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戦いの大地  作者: 深海聡


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予感紡ぐ夢見

死にネタ、暗い、グロい、エグい、辛い、悲しいなどが嫌いな方は回れ右で。それでも読んでやろう!という方だけどうぞ。極端な描写はありませんが、必要なことは書くのでバッチリな方だけお願いします。

 荒涼とした大地に、黒いものが累々と横たわる。

 吹きつける風に含まれたむっとする臭い。

 まるで、大地が腐り落ちていくかのようだ。

 ふと眩暈を感じて地面に膝をつき、俯く。

 大地についた手にねっとりとした感触を感じて、かすむ目を見開いて見ようとした。

 錆付いたかのような、あか。

 粘りつくその赤が、目の前に掲げた指先から流れ落ちる生暖かい液体になる。

 それは、手に握ったものを伝って流れて来る。

 血に濡れた短剣。

 いつの間にか握っていたその切っ先は、深々と突き刺さっている。



 ダレニ?



 見覚えのあるシルエットをたどる視線の先にある、その顔は。

 苦痛にゆがんだ顔の、唇の端からも滴り落ちる赤い血。

 温かな血が、頬に降りかかる。


「お師匠様ーっ!!」


 声の限りに叫んだ瞬間、視界が暗転した。




 震える息を吐き出して、顔を覆う。

 夢だった。

 あまりにも生々しい、醜悪な夢。

 込み上げる恐怖と嫌悪に、体が引きつっているような気がした。

 体中の毛穴から冷たい汗が吹き出て、夜着の薄い布地を張り付かせる。

 震えが止まらない。

 肉を絶ち、深々と突き刺さる感触。くぐもった声、血の臭気、流れ落ちる血にぬれた手の感触。

 全てが、まるでさっきまで体験していたことであるかのように、体のあちこちに刻み込まれている。

 去らない感覚に、ぐるぐると回っている意識の片隅で、近づいてきた足音がドアの前で立ち止まるのを感じた。


「エフィメル。大丈夫ですか?」


 遠慮がちに響いてきた声に、エフィメルは安堵したように大きく息を吐いた。


「はい」


 ひどく掠れた声に、出した自分自身でもぎょっとして、エフィメルは口元を押さえる。

 返った返事にやや緊張が解けた声が、入りますよ、と静かに告げた。

 そっとドアを開けて、明かりを手にした長身の男が入ってくる。無造作に左に流し、束ねてある長い黒髪はやや乱れて寝起きであることを物語っている。男のゆったりとした白い夜着にも、その上から無造作に羽織られたガウンにも、染み1つないことを確かめて、エフィメルはようやくうっすらと微笑みを浮かべた。

 静かな衣擦れの音と共に、火皿の中で燃える種油の馴染んだ臭いが、ぷうんと鼻先を掠める。


「叫び声がしたものですから」


 のんびりとした口調で呟いて、柔らかな微笑を浮かべた男の眼鏡の奥の瞳は、やや赤く充血している。


「すみません」


 そうでなくても寝不足気味な師の、貴重な睡眠を妨げてしまった自分にエフィメルは赤くなる。

 それをじっと見ると、男は片手に持っていた湯気を立てているカップをエフィメルに手渡した。

 それをありがたく受け取って、エフィメルは一口飲むとホッと息をつく。

 暖かなミルクが、冷え切ってしまった体に心地よかった。


「お師匠様」


 カップを両手で包み込むように持ったまま、緊張した声色で呼びかけるエフィメルに、男は視線を向ける。

 静かな、慈しむその視線に先を促されて、エフィメルは意を決したように問いかけた。

 

「人の上に立つ者が、万民の幸せの為と称して、他国に力を振るうことは正しいのでしょうか」


 言葉の続きを待つように、彼の師はじっと耳を傾けている。

 視線を合わせるためにベッドの端に腰掛けて、エフィメルをじっと見ている男の視線には、弟子の成長を見守る師の優しくて、厳しい光が揺れている。


「もしも、相手の国が危険な武器を持っていたとしても、力を振るえば民が傷つく。それでも、それは悪ではないと言えるのでしょうか?」


 真剣な眼差しで自分を見上げてくる愛弟子に、男は微笑む。


「エフィメル、あなたはどう思いますか?」


 逆に問い返されて、エフィメルは視線を落とし、考え込むようにカップを凝視する。


「僕、は。僕は……」


 ギュッと目を閉じて、エフィメルは思い浮かべた。

 大好きな両親や、お師匠様や、友達。大好きな皆が、傷ついていく、そんな光景を。


「僕は、悪だと思います」


 じっと己の師を見上げ、しっかりと言い切ったエフィメルに、彼の師は微笑む。

 純粋な、汚れを知らない無垢な心。

 幼い者だけが許される、そのまっすぐ見つめる視線。


「エフィメル、お前は正しいよ」


 全ての者にとって正しい答えなどない。それでも、この幼い弟子が悩んで出した答えもまた、正しい答えだから。

 柔らかい髪をくしゃっとなでて、微笑みかけた。

 くすぐったがるような笑顔が、エフィメルの顔中に広がっていく。

 輝くような笑顔。

 この笑顔を、曇らせたくない。

 エフィメルだけではなく、全ての弟子、ひいてはこの国の民全てが、大切な者を失って泣くことがなければいい。

 そして、この幼い弟子が人を愛し慈しむ心を失わなければ良いと、男は思った。


「さぁ、もう寝なさい」


 優しく言い聞かせて、男は微笑みかけ、エフィメルにしっかりと布団を着せ掛けて静かに部屋を後にした。

 廊下に出て、男は小さく息を吐き眼鏡を取ると、ふと考え込む表情になる。

 月明かりの射す石造りの回廊を歩きながら、男は迫り来る不安に苛まれていた。

 末の弟子、エフィメル。

 彼が夢の中に一体何を見たのか。

 弟子の中で一番能力の制御が未熟で、しかし強い力を持つ、まっすぐで優しい気性の少年。

 結局、聞き出すことが出来なかった。その強い力が見せる、暗い未来が恐ろしくて。

 

「この世界は正しくなどない。美しくもない、か」


 かつて男の師が言った言葉を、彼は呟く。

 戦乱が迫っていた。

 町の人々は押し寄せてくる荒々しい空気に怯え、明るかった町からは活気が消え、皆不安そうに硬く扉を閉ざし、肩を寄せ合ってひそひそとうわさを繰り返していた。

 運命は、我らをどこに押し流していこうとしているのか。

 何が正しいかなど、きっと、誰にも分からないのだろう。

 我らは時という流れに運ばれていく木の葉に過ぎず、決してその流れを見ることは叶わないのだから。


「師よ。私は、一体彼らにどう言えばいいのでしょうか」


 かつて、この地に戦乱があった。

 あの時、師は何と言ったのだろうか。

 まだ世の中を知らない、若い頃。人一倍正義感が強く、曲がったことが嫌いだった自分が師をなじり、責めた時。

 今でも忘れない。

 あの戦で、師は命を落とした。

 私の目の前で、血にまみれて。


 ――そう。私が殺した。


 冴え冴えと輝き渡る月を見上げて、男は重いため息をつく。

 今なら分かる気がした。

 あの時、なぜ師が微笑んでいたのか。

 きっと、私も弟子たちの前に立ちはだかるだろう。もし、それで自分が命を落とすとしても。

 彼らのことが、真に大切だと知っているから。

 自分を庇って死んでいった、師のかすかに微笑んだ顔が甦る。


「そう。私たちには、己の出来ることを成すだけの、分相応の力しか与えられてはいない。だから、最善の事を行えば良い」


 全てを欠けることなく守り通す力など、誰にもありはしないのだから。

 己に言い聞かせるように呟き、そっと目を閉じる。

 もしも私が死んでも、きっと弟子たちが私の成し遂げなかったことを引き継いでいくだろう。だから私は彼らを守る。この命を引き換えにしても。

 それが今、私にとって一番正しい道。

 だが。彼らはそれぞれの道を選べばよい。私は、その為の道標だから。


『この世界は美しくなどない。正しくもない。だが、アレイン。人は皆一心に日々を生きていく。お前はそんな者たちに、道を指し示す道標になりなさい。そのまっすぐな心で、常により良き未来を彼らが選べるように』


 遠い日の、師の言葉。

 いつか誰かが、私がそうしたように継いでくれるのだろうか。

 男は――アレインはそっと唇の端を上げた。

 継がれなくとも構わない。

 大切な者を守るために戦う、それだけで己の存在は果たせようというものだから。

 いつの間にか、月は山並みの向こうに姿を隠そうとしている。

 山を染め上げて、やがて太陽が昇るだろう。

 それは、どんなものも公平に、平等に照らす天より来る光。

 

「師よ。あなたは唯一つ間違われた」


 アレインは、移り行く天の色をその瞳に映し、微笑む。


「いかなる汚れに満ちても、この世界は、真に美しい……」


 その時、山並みを染め上げて、太陽が世界を光のうちに洗い上げた。




 半年後、アレインはエフィメルの夢の通り、命を落とすことになる。

 だがその顔は、不思議と穏やかに微笑んでいたという。


『どれほどの後悔に苛まれても、それに呑まれぬように。己の足で立ち、己の道を歩みなさい』


 小さく弱弱しかった末の弟子は、やがて多くの言葉を養分として揺るぎない大樹となる。

 この世に遍く光があるように。

 繰り返される悲劇の呪いの中で紡がれるその祈りは、混迷の時代を打ち払う芽吹きを導く。

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