16 アルリナーヴの刃
「アンナの言うとおりです。ここは争う場所ではない。あなた方もラオベイリンの名にかけて下手には出られないはず。しかし別の大陸の人間となら、手を取り合うことは恥ずかしくはありません」
場を制しようと動いたのはサナ姫だった。シズマは権力者ではないから、黒い腹の比べ合いとなればそれほどに優れているわけではない。治めようというよりは警戒に近いのは、名に格差があるからだった。
対して壮年の男の風格を思えば、人を使うことには慣れているだろうと見て取れる。顔に刻まれた皺の一つからでも威厳を感じられる。
「言うことはわかるが、ラオベイリンの騎士は戦うために生きているわけではない」
「機械人形が好きなんだよな。特に『剣』ともなればその技術には圧倒されるだろ?」
どちらもサナ姫の手を取って、悠然と握手をした。
「サナ・オズマとシズマ・ヨナ。そちらは?」
「私がボルゾフ・ゲナガン。これがアウガン・ゲナガン」
「ご子息でいらっしゃる?」
「それほど大したものではない」
四人で握手を返しあって、少年のアウガンはシズマに好奇心に輝く眼を寄せた。餌を目の前にして待てをかけられた犬のような精神は、騎士というよりも別物のようだ。
「なあ。あれは純粋剣だよな」
指を指して食いつく少年を見て、ゲナガンは呆れたように口を開けた。白髪交じりの髪を掻き上げると、ため息を一つ漏らした。
ラオベイリンの騎士なら誰もが機械人形を好んでいるが、アウガンのそれは度を越していた。その性質は騎士というより研究者に近い。
「純粋剣……純白剣と聞いているが、そっちの大陸だと伝承が異なるのか?」
「そういうこともあるのか? お前がパイロットなんだろ。乗り心地はいいかよ」
言葉のちがいなんて国ごとにも異なるのだから、よくあることだと受け流した。それよりも機械人形マニアの彼には山ほど聞きたいことがあったのだから、小さいことにこだわっている暇はない。
「シートは座ってられるが、あれは玉座に近いじゃないか。げっそりとしていくんだから」
「王よりも位の高い椅子だとは思うが、なかなかのことを言う。自分の力が広がっていく感覚は楽しいじゃないか」
「戦いをするために乗っていたから、純粋に楽しむって気持ちはなかったよ」
「それはもったいないな。機械人形はいいぞ! 世界が小さくなった気がするんだ。手のひらに収まるようじゃないか!」
タガが外れそうになったアウガンの腕を、後ろ手に縛って抱きすくめると、ゲナガンはもう一度ため息を吐いた。その顔の皺はいまや威厳よりも、気苦労が耐えないのだろうという印象に変わっていた。
「力に溺れたようなことは言うな。……すまないな」
「ちょっ、痛い痛い! 熱が入ったことは自分を失った! それは謝ります!」
二人の様子に毒気を抜かれたということもあって、サナ姫とシズマは無闇な警戒を解いた。ラオベイリンの人間がそういうものだと知っていたのか、アンナ・ニナイはそれをにこにこと眺めているだけだった。
「格納庫という空間は、アウガンという人間を興奮させすぎるようです。すこし収めるまでは、離れていることにしましょう」
身内の恥を晒すのは、国と大陸が違えど歓迎するべきものではない。ゲナガンの気持ちを汲み取って、ファーネンヘルトの二人は彼らが離れていくのを見送った。
ため息を吐いたのはどちらが先か。あるいは同時だったのか、見合って笑いながら、カーボンに汚れた機械人形を見上げる。
「……整備ってさ、どうすればできるんだ?」
そう言われればおもしろい気分にはならないのがエルフだ。彼女たちは誇りを持って機械人形の整備をしている。
「エルフの仕事を奪っていくつもり?」
細めた眼の中に剣呑な光を灯して、射抜くような視線を向けるのはプライドがそうさせる。誰だって生涯の仕事をかんたんに言われては納得できない。
「じゃなくて、イーレブワーツにも愛は注ぐものなんだろ」
首を振って、シズマが灰被りの紅い機械人形に視線をやると、その心配りを知ってエルフもようやく笑った。
「そういうことか。整備はしないでもいいよ。ただ会いに来て声をかけてあげて」
「勇気のある機械人形のアルリナーヴには、どういう言葉が必要なんです?」
「男の子を褒める言葉は、恰好良いって言えばいいの」
「男の子ぉ、白騎士が?」
「だって騎士でしょ。だったらお姫様を守るものなんだから、男の子じゃない」
「シルエットはそう見えます。白騎士はわたしを守ってくれるのですね」
機械人形に性別を感じるのはエルフ独特の感覚だ。
ぱっと明るい笑顔を見せるサナ姫が白騎士を見上げた。カーボンに汚れてもその雄々しさは変わらない。むしろ泥にまみれても姫を守ったという様相に見える。
事実、命どころか国を助けてくれたのだから、頼りがいがあるのは本当のことだ。そこに敬意があるからこそ、騎士から姫にだって忠誠心が生まれる。
機械人形に心があるのなら、搭乗者の喜びは歓迎できるものになる。
「だから、機械人形たちは言うことを聞いてくれるのでしょ」
そう言うと、エルフの整備士は機械人形たちの様子を見に行ってしまった。することもなくなった二人は、自分たちの『剣』からラオベイリンからやってきたものに目を移す。
黄金剣は外面からは盾も持たない重騎士といった様相だ。バケツヘルム型の頭部から始まって、爪先までが分厚く作られている。いかにも鈍重だが魔力反応炉の駆動力ならば、俊敏に動いても不思議はない。
純白剣と黄金剣が似た系統だとすれば、翠緑剣は赫灼剣と近いと言えるだろう。下半身は長いスカート装甲が特徴的だ。上半身には肩部から背後にホルダーがあり、二本の長いユニットを保持している。それが武器になるのか、あるいは別の役割を果たすのかは、見た目ではわからないものだ。
「戦うのかな」
そう思ってしまうぐらいには、シズマも戦いをしすぎていた。
もう怖いと弱音を吐かないぐらいにはなっていたが、それは成長なのかあるは歪んでしまったのか。どちらにしろただの少年から、戦士として殻が剥がれ始めている。
「そうは思いたくありません。戦うのが人間の本性ではないはずです」
「俺だってそうだよ。けれど、譲れないものがあったら意地を張るしかない」
その言葉は、ファーネンヘルトとエスペルカミュの間において真実だと証明されてしまった。だからサナ姫には言い返すことができない。
体の隅々まで格納庫の油臭い空気を吸い込んで、たっぷりと機械人形の香りに包まれると、幼い視線が天井の魔力光を見上げた。
「わたしが国を支える暁には、機械人形たちは生活を助けるものとします」
「戦うために生まれてきたものをか?」
「発掘だってやってくれました。可能性を狭めているんです」
「そうなれば、戦いたくないって心のあるものは傷つかないだろうな」
いつになるかはわからないけれど、戦争なんかしなくてもやっていけるという王が増えれば、そういう時代になるだろう。そういう風潮を作るのが、いまの権力者にできることだ。
そう感じた少女が戦いで時代を作っていくのは、すこしばかり皮肉めいていた。
ふたりが機械人形に声を掛けながら格納庫の匂いに染まっていくと、時間はすぐに過ぎていった。
「もうそろそろお昼だけれど、イースのところに帰るでしょ?」
「そういう時間か。昼にはもどってこいって言ってたからな」
「だったらこれを持っていってよ。はい、お使いされてね」
「なんだよこれ」
そういって何枚か重ねた薄い板を渡す。その表面にはインクでなにかが書いてあった。
ノートのようなものだとはわかっても、なにが記されているかはエルフの文字になっているので人間には読めない。
「診断書みたいなもの。よろしくしたよ」
手を振ってニナイは小走りで行ってしまった。その方向はエレベーターとは逆だから、まだ格納庫に残ってやることがあるのだろう。
くぅ、とかわいらしい音がサナ姫の方からすると、彼女はわずかに赤い顔をしてツンとそっぽを向いた。育ち盛りの少女には、朝食の量はすくなかったに違いない。食べるのは早くもないが量は食べるのだ。
「それじゃあ帰るか。イースが寂しがってる」
「邪険にされているようにしか見えませんが、頼りましょう」
「あれは寂しがってるんだよ。イーレブワーツといっしょだ」
「都合の良い解釈をしますが、そうであれば愛らしいエルフです」
くすくすと笑いながら森を抜けて海沿いを通り、潮の匂いに昼食を用意する香りが交じるのを嗅ぐと、いよいよふたりの空腹はぺったりと背中とくっつくほどだった。
ティルオーク邸のすぐそばまで来ると、そこから魚の香ばしく焼ける香りが煙に乗って漂っている。それを嗅いだ瞬間、シズマの腹が豪快に鳴った。
「……塩焼きだよな」
「魚を焼いたもの……のはずです」
サナ姫が確証を持てないのは、生魚というものはファーネンヘルトでは貴重品だからだ。陸続きで海がないものだから、大抵は塩漬けや燻製にしたものか発酵させたものが出回るに過ぎない。
この時代に海のない国で新鮮な魚を食べようと思えば、機械人形を利用した高速輸送を頼むぐらいはしなければならない。
魚を食べつけない国の人間が、それに価値を見出すこともないから、シズマは米と同じように長い間、鮮魚を口にしていなかった。
そうとなれば喉の一つも鳴るものだ。
「ただいま、イース」
「いま戻りましたよ。お使いを頼まれています」
「帰ってきたか、人間。中に入って待っていろ、もう焼ける」
門を過ぎて、ふたりが見たものは庭で団扇を仰ぐイースの姿だった。その前には七輪があり、網の上で皮が色よく焦げた大きな青魚が三尾、丸ごと焼けている。
パチパチと脂が弾けて落ち、炭に当たって香りに変わる。
「……塩焼きだ」
「私はそれほど食べぬが、人間は魚や肉を好きよな」
「大好きだ」
「ならおとなしく家に入れ。よだれを垂らすなみっともない」
そう指摘されて初めて気づいたのか、袖で口を拭ってからいそいそと玄関に入っていく。台所では魚を叩いたつみれ汁が煮えていた。ネギも入っているのか甘い香りも漂っている。
「もうダメだ。この家の子になりたい」
「それはダメですよ!」
「貴様のような子などいらぬ。ほれ、いま運んでやるから座っておれ」
しつけられた犬のようにテーブルで待つと、鍋で炊かれた白米と、淡く色のつけられた透き通るつみれ汁、パリっと皮目の焼けた塩焼きに、大根のぬか漬けが所狭しと並べられた。
普段はイース一人で使うものだから、三人分も乗せればいっぱいになってしまう。
「さて、温かい内に食べよ」
「いただきます!」
さっそく塩焼きに手を付けて、シズマは艶やかな白米を掻っ込んだ。
「……ああ、魚だ。なんだかんだ言っても、島国の人間だよ俺は」
「新鮮な魚という贅沢をしていてよいのでしょうか。ありがとうございます」
「島なのだから魚は取れる。旬を食べるというのは、贅沢ではあるが」
この昼食で、シズマは三杯、サナ姫は二杯おかわりして、鍋に米粒一つ残さなかった。
すこし苦味のある薬湯を食後に飲みつつ、思い出したようにお使いを果たした。
「アンナから頼まれたやつを渡しておく。診断書とか言ってたな」
「読もう。すこし待て……」
食器の片付けを終えてタオル代わりに割烹着で手を拭いたイースは、薄板の塊を受け取るとぺらぺらと読んでいく。目を通し終えると、テーブルに置いて腹を膨らませて苦しそうなふたりをちらりと見た。
「なるほど、診断書か」
くすりと笑うと、エルフの美貌が際立った。
「アンナはなんだって?」
「ああ。貴様たち人間は、もうあの機械人形に乗るなとよ」
言われた意味が耳を通って脳に染み渡るまで、しばらく時間が必要だった。
硬直から復帰したのは総身の小さな少女のほうが早かった。
「……それはどういうことです?」
穏やかでいられないのは当然のことだ。ファーネンヘルトが国を平定するには必要な力である。
それを使えないともなれば、国の運営に支障ができるのは明らかだ。
「どうしてもなにも、あの機械人形がどういうものかってのは聞いたか?」
「エルフのご先祖様のハイ・エルフが使っていたとは聞いたが」
「そのとおり。貴様たちには負担が過ぎる。アレに乗って、まともに降りれたことがあるか?」
「うっ……それは」
指摘されて、ふたりは二の句が告げなかった。
戦う度に限界まで振り絞って、最後の戦いなど生身で機体から飛び出し、死んでもおかしくないことをやっていた。
毎回ボロボロになって、なんとかだましだましやってきたというのが本当のところだ。生き延びているのは単純に運が良かったに過ぎない。
「あの機械人形が調整もできないと聞いたろ。だったら貴様たちが乗るのをやめるしかない」
「命が惜しければ、ということですか」
首を振って、イース・ティルオークはただ事実を告げる。
「次に乗れば死ぬと言っているんだよ」
「……なんで、そんな」
「機械人形は貪欲だ。その力を無限に発揮しようとする。特に人間のオス、お前は自分の体の中身を知っているか?」
そう言われて、彼は反論することはできなかった。ただ押し黙って唇を噛み、貫くようなエルフの視線を見返す。
「その様子では察してはいるだろう。魔力変換炉が焼き切れる寸前だ。それ以上無茶をしたら魂ごと千切れる」
衝撃を受けたのはサナ姫だ。雷に打たれたように全身を震わせると、氷でも突っ込まれたかのように顔色を青褪めさせた。
「わたしは、シズマ・ヨナにそれほど無茶をさせていた……?」
「まだ間に合うと言っている。人間のオスを殺したくないのなら」
「白騎士には、乗せられない……」
しあわせで膨れた腹は、その報告でずっしりと重たいものを飲み込んだようになった。
大いなる剣は、振るう手さえも切り裂いているという真実によって。




