さよなら私の青春
「キャッ」
「っ!すまない」
廊下の曲がり角でぶつかった衝撃で彼が持っていた資料がばさばさと床に落ちる。
『拾いに行きたい、けど距離的に間に合うかどうか微妙だな』
「私の方こそ申し訳ございません、不注意でした」
顔を赤らめながら謝罪し、彼女は床に散らばった資料を集め始めた。
会釈を返した後黙々と資料を拾い集めていく制服に包まれた彼のおしりをじっと見つめる私。
この場に出ていくよりも観察することに集中した。
「1,2,3,4・・・」
「全てございましたか?」
「ああ」
「それでは、失礼致します」
淑女としての礼をとり去っていく後ろ姿を目線で数分間追いかけて、溜め息をひとつ溢してから彼は生徒会室へ向かって歩きだした。
『嫌な予感がしますわ・・・やはり拾いに直ぐ出るべきでした。嫌がられるかもしれませんが』
***
ー数ヶ月後、生徒会主催の夜会にて
ざわめきが会場全体を支配していた。
これまで妹をエスコートして嫌々ながら参加していた彼の隣にはあの廊下ぶつかり女がいるのである。
彼の登場を心待ちにしていた私含め周囲の人間は驚きを隠せない。
「そのお嬢さんが例の?」
「はい、婚約者のアイ・メディアです」
「モイスト・メディアの娘、アイ・メディアと申します」
「先生の娘さんでしたか、それは知らなかったな」
ざわめきが静かになり、生徒会長への挨拶とやりとりが夜会会場に響く。
医療を生業とするメディア家は医者を多数排出している家系で、彼女も優秀な成績で将来は医者を目指しているらしい。
普段は眼鏡をかけて髪をきっちりと結って勉学に励む才女とのことだが、今夜は眼鏡はなくメイクで綺麗な顔立ちになっている。
そして髪の毛をウェーブさせてハーフアップに編み込みを施し彼の瞳の色合いの石がはまったバレッタをつけている、象徴的なアクセサリーだ。
信じられない、信じたくない。
『女嫌いなのに・・・婚約者って何なの。ずっとみてきたのに、気付かない私が悪いの?でも愛してるこの気持ちはどうすればいいの?』
頭の中でぐるぐると考えていると、彼女が近づいてきた。
彼の姿はなく一人で。
「何か御用でしょうか?」
「私はアイ・メディアと申します。彼の婚約者として言わせていただきますが、付きまといをやめて欲しいのです」
扇を握る手に力がこもった。
冷静に此方をうかがっている彼女の目が憎くて仕方ない、彼女が憎くて羨ましくて妬ましい。
助けてくれてからずっと彼の事を考えて見つめてきた。
貴女より彼を愛してる、婚約者なんて関係ない。
「付きまとってなんていませんわ、私は彼をお慕いしております。陰ながら見守っているだけですわ」
「お慕いしていると仰っられても婚約者として見過ごせません。やめて下さいますよう、重ねてお願い申し上げます」
きつく握りしめていた扇をかっとなって叩きつけようとしたが・・・。
バシッ
いつの間にか現れた彼の手でとめられた。
私をきつく睨んでいる。
「大丈夫か?」
「はい、有難うございます」
庇われた彼女の頬がほんのりと赤らんだ。
『最悪』
「君の存在を放置してきた私にも責任はあるが、婚約者には手を出さないでいただきたい」
「・・・っ申し訳ございません」
涙を溢さないように震えた声を絞り出す。
『泣いてぐちゃぐちゃの顔を彼にみられたくない』
扇を握られたままなので隠すことすらままならず、唇を噛み締める。
「・・・私は婚約者として彼女を選んだ。君の視線はある時を境に感じるようにはなったが、実害がない限りはと黙認してきた。その点に関しては申し訳なく思う。これからは彼女と共に歩むので、私なぞに目をやらず他の世界に目を向けて欲しい」
睨んでいた目が徐々に弱まり、力強い目でこちらに語りかけてきた。
理解してほしいという彼の気持ちが伝わってくる。
『フラれた、完璧にフラれたわ。私』
「・・・・・・お慕い申し上げておりました」
私の言葉を聞くと、ぱっと掴んでいた扇をはなした。
「失礼致します」
これ以上ここに居られない、はしたないと言われようとも走って自室へと帰った。
「罪なお人ね」
扇を握っていた手の方の腕に白色の手袋に包まれた華奢な腕が絡まった。
「呆れたか?」
「私では逆効果でしたし・・・自業自得とはいえ助かりました。呆れたりいたしません」
「そうか」
***
一晩中泣き叫んで翌日の授業は体調不良を理由にして休んだ。
腫れた顔を氷水で冷やし、脱水症状を起こさないよう水分を補給しながら過ごしていると心配した両親が訪ねてきた。
励まされると共に今後の進退を尋ねられたが何も思い付かず、少しの間休学したいとしか言えなかった。
父が学校へ話をつけて、休学届が受理されると故郷の本邸で穏やかな日々を過ごしている。
ー暖炉に薪をくべて燃え盛る炎、燃えて灰になってもいつかまた新たな薪をくべて燃え上がる。
『今度は燃やしてやりたい』
ぱちぱちと燃える音が静寂に鳴り響いた。