-ハコニワセカイ-
森というのは慣れないものにとっては非常に危険である。
木々が行く手を遮り、落ち葉は段差を隠し、虫が、獣が意図しないときに襲い掛かってくる。しかし、逆にいえば慣れている者にとっては好都合であるとも解釈できる。
「『サーチ・エリア』」
今、森の中を探索している青年、アレン・ハロルドはこの地に根ざして10年は経つ。幼い頃から共にあるこの森からは恩恵を受けることもあれば、時に害悪が放たれることもある。
「あちらに二体ですか。『ウィンド・エリア』」
感じ取ったというべきか知り得た情報源へ音もなく森を駆ける。足元には落ち葉が敷き詰められており、本来であればカサカサと響くはずであるが言葉通り音はない。
理由は単純で彼が魔術師であるからだ。
魔術は魔力を源とした現象であり、魔力はこの世界に満ち満ちている。魔力は魔術、魔道具、生活用具などさまざまな物に利用され、生活にはなくてはならないものとなっている。
アレンは自身の周囲の風を操作することで音の広がりを制限している。単純ではあるが、移動しながら魔術式の展開、維持を行えるのは彼の努力の賜物である。
「おっと」
視認できる位置まで移動すろと、その場で身を屈め、気配を殺す。
「やはりゴブリンが2体か」
10歳程の少年の体躯に薄茶色の体表。顔は猿のような豚のような、人間の美醜でいえば、間違いなく醜い部類になる顔立ち。腰蓑しか付けず、手にしているナイフは刃が欠け、血が付いている。
アレンは背後からゴブリンだちの様子を確認しているが、相手は気づく様子はない。彼らの足元を見ると小動物が血を流し、横たわっていた。
「兎……か」
おそらくゴブリンたちは食料を探している最中に兎を見つけ、それを追いかけているうちにここまでやってきたのだろう。しかし、この付近のエリアは近くの村が管理しており、ゴブリンなどの魔物の侵入を許していない。
人間が勝手に決めた範囲ではあるが、安全を確保する組合員の一人としてアレンはゴブリンたちを見逃すわけにはいかなかった。
心に多少の罪悪感はあったが、アレンは腰からナイフを引き抜き、迅速に行動へ移した。
『ウィンド・エリア』を展開し続けることで音もなく近づき、背後から延髄へ向けて、振り上げたナイフを振り下ろす。
「ギャイィィィィィ!」
延髄を刺されたにも関わらず、ゴブリンはまだ意識があり、悲鳴を上げた。その声によりもう一体のゴブリンは背後に忍び寄ったアレンの存在に気づく。
「遅い」
アレンはナイフが刺さったほうのゴブリンの喉に手を回し、後方へ押し倒すのと同時にゴブリンの両足を払う。円運動の要領で頭部は地面へ勢いよく倒れ、下半身は宙に浮く。そして、頭部が地面と接地するより前にナイフが地面と当たることで自重に加え、倒れた衝撃でナイフがより深く刺さった。
そのまま間髪入れることなく、
「『アクア・ショット』」
もう一体のゴブリンの顔面目掛けて、魔術を放つ。
顔面を覆うほどの水球が直撃するが痛みはほとんどない。水を顔に浴びたとき、ほとんどの生物は驚き、体が硬直、もしくは動作が緩慢になる。さらに眼球を守るために目を閉じるのが体の反応であり、つまるところ視界が遮られる。
この瞬間をアレンが逃すはずがなかった。
さきほどのゴブリンと同じように、首を掴み、足を払うことで体勢を崩し、後方へ倒れさせる。
「『アース・ピラー』」
ゴブリンが倒れるであろう地面、もっと細かく言うのであれば心臓付近の地面が少し盛り上がる。ゴブリンが完全に倒れこむであろう、その瞬間、地面から棘が生え、そのまま心臓部を貫く。
ゴブリンは声を上げるまもなく絶命した。胸から土塊の棘を生やして。
「……」
ゴブリンたちは動かなくなったがアレンは気を緩めることなく臨戦態勢である。野生の動物や魔物は手負いの状態からでも起死回生を狙い、襲い掛かってくろことがある。絶命を確認するまで気を緩めないことがハンターとしての心得だと今まで嫌というほど聞かされてきた。
「『サーチ』」
魔力の有無でおおよその生死判定は鑑別できる。加えて、心臓、延髄を一刺ししていれば医学的に動くことはない。
「『マッド・ホール』」
ゴブリンの状態を確認した後、アレンはゴブリンたちを埋葬する。ゴブリンや魔物に対する慈悲ではなく、死体を放置することは衛生面が悪いだけでなく、餌を求めて新たに魔物が寄ってくるからだ。火葬する人もいるらしいが、森の中で火を使うことは非常に躊躇われるため、地面を泥状にし、底なし沼のようなものを作り出し、死体を地中に埋める。死体が養分となり、土へ還元されるだけでなく、死体特有の臭いが出ないからとアレンはこの方法を好んで使う。
事後処理が終わると、アレンはある一点を見つめた。
「どなたか存じませんが何か御用ですか」
少し離れた距離にある大木に対し声をかける。
しばし、待っていると木の後ろから長い黒髪の綺麗な女性が現れ、アレンの前まで歩いてきた。
「こんにちは。道に少し迷ってしまったのだけれども」
アレンは困惑した。
今いるこの森はアレンの住む町が管理しており、食料や薬草の採取に利用している。しかし、まれに魔物や大型の獣が来ることがあるため、街の組合員であり、現在はハンターを生業としているアレンが駆除を行う。要するにアレンが駆除を行う場所は町からは離れた場所であり、限られた人間しか来ることがないため、そもそもここに来る、迷うことは奇跡的な方向音痴以外はない。
「町まで案内していただけないでしょうか」
また服装がおかしい。
森へ入るのだから、虫対策の服や採取のための鞄、自衛のための武器などそれなりの格好というものがあるのだが、目の前の女性は豊満な胸を隠すためだけのような布の胸当てと膝上20cmはあろうかという短いスリットの入ったスカート。手や首には宝石をあしらったアクセサリーが多くあり、包み隠さずいえば娼婦に間違われてもおかしくないような格好である。
「迷ったのですか。これはまた災難ですね」
「そうなんです」
扇情的な格好の女性は続けて話す。
「ですが、あなたに会えたので私は運がいいのかもしれません」
とびきりの笑顔だったがアレンに嬉しさはなく、むしろ不安や警戒心が強まった。
「私の名前はナツメグと言います。よろしくお願いします」
「アレン・ハロルドです。アイネの町でよろしければ案内しますが」
「私もそこから来たのですよ。ぜひご一緒させてください」
こうしてアレンはナツメグを連れて町へ道中を歩き出すのだった。