ。
むしろ絶滅危惧種じゃねえか。人族に保護されるべきなんじゃねえか、それ。
「もっと言うと、お金もありません。この城も山奥の森の中にあり、管理できないとかで人族が立ち退いたのを私たちが横領しただけなので、中も結構ボロボロです」
ダメじゃねえか。それただの不法占拠だろ。そりゃあ、勇者に追われるわ。
「はぁ……」
困った。
戦力はない。土地もない。お金もない。ないないずくしのオンパレード。下手をしたら、明日生きていくためのものもないかもしれない。
頭を抱えていると亜人の少女が顔を上げて見上げてくる。
「大丈夫?」
ちっとも大丈夫ではない。残っているのはこの城のみ。しかも不法占拠しているので、ここの所有を何とかして主張する必要性がある。
ただでさえ、魔王という立場なのだ。人族がそう簡単に放置してくれるとは思えない。
苦い顔をしていると少女の顔が曇っていくのがわかる。
そう悲しい顔をしないでほしい。この状況は俺のせいではないのだ。正直、俺は凡人だ。こんな状況を大逆転させる手など俺は持ってない。
…………。
………………。
……………………。
少女の悲しい顔を見てて思った。
この少女には笑ってほしい。
ふとそう思った。
別に自分が何かできるとは思わない。なにかやれるなんて思えない。
ただ茫然と、ただ漠然と生きてきたんだ。
俺は何もできない。何もやれない。
それはよく知っている。
それでもだ。
ただ、自分の娘と言えるような歳の子に、泣いていてほしいとは思わない。
親戚でもないし、知った顔でもない。
助ける義理もなければ、助けなければいけない義務もない。
でも、だからと言って、
こんな子を泣かせていいはずがない。
「何とかするしかないよな」
そういって少女の頭をなでると、覚悟を決める。
どこまでできるかはわからない。何ができるかなんてわかるはずがない。
それでもやらなければ始まらない。
こうなったら使えるのは己の頭だけだ。
自分の頭がよかった覚えはないが、それでも使えないわけではない。
頭を回せ。フル回転させろ。
俺は天才ではない。だからと言って、地べたに這うようなくそみたいな人間でもないはずだ。
たった一人の少女のために、
せめて、一人の女の子が笑って過ごせる世界のために。