青色の花とその想い
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中学生のときに、わたしには仲の良い、たぶん親友と呼んでもいい友達がひとりいた。その子の名前は望みちゃんといって、わたしは望みちゃんといつも、何をするのも一緒だった。
わたしは中学校に入ってからテニス部に入ったのだけれど、そのテニス部の監督のことがあまり好きになれなくて、半年ほどですぐにテニス部をやめてしまった。そのあとは何をするということもなくぶらぶらしていたのだけれど、あるとき美術部に入っていた望みちゃんに楽しいから入らないかと誘われて美術部に入ることになった。
でも、入った動機が不順というか、あやふやなものだったので、部活には参加したり、しなかったりで、いったとしても、それは美術をしにいくというよりも、美術部に入っているみんなと仲が良くて、みんなと話をしにいくという感じだった。
でも、望みちゃんはそんなわたしとは対照的で、毎日放課後遅くまで残って絵を描いていて、ほんとうに絵を描くことが好きみたいだった。
絵のことはよくわからないけれど、わたしは望みちゃんの描く絵が好きだった。
彼女の絵にはみんなの注目を集めるような華やかさはなかったけれど、でも、その変わりに、ひと目見た瞬間に、心のなかにすうっと色彩が染み込んでくるような、たとえば夏の冷たく澄んだ川の水を思わせるような、涼やかで、透明な美しさがあった。
でも、なんというか、その透明な美しさには、ほんの微かに、影のようなものがあって、だからそのせいか、望みちゃんの絵を見ていると、いつもほんの少しだけ哀しい気持ちになった。まるで遠くの、淡い色合いに霞んだ情景を見ているみたいに。透明な水に、一滴の青灰色の絵の具が零れてしまったみたいに。
今でも印象的に覚えているのは、望みちゃんとふたりで自転車に乗って、よく海を見に行ったことだ。わたしが生まれ育った小さな町は海のすぐ近くにあって、ときどき学校が終わったあとや、休みの日に、ふたりで自転車に乗って海を見に行ったりした。
防波堤沿いの道に自転車を止めて、ゴツゴツとした岩場を歩いていって、打ち寄せる波がすぐ目の前まで迫ってくるような大きな岩の上に上がって、ごろりとふたりで横になった。
目を閉じると、そのとき見た空の色や、海の色が、瞼の内側に浮かびあがってくるのだけれど、でも、どういうわけか、その空の色や、海の色は、(雨の日やくもりの日ばかりではなかたはずなのに)今にも雨が降り出しそうなどんよりとした天気のイメージで、その暗い色彩に沈んだ画面のなかで、望みちゃんはこちらの方を振り返って、いくらか哀しそうな、何かを諦めるような微笑を浮かべている。
それはわたしが実際に過去に見た映像なのか、それともわたしの記憶が作り出したイメージに過ぎないのかはよくわからないのだけれど、でも、どうしても、望みちゃんのことを思い出すと、いつも彼女は悲しそうな表情をしていて、彼女の笑った顔や、楽しそうにしている表情を思い出すことはできない。
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次の日の休みに、早速わたしは太陽が言っていた本と花の絵を見てみるために、家の近くにある図書館まで行ってみることにした。
もう雨は上がっていたけれど、雨雲はまたいつ気が変わってもおかしくなさそうな顔をして空にとどまっていた。雨が降っても大丈夫なように、一応傘も持っていくことにする。
太陽が言っていた花の絵は、図書館の正面玄関をちょっとわきにそれたところに、ぽつんとひとつだけ飾られてあった。
確かに太陽が言っていたとおり、それはとてもきれいな花の絵だった。キャンバスの中央に、目に冷たいような淡い水色の花がどちらかというと物静かに描かれてある。わたしは植物を扱う仕事をしているので、一応花の名前や種類については詳しいつもりでいるのだけれど、でも、描かれている花はわたしのよく知らない種類のものだった。
花の形からして百合の花に似ているような気がしたけれど、よく見てみると、百合でもなさそうだった。あるいはもしかすると、作者のまったくの想像で描かれたものなのかもしれない。でも、とにかく、その描かれた花の絵はとても美しくて、じっと見ていると、あまりにもきれいすぎて、哀しくなってしまうような感覚すらあった。
そして、絵を見ているうちにわたしがふと思い出したのは、望みちゃんの絵だった。今目の前に飾れている花の絵と、望みちゃんが描いた絵は、どことなく似ているような気がした。そう感じてしまうのは、絵の表面全体に微か滲んでいる、淡い青色の、少し物悲しい感じのする色彩のせいなのかもしれなかった。
絵の下に小さな紙が張ってあって、そこに絵の題名と作者の名前が記されてあった。「いつか雪が溶けたら 藤島静香 1979年没 享年二十歳」
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太陽の言っていた「春に咲く花」という小説はなかなか見つからなかった。図書館に置いてある本を隅から隅まで見て回ったのだけれど、それでもどこに置いてあるのかわからなくて、結局諦めて図書館のひとに訊いてみることにした。
わたしが本の題名と作者の名前を告げると、図書館のひとはちょっと困惑したような表情を浮かべて、少々お待ちくださいと言うと、カウンターの奥の方にいってしばらくの間戻ってこなかった。ひょっとすると、題名や作者の名前を太陽から聞き間違って覚えてしまったのかなとわたしが不安に思いはじめていると、やがて図書館のひとが少し息を切らせるようにしながら戻ってきた。
「すみません。お待たせしました。」と、三十代後半くらいの、小柄で、感じの良い女のひとはわたしに頭を下げると、最近図書館の本を整理したのだけれど、この本は利用者が極端に少なかったので、図書館の書庫にしまわれることになったのだ、と、説明した。
「いいですよ。そんな謝らなくても。」と、わたしがなんだか申し訳なくなってそう言うと、彼女はどうぞと言って、わたしに一冊の本を手渡してくれた。
手渡されたのは白い装丁の本だった。結構古い本のようでカバーはついていなくて、表紙には本の題名と作者の名前だけが書かれてあった。思っていたよりも薄い本だったので、これだったら普段そんなに本を読まないわたしでもなんとか読み切れそうだなと安心した。
わたしが手渡された本をしげしげと眺めていると、「それ、ちょっと哀しい話だけど、でも、いい本ですよ。」と、図書館のひとはわたしの顔を見て微笑んで言った。わたしはありがとうと彼女にお礼を言うと、その本を一冊借りて帰ることにした。
本を借りるついでに、図書館の玄関に飾られている絵のことについて訊いてみようかなと思ったのだけれど、わたしの他にも数人のお客さんが並んでいて忙しそうだったのでやめておくことにした。
帰り間際にもう一度、わたしは改めて出入り口に飾られた「いつか雪が溶けたら」という題名の花の絵を見てみた。何度見てみても、その絵はとても綺麗に感じられた。でも、綺麗だと思うのと同時に、どうしても哀しみ似た感覚を感じてしまう。
この絵の作者はどうして二十歳という若さで亡くなってしまったのだろう、と、思った。病気だったのだろうか。それとも事故。わたしはふと死んだ友達のことを思い出した。
図書館を出ると、思い出したように冷たい雨がポツポツと降り始めた。
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望みちゃんが死んだのは、中学校の卒業式の少し前だった。わたしも望みちゃんも進路が決まって、あとは卒業式を迎えるだけというときだった。
勉強のできる望みちゃんは、わたしたちの住んでいた地域のなかでも一番レベルの高い高校に進学が決まっていた。わたしの中学校のなかでその高校に進学するのは十人にも満たないくらいだったから、みんな望みちゃんのことをすごいねと言って褒めていた。先生も得意顔だった。わたしもそんな勉強のできる子を友達に持ったことを誇りに思っていたし、また同時に憧れてもいた。
でも、それにもかかわらず、望みちゃんはどこか浮かない顔をしていた。浮かない顔をしているというよりも、何か思いつめた表情を浮かべていた。
わたしは一度だけ、どうかしたの、と、望みちゃんに尋ねてみたことがある。でも、そのとき望みちゃんはいくらかぎこちなく、寂しそうに微笑んだだけで、何も語らなかった。
これはあとになって、望みちゃんが自殺してからわかったことなのだけれど、望みちゃんの家は両親の仲が悪くて、そのことで望みちゃんはずっと悩んでいたみたいだった。それから望みちゃんのお母さんが、いわゆる教育ママのような感じで、ほんとうは望みちゃんは美術の勉強が専門的にできる東京の高校に進学したいと思っていたのに、それを認めないで、一番の進学校に進むことを強制したみたいだった。
わたしは望みちゃんが自殺する前日、一緒に学校から家まで帰ったのだけれど、そのときの望みちゃんはほんとうにいつも通りの望みちゃんで、暗いところなんかひとつもなくて、むしろいつもよりもちょっと明るく感じられるくらいで、でも、今になって考えてみると、望みちゃんはそのときにはもう、死ぬことを決めていたのだと思うと、哀しくなるし、どうしてわたしはそのとき望みちゃんの気持ちに気がいてあげられなかったのだろうと悔しくなる。
望みちゃんは自宅の自分の部屋で首を吊ったみたいだった。それを見つけたのは、二つ年上のお兄ちゃんだったみたいだ。
望みちゃんのお葬式はとてもひっそりとした寂しいお葬式だった。お葬式の間中、小さなボリュームで望みちゃんが好きでずっと聞いていた「青色の花」という歌が流れていた。その歌を歌っているのは、世間的にはまったく無名の、インディーズバンドか何かの人たちだった。歌の内容は、暗闇のなかで希望をみつけようとする静かな歌だった。
確かそのとき、雨が静かに降っていたのを覚えている。三月の冷たい雨が淡々と降っていた。バスに乗って火葬場までみんなで行って、そのときみた火葬場の煙突と、その煙突から立ち上る、ぼんやりとした黒い煙のことが今でも忘れられない。望みちゃんのお母さんが声を上げて泣いていて、そのとなりで望みちゃんのお父さんが何度も何度も繰り返し望みちゃんに対して謝っていた。
今になって思えば、何も死ななくてもよかったんじゃないかって、もっと違う選択肢だってあったんじゃないかって思うのだけれど、でも、きっとそのときの望みちゃんは思いつめてしまっていて、苦しくて、冷静に何かを考えることなんてできなかったんだろうなって思う。
だけど、確かに生きることはときどき苦しいし、辛い。だから、少しは望みちゃんの気持ちもわかる気はする。これから先ずっと生きてそこに希望はあるんだろうかって不安になる気持ちはわかる気がするし、正直希望は必ずしもあるとは言えないのかもしれない。でも、それはでもひとは生きていかなくちゃいけないんだと思って、だけど、ほんとうに自分はそう思うことができるのかと言うと、よくわからなくなったりもして・・・。
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