二話
また、母の苦境を知り母のそれにじっと耐えている姿は、言葉より教えとなっていたからでしょう。
貧乏に負けることもなくジュンは素直でした。
同じ農場で働いている人達でも、両親揃って大酒を飲まずに真面目に働いている家庭は、裕福な暮らしができていたのですが、ジュンの家はあまりにも貧すぎました。
母さんが一生懸命で働いて、蓄えたお金を持ち出しては、お酒を飲み泥酔状態になっては暴れまわっている父さんでした。
その度に酒場から、壁が壊れた、椅子が壊れた、と言って、沢山のお金の催促が来るのです。
そんな母さんを見るとジュンの胸は痛むのです。
母さんはジュンのために、人一倍、働きましたが、ジュンはお腹を空かす日が多いのです。
そのようなある日、近所の子供達が
「おい、ジュン、お前の父さんがお酒を飲むのは、お前の母さんが悪いからだってさ、夜のサービスが悪いからだって、アッハハハ、アッハハハハ」
優しいジュンでしたが、母さんの悪口を言われると、どうしても許せません。
「そんなことを誰が言った?」
いつも何を言われても、何も言わずに虐められてばかりいたジュンでしたが、ドスの聞いた声で向かって行きます。
近所の子供達は意外だとばかりに、顔を見合わせております。
大きな体をした、いかにも生意気そうなジャックが
「皆が言ってんだよ」
と、肩をいからせ馬鹿にしたように言います。
「皆とは、卑怯じゃないか、お前が聞いたのはどこのどいつだ」
と、ジュンは言うが早く、ジャックの襟首を掴みました。
その迫力にジャックはびっくりしました。
この勢いでは何をされるかわからないと思うと、怖くなったジャックは
「俺が悪かったよ」
と、謝りました。
「これからも母さんの悪口を言うと、ぶん殴るからな、よーく覚えておけ」
そう言って、ジュンは手を放しました。
ジュンはこんなには強くなかったのです。
いつも虐められてばかりでしたが、大好きな母さんを馬鹿にされると、命の炎がめりめりと燃えあがり、命知らずとなり火の塊となってぶつかっていくのです。
「おい、逃げよう」
と、こそこそと逃げて行きました。
「おい、ジュンがあんなに怒りきるとは思わなかったな」
「本当にそうだよ、弱虫ジュンだと思っていたのに、すごい剣幕だったな」
ジュンの背中に聞こえてきました。
しかし、ジュンの怒りは沈みません。自分の家である馬小屋にいても気が晴れません。
何とも言えない虚しさで胸が張り裂けるようです。
大きな黒い雲が胸の奥に、のしかかって来て苦しめられています。
そんなジュンに優しい母さんの声がします。
「ジュンや、今日は黙り込んじゃって、どうかしたのかい?」
「何でもないよ」
母さんが心配しないように、ジュンは軽快な声で返事をしました。
「そうかい、それならいいけど」
(ジャック達はあんな風に言ったけど、母さんは悪くない。お隣のおばあさんが言っていた。
父さんは母さんと結婚する前から、お酒を飲んでは暴れまわっていた。
そのことを知らずに隣村から嫁いで来たのだと。
父さんがそんなだから、母さんが苦労するんだよ)
ジュンは母さんの事を考えると、母さんが不憫に思えてなりません。
(僕早く大きくならないかな。
早く大きくなって、母さんを助けて働きたい。
そうすれば母さんも少しは楽になれる)
このように考えることで、母さんに何もしてやることの出来ない、苛立ちを紛らわしていました。
ジュンは母さんが大好きでした。
そんなに大好きな母さんだったのですが、ジュンが十五歳になった時、あっけなく病気で天国に召されました。
ジュンはあれほど大きくなったら、大きくなったら母さんを幸せにしよう、と思っていたのに、その思いを果たすことも出来ないまま、天国へと旅立ってしまった母さん。
働きすぎて無理がたたって、若くして天国へ逝ってしまった母さん。
この世での幸せという事も知らないまま、冷たくなってしまった母さん。
ジュンにとっては、あまりにも悲しい出来事なので、夢を見ているようでした。
しかし、目の前に母さんは、動くことの出来ない人間になって横たわっています。
死んでしまった母さん、ジュンにとってはあまりにもむごい現実でした。
悔しくって悔しくって仕方がありませんが、どうする事も出来ないことでした。
ジュンは走って丘に登りました。
あたり一面ぶどうが美味しそうに実っていました。
母さんのことを忘れようと、丘に登って来たのにぶどうを見ると、母さんが
「ジュンや、ブドウを頂いてきたよ。お食べ」
と、ぶどうを差し出していた、笑顔が瞼に浮かんで来ます。
「母さん、、、」
ジュンは声のある限りに泣きました。
「母さん、母さん、どうして僕の手を握って、一緒に連れて行ってくれなかったの。僕を一人ぼっちにするなんて、母さんひどいよ」
ジュンは言ってもどうにもならない愚痴を思いました。
母さんの前で気が動転していましたが、悲しんでばかりではいられない自分に気付きました。
母さんの遺体をそのままにしてきた事を思い出しました。
(遺体はどのようにすればいいのだろう。父さんはいないし)
十五歳の少年には重すぎる仕事でした。
ジュンは涙を拭き家へ帰っていると、家の周りにたくさんの農場の人々の姿が見えました。
母さんは沢山の花の中に埋もれていました。
「おじさん、おばさん、ありがとうございます」
「ジュン、悲しいだろうが頑張るのよ」
「はい」
遺体は農場の人々の優しい手によって、お墓の中に永久の眠りにつくことができました。




