15 妖精の国にて
「ほれ、起きよ人間のオス」
「ぐ、ぬ……もう朝か」
布団を引剥がされてシズマは冷たい空気に晒された。そうしたのは、薄い色の金髪をハーフアップにしたエルフの女だ。
薄蒼い瞳を細めながらベッドで丸くなる姿を見下ろす。
そこには一切の愛も情もない。ただ面倒だという感情だけが見て取れる。
「食事が出来たぞ。人間のメスはもう起きているというのに」
「子供と老人は早起きだものな……わかった、すぐ行く」
「口が減らないのはどこのガキもいっしょか」
フン、と鼻を鳴らしてエルフの女は去っていく。
彼女は予断を許さない状況まで追い込まれたシズマを掬ってくれた恩人だ。負傷者は誰であっても治すが、それが犬だろうと人間だろうと扱いは変わらない。
エルフという種族から見れば、それ以外はどんな存在も等しいということだ。
もぞもぞとベッドから抜け出して、とてとてと歩いてリビングへ向かえば朝食の匂いが漂っている。
温めた豆乳ににがりを入れて、固まってきたところを汁ごと食べる汲み出し豆腐と、野菜の漬物に、湯気の立つ熱い白粥がテーブルに並んでいる。まだ内臓が治りきってないことへの配慮で、消化しやすいものにしてあった。
すでにテーブルについていたサナ姫は、ようやく起きてきたシズマを見て頬を膨らます。
「遅いですよ」
「悪かったって。腹が減って怒るのはわかるけど」
「いいからさっさと食べよ。片付かんだろ」
「あいよ。いただきます」
「いただきます」
妖精の国の食事は、シズマに馴染みがあるものだった。島国という性質から似通ったものだろうか。
エルフという種族はあまり肉を食べないこともあってか、野菜や穀物の使い方はなかなか多様だ。
魚なんかも取るが、そのまま食べるよりは発酵させて調味料を作ったりすることも多い。
「……ああ、うまい。米なんて久々に食べたな」
「それほど噛み締めて食うものか?」
「イースが一年ぐらいパンしか食えないってなったらわかるだろ」
「それはなかなか辛いだろうな」
頷いて、エルフのイース・ティルオークは汲み出し豆腐をつるりと口にした。
「わたしはお米というものを食べましたが、麦粥ではいけませんか?」
「育ちの問題だから、似てるかどうとかって話じゃないんだよ」
さっぱりわからないという表情で、浅漬けをぽりぽりと齧りながら彼女は首を傾げる。故郷の味というのは、離れてしばらくしなければ理解できないものだろう。
最後にイースの淹れた不思議な香りのする薬湯をすすれば、妙なスッキリ感がふたりを満たした。
食事を終えて、じゃぶじゃぶと食器を洗う音が響く中、腹の膨れたふたりはラグマットの上でごろりとしていた。うっかり食べすぎたからというよりも、戦わなくていいという環境から気が抜けているのだ。
「こんなくつろぐの白騎士と出会う前以来だ」
「わたしもはじめてのような気がします」
「邪魔だ人間。暇なら外へ行け、外に」
しっしっと手で追い払われ、ふたりは脚でごろごろと転がされた。ラグマットからひんやりとした木張りの床に退かされる。
彼女としては拾った犬猫の世話をしているぐらいの気持ちであって、邪魔ならば避けるような存在でしかない。ましてやそれが二匹も居るのだから当然だ。
「といってもこの通りの無一文だ。外に出てもな」
「図々しいな。小遣いまでせびろうというのか、人間のオスは」
「さ、さすがにそうは言わない。外へ出して力仕事なんかさせるのか?」
「動かなすぎてもいかんと言っている。生きているのなら散歩ぐらいはしてくるんだよ」
そう言われては逆らえるものではない。
長く生きている間に、多少の医療の心得は身につけた彼女が言うのだから必要なことだ。
「わかったよ。それじゃあ白騎士と紅い機械人形の様子でも見てくるかな」
「なんでもいいが、昼まで戻ってくるなよ」
「シズマ・ヨナはわたしが見張っておきましょう」
「人間のメスはよくやりなさい」
「俺がよそに迷惑をかけるかのようなことを……」
「うちもよそだろ、人間のオス」
「そうでした」
あっけなくふたりは家を追い出された。
海辺ではエルフが塩作りの作業をしていた。海から水を運んではは魔法で成分を凝縮している。それをごとごと火にかけながら蒸発を早め、冗談めいた早さで塩が出来上がっていく。
この島に満ちる大気が通常よりも濃いとはいえ、それほどの速度はエルフの魔力変換効率あってのものだろう。
物珍しそうに眺めていたふたりは、塩が出来上がるまで見届けると妖精の国の格納庫へ向かった。それはこの島でもっとも大きな樹の近くにある。
最初は機械人形が発掘されるとは思えないような土地で、なぜそんなものがあるのかとシズマは首をひねった。
その疑問は、初めて訪れた時に氷解した。
大きな樹があるのは森の中だが、それほど広いというわけではなかった。その代わりに密度があって、森の中は天幕をかけられたように日が差し込んでこない。
だからこそ足下にやや不安があって、シズマはサナ姫と手を繋ぎながら森を進んだ。格納庫があるところまで着くと、ふたりの額にはじんわりと汗が浮かんでいる。
といっても、そこあるのはなんの変哲もないただの森だ。機械人形の格納庫があるなどとは思えない。
「アンナ・ニナイはいるか?」
声がざわざわと樹々に飲まれていって、しばらくするとふたりの背後の土が盛り上がった。
迎えに来たニナイといっしょに地下へ向かうエレベーターに乗りこんだ。
「おう。ご主人様が来たか。かわいがってやりなよ」
「機械人形が寂しがるか?」
愛玩用の小動物型ならまだしも、厳つい巨大ロボットがそれほど可愛いものだろうか。
むしろ勇ましいというものならシズマにも理解しやすい。だが帰ってきたら玄関を開けたら待っているような、犬のような精神を持っているというのは不可解に思えた。
「じゃなかったら応えないんだから」
「そうですよ。わたしたちを運んできてくれたんです」
会話しながら下っていると、一瞬の浮遊感とともに到着した。
ドアが開けば、そこは二機の『剣』の姿がドッグに固定された姿がある。
「そういうこと。そのせいで今はカーボンスキンで汚れてるんでしょ」
それはナノマシンが変質した残骸――修復時の黒いかさぶたのようなものだ。
いまや二機の機械人形は、全身が真っ黒になっている。
「白騎士はそうだけれど、赫灼剣も甘えるのかよ」
二本の鬼角を生やす機械人形に、年頃の娘のような心が宿っている、と言われれば疑わしくもなるだろう。
「お前たちが乗らなかったから、寂しがって誰かを呼んだりするの」
「浮気の言い訳をする女のようなことを言うのか」
「イーレブワーツにも愛情は注がなければ。そうなれば誰かが必要になりますね」
通路を歩いて近づき黒いカーボンスキンに覆われた赫灼剣を見上げれば、それは怨念に取り憑かれた悪鬼というほうが近い。触れれば傷つくような繊細な心とは無縁に見える。
しかしその内部に乙女の精神を持っているのだとすれば、放置しておくことはできない。
「赫灼剣は温かい気持ちが欲しいのか?」
問いかけてみても明確な言葉はない。しかし背部のスリット・フィンから発せられるわずかな駆動音は、切ない響きを含んでいた。
イーレブワーツの魔力波発生装置が心臓部というのなら、それは心と言っていいだろう。
先に掘り出されたアルリナーヴを羨んで、自分もここにいるのだと叫んでいたとしたら、紅い機械人形は涙を流したのだろうか。
「そうか。お前の相棒も見つけてやらなくちゃな」
「そうだよ。イーレブワーツは泣き虫なんだから」
「だとしたら面倒見のいい人を探してあげましょう。そういう人なら悪くは使わないものです」
そうは言っても、白騎士同様に最低でも二人で乗るぐらいのことは必要だろう。それだけの人員が出てくるかと考えれば難しいのが実情だ。
王族ならば魔力変換炉の性能はある程度クリアするが、戦いに二人以上も駆り出すわけにはいかないだろう。なら三人か四人乗せるかと言えば、半数以上が殉職した騎士団にそれほどの余裕もない。
事実上、ファーネンヘルトが持つには、二機以上の『剣』はオーバースペックなのだった。
「しかし、エルフってやつは機械人形の心がわかるんだな」
「そういうことじゃないけれど、特別な子ならちょっとはね」
「白騎士たちはむかしの時代、エルフとともにあったわけですか?」
「そのご先祖様の話。いまはあなたたちが呼び起こすまでは、眠っていたんだから」
「じゃあアルリナーヴはエルフの先祖が作ったってのか?」
フルフルと首を振って、イースは否定した。
「『剣』はご先祖様よりもっとむかしからあったの。わたしも詳しくは知らないんだけどね」
ウィンクをして茶化す彼女だが、シズマの関心は別のところにあった。
「なら純白剣も赫灼剣も、魔法使い用じゃなくて、エルフ用に調整されていたってことか」
「それなら、この子たちを動かすのに必要な魔力変換炉の無茶な要求もわかります」
「この子たちならその一つ前、ご先祖様用ね。……これだけの機械人形を人間が動かすってだけでおかしいんだけどな」
エルフから見ても、純白剣と赫灼剣の必要魔力量はかなり多いものらしい。最低限の出力でも相当だが、機能解放状態では戦闘しないでも厳しい状態まで追い込まれる。
それは度重なる搭乗で鍛えられているシズマとサナ姫だから耐えられるものであって、普通の魔法使いにはエスペルカミュ王のような反則技を使わない限り不可能だ。
「だったら人間用に調整するわけにはいかないのか?」
「そうしてあげたいんだけれど、それってこの子たちの中身を変えちゃうんだから」
「……精神と身体を切り刻まれれば、穏やかではいられませんね」
事実上、調整はできないということだ。
そうすればどうなるかわからない以上、下手なことはアルリナーヴとイーレブワーツそのものを殺してしまいかねない。
また魔力必要量を下げれば、それだけ性能が落ちることになる。数で上回ることなどまずありえないのだから、このままにしておくことが最善といっていいだろう。
腕を組んで、それならどうすれば負担を軽くできるかと考えていたシズマは、格納庫の端におかしな光を見た。
魔力光というには不自然で、それ自体に違和感を覚えるような強烈な圧迫力がある。
やがて光が収束すると、空間が割れた。
「これは……世界が捻じ曲がる?」
「あら、珍しい。お友達のご登場だ」
「俺の知り合いにそんなやつが居た覚えはないが……」
ひび割れた世界からすらりとしたフォルムの脚が現れた。ズシンと鉄の床を鳴らして、翠色の指が空間を掴む。細い腰とスカートのように長い腰の装甲板は、どこか蜂のようだ。
這い出るようにして現れたのは、紛れもなく機械人形だった。
「あんたじゃなくて『剣』のお友達のこと」
続けて、透き通るような黄金の機体が現れた。それは緑の機体とは正反対に質量がある。
それと比べれば、がっちりした白騎士さえも軽装に見えるほどの重装甲をしていた。生半可な攻撃では通るどころか跳ね返されるだろう。
「空間転移……としか思えないが『剣』はそんなことまでやれるのか?」
「お前たちも、ああして来たんだよ」
「それならわたしたちが助かった理由もわかりますが……飲み込むには、重い話です」
「珍しいな、先客か」
黄金色の機械人形からするこえは低く重く、まるでそれ自体が喋っているかのようだ。
「白と紅は、オレたちの手の届かない場所にあったか」
翠の機体からは、若い男の声がした。一見、女性めいたフォルムの機械人形からは不釣り合いだが、乗れるものを選べるわけはない。
黄金と翠の『剣』から降りたパイロットは、星のような光を瞳に灯す壮年の男と、それによく似たまだ少年と呼べる男だった。それ以外に降りてくる様子はない。
しかしシズマとサナ姫にとって衝撃的だったのは、彼らは一人乗りだったということだ。乗ったことがあるからこそ信じがたい話もある。
「メンテナンスに来たが、なかなかおもしろい奴らが居たもんだな」
「別の大陸の子なんだから、ケンカはしないでよ」
イースに手を上げて若い男は了承する。
「へえ。ってことはこっちがラオベイリンだから、そっちはエスペルカミュか?」
「いいえ、ファーネンヘルトです」
はっきりと言うサナ姫に、ラオベイリンのふたりは顔を見せあった。
「……聞いたことがないな。小国か。だが『剣』が二機もあれば成り上がるよな」
「要注意存在だな。早めに知れて助かった」
ラオベイリンのパイロットふたりが、シズマとサナ姫を注意深く観察した。
「そう注目されると、照れるね」
「穴が空くほど見るものではありませんが」
空間転移という想像を絶する事象のあとでは、別の大陸の大国と争うようなことはないだろう、と楽観的にはなれなかった。
深淵のようにふたりは、ラオベイリンのパイロットを覗き返した。




