01 衰退期の魔法使い――1
カップを持つとシズマ・ヨナはもごもごと呪文を唱えた。
その上に丸い水の玉が出来上がり、巨大な水滴となってカップの中を満たす。うがいしてもう一度水を生み出すと、今度は一息に飲み干して伸びをした。
パンを切り出して薄切りにしたチーズとハムと酢漬けの野菜を乗せて、もう一枚パンを挟んで炙った。サンドウィッチを腹に収めると、ガリガリと豆を粉砕してコーヒーを煎じる。
と言ってもシズマが昨年まで居た時代のように十分な器具がないから、沸かした湯に引いた豆を入れて麻布で濾して出来上がりという大雑把な代物だ。
目の粗いものを使っているせいでコーヒーには豆の脂と粉が浮いている。粉が沈んだところで上澄みを啜った。
朝食を終えたシズマは、カップを水の魔法で洗って片付けると房楊枝で歯を磨いて外に出た。そのまま家の隣にある仕事場へ足を踏み入れる。
六畳ほどの小屋は三分の一ほどに仕切られていて、狭いほうが作業場で広い方の中央が通路、その左右に台を置いて商品を並べている。
その商品というのは独自に作ったものか、壊れたり捨てられたりしていたものを修繕したリサイクル品だ。
そこから『ジャンク屋』というのがこの町でシズマの店を指す言葉になった。
大半は子供の小遣いでも買えるようなおもちゃだが、中には大人が大枚を叩かなければならない魔法の道具も並べてあった。
当然ながらほとんど売れないが、たまに人の懐に入るとシズマの懐も暖かくなる。その晩は当然いつもよりうまいものが食えるわけだから、商品開発には積極的だった。
そろそろ開店しようかと考えたところへ、立て付けの悪いドアがギイと開いた。
「いらっしゃい。……なんだギモンか」
「なんだはないだろう。いいことを教えに来てやったのに」
悪友ギモン・ナンダは台座に手を置くと、爛々とした目をシズマに向けた。
こういう顔をしている時の彼が何を言っても聞かないということは、ここ数ヶ月のことでわかっている。
おとなしく手を止めて、続きの言葉を促した。
「それで、なんの儲け話を持ってきたんだ?」
「お、聡いね。さすがこの町一番の商人だけはあるぜ」
「そういうのはいいから先を頼む」
「ああ、聞いて腰抜かすなよ」
ぎしっと台にかける圧力を強めて、ギモンは身体を乗り出した。
ほとんどシズマに突っ込むようにして語り出す。
「一週間ぐらい前に、身なりの立派な紳士がこの店に来ただろ」
「ああ。あれはうまい話だった」
立派な身なりの男が『ジャンク屋』に来て、物珍しそうに魔法の器具を買っていったのだ。
めったに売れることはないから、またそんなことがないかとぼんやりと思ってしまうぐらいには記憶に残る話だ。
「あれは視察で、この町がお眼鏡に適ったらしい。どうもお貴族様が来ていらっしゃるようだ」
「へえ、稼ぎ時ってわけだな」
この町は貴族が頻繁にやってくるほどの名産というのは特別ない。
時々、なにかの通り道として使うということはあるが、それにしては念入りに辺りを見回っていた理由がわかって、シズマはむしろ納得がいった。
そして持ってきた話が、売れなくて困っている商品の捌き時であるということも。
「そういうこった。いい話だったろ?」
「悪くないね。腰は抜かさなかったが……売れたら、うまいものでも奢るよ」
「頼むぜ。今月は金欠なんだ」
「いつもだろ?」
「まあな」
肩をすくめてギモンは苦笑した。浪費癖もあるが、それ以上に稼ぎが少ないのだった。
シズマは修理途中だったものを放り出し、店内にあるものを高い順から片っ端にトランクケース詰め込んだ。全部が売れるわけもないが、どれか一つ売れれば今月の生活は相当、楽になるだろう。
お情けで手に取ってもらえば、貴族の見栄にかけて一つぐらいは貰っていくに違いない。
そういう算段である。
「それじゃあお貴族様にところへ案内してもらいますか」
「かしこまりました。最短コースでご案内しますよ」
ふざけあいながらシズマとギモンは、ドア前のプレートを返して休憩中にすると道を急いだ。
大通りまで休憩もなく足を進めると、遠目からでもはっきりわかった。取り囲むでもないが、人々の視線が集中している。
その中心に居るのはいかにも高そうな衣服と装飾を身にまとう初老の紳士と、その子供らしき小さな女の子だ。少女は首元に、尻尾が長くふわふわとした小動物をマフラーのように巻きつけていて、それが時々、顔を出して頬を舐めたりいたずらをしている。
その周囲には数人が警備としてか、厳つい顔と身体をした男たちがやや離れて歩いている。
「あれか」
「ああ。いかにもだろ?」
「たしかに金は持ってそうだが……」
身なりが立派な紳士なのは間違いない。だが警備の中どうやって近づくかが問題だとシズマは考えた。下手なことをすれば、警備につまみ出されることは必至だ。
いきなり商品を使って目を引くというアイディアも浮かんだが、それは自殺行為に等しい。
「ガキの方を使おうぜ。あの大道芸で引っ掛けよう」
「お貴族様だろ。あんなものは見慣れているんじゃないか?」
「そんなことはないさ。むしろお貴族様だから引っ掛かるんだろ」
「そういうものか?」
「そういうものだ」
そういうものかと一先ず飲み込むと、シズマは貴族一行の進行方向へ先回りをしてトランクから人形を一つ取り出した。
これは高額で売る商品ではなく、むしろ何も売れなかった時に急場を凌ぐための道具だ。文字通りの大道芸でおひねりを集め、それでどうにかその月を食っていくものである。
シズマはいままでこれで、商売をはじめて信頼のなかった初期の二月ほどを食い凌いだ実績があった。
ギモンが大通りで人除けをして道を開けると、シズマは三回首を鳴らして二度、深呼吸した。
「さあさ皆さんお立ち会い! 世にも奇妙で摩訶不思議! 糸もないのにひょこひょこり! タネも仕掛けもありゃしない、小さな道化のショウでござい! お気に召したらご愛嬌、金銀銅のお気持ちを、頂戴願えばありがたし!」
ギモンが声を張り上げて謳うと、道化師の恰好をした小さな人形がひょこりと立ち上がった。そのまま勢いをつけて走り出し、自分よりも遥かに高く飛び上がる。
三回転半の宙返りをして大通りの真ん中へ降り立とうとして、何度かたたらを踏んでコケると、ぷっという声が周囲から漏れた。
よし、とシズマとギモンはまず客を掴んだことで課題を一つクリアした気持ちになった。
次は周囲を巻き込んで、紳士か少女のどちらかに興味を持ってもらってから、トランクケースを開けば成功したも同然だろう。
それからクラウンは何度も大技に挑戦しては、成功したり失敗したりを繰り返した。
次第に笑いから純粋な子供たちの「がんばれー!」という声が聞こえ始めたところで、シズマはぐっと手を握る。
大通りの向こうから歩いてきた貴族の御一行もこの大道芸を見ていたからだ。
最後に、登場で失敗した三回転半の宙返りを成功させると、周囲からわっという拍手喝采が飛んだ。
「ありがとうございます! ありがとうございます! お気持ちはこの中にお願いします!」
ギモンはちゃっかり持ってきていた大きな布を広げると、その中にあちらこちらから銅貨が舞い飛ぶ。
「銅もありがとうございます! 銀ならなおありがとうございます! ワタクシの布は銀色が大好物でございます!」
もう一つ小さな笑いを頂いて、ギモンは銅色の流星群をもうすこしばかり集めた。
狙っていた貴族の娘が、小金を持ってとてとてと近寄ってきたところでシズマも前へ出た。手のひらにちょこんと人形を乗せてその上で軽く踊らせる。
それを見た貴族の娘は、シズマを見て立ち止まる。
「とてもおもしろかったです。あなたがこの人形を?」
「はい。なかなかうまいものでしょう」
「これだけ精緻な魔法の使い手はそうはいません」
魔法の源であるエーテルがずいぶんと減りつつあり、大規模な魔法はほとんど使えなくなった。
しかし、小さな魔法ならまだ起こせることからシズマは、その精密性を上げることに躍起になっていた。人形の細かな操作はその技術の一端だ。
それを見抜く貴族の娘が侮れないことは、このやり取りで明らかになった。
貴族なんてどうせ頭が軽いものだろうと舌を出していた胸中を見抜かれたようで、乾いた喉に唾を飲み込んでにっと笑う。
「お嬢様は聡明でいらっしゃる。この技をご理解いただけてなにより」
機を得たとばかりにトランクケースを広げると、一層大きな声で張り上げる。
「そんなお嬢様だからこそ、ご覧いただきたい!」
広げられたトランクケースには『魔法の品々』がどっさりとある。
微弱な魔力変換炉しか持たなくても使えるような魔法具であったり、シズマほどの精密性がなくても、ある程度動かせるセミオートの人形であったりと様々だ。
その一つ一つを聡明な貴族娘が見抜くとは思わないが、しかし興味は引けたとシズマは確信する。
貴族娘は目を丸くしたあと、くるりと大きくも煌めく瞳の輝きを一層強めた。
そこに宿るものを感じて、シズマはぐっと拳を握りしめた。
「たいしたものです。これもあなたが?」
「こうした商品を作るのが本来の稼業です」
少女の瞳は、もはや宝石ではあるまいかというほどに光を閉じ込めた。
未だ年齢も十を数えようかという娘に負けてなるものかと、シズマはどっかりと肝を座らせて迫力に押されぬよう堪えた。
「名前を聞きましょう」
「シズマ・ヨナ」
「よい名です。それではこれをいただきましょう」
少女が手に取ったのは、並んだ中でもっとも高い商品だ。そしてもっとも価値があるものでもある。それを見抜いて選んだのなら、その眼は本物だ。
幾何学模様のラインが走る腕輪はシックで、少女の雰囲気とはややそぐわない。しかしその怜悧な中身を考えれば、これほど似合うものもない。
「それは魔力を通すことで腕輪の周囲に障壁ができます」
「こういうものですか」
少女がすっと深呼吸をして大気を取り込んだ。
そして魔力変換炉で精製した魔力を腕輪に通すと、幾何学模様が光って半透明なプレートのようなものが腕輪から周囲に広がる。
マフラーのように巻いていた小動物が驚いて鳴き、ふんふんと匂いを嗅いでから爪で引っ掻いて見ても、プレートは傷一つつかない。
「なるほど。どれほどまで耐えます」
「マスケットなら三発ほどは」
「十分な威力です。足りますか?」
少女は財布から金貨を十枚取り出した。四人家族が質素に暮せば一年は持つ金額だ。
それを見てシズマは心臓が強烈に跳ねるのを感じながら、無表情を装って頷いた。震えそうな手で受け取りつつ、飲み下しかねた言葉が口をついて出る。
「評価が過ぎるのでは?」
「わたしは十枚の価値があると感じました。そういうことです」
「……ありがたく頂戴します」
じっと少女の目を見て、そこに宿る宝石の色を覚えるとシズマは頭を下げた。これだけあればトランクどころかジャンク屋を丸ごと買ってお釣りが来る。
しかし貴族娘にそう言われては、引き下がらざるを得なかった。
実際のところ、少量の魔力でマスケット銃を防げるというのは十分な価値がある。
特に命を狙われやすい貴族とあっては、少女にもいい買い物だったろう。
「お名前を伺っても?」
「……サナ・オズマ。それだけの女です」
貴族娘――サナは、もう興味を無くしたかのように障壁を消しさると、少年の前から去っていった。
ギモンが大きな布を畳んで民衆にペコペコ下げ、もう引き上げる様子だ。
懐のずっしりとした重みを飲み込んで、シズマはぎっしりと重たいトランクケースを担ぎあげる。
「どうだった。儲かったろ」
「ああ。そっちも随分と稼いだみたいだが」
「安心しろ、きっちり分けるっての。その代わり……」
「奢るよ。好きなだけ食え」
「よっし!」
人形を動かしていた時とは違う、ずっしりとした重みを懐に入れてシズマとギモンは家路に着いた。
ジャンク屋にたどり着くとすでに昼をすこし過ぎていた。
こうも稼げば店を開ける気にもならず、トランクケースだけを置くと、ふたりは食事処へ入る。
どっかりと座ってテーブルに包みを広げると、ギモンはテーブル中に広がる銅の輝きに目を奪われた。
胸にもっと輝くものを持ったシズマはそれほど夢中になれなかったが、その量は圧巻だ。特にまだ半人前をやっているギモンには目の毒だろう。
「分前はいつもどおり、七対三でいいな?」
「ああ。そこからギモンが飲み食いする分を取ってくれていいよ」
「シズマは話が早いな。そっちはどうだ、売れたんだろ?」
「ちょっとびっくりするぐらいにはな」
「なるほどね。それで上の空ってわけか。羨ましい話だが、まずは食おうぜ」
上等な食事も、十枚の金貨の前には砂のようだった。