裏腹と背中合せの世界で
私の人生を語れば、10人中10人が表現は違いこそすれ、哀れだと言うだろう。
でも、全ての事情を正しく知らない誰かに憐れまれるほど、私の人生は安くない。
私は、私の殉ずるべきものに殉じた。
私を軽々しく憐れまないで。
誰もが望む人生など選ぶことなどできないこの世で、それでも私は精一杯抗い、そして自分の運命に従ったのだから。
流されるのではなく、自分の手で選び取り、自分の足で歩み切ったのだから。
だから、軽々しく憐れまれたくない。
誰にも私の人生を軽んじる権利などないのだから。
私は、神を信じない。
いや、正確に言えば神というものの神聖性とか善性を信じないと言った方が正しいだろう。
神というものが本当にいるというのなら。
それは酷く気まぐれで、残酷で、歪な存在だと思う。
そういう意味では、私は神の悪戯の犠牲者ではあるのだろう。
私の中に深く深く刻み付けられた感情。
あなたのいる世界はとても美しくて、神はとても残酷だということ。
あなたのいる世界を残せるのなら、その対価が私の命でも、私は喜んで差し出すだろう。
きっと、何度だって。
「……大っ嫌い」
あなたのグシャリと歪む表情を最期に見るために、私はきっと。
叶うなら、私は。あなたの消えない傷になりたい。
私はその日、純白の服を着せられ、頭からすっぽりとベールを被せられた。
そこそこ仲の良かった娘が、足に香油を塗る。
温かな雫がこぼれ落ちたのを、他の人たちに気取られないように彼女はとっさに自分の髪で拭った。
「ありがとう」
緊張で強張る頰にぎこちない笑みを乗せて、礼を言う私を見上げて彼女は顔をくしゃくしゃにする。
「綺麗だよ、ジュリア」
舌が張り付いてしまったように動かない私は、黙って笑みを深める。
大丈夫、大丈夫。きっとちゃんと出来る。
震える手に、足に言い聞かせる。
顔を上げて見渡した中に、私を育ててくれた人はいない。
これがきっと、見納めなのに。
私は緩みそうになる目元に力を入れて、間違っても泣いたりしないように足を踏みしめた。
うつむきそうになる視線を上げて、背筋を伸ばす。
『どんな時だって、胸を張ってしっかり顔を上げて微笑むのよ』
はい、お母様。
私は心の中で返事をして、母の言葉を噛みしめる。
動きに合わせて揺れる髪は淡い金、瞳は春の空のような淡い青。
この場にあの人が居たのなら、手を引いてくれただろうか。
温かく乾いた大きな手の感触を思う。
記憶の中の父の手とも違う、無骨な硬い、でもいつでも優しかった手。
頭を少しばかり乱暴に撫でられる仕草が、ただの子供扱いだと分かっていても大好きだった。
いつでも大きくて広い背中を追いかけてばかりだった。
それも、もう終わり。
もうおしまいだ。
さっきから考えても仕方のないことばかりが心を過ぎる。
心を占めるのはここにはいないあの人のこと。
「では、行こうか」
村長が重々しく告げる声に、黙って頷く。
それ以外の仕草など思いつかないかのように、ごく自然に。
私はもう帰ることのない家を振り向かず、その場を後にした。
花で精一杯飾り立てた荷馬車に乗せられ、嫁入り行列の賑々しさで道を行く。
どこか上の空の私の心を占めるのは、養父のこと。
私を育ててくれた人は、傭兵だったらしい。
本人が決して語らない理由も私は知っている。
5年前、私が住んでいた村は焼かれ、瓦礫に埋もれて見つけられなかった私を除いて、村人はもう誰もいない。
後から聞いた話では、あまりの抵抗の激しさに腹に据えかねた敵兵に殺し尽くされたらしい。
だから運良く生き残った私を拾って、養父はその足で行方をくらますように傭兵を辞めたらしい。
あまりにも酷い有様に、あの村を襲った敵兵は内部で処断されたという噂が流れた。
だから、私にとってあの人は家族の仇であったはずなのだ。
『貧弱な体だな。ちゃんと飯食ってるのか?』
二言目には挨拶がわりに貧弱だと言われ続けた私も、今年15歳になった。
何事もなければ、許嫁の下へ嫁ぐ予定だった年齢。
あの日、あの村が炎に包まれた日。全てが狂わされてしまった。
床下に隠された私は、泣き腫らした目を上げて射し込んだ光に目が眩んだ。光を纏って狭い場所から衰弱しきった私を抱き上げたのは、熊のような厳つい男。
無精髭、泥と汗と煤に汚れた四角い浅黒い顔、見上げるような上背に威圧感を与える程の筋肉に覆われた巨軀。
それまでの決して長くない人生の中で見たことがない種類の、荒々しく力強い男が、私が生きていることに気づいた途端顔を泣き出しそうにクシャクシャに歪めたことに、ただ驚いた。
恐ろしげな見た目が、途端に人間臭くなる。
『生きてる、生きてる』
呆然とした私に、震える手が躊躇いがちに触れたあの時。力強い腕が、恐々と、壊れ物を扱うように私を抱き上げたあの仕草に、私は生まれて初めて胸を高鳴らせた。
私はその後、私を縛る鎖が燃え尽きたのを知ってそのことに歓喜した。
定められたものがない人生、強いられることのない生活。
誰も私のことを知らない、私の立場も、義務も知らない。
生まれて初めて味わう自由に私は歓喜した。
だからこれは、私の報いなのだろう。
果たすべき役割も、義務も、全てを投げ捨てて自由を求めた私への、愚かな私への罰。
「花嫁を、これへ」
ベールから覗いた先には、深い闇とそれに閉じ込められた、それ。
私は促されるように背を押され、そのまま自分の足で歩く。
手を伸ばせば、生暖かい息が掛かる。
ブツリ。
次の瞬間。私は太くて硬いモノを、体の中心に突き立てられた。
痛みよりも激しい熱に、悲鳴さえ出ない。
本来なら瞬時に失われるはずの意識を繋いで、私は震える唇を動かした。
「器に満ちる水よ、命の炎を搔き消す豪雨となりて我を喰らう者を清め給え。闇に堕ちし魂に清浄を、歪められし命に正しき終焉を、我を水と成して全てを洗い清めよ」
闇堕ちした竜族に終わりを与えられるのは、同じ血を引く強い術者だけ。
だから私は、何も分からず恐怖から逃れるために贄を求めた村人たちが、私を選ぶように仕向けた。
これは、私の使命だから。
人間たちが作り出した恨み憎しみが凝った闇に取り込まれたこの怪物は、元は人の姿をしていた。
炎を吐き、周囲に近づく命あるものを無差別に食い殺すこの獣は、今となってはもう人の姿に戻すことができない。
「ごめんね、ネスティ。私、あなたの手を離してしまった。だから、もう、終わろうね。最期ぐらい、一緒に」
かつて婚約者と言われた人の、変わり果てた姿に手を伸ばす。
私を貫く牙に、手を添えて笑みを浮かべた。
本当に、この人とは――ネストルとは相性が良かったらしい。
触れ合った場所から、記憶が流れ込んでくる。
裏切られ、傷つけられ、愛する者たちを殺されて憎しみに染まっていくその感情まで鮮烈に。
全身全霊で怨嗟を叫ぶ、それ以外の全てを失って私のことさえ分からなくなってしまったこの人を、私は命と存在を全てかけてでも救わなければならない。
誰かに救いを求めるだけの理性さえも失ってしまったこの人を、終わりのない苦しみから解き放つ。
思い出など無いに等しい相手でも、この人に添うことが私に課されたことだったのだから、全うしなければならない。
どれほど隠しても、目を逸らしても、忘れようとしても、それは事実だ。
愛情などなくても、まるで恋する相手のように愛を囁き、相手を受け入れ、生きていくことが誰よりも恵まれた人生を与えられた私の責務だったから。
私は、正当な王家の血筋を引く者として民を守らなければならないから。
その対価が自分の命でも、叶うことのない想いでも。
その覚悟は、出来ていたはずだったのに。
あの人に、ごく普通の子供のように扱われ、当たり前のように庇護され、不器用な優しさを受けて夢を見てしまった。
平凡で平穏な暮らしの中、優しさに包まれた生活を、穏やかな日常を繰り返していくだけの退屈で平凡で、ありきたりな愛しい人生を、夢見てしまった。
本当は、あの人が私の仇だと知っていることを隠し、目を逸らし、罪悪感にあの人が苛まれる姿にさえも気付かないふりをしても、儚い夢を守りたかった。
私はただ、幸せになりたかった。
たったそれだけのことも、許されないようだ。
分かっている。
奪い合い、殺し合う乱れた世の中で、どれほど逃れたくてもいずれは運命に追いつかれるのだと。
私は周り全てを見捨ててまで、利己的に生きられない。
それを放置すれば多くの人が犠牲になると知りながら、追いついてきた運命を、振り払うことなんてできない。
私ひとりの命であがなえるならば、それを受け入れない選択肢などない。
神様は、本当に残酷だ。
瞼の端を涙が滑り、頬を伝う。
本当に、神様なんて。
「……大っ嫌い」
大きな人影が、人を掻き分けて飛び込んでくるのが朧げな視界に映る。
「ジュリア!」
確かめなくても分かる。無骨な元傭兵が、間に合ってしまったということが。
でも、もう遅い。
命を触媒にした術は成ってしまった。
血を吐くような叫び声に、もう応えることさえ出来ない。
発動した術式によって、体が水になって解けていくのを感じた私はそっと目を閉じて。
この世界の無情さを、静かに呪った。




