33 ファーネンヘルトの機械人形
静まる荒れた金属神殿跡で、サナ姫は息を呑んだ。
目の前で人の域を超えた神業を見せた男が、ぐらりと前のめりに倒れる
彼の全身の皮膚が裂け、赤い生命が溢れていた。
熱風に乗って血煙が舞う。
鉄錆にも似た匂いを嗅いで、小さな喉から悲鳴が上がった。
「シズマ・ヨナ!」
彼女の中で、覚悟はしていた。
自分自身を削って、奇跡まがいのことを起こすシズマの無茶を。
イーレブワーツを倒した時の記憶が、フラッシュバックする。
あの時は彼女も疲弊して何もできなかった。
しかし、いまは違う。
機械肢を外してシートから乗り出すと、サナ姫は血の滲む胸に耳を当てる。
「……脈が弱い」
領分を超えた奇跡の代償が、確実に命を削っていた。
大急ぎて彼女は懐から液体の入った小瓶を取り出す。
妖精の国で、二人の面倒を見てくれたエルフから渡されたものがあった。
――どうせ人間のオスは無茶をする。お前が持っていろ。
イース・ティルオークは彼の性質を見抜いていたのだろう。
サナ姫はその慧眼に感謝しながら、蓋を外した。
「シズマ・ヨナ。飲めますか?」
何度か彼女は語りかけるも返答はない。
意識がないことがわかると、口元に手をかざした。
まだエーテル風の余波が残る空間では、感じ取れないほど呼吸が弱い。
「いまから薬を飲ませます。エルフの秘薬なら怪我の一つくらいは」
瓶の中身を口に含むと、サナ姫はシズマの口を指で開いた。
唇を押し当てて、舌で液体を流し込んでいく。
彼が反射的に飲み込むのを確認すると、シズマから機械肢を取り外した。
「まだ、この世に留まりなさい。あなたをこのままにはしておきません」
彼女は自分のシートへもどって機械師を再接続した。
「主導権をわたしへ。白騎士は転移の準備を」
『肯定。目的地は妖精の国を指定します』
「その通りに。ナイタラ・エーンとザクシャ・シュシュは返答を!」
胴体だけで転がる紅い機械人形のスピーカーが、がさがさと雑音混じりに反応した。
「無事……じゃないが、生きてる」
「そっちはどうなった。カメラが全滅してモニターが真っ黒だ」
イーレブワーツの胴体はほとんど融解していた。
それは装甲のみならず、骨格フレームまで及んでいる。
コックピットが剥き出しになっていないのが不思議なぐらいだ。
スピーカーとマイクが生きていたのは、運がよかったとしか言いようがない。
ナイタラは何度もコックピットを開けようとした。
しかし変形してしまったようで、胸部装甲が開かない。
「アイヘスネログは倒しました。しかし、そのせいでシズマ・ヨナはいますぐ処置しておきたい状態です」
なるべく声を震わせないことに、彼女は全力を尽くした。
心胆を寒からしめる状況でそれをやれるのは、王族の血筋だろうか。
あるいは冷静でなければ、助けられないという感覚のおかげだったかもしれない。
どちらにしろ、彼女は努めて意識を平静に保つのに成功した。
「シズマが……そうか。あたしはなにをすればいい。」
「二人は白騎士に移ってもらいます。疲れているでしょうが、転移には多量の魔力が必要になる」
「わかった。姫様は外から開けてくれ。ハッチが壊れているんだ」
「イーレブワーツの胸を開きます。容赦を」
意のままに、とは返ってこなかった。
サナ姫は変形した胸部装甲とハッチを抉じ開けた。
中から出てきた二人をマニピュレーターで受け止めて、白騎士に招く。
その瞬間、シズマの惨状を目にした二人は、ぎゅっと唇を噛み締めた。
誰よりも苦しいのは彼と、その相棒だとわかっているからだ。
シズマの分の機械肢を接続して、ナイタラとザクシャはサナ姫に背を向けた。
ぽろぽろと目から溢れるものを拭いもせず、ただ黙して前を向く。
「準備はできた。……といっても、魔力を供給するだけだが」
泣く彼女の背をぽんぽんと叩きながら、ザクシャは声だけをかけた。
「十全の働きです。アルリナーヴ、妖精の国へ」
『肯定。事象、開門』
空間が軋みを上げて、ねじ切れるようにして開いていく。
白騎士は胴だけになったイーレブワーツを抱え上げて、空間の切れ目に入り込んだ。
そのすぐ外は、サナ姫にとって見覚えのある木造一軒家があった。
一歩踏み出すと、機械人形一機と半分の重量であたりに軽い地響きが起こった。
「人間どもは礼儀を知らないのか!」
一軒家の中から、割烹着を来たエルフが飛んで出てくる。
彼女は、アルリナーヴが抱える紅い機械人形の惨状を見て、ことを理解した。
「人間のメスはすぐに降ろせ! いま用意する!」
「イース・ティルオークには感謝を。予断を許さぬと見ています!」
「わかっている! 渡した薬は与えたか!」
「飲ませました。しかし、それほど聞いていないようです」
「万物の霊薬を持ってしてか。人間のオスはよくよく無茶をしてくれる!」
イースは家の中に飛び込み、秘蔵していたものを片っ端から集めていく。
サナ姫はイーレブワーツを下ろして、白騎士と跪かせた。
マニピュレーターを担架代わりにして、シズマを乗せる。
呼吸、脈拍はいま止まろうかというほどに弱々しい。
助かるのか? とは、誰も聞けなかった。
死んでもおかしくない、ではなく、生きているほうがおかしい。
それだけのことをしでかしたのだから。
三人ともが固唾を飲んで見守りたいところだが、状況はそれを許さない。
シズマ・ヨナの命は風前の灯火だ。
しかし地上も、イァッカム・クラスタの大移動で危機に陥っている。
「二人は一度、白騎士でファーネンヘルトへ転移してきてもらえませんか」
「あたしは……サナ・オズマが行かなくていいのかよ」
自分自身の国だ。飛んで行きたくないわけがない。
それをしないのは、彼女では十分な戦闘を行えないとわかっているからだ。
シズマという相棒がなくては、子鬼にすら苦戦しよう。
「ナイタラ・エーンとザクシャ・シュシュだから白騎士を預けられるのです」
「……わかったよ。その代わり」
「シズマ・ヨナは、助けてみせます」
自分の命さえ引き換えにしかねない眼差しを見て、ナイタラは頷いた。
アルリナーヴを預かって、ナイタラとザクシャはシートに納まった。
ゆっくりとシズマを下ろして、立ち上がる。
「白騎士にあたしたちが乗るなんて奇妙な話だが、お前の相棒の頼みだ。聞いてくれよ」
『肯定。イーレブワーツのパイロットは信用に値する』
「だったら、彼女を恥じさせないようにしてみせるさ」
勝手の違う機械人形を操って、二人と一機は空間転移していった。
取り残されたサナ姫は、急に寒くなったような気がして自分を抱いた。
「人間のメスは手伝え。一人でも多く手がいる」
「わたしにできることがあるのなら、やってみせます」
「よろしい。こき使ってやる」
不敵に笑って、イースは家中の秘薬と禁制品と封印具を広げた。
それから一晩中かかりっきりで、二人はシズマの治療に当たった。
ティルオークの家のすべての秘蔵品をつぎ込んで、ようやく容態は快方へ向かった。
脈拍と呼吸が安定し始めるまで、三昼夜必要だった。
一命をとりとめたものの、シズマはまだ目覚めていなかった。
四日ぶりに睡眠を取った二人が気だるい朝を迎えても、変わらぬ姿でそこに居た。
布団で安らかな顔を見せる彼は、あらゆる苦しみと無縁に見える。
地上は荒れていた。
機械人形の二大国とファーネンヘルトは水際で押し返したものの、蹂躙された国もある。
それらの土地は、派遣された騎士が取り返したものの、人はもどらない。
アイヘスネログの脅威が去ったイァッカム・クラスタの残党は、ふたたび地へ潜った。
彼らの脅威は去ったわけではなく、数を減らしたから沈黙しているにすぎない。
いずれまた顔を現すのに、対抗策を講じる必要はあるだろう。
それらのことは、いまはまだまぶたの外にある。
「……早く目覚めなさい、シズマ・ヨナ」
すこし伸びた髪を撫でて、サナ姫は大きな瞳から一粒、寂しさを零した。
彼女も地上を平らにするため、ファーネンヘルトへ喚ばれていた。
そしてシズマが目覚めないまま妖精の国を去ることになった。
ふたたび彼女が訪れるまで、半年の月日を必要とした。
*
白騎士を一人で乗るようになって、サナ姫は初めて妖精の国へ訪れた。
表情は明るく、いまにも堪えきれず笑ってしまいそうだった。
鳥の魔法具で、一月前に吉報をもらっていたからだ。
忙しく働いていたあいだにすっかり成長して、もう幼姫とは言えない容貌だ。
少女らしく伸びた脚で、いつかの塩田へ走った。
エルフが塩作りをしている側で、釣り糸を垂らしている男の姿がある。
すこし背が伸びているし、髪も長い。
けれど、彼女がどれだけ見ても飽き足らなかった背中が、そこにある。
「シズマ・ヨナ!」
「あいよ。……って、サナ姫か? ずいぶん大きくなったなぁ」
振り返るシズマが、走る彼女を見て眼を丸くした。
彼の体は寝ているあいだに細ってしまい、肌の色も白い。
まるでエルフになってしまったようだ。
しかし、その雰囲気は変わっていなかった。
「……よかった。目覚めて」
「なんだよ、泣いてるのか。サナ姫は泣き虫だな?」
「……人が再会を喜んでいるというのに、あなたという人は!」
その言い方も含めて、サナ姫はもどってきたシズマを思い切り抱きしめた。
人をからかう性格もなにもかもそのままだ。
「俺の記憶からしたら、まだ一ヶ月しか経ってないんだ。許せよ」
肩を掴んで彼女を離して、シズマはにこりと笑った。
潤んだ瞳を拭って、サナ姫は落ち着きを取りもどす。
「そうでしたね。話すことは山ほど抱えています」
「ああ。俺も聞きたいことと、話しておくことがある」
放り出していた釣り竿をまとめて、二人は場所を変えた。
静かな森を歩きながら、ぽつぽつと言葉を重ねていく。
やがて小川の流れる場所まで来て、手頃な岩に座りながら話し込んだ。
外の世界の現状を聞いて、彼が眉を潜めたのも無理はない。
「……そうか。エーテル・ウェポンはもう広めているんだな」
「ええ。許可を取らなかったことは謝ります。しかし必要なことでした」
「それはそう思う。俺はそういう政治上のバランスなんて苦手だ」
「事後承諾になりましたが、平和のために使うつもりです」
エーテル技術を頒布するファーネンヘルトは、もはや小国ではない。
いまや技術最先端を行っている。
もっと早く広めていれば、と揶揄されることもあるが、概ね好評ではあった。
「こちらの世界のことは以上です。シズマ・ヨナの話というのは?」
喋ってからからに乾いた喉を、二人は小川の清水で潤した。
冷たくてほのかに甘い水を飲んで、すべりがよくなった口で彼は言う。
「俺はさ、魔法使いになりたかったんだ」
「……機械人形のパイロットが嫌になったと?」
元のジャンク屋生活にもどりたくなったのかという意味と、彼女はとった。
眉を落とす彼女に、シズマは首を振った。
「そうじゃない。……なんて言えばいいのか難しいな」
「……ありのままを」
そう頼むサナ姫に頷いて、彼もすっきりとした顔をして背伸びをした。
「なら、はっきり言うか」
「おねがいします」
深呼吸を一つして、簡潔に告げた。
「悪いな、サナ姫。俺はもう魔法使いじゃないらしい」
「……え?」
「魔力変換炉が、全部焼き切れてダメになっちまったんだと」
魔法使いは命を度外視すれば、たやすく限界を踏み越えることができる。
それがダメになる前にセーブをかけるのが常人だ。
しかし、シズマは二度に渡って遙かその先を進んだ。
その結果、魔力変換炉は修復不可能なほどに壊れていた。
命があっただけでも儲けものだが、もどらないものもあった。
「……そんな。それじゃあ」
「ああ。白騎士にも、もう乗れない」
魔法使いとして、アルリナーヴのパイロットとしてのシズマ・ヨナは、あの時に死んでいた。
晴れやかな顔で言うシズマの顔が、サナ姫にはひどく歪んで見えた。
視界がぼやけて、ぽたりぽたりとあたたかな雫が落ちる。
「シズマ・ヨナ……シズマ……」
「ほんとうにサナ姫は、泣き虫になったな」
背丈を比べれば、まだ彼の胸あたりまでしかない。
歯を食いしばる彼女のあたまを抱いてやって、やさしく撫でる。
胸に染み込んでいくのは、悲しみといろいろなものが混ざったものだ。
「だから、俺は次に行くよ」
「え……?」
顔を上げて、サナ姫は見上げた。
そこには彼らしい、挑戦者めいた表情を浮かべている。
新しいおもちゃを見つけた子供にも似た瞳だ。
「魔法が使えなくたって、この世界にはエーテルがある。エーテル・ウェポンをちょっと改良すれば、魔法みたいなことはできるはずだ」
くしゃくしゃとあたまを掻き混ぜられて、サナ姫はむっと睨んだ。
心地よい感触から離れて、暴走しつつあるシズマに耳を向ける。
「なにを言ってるんです……」
「エーテル・ウェポンを使えば、むかしみたいにエーテルは増えるだろ?」
機械人形が積極的にエーテルを外へ解放すれば、いずれ魔法時代のようなこともあるだろう。
それは彼女にもわかるけれど、話がつながらない。
「サナ姫は機械人形を使って世界を良くしたいって言ったよな」
「……はい。戦うためではなくて、それ以外に使い道を探すと言いました」
「俺はエーテルだ。こいつでチャレンジする」
「なにを……」
「どっちが先に世界を変えられるか、勝負しようぜ」
そう言って不敵に笑うシズマの顔に、悲壮感などかけらもない。
強がりもあるだろう。見栄もあるだろう。
心配をかけないようにしているに違いない。
しかし、その情熱は嘘じゃない。
心の底から本気で、エーテルで世界を変えようと考えている。
アイヘスネログと生身で向き合ったシズマだからこそ、信じられるのだろう。
「……なにを賭けますか?」
それに、彼女は打ちのめされた。
心地よい敗北感を味わっていた。
いつの日か感じたように、並べて比べられる日が来るだろう。
それ以前に、魔法が使えなくなったとして、ここまで早く立ち直れるだろうか。
考えて、それは無理だろうと結論づけた。
魔法を前提として育った文化で、使えないというのは想像以上の苦難だろう。
わずか一ヶ月で立ち直り、すでに自分の行先を決められるとは、彼女には思えなかった。
確かにシズマは王の器ではないし、権力者にも合っていない。
けれど一つの人間として、サナ姫はまだまだ敵わないだろう。
「そうだな……なんでも一つ、言うことを聞くってのはどうだ?」
「そんなことを言って、後悔しますよ」
「勝ったつもりかよ?」
「世界を治めようかという人間への命令ですからね」
「……はははっ! そりゃあ、たしかに大事だ!」
二人して笑って、地べたに寝転んだ。
彼女を乗せてきた機械人形が、それをやさしく見届けていた。




