10 剥き出しのこころに触れて
一週間後に戦争が始まるとなって、ファーネンヘルトは蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
ファーネンヘルト王が何度か交渉のテーブルを持とうとしたが、取り付く島もない。
明確に目的があって、エスペルカミュは国を潰そうとしていた。
それがわかれば、国王も穏便にすませようとしたことに諦めはつく。
そうなれば、とにかく戦力を整えなければ話にならない。
エスペルカミュのそれはすべてが機械人形だと思っていいだろう。
つまりファーネンヘルトの戦力は、アルリナーヴとナイタラのアマタリスのみだ。
第五生成機関による大規模魔法がさほどの効果を上げなかったのは、先のアマタリス戦で明らかになっている。
エスペルカミュの全戦力を傾ければ、機械人形は数十をくだらない。
百を超えると見ていいだろう。
いかに白騎士が強力だろうと、稼働時間を考えればまず勝てる戦いではない。
このまま戦争に突入すれば、勝てないどころか蹂躙されるだろう。
どうやって状況を打破する、という題目で王城の会議室に集められたのは、ファーネンヘルト王、宰相、騎士団団長、サナ姫、シズマ、ナイタラの計六名である。
第一王子や第一王女といったサナ姫の兄姉は、聡くはあるが戦争を知らない。
彼らは別のグループで、内政をどうやって維持するかという会議を煮詰めている。
ナイタラに関しては、エスペルカミュ側から交渉のテーブルを放棄されたのだ。
どうしたってファーネンヘルト側につくしかない。
そのためか、彼女の表情はそれとなく暗いものだ。
「それでは、意見あるものは手を上げて発言してもらいたい」
円卓の中央に大陸の地図を置いて、王はそう宣言して会議を始めた。
全員が、もはや戦争は避けられないということがわかっている。
どうにかして戦いを避けようという的外れの声を上げるものはいない。
まず手を上げたのは、騎士団団長だった。
「騎士長のジグ・アッシュだ。エスペルカミュとの戦闘なら、騎士団がそれほど役に立たないっていうのは知っている。その場合、我々はどう行動するべきだ」
「まともな抵抗手段はないだろうな、いざ侵攻してきた場合を考えれば、騎士団は住民の避難を優先させることが主な任務になるだろう」
「それぐらいしかできないか……」
宰相がそう言うと、アッシュは頷いた。
下手に固まって集団で大規模魔法を使ったとしよう。
すれば機械人形から大規模魔法を食らい、一網打尽にされるのは目に見えている。
それがわかっているからこそ、不甲斐ない自分に怒ることはあっても、声を荒らげることはない。
「宰相のケダロ・ズルムだ。白騎士というのが魔力で動くという説明があった。シズマ殿とサナ姫二人がかりでも相当の疲労であるとわかる。それならばパイロットを交換しながら乗るということは不可能か?」
当然の思考であるが、それにはサナ姫が手を上げて反論した。
「まず白騎士が一度でも前線を離れることがあれば、その時点で戦争は終わるでしょう」
「二機しかないものな」
シズマの言葉に頷いて、サナ姫は続けた。
「また動かすのには習熟が必要ですし、最低でも王族級の魔法使いが二人は必要になります。父様や兄様、姉様方を乗せるわけにはいかないでしょう」
「なるほど。わかりました」
手を下げて、宰相はテーブルに視線を落とした。
この調子で話は詰められていった。
やはり戦争になれば、ファーネンヘルトが負けるという予想は覆らななかった。
一時は、戦争が仕掛けられるまでの時間で、すべての住人たちを国外脱出させるという案も上がった。
しかし受け入れる場所がまず見つからないと却下となった。
そこで会議の話題は、どうやって戦争に持ち込ませないかということに変わっていった。
「白騎士とあの一帯を渡せといって来ているのだから、それだけをくれてやればよいのです」
戦わないことを第一と考える宰相ケダロに、シズマは首を振った。
「その時点でエスペルカミュが、この国を生かす理由はなくなるだろ」
「その通りだな。相手の目標をくれてやれば、禍根は残さず焼き払うかもしれぬ」
王が続けてズルムはうつむいた。どうしたって戦いは避けられない。
サナ姫が紅茶で唇を湿らせて、手を上げた。
「第三王女サナ・オズマです。エスペルカミュからの進行方向はあの街を通るものと考えます。であればそこいら一帯を罠に作り変え、まとめて機械人形を落とすというのはどうでしょう」
「ふむ」王が顎髭をざらりとなで上げた。「それだけの威力の罠と規模の仕掛けをどうする?」
「それは……そうですね。どうせ使えないのです、第五生成機関を自爆させてしまいましょう」
ルギットがしたようにオーバーロードさせれば、機械人形を破壊するに十分な威力は予想できる。
問題は、
「それを誰が点火する?」
ということだ。
今から遠隔起爆の仕掛けを作れるかと考えれば、それはむずかしいだろう。
なにしろ、機械人形のノウハウがまったくない国である。
それは科学技術のない国ということだ。
そこに機械を作成しろというのは無茶が過ぎた。
確実に起動したいのなら、人を使うしかないだろう。
「……たしかに犠牲を払う必要がありますか」
もともと一案として上げただけだったから、サナ姫はすんなりと手を下ろした。
自国の兵に確実に死ねと命令を下せるほど、彼女はまだ権力の世界で生きていない。
それからどれだけ案を重ねてみても、戦争までもつれ込めばいかに絶望的かという状況を強化するだけの材料にしかなからなかった。
シズマは頭のなかで知識をフル動員してみたが、解決できそうなのはその案しか思い浮かばなかった。
自身がとりたくない作戦を提示することを考えてか、その動きは鈍い。
「パイロットのシズマ・ヨナだ。逆に今からエスペルカミュを叩きにいく。機械人形は強力でも、乗り込む前に落とせばただの人間と鉄の塊だろ」
「……ううむ、それしかないだろうか」
人差し指の節でコツコツと額を叩きながら王は思考する。
「そのような策をパイロット殿から言い出してくれるとは思わなかったが、それしかなさそうですな」
「待った。白騎士とあたしのアマタリスじゃどう考えても足りない。分解した奴を組み上げるのは時間的に無理だろ?」
もともとエスペルカミュ側の人間だからこその発言は、わずかな間、場を静かにするのに十分だった。
すこしの沈黙のあと、騎士長アッシュが手を上げた。
「そこは白騎士たちに騎士団を運んでもらいたい。最低限のマニュアルでもあれば、俺たちだって、機械人形奪ってみせるぐらいはやらせてもらうぜ」
その顔には決意が浮かんでいた。
役に立たないという事実を受け止めた上で、それでも舞台に立てるのなら精一杯踊ろうとしている。
その忠誠心を高く評価して、王は一つ頷いた。
「その提案をしたということは、シズマ・ヨナにおいては了承しているものとする」
「本音を言えばやりたくはない。が、選べるほど手段はないだろう」
「そのようだ。サナはどうか?」
「同上という他ないでしょう。不安な未来ですが、賭けるしかありません」
もう一度頷いて、王は宰相に目を向けた。
彼は数秒間間を取ってから手を上げる。
「それに賭けるしかないとは思います。しかしできる限りのことはしておきたい。なにか他の可能性はないだろうか」
「罠を仕掛けるにも機械人形を組むにも中途半端な時間なんだよな。それを狙っているからこそエスペルカミュは狙ったのだろうが」
腕を組んで唸りながら、アッシュは椅子に持たれて天井を仰いだ。
意を決したようにサナ姫が手を挙げる。
その指先はわずかに震えていた。
「どうせ賭けるのなら、とことん博打をするとしましょう。あの鉱山を深めたい」
「新しい機械人形の発掘を狙う……ってことか?」
シズマの問いに頷いて、サナ姫は続けた。
「それもあります。が、万が一失敗して戻ってきた時のことを考えれば、白騎士はあそこから出てきたものです。ならば持っていたものもそこにあることは道理でしょう?」
「機械人形じゃなくて装備が出て来るってことはあるよな。……空振りなら相当の痛手だが」
「そこはオーギティを使います。半壊ではあっても穴を掘るぐらいはできるはず。整備して使ってもアマタリスを一機組み上げるよりは早い」
どう見たって希望でしかないことにうなずけるほど、王の首は安くはない。
かといっていまからできることを考えれば、それも一つの手であることは確かだ。
「人員を割くわけにはいかないが」
「ハパップらに頼ります。もともと彼らが鉱山発掘の際に見つけたものを接収しただけで、ファーネンヘルトがやろうとしたことではありません」
「……なかなか耳が痛いが、それならやってみる価値はあるだろう」
人員をかけずもリスクもなくできることがあるのなら、試さない理由はない。
王は頷いて、サナ姫の案を採用した。
宰相は先ほど彼女が提案した、第五生成機関の自爆案を採用するべきと主張した。
設置しても使うかは別として、万が一には備えて、と王もそれに頷いた。
「使うものは、使われるものの立場というのがわからないんだな……」
「忠告はどうも。だが、国がなくなれば生きてはいけまい」
「国がなくても生きていけるのが人間だ。人が集まったところが国になるんだろ」
「その多くの人を守るのが、使うものということだ。手を庇って心臓を刺されては仕方あるまい」
自分が危険地帯に赴くわけではないケダロの言葉には、シズマは飲み込めなかった。
どれだけ活躍していてもまだ十五歳の少年だ。
それを分かれという方も無理がある。
苦いものを飲み込んで、彼の手のひらに爪が食い込んだ。
本当のところは、宰相ケダロの言葉を理解していないわけではない。
ただ納得がいかなかっただけだ。
何にでも反論がしたい年頃というわけでない。
命が切り売られる場面を見てしまえば、黙っておくことはできなかった。
「……シズマ殿、許されよ。誰も好き好んで国民を捨てたいわけではないのです」
「わかってますよ!」
アッシュの言葉にも心のささくれた部分が触れて、シズマは乱暴な声になったことを反省しながらテーブルに肘をついた。
大人たちも、この事態にはすこし困った。
シズマが使うアルリナーヴに頼るしかないのだから機嫌はとりたい。
だが、そればかりしているわけにはいかない。
扱いを誤れば、自国を滅ぼす爆弾のようなものだ。
単に従順な犬ではないということは見て取れた。
ファーネンヘルトにいたから協力しているだけで、国に愛着はないのだろう。
その様子は分かるが、しかしどうにかやってもらう必要はある。
「……言い過ぎました。それはすまないと思う。やることはやりますよ。ただし納得したわけではない」
すこし落ち着いたところでシズマがそう言うと、ジリジリと焦げ付きそうだった空気はようやく消火されたかに見えた。
「シズマ・ヨナも存外、子供らしい……」
「そうだってことをわかったよ。感情的にだって、なる」
揶揄されるようにサナ姫に言われて、シズマは頭をガリガリと掻いた。
それから会議の最中、ずっと黙っていた。
会議が終わると、シズマ、サナ姫、ナイタラの三人に時間はなかった。
その日の夜にエスペルカミュへ向かう作戦がが実行される。
いまから準備を始めなければならない。
シズマは気分をどうにかしようと落ち着かないものだったし、サナ姫はわざわざそれに干渉するほどのことではないと思っていた。
彼女が首に巻いたエルビーが、シズマの頭に乗って慰めようとしたものの、それはすぐにナイタラへ渡された。
ナイタラもまた落ち着けたものではない。
自分が捨てられたからといって、故郷へ復讐へいくのだから。
落ち着いているのは、ねずみ取りのようなカゴに乗せて運ばれる騎士団ぐらいだろう。
頭にのったエルビーを胸元に抱きしめて、ナイタラはふわふわの尻尾に顔を埋めた。
「悪い。ちょっと気分を変えてくる」
シズマがそう言って控室を出ていった。
コツコツとコンバットジャケットのブーツ音が遠ざかっていく。
もしサナ姫たちに落ち度があるとすれば、シズマが疲れていたのを、それほど重要ではないと考えたことだろう。
最初のオーギティの時にも戦ったが、プマック、ザクシャ、ナイタラの三人は生きていたから、それほど深く考える必要はなかったろう。
しかし、ルギット隊との戦いでは六人の命を奪った。
殺さなければ死んでいたとわかっているから、彼も間違いだとは考えていない。
だが、飲み込むにはまだ大きすぎた。
それから数日と立たずに、また戦わなければいけないのだ。
疲労が抜けきらないのは当然だ。
心のケアを怠ったツケが表面化していた。
尻尾に顔を埋めながら、ナイタラはくぐもった声で言う。
「サナ・オズマはシズマ・ヨナのことがわかっているか?」
「どういう意味です」
振り返った幼姫に顔を上げて、ナイタラはエルビーをギュッと抱きしめた。
「あいつは強いよ。けど戦いに生きてないんだ」
「シズマ・ヨナは造るのが稼業とは聞きました」
「だからだろ。これからルギット隊よりも、もっと多くの人間を殺すんだ」
「……まさか」
そこでようやくサナ姫は自分の間違いに気がついた。
彼女は自分を基準として考えている。
だからこそ自分ができるものは、他人もできると考えてしまいがちだ
しかし、そうではない。
心の底でサナ姫は覚悟が座っているが、彼はそうではなかった。
それに気づいた時、恥ずかしさと怒りとが彼女の奥底からも吹き出した。
「新兵によくあることだ。いまのままなら潰れていく」
「だったらナイタラ・エーンは慰めればいい!」
「そんなことはできないだろ! あたしは恋人でもない!」
「女でしょう!」
「ガキの言うことか!」
「淑女でもあります!」
「だったら男のことには気づけよ! 違うなら姫様はそういうことなんだ!」
「くっ……」
女同士の言い合いに、ナイタラの胸元に居たエルビーが悲鳴を上げて逃げ出した。
部屋の隅でくるくると回ってから、前に回した尻尾を抱きしめてふるふると震える。
ナイタラは使われるもので、サナ姫はいまでこそ同じ立場に立っている。
だが、視点は使うものだ。
そういう意味で、どうしたって違いはでてくる。
いくら聡明でも、長い時間を生きてきたわけではない。
「とにかくシズマ・ヨナは慰めろ。じゃなかったらどうなるかはわかるだろ?」
「……子供に言い聞かせるような真似を……されても、仕方ないことをしましたか」
いつのまにか二人の目元にはぽろぽろと涙の跡があった。
二人だって追い詰められているのは変わらない。
否、ファーネンヘルト中がそうなのだ。
誰だって平気でいられるわけがない。
国王とて、内心はぶるぶる震えていてもおかしくないのだ。
「わかりました。シズマ・ヨナは」
わたしが慰めます――と続けようとしたところでドアが開く。
鼻歌を唄いながらシズマが現れた。
「フンフンフフー……なにやってんだお前ら」
「あっ……あ、ああ、もう!」
わけもわからなくなって、サナ姫が沸点を超えそうになった
それを待たずして、ナイタラがシズマの頬をひっぱたいた。
「ってぇ! なにを……」
「なにをじゃない! お前は、そこまで気を使うな! あたしたちはシズマ・ヨナの子供ってわけはないだろ! 仲間だというのなら、弱音ぐらいは吐けよ!」
「……野性の勘ってやつか?」
「騎士の見立てだ!」
あれだけ大声を出せば、部屋の外に居ても聞こえるのは当然だろう。
彼はそれを聞いて、カラ元気を出して場を慰めようとしたに過ぎない。
だからこそ、ナイタラは激昂した。
「怖いだろ、誰だって。それはそうだけど、俺は男なんだよな」
「……シズマ・ヨナは、戦う人間ではないけれど、戦える人なんですね」
「無理をすればな」
にっと笑うシズマの唇と歯は震えていた。
ぐっと唇を噛み締めて、サナ姫は手のひらに爪を立てた。
溢れてきそうになるものを必死で抑える。
「……そうか。だったらあたしは女だよ、シズマ」
腫れた頬をそっと撫でて、まだ少年の体を抱きしめるとナイタラは唇を押し付けた。
目を白黒させるシズマに熱を送り込んで、それから真っ赤な顔をして背を向ける。
「ナイタラ・エーンの唇は高いだろ。帰ってきたら、返してもらう」
「なっ……あっ……」
恥ずかしくなったのか、ナイタラはそのまま部屋を出ていった。
カツカツとブーツの音がすばやく遠ざかっていく。
「シズマ・ヨナは屈みなさい」
「お、おう。なんだよ、サナ姫は……」
いまだに状況と熱を飲み込み切れないシズマは、素直に従った。
地面に跪いた彼に寄ると、サナ姫はじっと眼を見た。
「歯を食いしばりなさい」
「殴ることはないだろ!」
「いいから!」
「なんだよ!」
ぐっと歯を食いしばって彼は眼をぎゅっと閉じた。
殴られることを覚悟したところで、額に小さな感触を覚えて目を見開く。
「……おまじないです」
それだけを言って、サナ姫もまたパタパタと走って部屋を去っていった。
後を追いかけて、エルビーが走っていく。
「……なんなんだよ、いったい」
シズマはそのままばったりと前のめりに倒れ込んだ。
緊張からなにからすべてが吹っ飛んでいったことは仕方ないだろう。
「女の子の唇って、やわらかいんだな」
仰向けに寝転んで、シズマは搭乗時間がくるまでオーバーフロウした現実を反芻していた。
時間が来てエスペルカミュへ向けて出る時、同乗するサナ姫の顔は真っ赤だった。




