バラエティズ
緩やかな坂道を登り詰めると、その瀟洒な建物はあった。蔦の絡まる
薄茶けたレンガの壁。屋根の方には古ぼけた時計塔。ツバメが巣を拵えているのか、その塔を頻繁に出たり入ったりしている。もうすっかり夏である。晴れ上がった青空にもくもくとした入道雲が時として様々な姿、形を
見せる。
「ジューン!」
遠くで、きめ細かな、かん高い声がした。同級生の神薗弥生だ。最近,転校してきた新入部員だ。少し赤みを帯びた髪を斜めに縛り上げている。
「はあっ はあっ ねえ ちょっと待ってよう!昨日約束したあのバンドの曲、持ってきたよー。」
古い石畳をスキップするように駆け上がってきた弥生は、容姿の所為か、なんだか妖しい雰囲気を持ち合わせていた。
「あっ、ありがとう。噂通りだといいな!」
USBカードを受け取ってはしゃいで見せた。私の名前は榊原ジュン。目の前にそびえ立つ古ぼけた校舎が私の学び舎、『私立 クリス女学園』。その乙女の苑にある放送部※1(通称 神部)の部長を任されてる。
「早く行って始業前の鐘鳴らさなきゃ。遅刻は厳禁よ!」
ジュンと弥生は息堰切って駆け出して行った。その姿を遠くの職員室から見つめる姿があった。放送部顧問の行止先生である。文字通りの人生をおくって来たその後ろ姿には哀愁以上の悲しみが漂っていた。
「今年こそ・・・今年が最後のチャンスだ・・・・・」「キーンコンカーコン」物思いに耽る行止の脳裏を遮るような音が鳴り響いた。
ガラガラッ 放送部の扉を開けると既に人が準備をして待っていた。
神森このみだ。
「お早うございます!機材の準備は終わってます。あとは部長がボタン
押せばいいです。」しっかりもので機械いじりが大好き。まるで放送部のために存在するかのような娘だ。
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※1 部員の名前に(カミ)の文字があるため、いつしか神部と呼ばれるようになった。
「っていうかあ、今日は早いじゃん。んん?何それ?」弥生が訊ねた。
「うふっ。今日は記念日なの。だから早く部活が終わるように準備してればって思って・・・」
と言いつつ、このみは手に持っていた鞄を後ろ手に隠そうとした。
「おーっ 可愛くねーぞ!」
いきなり扉を叩き付けるように入ってきたのは、力自慢でお人好しの
神奈美、中嶋神奈美である。
「何よ!彼氏いない歴17年は部室の掃除でもしてればいいの!」
「俺には女は要らん。軟弱な眼鏡娘にはわからんだろうがな!」
「まあ、まあ。」ジュンは二人のいがみ合いをスルーしながらボタンを押した。
朝の喧噪が嘘の様に静まり返った校庭に、ストレートの長い黒髪の女性徒がいた。
初夏の風に髪を遊ばせながら、時折「くすっ」っと微笑む横顔は高貴な人柄だと容易に想像できた。パタン!と渡り廊下のドアの音がした。
「?」女生徒・・神宮寺ゆかは裾の草を払いながら立ち上がって廊下に視線を注いだ。
「何かしら?」
視線の向こうから現れたのは、まさに今時の二人だった。黄金色に染めた
髪。薄くピンクに濡れた口元。おおよそ校則からかけ離れたその姿にゆかは一瞬たじろいだが、すぐに平静さを取り戻した。
「私に御用かしら?」
「モチよ。あんた本好き?」
「ええ。それが?」
「あのさー、あっしさあ、なんつうか、メールしか読まねえし、あんたみたいな人と真逆な人生な訳よ。だからさあ・・」
瞬間、那奈の蹴りが宙を舞った。
『ひゅーん』
同時に彼女の体がスロモーションのようにねじれ、強く大地に叩き付けられた。
『ドスッ』
「新柳生流柔術 師範 神宮寺ゆか お見知りおきを・・・」
「・・ってー。マジ投げすんなよ。アクションアニメじゃねえし。」
しかし構えたまま、ゆかは続ける。
「あなたこそ名を名乗るのが筋というものよ。」
最もな意見に那奈は機嫌を損ねたのか、その場に座り込んであぐらをかいた。
「あんねー。堅苦しいの止め!聞いてると体中に虫わきそうだわ。あっしは那奈。んで、隣がよしの。噂聞いてさ部員の勧誘に来たんよ。」
「随分荒っぽい勧誘ですこと。でも私多忙につき、部活は断ることにしていますの。」
「言うと思った。まあ帰宅部専門のあんたに勧誘かます、あっしらもどうかと思うわ。実際。んでも、試しに部室くらい覗いてってよ。」
「興味なし。女性に二言はありませんわ・・・」
解けた自慢の黒髪をまとめながらゆいは続けた。
「うちの部長・・・あんたより強いかも・・・」
時間にしてほんのコンマ何秒か?那奈の言葉に将来の負けず嫌いの性格が反応したのか?
「あなたのクラブの部屋、確か私の帰り道でしたわ。まあ、時間があれば
そのうち・・・ほほほ」
ゆかは何事も無かったように静かにその場を立ち去った。
「まあ、成功とはいえないけどさあ・・・まあ、いっか」
ちょっとバツが悪そうな那奈によしのが微笑みかけた。
「ねえねえ 那奈あ!今月号のプチ見た?ネイルとプリクラの特集。すっごい、可愛いのあんの。・・・・・・」
夕闇迫る:そんな頃、ジュンの携帯が鳴り響いた。
「えっ? そんな! はい!はい!うんわかった。今すぐ行く。」
何やら不穏な空気が部室を支配した。今までに無い重い事件らしい。
「大丈夫?」
弥生が心配そうに顔を覗き込む。ジュンには電話の内容は言えなかった。
学園長が危篤で、その学園長がジュンの叔父だとは・・・
閑静な住宅街の奥まった所にそれはあった。ひときわ大きな樫の木が、まるで長年の主人を迎える様に、ジュンを見下ろしていた。
「ほーっ!大きくなったのう。」あの日の叔父の笑顔がたまらなく懐かしい。この樫の木のように、もう一度、その手で抱き上げてほしい。ジュンは溢れる想いで胸を締め付けられた。
「ジュン?ジュンなのか?」
叔父の声にならない声がジュンを枕元へ引き寄せた。もう間もなく黄泉の国へ旅立つであろう、叔父の、いや学園長の表情は穏やかであった。
学園長は握りしめた右手をジュンの膝頭に添えて微笑んだ。
「ジュン。遂にこの日が来た。わしが、いや榊原家が守主として大切に守り通してきた秘宝『月の衣』をおまえに託す。いずれ敵が現れ、おまえが災いに巻き込まれても、この『衣』がおまえを守ってくれるであろう。」
学園長の笑みが急になくなり、やがて土色の無表情が身体を覆い始めた。
「もう時間がない。ジュン。神の裁きじゃ。神の、神の裁き・・・・・」
それが最期だった。もう何の音も聞こえなかった。ジュンは学園長から手渡された黄金のブローチを無造作に髪に差した。何か底知れぬ恐怖が、身体中を震わせた。
「 神の裁き・・・ 」「何?どういう事?」
ジュンは一瞬ためらったが、すぐに頭を振って自分に言い聞かせた。
「私は部長よ!何があっても部の皆は守るわ。そうよ!榊原家も皆も必ず守ってみせるわ。叔父様・・・見ててっ。きっとよ!」
「そうだ!そこでパンしてフィックス。そう!ピンでバストアップかなあ?あっ違う、違う。台本見ろよ!全く。今年の新入部員使えんのかよ!」
怒っているのは、冨士工のキャプテン 桂木大気(18歳)だ。毎年全国大会1〜2位の常連校だ。言ってみれば『クロス女学園 放送部』のライバルでもある。
「予定通り撮影出来なきゃ飯なしだ!おまえらやる気出せ!」
檄を飛ばすのは副部長の椎名たけるだ。ここ富士工業高校は徹底したスパルタで有名でもある。
「桂木キャップ!例の作戦は順調です。見事潜入を果たしたとの連絡が先程入りました。」
窓際で遠くを見つめる目が悪意へと変わる。
「ふふっ!奴らの情報は筒抜けだ。これで今年も我が富士工業高校が全国一位という名誉に浴するわけだ。はは・あははははは」
やがて、未曾宇の経験をするとは、大気はこの時露程も想像していなかった。
学園長が急逝して喪が開けた頃、その男は遣って来た。ベターっと
ポマードを塗りたくったヘアは異様な光を放ち、白をベースにした格子縞のスーツは恥ずかしいを一蹴して、一種独特な品格さえ醸し出していた。
男の名前は菱灮達夫。実は相当な資産家である。この辺りでは石を投げれば菱灮に当たるというくらい名家で有名である。その次男坊が『クロス女学園』の後任として赴任して来たのである。
「うふふん。クロス女学園といえば、うふふん、むっちゃSじゃない?
という事は、うふふん、あれもこうだしー、そっちもあれだわねー」
わけのわからない事を呟いていると
『ドン!』
と生徒とぶつかり、危うくこけそうになった。
「廊下は走らない!私だったから良かったものの・・・」
と言いかけて、生徒を見た菱灮は絶句した。
『順子さん・・・』
そんな訳はない。そうだ。これは幻だ。もし彼女が生きていれば私と同じ
歳だから・・・
「いや。何。・・・」菱灮は年甲斐もなく照れた。
「あっ!ごめんなさい!急いでたものですから。失礼します。」
彼女は軽く会釈して去って行った。
去り際に仄かに香るシャンプーの匂い。さりげない立ち居、振る舞い。まさに彼女そのものであった。菱灮の胸は張り裂けんばかりに高鳴った。
「おーっ。God!あなたはやはりGOD!!私の天使を今に顕現させるとは!」
「Yes!Yes!わかりました。私は下部。望むなら、何なりとご指示下さい。私の出来うる限りの事をやりましょう。アーメン」
こうして、新学園長は赴任後間もなく、許されざる恋に落ち、恐妻の
プレッシャーとの狭間で苦悩する。しかし愛情表現が下手な所為か、生徒にはストーカー菱灮、略してストミツと呼ばれるようになる。
学園が休み(夏休み)になると間もなく大型のトラックが次々と校庭に乗り入れた。荷台からは写真でしか見た事ないような高級放送機材が運ばれて行く。と同時に校庭に何やら建築物ができてるようだ。
「ねえ。うちらの放送部は無くなるのかな?」
部活で学園に来てたこのみが小さな声で呟いた。
To be continue