第1話 死に戻り。おじさん、再び目覚める
――斧が振り下ろされる音が、耳の奥に残っていた。
空気を裂く重い風切り音。皮膚が粟立つほどの恐怖。
そして、首筋に触れた“冷たい刃”の感触。
その瞬間、世界が黒く塗りつぶされたはずだった。
……なのに。
「……はっ……!」
ラースは息を吸い込み、上半身を跳ね起こした。
肺が焼けるように痛い。
喉が乾ききって、呼吸がうまくできない。
心臓が暴れるように脈打ち、手足は震え、汗が背中を伝って落ちていく。
――死んだ。確かに死んだはずだ。
帝国兵の斧が、俺の首を――。
ラースは反射的に首筋へ手を当てた。皮膚は温かく、なめらかで、どこにも切断の痕跡はない。
「……夢、じゃない……よな……?」
声が震える。自分の声なのに、どこか他人のもののように聞こえた。
周囲を見渡すと、そこは見知らぬ場所だった。
石畳の広場。古びた木造の家々。
朝の光が差し込み、鳥の鳴き声が聞こえる。
戦場の血の匂いも、火球の焦げた臭いもない。
代わりに、パンを焼く香りと、井戸水の冷たい匂いが漂っていた。
「……どこだ、ここ……?」
ラースは立ち上がり、ふらつく足をなんとか踏みしめた。
身体は軽い。あの時の火球の痛みも、焼けるような熱も残っていない。
だが、服装は粗末な布のシャツとズボン。
兵士の装備ではない。金も武器も持っていない。
「……おかしい。絶対におかしい……」
近くに小さな池があった。ラースは吸い寄せられるように水面を覗き込む。
そこに映ったのは――日本人ではない、異世界の男の顔。
ラースの顔だ。
「……やっぱり……転生したまま……なのか……?」
だが、何かが違う。肌の張り、目の輝き、頬の肉付き。
前回よりもわずかに若い。
死ぬ直前の記憶が、断片的に蘇る。
火球。グスマンの絶叫。カイン将軍の死。黒騎士の鉄仮面。そして――斧。
「……なんで……生きてるんだよ……」
ラースは池の縁に座り込み、頭を抱えた。
心臓の鼓動がまだ速い。手の震えが止まらない。
だが、周囲の街並みを見渡すと、そこには“戦争の傷跡”が一切なかった。
壁は崩れていない。家々は焼けていない。
人々は普通に歩き、笑い、商売をしている。
「……まだ……戦争が来ていない……?」
しばらく街を歩き、耳を澄ませて噂話を拾う。
「帝国軍が国境で暴れてるらしいぞ」
「でもここまでは来ないさ。王都は安全だ」
「カイン将軍が南部で皇国軍を押し返したらしい」
――やはり、時間が遡っている。
戦争は始まっているが、まだ王都に迫ってはいない。
「……タイムリープ……なのか……?」
ラースは拳を握った。
金もない。常識もない。体力もない。武器もない。
このままでは、また死ぬ。またグスマンが死ぬ。またカインが死ぬ。
「……何かしないと……」
その時、腹が鳴った。
「……まずは飯か……」
だが、財布は空っぽ。日雇いの仕事を探しても、どこも不景気で断られる。
五軒目の店主が言った。
「兵士募集してるぞ。戦争が近いからな。行ってみな」
ラースは藁にもすがる思いで兵士募集所へ向かった。
そして――兵士として採用された。
「……また、ここからか……」
だが今回は違う。未来を知っている。
死ぬ理由も、死ぬ場所も、死ぬ順番も知っている。
「……絶対に、生き延びてやる……」
ラースは静かに決意した。
ここから、二度目の兵士生活が始まる。




